拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  無学者による日本文化論 〜『開』国

2024年01月20日 | 東洋自分なり研究所

  来日した事のある外国人にとって、『鳥居』のあの形は、日本を象徴する代表的な『印』として強く印象に残るらしい。

 

  彼等と話していると、『私はシントー(神道)のほうが、テンプル(寺)より好きだわ』・・・などという話を聞くことがあり

  神社と寺をそう深刻に分け隔てて考えたことのない私のような者には、外国人が『神道の方が好き・・・』なんて言うのを聞くこと自体が

  奇異に思えるのだが、30年以上こちらに住んでいると、だんだん頭が洋風になるのか、或いは外から日本を観る眼が外国人化してくるのか

  たぶん、そういった一切が私の頭を空っぽにしたせいだろう・・・

 

  2017年に65歳になって定年退職した年に、約10年ぶりに夫婦で帰国し、郷里北海道には行かず、これまで行ったことのない地域や場所を

  観光旅行に徹することにし、その内の一つ、伏見稲荷大社の例の『千本鳥居』をくぐり抜けた時、そのパワーに圧倒されたのか、

  日本人として知っている漢字『開』の『⛩️』と『門』が、西洋で培ったのイデオグラム(表意文字)の読解能力が開花したのか?

  それまで、私が日本で修行してきた不立文字の『禅』の素晴らしさを、どのように形で人に伝えられるのか・・・模索していた中での旅行だったので

  鳥居をくぐる事で突然、『⛩️』が鍵となって、『門』が『開』いたのだ。・・・それが、『考えるな、漢字!』へと展開し、なによりも

  私自身の日本語、とくに漢字に秘められた『仏の誓願』の強い想いを汲み取る事が出来るようになった事が、非常に重要であった。

 

  それまで、私の中では『神仏習合』という事はなんの意味もなさなかったが、禅寺(山門)と神社(⛩️)が習合することで、日本文化が『開』いた事を

  『千本鳥居』は私に教えたのだと思う。・・・このように一見バカバカしい視点のようであるが、坐禅という長い修行を経なければ、閃かなかっただろう。

 

            

  そして、この2週間ちょっとの帰国旅行中、幸運なことに国宝展に出会ったのだ。来日するまで知らなかったので、今思うと本当にラッキーであった。

               観音菩薩からの『定年退職』祝い・・・だと思うのは『目出度い』だろうか。