拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  『意』の字

2023年09月15日 | 考えるな、漢字ろ!

  私は今日ほど学者でなくて良かった・・・と思ったことはない。

  適当なこと『馬骨の如し』と開き直れば、学術的妥当性をまったく無視して・・・というか、そもそも『漢字』には

  適当な解釈を許容する『度量』を内包する非常に優れた『文字』ゆえ、『考えるな、漢字ろ!』論を可能にし

  馬骨をして『漢字は、東洋を解く方程式』・・・と曰(のたま)わせるのであろう、と勝手に解釈することを許している。

 

  この『意』の字・・・仏教由来の仏語でなくて何なん?

  古(いにしえ)の仏弟子たちが、坐禅し、深い禅定に入った者たちは一様に『観(世)音』という境涯に至ったであろう。

  そういった者たちを当時は『観音菩薩』と称し、今ではその名残りとして仏像の名称だけとなってしまった。・・・と私は確信している。

 

  Avalokiteśvara(サンスクリット語)は鳩摩羅什によって『観世音』、のちに玄奘によって『観自在』と翻訳されたが

  その時に、中国人は『意志・意識・意味』といった人間にとって特に重要な意味を持つ高度な心の働きを『観音+心』という意味で

  『意』の一字を発明したに違いない。

  当時の人々にとって『意』の『音』は人間のルーツである『郷里さとり』からの『響き=郷+音』を『心』に聞くことであった。