拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

   禅=問x答

2023年05月13日 | 東洋自分なり研究所

  一昨日の5月11日(木曜日)、友人の息子さん演出の芝居を観てきた。

  彼はいま四十代半ばで、若き日は子供たちを対象とするギター弾き語りの歌手として、ローザンヌ界隈でその名を知られていた。

  その後、4,5歳〜18歳を対象に芝居の指導と発表会をする演出家として、知る人ぞ知るという存在になっている。

  彼の母親が私の友人で日本人女性、父親がスイス人男性でいわゆるハーフ(今はダブルというらしい?)で、見かけは明らかに東洋的風貌。

  2年おきぐらいに公演を行っているが、今回招待されて5度目ぐらいになるのではないだろか。

 

  今回の演劇のタイトルは『Un spectacle Super Sympa』訳すと『非常に気持ち良い劇』・・・というところであろか?

  今回出演するのは、高校生を主体に一部大学生だそうで、最初に登場する一家3人の頭に電極ネットをかぶり、それがヒモ状にどこかとコネクトされている・・・

  そういった状態から物語が始まったので、私はすぐ『マトリクス』のパロディであることに気づいたが、後で彼の母親から大筋を聞いてそれが間違いでなかった

  事を確認できた。 昨今、ますますインターネット化する社会を風刺しているのだろう。

 

  いくつか印象に残ったシーンがあったが、特に印象に残ったのは、芝居の最後のことろ、黒ずくめのタイツやジャージを身に着けた男女20人ほどが

  テクノ音楽(?)に乗って踊り狂うシーン・・・には何故か感動した。

  芝居という枠から、若さが弾ける様子に打たれたが、同時にテーマとなっているマトリクスの『?』にもがき、

  沢山の『?』そのものがのたうち回っている姿に観えて圧巻であった。

  そしてそれは『自観』の未だ確立していない量子の姿と重ね合わせの様に観え、『青春』とはかくなるものであろうか…と思ったのだ。

  

  『禅』というのは文字が示す如く『単的(シンプル)に示す』・・・ということで、それは答えである『悟り』の事だと思っていたが

  じつは『問』と『答え』両方が在って初めて『示』されるものである事を今回改めて強く観じた。 

  問である『?』なしに腑に落ちる『答』は無いのだと。

 

  私は自己の『還暦スキャン』によって、幼少より今日に到るまで、フラッシュ的『悟り』の表出があったことを観じていたが、

  私はその『問』い方が解らず、それを無意識に探し求めていた結果、必然的に『禅』修行に至ったのだと思う。

  よく『禅問答』というが、それは単なる問答ではなく『問になりきることで答えが観えてくる』そういった境涯を『禅』と言い、

  ゆえに『禅問答』と言うのだ。・・・そんなことをこの芝居は教えてくれた気がする。

 

       

        チューリップ祭も明日14日で終了。たかがチューリップ、しかしどれほど私をSuper Sympa(仕合せ)な気分にさせてくれたか・・・

        チューリップは色形だけでなく、傾き加減まで等しいのが不思議!



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