拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 海外在住について馬骨の場合

2021年04月16日 | 還暦録

  観光ガイドやっていた時、お客さんによく聞かれた質問… 『なんでスイスまで来たんですか?』

  私は『小指を立てて、私はこれで日本を発ちました・・・』と答えては、笑いを取ったりしていたが、冗談半分、真実半分ではあった。

  鍼灸の勉強をしている時、私の師を訪ねて来た日本人がスイス人を3人連れてきた。そのうちの女神が私をスイスに招待してくれたことが

  スイスを知ったキッカケとなった。スイスがどこに有るのかも知らなかったのに・・・。(ちなみに女神とは相方ではない)

  その後、ニューヨークへ行って写真で一旗揚げよう・・・などという、すっかり間延びした夢を引っさげてアメリカへ行ったりしたが

  結局、スイス経由でスイスで出会った相方と日本に戻り、円覚寺へ直行し5年を期限に禅修行をし直しすることになった。

  期限を迎え40歳を目前に、相方と一緒にスイスへ戻って、現在に至る・・・大雑把に言うとこうなる。

 

  スイスへ行っても、なんとかなるだろう…なんて、今考えると無謀だったような気がするが、幸いすぐに観光ガイドとして生計のめどはついた。

  スイスに来た本当の理由は、恥ずかしくて言えない…というか、鈴木大拙の影響を受け、おっちょこちょいな私は、何にも知らないのに

  『禅を世界に広めにゃ…』と、真剣に考えていたが、いざ現地に来てみると仏語(フランス語)はもちろん、自分の言葉で仏語(仏について)を

  一言も発せない自分を発見。・・・では、『何かが自分の中で発酵するまで、待ちましょう・・・』で、30年掛かったわけだ。(特に何をしたわけでもないが…)

 

  でも、今日言いたかったことは、そういう方面の事ではなく、『海外在住』はかなり大変なことである・・・ということ。

  特に男が海外で生計を立てるには、読み書き、会話が出来き、伝手やコネクションがあればよいが、そうでなければ出来る仕事はかなり制限をうける。

  スイスのような小さな国(九州ほど)に3ヵ国語(仏・独・伊)の壁があれば、地域的制限が更にあるのだからややこしい。

  観光ガイドの仕事が激減した時、引越し屋(日本企業)の仕事に移行できたのは針の穴を通るぐらいラッキーであったが、

  同時に、企業側から言えば、働き盛りの日本人男性を現地スイスで見つけるのはほとんど不可能・・・で、働き盛りを少し過ぎた50男、私を雇うはめになった。

  しかし、私はその頃バトミントンを週3回(3時間)やる元気男で体力的にはかなり充実して張り切っていた時期であった。

           

           こんな感じで、⬆︎何故か『手』だけは年中守っていた引越屋時代の写真

  ただ、10年ぐらい前からインターネットが急速に発展し、海外在住も事情がかなり変わった事は間違いない。

  一昔前の情報不足による『悲壮感』はほとんど無くなった今、温泉と日本食への望郷・・・の念ぐらいか?

  いや、やっぱり日本語が通じない、文化の違いで気持ちが通じないストレスはいまだ多分にあり

  海外在住は『楽ではない』・・・と、書こうと思ったとき、正反対の意見が頭に浮かんだ、『気を使う日本文化から開放され』じつに楽ちん!

  

  

  

  

  



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