拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  悲願は到『彼岸』

2023年05月08日 | 東洋自分なり研究所

  1999年に公開された映画『マトリクス』・・・は『仮想現実世界からの目覚め』がテーマで、世界中の人々、そして私をも虜にしたが

  『量子力学』の研究が進むにつれ、それはSF映画の領域を超え、現実味をおびた研究テーマとなって

  『パラレルワールド』とか『多世界解釈』とか言うらしい。

 

  映画『マトリクス』1999年…ということは今から24年前で、私自身はスマホもPCも未だ持っていない時期であったろうか。(感慨深い)

  この映画を観たとき、私は直感的に『禅』の世界を表現している、と興奮して夢中になったが、それが具体的にどのように

  『禅』と関わっているのかについてはわからないままでいた。

  その後、私の心境も少しは進み、『仏教』そのものを自己の境涯で照らし合わせ独学するなか、観えてくる景色があった。

 

  仏の悲願は只一つ、人々の『到彼岸』で、それは円覚寺に居たとき散々皆で唱えた『般若心経』のタイトル『摩訶般若波羅蜜心経』・・・

  意訳は『偉大なる智慧の完成』でサンスクリット語の直訳では『般若の智慧の世界に到彼岸』・・・と、主張している。

  つまり『悟り』に到るということであるが、ここでは明確に『到るべき彼岸』と『今我々がいる此岸』を説いている。

  仏教における『彼岸』・・・という言葉はじつに重要な『キーワード』であるのに、後の仏教徒は『先祖供養』にすり替えてしまった。

 

  この我々が今いる『此岸』こそが、マトリクスで『仮想現実世界』でなくてなんであろうか。

  映画『マトリクス』は、そのことを我々に喚起したが、その解脱法までは提示することが出来なかったのであろうか・・・。

 

  それを見事に景色にして観せてくれているのが、中国宋代(10〜13世紀)の禅詩人 蘇東坡の詩だ。

     「廬山は煙雨、浙江は潮 到ざれば千般恨み未だ消せず到り得帰り来たれば別事なし 廬山は煙雨、浙江は潮」

 

            

              『別事なし・・・』ここが、最高にカッコいい・・・よなぁ〜 シビれる!

    



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