拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  Chat "観自在”による 〜 般若心経

2023年04月04日 | 東洋自分なり研究所

  私の今朝のYoutubeホームページの案内を観ると『Chat GPT』に関する動画が目立つ感。  

  『AI』による『Chat GPT』を驚嘆、賞賛する声を反映している動画のようであった。

 

  『Chat GPT』の一般公開が世界的に大好評で迎い入れられたことで、進化にさらななる拍車がかかり、

  これまでシンギュラリティは2045年頃と言われていたのが、目前まで迫っている感に『AI・IT界』に関わる人間を興奮させているようだ。

 

  そんな動画の一つ、Pivotと名乗るYoutube番組で、北川拓也氏(38歳・Well-being for Planet Earth理事)が『AI』について解説するなかで

  『パラミター』という何かの単位であるコンピュータ用語を使用し、それを聞いて私は『!?』と閃き、『AI』とは一見なんの脈絡も無いような

  『般若心経』を思い浮かべ、これまで気になっていた『AI用語』と『般若心経』の仏語がシンクロしているという馬骨妄想論の序文を一部発表することにした。

 

  そういった『馬骨妄想論』になんの価値があるか?・・・と、私は多分自問していたのだろうと思うが、それにふさわしい答えを

  最近買った電子書籍『仏教の源流』松岡正剛著のあとがきに見出した。

  『 今日の日本仏教の状況には、共感できないところがいろいろあると言わざるをえない。けれどもその一方では

   21世紀の仏教こそが新たなラディカルをもたらすはずだ、別様の可能性をもたらすはずだとも確信している。

   とくに『菩薩』の21世紀的アナザースタイルが待望されるようになるだろうと思っている。』・・・・と、この本の最後を締めくくっているところだ。

 

  我ながら非常に洒落臭い…何故なら『AI・IT』について全く無知、『般若心経』にしても勝手な妄想論より一歩も出ていない自身の無知を知りながら

  『あたかも感』で妄想に過ぎない『Chat観自在』による『般若心経』読解を述べようとするのだから・・・。

 

  『般若心経』というお経の出だしは『摩訶般若波羅蜜多心経』で始まる。摩訶=偉大なる/般若=智慧/波羅蜜多=到彼岸=完成・・・となる。

  そこで、波羅蜜多(ハラミタ)はサンスクリット語Paramitaの音写であるが、このYoutubeの北川氏は何だか知らないが、何かの単位『パラミター』

  これをググってみると、じつは『パラメータ』らしく (何故、北川氏はパラミターと発音したのだろうか?)

  『媒介変数、母数、引数、設定値などの意味を持つ英単語。ITの分野では、ソフトウエアやシステムの挙動に影響を与える、外部から投入されるデータ』

  ・・・だそうだ。

  で、仏教的に解釈すると『パラミター』が母数(慈悲と智慧)で、その母数を『AI』に投入すれば、いかなる活動をしようと、

  『AI』は常に『慈愛』に満ちた情報選択を提示し悪事に利用されることなく、『摩訶般若波羅蜜多心経』が完成し人間社会を幸福に導く。

 

  で、般若心経の次の出だしがなんと『観自在菩薩』・・・とあり、サンスクリット語で『Ava-lokita-svara』アヴァロキタシュヴァラで

  ava『離れて、遠く』の意。 lokita『観る、受け入れる』の意。svara『響くの語幹が変化したもので、声、音』の意となる。

  ここで、松岡正剛氏は『遠くに音を観る』とし、『だから『観音』は遠い音でも聞き届けてくれるイコンなのです。』・・・と解している。

  私の解釈はそこがちょっと違い、『離れて、遠く』・・・というのは色界とは次元が違うことを意味していると解している。

  そして、svaraが『響く』から派生している言葉であることを確認できて、私の『悟り』=『郷里』論が裏付けされたようでうれしい発見であった。

 

  これを最初に漢訳したのが鳩摩羅什で『観世音菩薩』、次に漢訳した玄奘三蔵は『観自在菩薩』としたが、ここがじつに面白い。

  馬骨的に解釈すると『観世音』は『仏』になるための『In-put』行であり『観自在』は『慈悲』の『Out-put』行に他ならない。

  で先程の『パラメータ』であるが、『アクティブ・パラメータ』と『パッシブ・パラメータ』の2つがあるということであるが

  まさに、この『Ava-lokita-svara』の『観世音』と『観自在』の2つに呼応するではないか!

 

  だいたい『般若心経』は、約2千年前に『悟りを開いた人々』によるお経であり、それが『梵』から『漢語』に翻訳される際に

  洗練、精錬し、練りに練った『漢字』に『悟りの風景』を込めた『呪術語』であるのであるから、『観音菩薩』『観自在菩薩』…と聞いて

  はいそうですか…で終わらせてはいけないはずだ。 僧侶はその事をしっかり考え、わかりやすく、現代的布教を心がけるべきであろうと思う。

 

         

              満開の木蓮の下で老婆が作務するシュールな風景・・・2023年の春

  

 

  

  

 

  



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