本当の賢治を渉猟(鈴木 守著作集等)

宮澤賢治は聖人・君子化されすぎている。そこで私は地元の利を活かして、本当の賢治を取り戻そうと渉猟してきた。

『羅須地人協会の終焉-その真実-』(15p~)

2016-02-07 08:00:00 | 『羅須地人協会の終焉』
                  《「羅須地人協会時代」終焉の真相》








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*****************************なお、以下は本日投稿分のテキスト形式版である。****************************
態こそがこの類のことに触れることはタブーだった、ということを意味しているということとを意味しているということか」
と相槌を打った。
「そっか、このような類の説が今まで公に語られてこなかったことこそが逆に、実は賢治は実家にて蟄居・謹慎していたのだったということを暗示しているとたしかに言えるかもしれんな。…賢治を尊敬している俺にとってはちょっとしんどい話だが…」
と荒木がしみじみ言うと、吉田は穏やかに、
「奇しくも今年は賢治没後80年だ。創られ過ぎた賢治を本来の賢治に少しずつ戻すのに相応しい時機がやってきたということなのではなかろうか。今までの賢治はあまりにも聖人君子すぎて我々凡人には近づけない。しかし、羅須地人協会時代の賢治を調べてみるとこのように普通の人と同じようなところが少なからずあったようだし、そうであったとしてもそれは何等不思議なことではない」
と語ったので、私も調子に乗って、
「そしてそのような賢治ではあるが、それまでもそしてこれからも誰にも詠めないような素晴らしい心象スケッチ「春と修羅」等を残したり、それこそ「第四次」感覚を持つ賢治でなければ書けないような「やまなし」や「おきなぐさ」等の素敵な童話を創作してくれたりした作家だった、ということで一向に構わないのではなかろうか。
 そもそも、創られすぎた賢治像をまさに賢治自身が一番苦々しく思っていると私は思うんだ。ひたすら求道的な生き方を求めたはずの賢治にとって何が一番かけがいのないものかというと、それは「真実を求め続ける姿勢」だと思うからだ。だからそろそろ《創られた賢治から愛すべき賢治に》移行してもよい時機がやって来ている、ということなのだ」
と偉そうなことを言ってしまった。

 おわりに
 当時は、「アカ」とか「社会主義者」等は火付け・盗賊の類に思われていた時代だったという。それゆえ、「宮澤マキ」の「宮政」の御曹司賢治が「アカ」だと思われていたとすれば、周りの人達は遠慮してそのようなことに関して公的には皆緘黙してきたのではなかろうか。
 それがために、昭和3年8月の賢治については「かつての宮澤賢治年譜」にあったような『賢治は風雨の中を徹宵東奔西走したために風邪をひき、実家に帰って病臥した』ということに誰も異論を差し挟まなかったのでこれが「定説」になってしまったのだろう。
 しかしこうやって三人で話し合ってみた結果、いわゆる「定説」の方が理に適っているのか、それとも我々がたどり着いた
 昭和3年8月10日に賢治が実家に帰ったのは体調が悪かったからということよりは、「陸軍大演習」を前にして行われた特高等の凄まじい「アカ狩り」から逃れることがその主な理由であり、賢治は重病であるということにして実家にて蟄居・謹慎していた。
という結論の方が理に適っているのかをほぼ明らかに出来たと思うが如何であろうか。
 しかもそのいずれが妥当かを端的に教えてくれそうなのが、他ならぬ賢治自身が「演習が終るころはまた根子へ戻って今度は主に書く方へかゝります」と教え子に伝えた一言だ。この一言からは、「羅須地人協会に戻る条件は病気が治ることではなくて、陸軍大演習が終わることである。またそこに戻ったにしても、今までのような活動は許されないことになったので、活動は創作を主とする」ということが読み取れるからだ。もともとたいした病気ではなかった、とも。
 なお、このように教え子に伝えた賢治だったのだが、残念なことにその陸軍大演習が終わった頃にそれこそ本物の病魔に犯されてしまって病臥、賢治が再び羅須地人協会に戻ることはなかった。
 どうやら、これが羅須地人協会の終焉―その真実―であったようだ。 (完)
†††† 
 最後になりましたが、本書の出版に際しましてはご指導、ご助言、ご協力を賜りました澤里裕氏、阿部弥之氏、遠野市立博物館様、阿部千鶴子氏、鈴木修氏の皆様方には深く感謝し、厚
く御礼申し上げます。
   平成25年11月9日
   著者
<参考文献等>   
『校本宮澤賢治全集第十三巻』(筑摩書房)
『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)・年譜篇』(筑摩書房)
『花巻の歴史 下』(及川雅義著、図書刊行会)
『宮澤賢治研究』(草野心平編、十字屋書店)
『岩手日報』(昭和3年10月3日付)
『岩手日報』(昭和3年10月4日付)
『阿部晁 家政日記』(阿部 晁著)
『私の賢治散歩 下巻』(菊池忠二著)
『宮沢賢治の東京』(佐藤竜一著、日本地域社会研究所)
『鑑賞現代日本文学⑬ 宮沢賢治』(原子朗編、角川書店)
『七尾論叢 第11号』(七尾短期大学)
『岩手史学研究 NO.50』(岩手史学会)
『國文學』昭和50年4月号(學燈社)
『啄木 賢治 光太郎』(読売新聞社盛岡支局)
『イーハトーボの劇列車』(井上ひさし著、新潮文庫)
『宮澤賢治』(佐藤隆房著、冨山房、昭和17年発行)
『宮澤賢治』(佐藤隆房著、冨山房、昭和26年発行)
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《鈴木 守著作案内》
◇ この度、拙著『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』(定価 500円、税込)が出来しました。
 本書は『宮沢賢治イーハトーブ館』にて販売しております。
 あるいは、次の方法でもご購入いただけます。
 まず、葉書か電話にて下記にその旨をご連絡していただければ最初に本書を郵送いたします。到着後、その代金として500円、送料180円、計680円分の郵便切手をお送り下さい。
       〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木 守    電話 0198-24-9813
 ☆『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』                ☆『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著)           ★『「羅須地人協会時代」検証』(電子出版)

 なお、既刊『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』、『宮澤賢治と高瀬露』につきましても同様ですが、こちらの場合はそれぞれ1,000円分(送料込)の郵便切手をお送り下さい。
 ☆『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』      ☆『羅須地人協会の真実-賢治昭和二年の上京-』     ☆『羅須地人協会の終焉-その真実-』
     


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