拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  St-Jean教会のサトリ

2023年09月25日 | 東洋自分なり研究所

  相方に、我らの友人音楽家から、コンサートのお誘いのメールがきた。

  ローザンヌの教会にて夕方のコンサート・・・しかも無料。ということもあって出かけることにした。

 

  ただちょっと気になるのは…昼寝を逃した今日は、私はクラッシック音楽を聴く際、十中八九睡魔に襲われる我が質が怖ろしい・・・のだ。

  サン・ジャン教会は5年前に相方の伯母の葬式を行った教会であったが、このこじんまりとした教会で『ピアノ四重奏』とうことらしい。

              

  市がオーガナイズした3日連続、毎回違う音楽家によるクラシックコンサートで今日が3日目、最後のプログラムということで

  2部構成で、最初はピアノ独奏。 パンフによるとPaul Coker氏(62歳)による左片手による演奏で、フランツ・リストの曲であった。

  背の高い、恰幅のいいこの人は、演奏の前に小話をしていたが、『笑い』を起こすタイプ、どこか遙々とした男だった。

 

  最初はピアノの片手演奏・・・という珍しいところに我々(夫婦)の意識が働いて聞いていたが、そのうちそんな事を忘れさせる

  素晴らしい演奏に、私は睡魔の件をすっかり忘れて聞き入ってしまった。

 

  次にピアノ四重奏・・・。 このバイオリン(x2)とビオラを演奏するのが我が友人夫婦と息子の Stuller 一家、それにチェロのカルテットであった。

 

  一家の主人がユラ・Stuller 氏で、私がスイスに来てまもなくの頃、私が『練功十八法』という気功体操を教えている・・・という噂を聞いたらしく

  数ヶ月間、彼に気功体操を個人レッスンをした縁があった。当時私は40歳、彼はたぶん32〜3歳頃で(?)、バイオリニストという事しか知らなかった。

  あれから三十数年の歳月が流れ、日本人バイオリニストの女性と結婚、娘と息子ができた・・・という風の便りや街中で彼と偶然出会って近況を聞いたり

  していたが、その後、私もガイドや引越屋の仕事で忙しくしていたので疎遠となっていたのだ。

  そして今日パンフレットで彼の経歴をみると、1990年にハンガリーからローザンヌ室内オーケストラの第一バイオリンソリストとして迎えられていたのだ。

  私は世間に疎く、会社内の地位の分別もよくしらない人間なので、当時もし『第一バイオリン』と聞いても『あぁ、そう…』で終わっていたであろうが…。

 

  で、ハンガリーの作曲家フランツ・シュミットという人の『四重奏』演奏は、クラッシック音痴の私にも響いた。まさに『琴線に触れる』思い。

 

  疎遠であったユラさんが、27歳になった凛々しい息子バイオリニスト、日本人奥様ヴィオラと共演している様には感慨深いものがあった。

  私は、ヨーロッパにきて『禅修行』とどこか同質なものを『クラッシック音楽』に感じていたが、この音楽家一家を観て、うなずくものがあった。

  皆、幼少の頃から鍛え上げてきたであろう、なかでもいぶし銀を思わせるピアニストとチェリストNiall Brown氏とユラさん・・・

  私は教会にいるのに、何故か茶室にいて美味しいお茶を一服いただいたような・・・贅沢なひと時を味わっていた。

 

  演奏後ユラさんと話をしたが、ピアニストの隻手の演奏は、キャリアの途中で右手が不自由になった結果であると知り、我々夫婦は驚いた…のだ。

 

              

  演奏家たちも『観音』の域に達しているのであろう・・・と思いながら天井をみあげると一羽の鳩がキリストの頭上から飛び去る瞬間であった・・・

  『キリストがキリストを支える』という珍しい天井画は、『自ずから分かれ、自ずから分かる』を私に想起させる不思議な絵であったように思う。