拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  還暦ギャラリー『森』〜 宇和島の闘牛

2023年09月07日 | 必撮無眼流

  私は自分自身を『写真家です… 』と堂々と名のる時期を持つことなしに、写真家への野望がいつのまにか尻すぼみになってしまった男ですが、

  今日このギャラリーで展示する作品は、写真学校を卒業後、同校の写真科の助手として雇われの身となり、初めて経済的、時間的余裕ができた

  写真家を夢見る初心者として、誰に頼まれたわけではないテーマ『宇和島の闘牛』を勝手に撮ったものです。

 

   

  1976年(24歳)のとき ↑ 、私は宇和島へ行って闘牛を撮ることにしたが、その動機というのがちょっと恥ずかしいというか

  当時私はスティービーワンダーの曲が好きで入れ込んだ時期でしたが、彼は1950年、5月13日生まれの牡牛座、

  で私も1952年の5月12日生まれの『牡牛座』・・・とうのが『宇和島の闘牛』を撮りに行く事になったキッカケだったような・・・。

  

  神戸〜宇和島って近いと思っていたが、いま調べると案外遠い所であった。ユースホステルに一泊?であったろうか。

  1977年と、全2回宇和島へ取材に行ったことになるが、取材方法も知らず取りあえず宇和島で牛を世話をしている人から撮り始めた。

  

  そんな一人の大西さん(?)親しくなっていろいろ教えてもらうことができた。相撲のような番付表が闘牛にはあるのだ。

  

  闘牛場に次々と闘牛が集まってきた。

    

   この綱の立派な事!                          人間の地下足袋の足形と牛の足形が似ている・・・

    

   オッサンのがらがら声の場内アナウンスがワクワク感を高める     クールなお兄さん方も、どの闘牛に賭けるか物色中か?

  

  闘う牛一頭につき勢子(介助人)が一人付く、写真右のオッサンは牛のオーナーであろう。

    

   ビールを飲ませているのには驚いた・・・                 外では、どの闘牛が強いか・・・仲間と談義

 

  

  牛と牛の闘いは本能によるもので、スペインの『人間対牛』の闘牛のように残酷ではない。 

  負けを認めた牛は逃げ、勝った牛はそれを追わない・・。

  

  『闘牛』は人間と家畜の関係を超え、地域に根ざした活動として宇和島に定着している様子をみて

  社会について無知だった私も、写真が持つ特性(表現性、記録性)が他人との交流によってより深まる事を実感した。

  (この時の写真で一本のYoutube動画を創りました。興味のある方は御覧ください。 https://youtu.be/KNkx5tqKr-4 )

  いまから47年前の宇和島の闘牛・・・ということで、現在と比較して記録としても面白いものがあるかもしれない。

  

  


  昨日のこと

2023年09月07日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  世に我が相方ほど自分の誕生日を楽しみに待ちわびる人を知らない。

  流石に昔ほどではなくなったが、それでも何ほどかの事を期待している気配・・・に、私も真剣にならざるをえない一日ではある。

 

  9月に入って素晴らしい天候に恵まれ、しきりに自分の生まれ月、9月を自慢する相方。

  昨日、6日も朝は比較的涼しく、日中は29度にまで気温は上がったが湿気のないさらりとした晴天で、確かに自慢するだけの事はある。

  朝8時過ぎの電車で、我々にとって馴染み深いレマン湖畔ルットリー村の夏だけオープンする湖畔カフェでコーヒーとクロワッサンを頂きながら

  湖の変わらない穏やかな景色とそこに少しずつ集まってくる人々を眺めながら、相方の誕生日を祝った。

 

  この一年間、相方の両親の身辺に様々な事が起こった。

  昨年11月に両親共々老人ホームに移り、今年5月に母親が93歳で他界した。

  この同じ湖畔の村にあるホームに、今は一人となった父親を訪ねて一緒に昼食。

  彼の住む5階の部屋からレマン湖が陽の光をまばゆく反射しているのが観える。

 

       

        夜はローザンヌのインド系レストランで相方の姉と彼氏と4人で食事〜夕方の空が広るテラスが素敵なレストランにて

         (相方の白髮を止めている日本渡来の飾り鬢止め(2個)・・・が私のプレゼントで、気に入ってもらえた様子)