新年あけまして、おめでとうございます!
私の干支は『龍』で、今年2024は年男ということになります。
私の名前は『シンジロウ』と発音し、最初の文字が『伸』なのですが、昔母から聞いたところによると
名を付けた父は、私が『辰年』に生まれたので、最初『辰ジロウ』・・・を考えたのですが、父自身の干支が『寅』なので
『辰』と『寅』では相性が悪いということで、『シンジロウ』の『シン』が『伸』になったということでした。
(私が生まれてすぐ父は母子を捨てて蒸発してしまいましたから、名前の字を変えたとしてもやはり、『辰』と『寅』で別れる運命にあったのかもしれません)
私が『龍』の年を迎えるのは今回で 6回目(72歳)になりますが、十二支のなかで、『龍』が唯一の『架空の動物』ということで、
それが一体自分になんの関わりがあるのか、どういう意味が込められているのか、いないのか・・・?
『龍』という生き物が架空な分だけ、それをどう捉えていいのか全くわからず、毎回の年男の年をこれといった考えも持たずに過ごしてきました。
ただ一つだけ、『龍』に出会った感を抱いた事がありましたが、それは円覚寺居士林で禅修行を始めた時に時折、円覚寺の仏殿での行事に
沢山の僧侶と一緒に、私達居士も参加しましたが、読経がこだまする仏殿の天井に大きな『白龍』が描かれていて、印象に残ったことを覚えています。
禅寺の仏殿になぜ『龍』が描かれているのか? そもそもそれが解らず、誰にも聞くこともできず・・・今年6回目の『龍』年を迎えます。
6回目の『龍』年男・・・さすがに6回目ともなると? そこは『東洋自分なり研究所』所長ですから、私なりの見解を持つに至りました。
『龍』というのは『辰』とも言いますが、漢字辞書によると『辰』というのは振動の『ふるえる』という意味がその根底にあるということで
振動する『音』を『観』ること、つまり『観音』すること、その力『観音力』を感得する事の象徴が『龍』なのではないだろうか・・・という解釈はどうだろうか。
どう観たって、『龍』には観えない『漢字龍』図 馬骨書
本年も宜しくお願い申し上げます。
我がアイパッドで、『書き初め』を試みました。『意』は龍の頭部で、振動の『音』+『心』で表し、
長い龍の胴体は『衆生無辺誓願度・煩悩無尽誓願断・法門無量誓願学・仏道無上誓願成』で表してみました。
つまるところ、『龍意』は『仏道無上誓願成』・・・で、『これでいい…』という定まった境涯というものは無い・・・という『意』に私は捉える。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます