日々是好日(膵臓癌と向き合う日々)

膵臓癌になって思ったことや感じたこと、その関連の情報を書いてゆきたいと思います。

鳥拓

2010-10-12 19:50:20 | 日記

今いるホスピスでは、時々、飛ぶ鳥の拓本がとれます。
とはいっても魚拓のように釣った魚に墨や絵の具を塗り、その上に和紙を置いて魚の形を取る訳ではありません。鳥が勝手にホスピスの1階にある大きな窓にぶち当たって、そこに鳥の拓本を残すのです。私はその衝撃の現場を見たわけではありませんが、すごい音がなって鳥が暫く窓の下にうずくまった後に、また、元気(多分?)になって飛んで行くそうです。下がその拓本です。


上の写真のままでは、鳥拓がどのような形なのかがわかりにくいので、下に赤線で形をなぞってみました。当然、不幸な鳥は横からぶち当たったのではなく、ガラスの窓に真正面から挑んだ勇猛果敢な鳥です。まあ、窓から廊下を挟んで2-3メートル先に部屋の壁があるので、ある程度減速してから窓に衝突しているのでしょうが、くっきり、はっきりと形が残っています(写真では解りにくいですが)。


 


平成22年上期 芥川賞

2010-10-01 21:18:01 | 日記

 今年の上半期芥川賞は、赤染晶子さん著”乙女の密告”でした。芥川賞は文芸春秋に発表されると、単行本になると高いのでそれを買って読むのですが、最近は芥川賞だから読んでおこうかと言う感じで、なにか義務的に読んでいたような気がしていました。しかし、今回は久しぶりに私好みの作品でした。
舞台は外国語大学のドイツ語のスピーチクラス、登場人物は、主人公でみか子に加えて、モーツアルト好きの人形 アンゲリカを溺愛し、スピーチ練習時にはひよこのキッチンタイマーで制限時間を計るクラス担当のバッハマン教授、クラスのリーダ的存在でスピーチ大会命の麗子様といったキャラの強い登場人物を中心として、乙女(i.e.女子大生)たちの話が面白おかしく進んでいきますが、その面白さの裏で、この小説は第2次世界大戦時ユダヤ人アンネフランクに起きたようなことが、おおきなレベルの違いはありますが、大学のスピーチクラスと言った巷でも簡単に起こっていることを、メッセージとして伝えていると思います。



同期会@粟津温泉

2010-09-27 09:59:13 | 日記

 9月4-5日の土日に以前つとめていた会社の同期3人一緒と福井の粟津温泉に行ってきました。3人の内2人は東京から、1人は前日の誘いにも関わらず京都から忙しい中にも関わらず来てくれました。有難い限りです。
 今回泊まったのは、旅亭会席のとやと言う旅館です。前回泊った三河 湯谷温泉の宿は、周りの新緑、宿の前を流れる川、それらを見渡せるお風呂、まあまあの食事言う点で総合点が高かったのですが、今回の宿のメインは食事です。予約したのは”海の幸炭焼会席”、食事は部屋ではなく別席の広々とした綺麗な部屋でとりました。あまり量を期待していなかったので、前菜から少し食べるスピードをセーブしながらゆっくりと食べようと話していたのですが、でるわでるわ、結局1時間半ぐらい食べ続けていまいました。凝った前菜や途中で出てきたビーフシチューも美味しかったのですが、やはりハイライトは、生きたままの天然のあわび、車海老、甘エビ、ホタテ、ハマグリなどの炭火焼きです。目の前で焼かれる音、匂い、口に入ったときの甘みが一体となって味を醸し出して、幸せでした。(写真がなくてすいません。)食事をメインに行かれるならお勧めの宿だと思います。部屋も12畳(もう少し広いかも)と4.5畳の2つで、4人には十分すぎる広さで非常に清潔でした。一方、風呂は広く清潔でしたが特記すべきものはありません。また、周りの景色等も温泉街と言うでもなく、綺麗な景色が見渡せるわけでもないので、このあたりを目的に行かれた場合は、少し不満がのこるのかも解りません。まあ、私の場合は、久しぶりに会った友人との楽しい会話が一番でしたが。

あと、車で行かれるなら金沢市内にある近江町市場に立ち寄られるのがお勧めです。宿のからちょっといったところにも海鮮ものを売る観光バス用の市場があるのですが、鮮度と種類がいまいちでした。それで東京の友人二人の飛行機の時間まで3時間弱しかないのに近江町市場に足を少し延ばしたんですが、これが大正解でした。鮮度や種類が全然違います。友人の1人は、少し前までとろんとしていた目の色が一挙に変わって、甘エビ、あわび、うなぎ、さば寿司などなどを、だれがこんなに食うのかというぐらい買い漁っていました。

 体調がこのままで悪化しなければ11月末ぐらいにまた旅行を計画しようと考えています。


健康になるため - ラジオ体操、青竹踏みなど

2010-09-23 10:01:00 | 日記

6月頭の膵菅のつまりによる体調悪化からの回復後、体調に少し気をつけるようになりました。

 まず、正しい姿勢をとること。病気になって、膵臓のあたりに違和感があるのでどうしてもお腹のあたりに違和感があり気になります。その結果として私の場合、座っても、歩いてもどうしてもお腹を引っ込め、それに加えて、肩を前側にまるめるようになってました。素人考えですが、これでは逆に患部を余計に圧迫するような形になること、呼吸が十分にできなくなることから、最近は、気がつく範囲で背筋を伸ばし、胸を開くような姿勢を維持することに気をつけています。

 次は、ラジオ体操です。ラジオ体操はNHK教育テレビの朝6時25分からの放送にあわせてやっています。当初やり始めたころは、体操をやっている最中に体のあちこちが鳴る鳴る。前屈すると腰のあたりがバキ、体をまわすと背骨がバキ、左足の膝がボキ、深呼吸で胸をはると胸の真ん中あたりがパリというようにあちこちで音が鳴っていましたが、これらは続けるうちに段々と減ってきました。ただ、体重が20kg減少し筋力が限界ちかくまで落ちているので、テレビの体操の動きにおくれたり、ジャンプすると、そもそもジャンプできないし無理すると腰砕けになりなるという状況は、体操を始めたころから未だ変わっていません。

 また、散歩もしています。これは体調と天候を見ながら出来る範囲で一日、1時間程度です。間質性肺炎で入院したときもそうだったのですが、入院するとびっくりするほど急激に筋力がおちます。今回の入院時は膵癌だから痩せるのは仕方ないと思っていたのですが、2002年の間質性肺炎での入院を考えると、それだけではなく、筋肉を使用しないことも大きな原因のひとつだと思います。だって、入院すると、気をつけて歩くようにしないと1日数回ベッドとトイレとの往復だけになるんですから。「足は第2の心臓」と言われ、下半身の血液を心臓に戻すために大いなる働きをしています。ふくらはぎの機能低下は、病気の私が言うのもなんですが万病のもとです。転倒等の危険もあるのでしょうが、介護施設やホスピスでも患者が許す範囲、可能な範囲で極力自分で動けるようにサポートするというのも1つの選択かもわかりません。まあ、そこまでのケアを行うには要員がおられないのでしょうが。。。

さらに、ダイソーで、100円の青竹踏みを買ってきてラジオ体操のあとで使い始めました。やり始めた当初は、足裏が痛かったり、やっている最中に腰の上の背骨が時々パキ(われながら情けない)となっていたのですが、最近はそれらもなくなりました。


また、自宅に戻った際に以前購入したオムロン足裏マッサージ器を久しぶりに使ったら、ステロイドの副作用による足のむくみが少し取れたので、重かったのですが、先日ホスピスに持ってきて使用しています。寝る前にマッサージする体がリラックスして温かくなり、ボーとして眠りに入りやすくなったように思います。


今日は、これから、東北大学病院の江川先生の診断を受けWT-1ワクチン接種してもらうため、仙台に行きます。仙台は塩釜に近いので、久しぶりに美味しい寿司を食してきたいと思います。


スティーブ・ジョブス 2005年スタンフォード大学卒業式スピーチ

2010-07-19 19:53:22 | 日記

以下の記述は、2005年のスタンフォード大学卒業式でApple創始者・スティーブ・ジョブスが行った伝説のスピーチ(2)です。生きていくうえでのエッセンスがつまっており、最近読んでいるデカルトや仏教にも同じ趣旨の記述があります。


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 私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。

「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」

それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。

「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」
それに対する答えが"NO"の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。

 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、

ありとあらゆる物事はほとんど全て...外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て...こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。

そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。

 今から1年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。れはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。それはつまり、さよならを告げる、ということです。

  私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。

 以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだから、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。

 君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。

 私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。スチュアートと彼のチームはこの"The Whole Earth Catalogue"の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。

「Stay hungry, stay foolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」

それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」 それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。

Stay hungry, stay foolish.

ご清聴ありがとうございました。


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Apple創始者・スティーヴ・ジョブスの伝説のスピーチ(2)
http://www.youtube.com/watch?v=ShoOOS2GrWU
ちなみに、前半は
http://www.youtube.com/watch?v=qQDBaTIjY3s