ここでは北海道日本ハムの金村投手の話をしたいと思います。
金村投手は宮城県気仙沼市出身です。
金村投手と私は同じ年です。
彼は日本ハムに指名されるとき、その前の球団からのあいさつがなかったそうです。
なので、
「あいさつに来なかったじゃないですか~」
といっていましたが、でも、すぐ、
「でも、行きます」
と答えていました。
彼は中学生にころ、西武球場に西武対日本ハム戦を修学旅行で見に行ったいました。
そのとき投げていた西崎投手が好投し、ウインタースがホームランを打って、日本ハムが勝ちました。
そのとき見た西崎投手にあこがれ、日本ハムファンになったとか。
それで、高校時代、甲子園出場が決まったとき、スポーツ新聞のアンケートの好きな球団の欄に、
「日本ハム」
と書いてあったのが日本ハム球団サイドの目に止まり、(記者が発見して、伝えたという説もある)それで1位指名ということになったそうです。
でも、西崎投手といっしょだった期間は短く、先輩なので交流はそのとき、もてなかったそうです。
ただ、西崎投手が退団間近だったころ、ゴミ箱にアンダーシャツが捨ててあって、”21”番とプリントされており、それを拾って、洗って、自分のものにしていた期間があります。
そして、今に至るわけです。
少し天然で、英語に関する話が多いですね。
ウィルソン選手がいたとき、球団のスタッフの人に電話をかけたかったのですが、電話番号がわからなくなり、岩本投手に尋ねたところ、スタッフの電話番号は教えず、ウィルソン選手の電話番号を教えられ、そこに書けたら、朝方なので、機嫌が少し悪いウィルソン選手が出て、間違えたと思ったので、英語で謝ろうと思ったら、
「I MISS YOU」
と言ってしまった。
「私はあなたがいなくてさみしい」
という意味の深い愛の告白を朝っぱらから男性にしてしまうという、
「ネタ?」
と思うようなエピソードがあります。
そんな少し天然な彼ですが、バンドブームやその前のインディーズブームにはまっていたそうです。
私は同じ年なので時代背景がわかりますが、私はインディーズブームは知りませんでしたが、バンドブームは、どはまりしました。
彼は性格的に、
「他の人と同じことはしたくない」
という、私に似たところがある性格で、このときも一味違う人を探して聞いていたとか。
あるとき雑誌で、デビュー前でバンドを組んでCDをインディーズで出していたころのTM RevolutionのCDを持っていることを自慢していました。
それとドラフト指名後、上京するときに持っていったCDが、「ハモネプ」に出ていたほうではないほうの「レプリカ」という広島出身のバンドでヴォーカルの浜崎さんという女性のヴォーカリストの唄い声が印象的なバンドがあったのですが、この「レプリカ」のCDを持っていったそうだ。
私のその「レプリカ」が好きなので、趣味が合うなと。
日本ハムファンでマニアックな音楽思考で、もし、私が同じ気仙沼で出会っていたなら、
「秀ちゃん(改名前は秀雄くん)、CD貸して」
といっていたのではないかと思うと、私の周りに趣味の合う人がいなかったので、余計にそう思いましたね。
まあ、そんなこといっても仕方ないのですが。
宮城県気仙沼出身の金村投手は楽天が宮城県仙台市に出来るときのインタビューで、
「地元にプロ野球チームが出来るのはうれしいが、(所属チームが違うので)戦うときは別です」
といっていたようです。
北海道日本ハムには金村投手以外に宮城出身の選手がいます。
江尻投手と桜井投手です。
地元とはいえ、すぐにお渡しできませんが(笑)、地元に方にはこれからも応援してほしいな、と、思います。
金村投手のはこれからも北海道日本ハムでがんばってほしいです。
金村投手は宮城県気仙沼市出身です。
金村投手と私は同じ年です。
彼は日本ハムに指名されるとき、その前の球団からのあいさつがなかったそうです。
なので、
「あいさつに来なかったじゃないですか~」
といっていましたが、でも、すぐ、
「でも、行きます」
と答えていました。
彼は中学生にころ、西武球場に西武対日本ハム戦を修学旅行で見に行ったいました。
そのとき投げていた西崎投手が好投し、ウインタースがホームランを打って、日本ハムが勝ちました。
そのとき見た西崎投手にあこがれ、日本ハムファンになったとか。
それで、高校時代、甲子園出場が決まったとき、スポーツ新聞のアンケートの好きな球団の欄に、
「日本ハム」
と書いてあったのが日本ハム球団サイドの目に止まり、(記者が発見して、伝えたという説もある)それで1位指名ということになったそうです。
でも、西崎投手といっしょだった期間は短く、先輩なので交流はそのとき、もてなかったそうです。
ただ、西崎投手が退団間近だったころ、ゴミ箱にアンダーシャツが捨ててあって、”21”番とプリントされており、それを拾って、洗って、自分のものにしていた期間があります。
そして、今に至るわけです。
少し天然で、英語に関する話が多いですね。
ウィルソン選手がいたとき、球団のスタッフの人に電話をかけたかったのですが、電話番号がわからなくなり、岩本投手に尋ねたところ、スタッフの電話番号は教えず、ウィルソン選手の電話番号を教えられ、そこに書けたら、朝方なので、機嫌が少し悪いウィルソン選手が出て、間違えたと思ったので、英語で謝ろうと思ったら、
「I MISS YOU」
と言ってしまった。
「私はあなたがいなくてさみしい」
という意味の深い愛の告白を朝っぱらから男性にしてしまうという、
「ネタ?」
と思うようなエピソードがあります。
そんな少し天然な彼ですが、バンドブームやその前のインディーズブームにはまっていたそうです。
私は同じ年なので時代背景がわかりますが、私はインディーズブームは知りませんでしたが、バンドブームは、どはまりしました。
彼は性格的に、
「他の人と同じことはしたくない」
という、私に似たところがある性格で、このときも一味違う人を探して聞いていたとか。
あるとき雑誌で、デビュー前でバンドを組んでCDをインディーズで出していたころのTM RevolutionのCDを持っていることを自慢していました。
それとドラフト指名後、上京するときに持っていったCDが、「ハモネプ」に出ていたほうではないほうの「レプリカ」という広島出身のバンドでヴォーカルの浜崎さんという女性のヴォーカリストの唄い声が印象的なバンドがあったのですが、この「レプリカ」のCDを持っていったそうだ。
私のその「レプリカ」が好きなので、趣味が合うなと。
日本ハムファンでマニアックな音楽思考で、もし、私が同じ気仙沼で出会っていたなら、
「秀ちゃん(改名前は秀雄くん)、CD貸して」
といっていたのではないかと思うと、私の周りに趣味の合う人がいなかったので、余計にそう思いましたね。
まあ、そんなこといっても仕方ないのですが。
宮城県気仙沼出身の金村投手は楽天が宮城県仙台市に出来るときのインタビューで、
「地元にプロ野球チームが出来るのはうれしいが、(所属チームが違うので)戦うときは別です」
といっていたようです。
北海道日本ハムには金村投手以外に宮城出身の選手がいます。
江尻投手と桜井投手です。
地元とはいえ、すぐにお渡しできませんが(笑)、地元に方にはこれからも応援してほしいな、と、思います。
金村投手のはこれからも北海道日本ハムでがんばってほしいです。