拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 野生へのロマン

2021年10月23日 | ヨーロッパの風

  秋になると、ヨーロッパの各地で『中世祭り』が盛んに行われるのだが、これもコロナ禍の影響で影をひそめている。

  どんな祭りかというと、ヨーロッパの時代を中世にさかのぼって、お城のある地方では城内外の一角を17〜19世紀そのままの

  雰囲気を醸し出すべく、村の志願者が一体となり、当時の騎士や様々な職種の商人、農民、王族貴族などに変装して週末を楽しむもの。

 

  我が街モルジュにも小さいながら城があり、そこで先日小規模の中世祭りがあった。

  人間を撮ることが何よりも好きな『撮家』として、私は20年ぐらい前からスイス各地の『中世祭り』へ出向いては撮影しているので

  勇んで出掛けたのだが、スペース的にあまりに小規模であることと、観客の対象がやや子供向け…のようで、正直気が抜けてしまった。

 

  コロナ禍が収まれば、昔のような本格的な『中世祭り』がヨーロッパ各地で復活するに違いないが、

  それにしても何故、人々は『中世祭り』が好きなんであろうか?…とふと考えたりしてみた。

      

  この写真は私がまだデジカメ以前のカメラを使用していた時のもので、スイスイタリア語圏の村で撮った若き青年武士の肖像

  野生のロマンの香りをフンダンに発揮していた。

  コロナ禍の前は本当に『中世祭り』が盛んで、なかにはプロ集団がいて彼らはヨーロッパ各地の城を巡回していたりする。

  2年おき、あるいは4年おき・・・というふうに資金を貯めては村おこし的規模の『中世祭り』が行われていた。

  そういった村の『中世祭り』の人々はそれぞれ役に成り切っていて、見に来た観客も中世の街なかに飛び込んだ気がして楽しい。

 

  観る方も、扮装している人々も皆生き生きとした表情をしているが、何故なのだろう?

  現代からみると、何も無いに等しい時代に何故人は憧れるのか? 野生の時代に何故人は憧れるのか?

  『野生へのロマン』に人は魅せられる・・・

  そこには『便利さ』の甲冑で己を保護するあまり裸の自分が見えなくなっている現代人?・・・そういった自分に人は気付いているのだ。

  人は真っ裸になった時、自分が求めていたものが観えてくる。

    

     この人の場合、『格好だけ…』ではあるが、それでも野生への思いはやはりあるようだ…

  

  

 



最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (syaraku-sai_5)
2021-10-24 05:44:35
@yozanema-126 今晩は。本人に褒められたよ、、というと照れてましたが、カッコイイのは数秒で、すぐコメディ調になってしまう天然で、本人はそれを自覚していないところが実は闇なんですが•••。
返信する
Unknown (yozanema-126)
2021-10-23 21:59:39
こんばんは。
さすがニコルさん、
決まってますね!
姿勢も左の指先も視線も
剣の向きも
かっこいいです。
しばらく見とれました。
返信する

コメントを投稿