拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

   龍意

2024年01月01日 | 東洋自分なり研究所

  新年あけまして、おめでとうございます! 

  私の干支は『龍』で、今年2024は年男ということになります。

 

  私の名前は『シンジロウ』と発音し、最初の文字が『伸』なのですが、昔母から聞いたところによると

  名を付けた父は、私が『辰年』に生まれたので、最初『辰ジロウ』・・・を考えたのですが、父自身の干支が『寅』なので

  『辰』と『寅』では相性が悪いということで、『シンジロウ』の『シン』が『伸』になったということでした。

  (私が生まれてすぐ父は母子を捨てて蒸発してしまいましたから、名前の字を変えたとしてもやはり、『辰』と『寅』で別れる運命にあったのかもしれません)

 

  私が『龍』の年を迎えるのは今回で 6回目(72歳)になりますが、十二支のなかで、『龍』が唯一の『架空の動物』ということで、

  それが一体自分になんの関わりがあるのか、どういう意味が込められているのか、いないのか・・・?

  『龍』という生き物が架空な分だけ、それをどう捉えていいのか全くわからず、毎回の年男の年をこれといった考えも持たずに過ごしてきました。

 

  ただ一つだけ、『龍』に出会った感を抱いた事がありましたが、それは円覚寺居士林で禅修行を始めた時に時折、円覚寺の仏殿での行事に

  沢山の僧侶と一緒に、私達居士も参加しましたが、読経がこだまする仏殿の天井に大きな『白龍』が描かれていて、印象に残ったことを覚えています。

  禅寺の仏殿になぜ『龍』が描かれているのか? そもそもそれが解らず、誰にも聞くこともできず・・・今年6回目の『龍』年を迎えます。

 

  6回目の『龍』年男・・・さすがに6回目ともなると? そこは『東洋自分なり研究所』所長ですから、私なりの見解を持つに至りました。

  『龍』というのは『辰』とも言いますが、漢字辞書によると『辰』というのは振動の『ふるえる』という意味がその根底にあるということで

  振動する『音』を『観』ること、つまり『観音』すること、その力『観音力』を感得する事の象徴が『龍』なのではないだろうか・・・という解釈はどうだろうか。

 

         

                  どう観たって、『龍』には観えない『漢字龍』図 馬骨書 

                     本年も宜しくお願い申し上げます。

 

  我がアイパッドで、『書き初め』を試みました。『意』は龍の頭部で、振動の『音』+『心』で表し、

  長い龍の胴体は『衆生無辺誓願度・煩悩無尽誓願断・法門無量誓願学・仏道無上誓願成』で表してみました。

  つまるところ、『龍意』は『仏道無上誓願成』・・・で、『これでいい…』という定まった境涯というものは無い・・・という『意』に私は捉える。