本当の賢治を渉猟(鈴木 守著作集等)

宮澤賢治は聖人・君子化されすぎている。そこで私は地元の利を活かして、本当の賢治を取り戻そうと渉猟してきた。

「聖女の如き高瀬露」(126p~129p)

2015-12-31 08:30:00 | 「聖女の如き高瀬露」
                   《高瀬露は〈悪女〉などでは決してない》







              〈 高瀬露と賢治の間の真実を探った『宮澤賢治と高瀬露』所収〉
 続きへ
前へ 
 “「聖女の如き高瀬露」の目次”へ。
*****************************なお、以下は本日投稿分のテキスト形式版である。****************************
ぞれ世に出さしめたとも言えるべ。
吉田 だから、著名な賢治研究家の誰かがこの現状を改めてる嚆矢をもうそろそろ放ってほしいものだ。人間亡くなって百年経てば評価が定まるということだから、賢治を見直すべき期間はもはや20年を切ってしまったとも言える。このまま放っておくととんでもないことになってしまう。それは、実は賢治を貶めているのと同じことになるからだ。
荒木 うっ? なぜ貶めることになるんだ。
吉田 そりゃあ、巷間言われてる「賢治像」はあまりにも真実からほど遠いからだよ。そもそも「真実は隠せない」はずで、真実は隠すべきものでもなければ、何時までも隠しおおせるものでもない。
荒木 そりぁそうだよな。「創られた賢治」「創られた賢治像」なんて天上の賢治が到底喜ぶはずないか。
鈴木 それに関してなんだが、以前に引用した
 二階には先客がひとりおりました。その先客は、Tさんという婦人の客でした。そこで四人で、レコードを聞きました。リムスキー・コルサコフや、チャイコフスキーの曲をかけますと、ロシア人は、「おお、国の人――」
と、とても感動しました。レコードが終わると、Tさんがオルガンをひいて、ロシア人はハミングで讃美歌を歌いました。メロデーとオルガンがよく合うその不思議な調べを兄と私は、じっと聞いていました。
<『宮沢賢治の肖像』(森荘已池著、津軽書房)236p~より>
という清六が伝えるエピソードは、実は、一刻も早く露を救い出してほしいという天上の賢治からのメッセージではなかろうかと今頃になってやっと気付いた。
荒木 そっか、
 こんなに良い関係が私(賢治)と露さんとの間にはあったのだし、それを弟の清六もちゃんと証言しているじゃないか。なのに、なんでそのような露さんのことをみんなは一方的に悪し様に言うのだ。
と賢治は俺たちに諭そうとしている、そのためのこれがメッセージというわけか。
吉田 おおいいね。この賢治からのメッセージを正しく受けとめ、謂われ無き中傷を受け続けてきてしかもいまだ受け続けている露のことを一刻も早く救い出すような賢治研究家が、上田哲の遺志を継ぐ賢治伝記研究家が早く出でよ、と賢治は希願しているというわけだ。

おわりに

鈴木 ではこれで検証作業等は全て無事完了、我々は「高瀬露は〈聖女〉だった」ということを実証できた。
荒木 でもやはり、俺は正直不満を隠せないな。賢治が亡くなってから約80年を経た今でさえも、調べてみればこうやって新たな事実等を知ることができてこの検証ができたのに、なぜこのようなことが今までに為された来なかったのだろうか、と。
吉田 まして、「露は<聖女>だった」ということが僕らでさえも検証できるくらいなのだから、「露は<悪女>などではない」という検証はもっともっとたやすいはずだからな。
鈴木 そもそも、「露は<悪女>などではない」ことは、わざわざ検証せずともそれまでに知っていた事柄だけからしても、常識的に判断すれば始めからほぼ明らかなこと。それは私の周辺の少なからぬ人達もそう言っているからなおさらにだ。
吉田 実は、僕の周りの賢治研究家の中にも、『露は<悪女>なんかじゃないよ。悪いのは賢治さ』とはっきり言う人が居る。
荒木 だから思うんだ。従前、露を<悪女>であるとしてきたその根拠と思われる資料や証言はこうやって調べてみた結果、揃いもそろって皆危ういものばかり、皆「あやかし」ばかりであり、そんなもので一人の女性の人格を全否定し、その尊厳を貶めてしまうような<悪女伝説>をでっち上げたということは犯罪行為であるとさえ言えるのではないべが、と。
鈴木 おおっ、厳しいな。
吉田 でも確かに荒木の言うとおりで、現実には捏造された〈悪女伝説〉はすっかり巷間広まってしまったし、定着してしまったのだから、やはり極めて罪深い行為だ。
荒木 だから納得できないんだよ。賢治研究家と言われる多くの人たちが、このような<悪女伝説>がまことしやかに流布していることに対してどうして疑念を抱いたり、あるいはこれは看過できない事態だということを憂いてそのことを公的に論議したりしてこなかったということがさ。
吉田 僕は今こう思っている。明確な根拠も理由もないままに、噂話や推測を基にしてある特定の人物を誹謗中傷し、あげく〈悪女〉呼ばわりしてきたことはもちろん絶対許されないことだと思う。まして、虚構まで弄してのそれは何をか言わんやだ。
 ただし、それに絡んだ過去の非対称性を今さら直せということもまたなかなか困難なことだ。だからそれよりは、僕らが今まで取り組んでみて明らかにできたように、露はそんな人にはあらず、ということをできるだけ多くの人に知ってもらうことがまず先決ではないのかな。それは地道なものになると思うが焦らずに。
鈴木 そっか、それじゃ今後は東北人の粘り強さを活かして、
(1) まずは、少なくとも露は<悪女>などではないことを我々は示せたわけだから、何はともあれ、
早急に<悪女伝説>は破棄すべきである。
ということ多くの人たちに訴える。それは、ここまで行ってきた我々の幾つかの検証の結果を用いて説明すれば比較的容易にわかってもらえるだろう。
(2) 次、<仮説:高瀬露は聖女だった>を検証できたとはいっても、これは「現通説」とは全く正反対だから、この結果を声高に言ったとしても世間はそう簡単には受け容れてくれないだろう。そこで当面は、
実は、高瀬露は聖女の如き人であった。
ということを可能な限り周りの人たちに訴える。それは特に遠野時代の露のエピソードや寶閑小学校時代の露にまつわる事実を紹介すればわかってくれるのではなかろうか。
(3) そしてそれがある程度理解が得られようになった段階で最後に、
それよりもむしろ、高瀬露は<聖女>そのものだった。
ということを訴える。
という「ホップ・ステップ・ジャンプ」が我々のこれからの使命と任務だ、ということでどうだ。
荒木 んだな。
鈴木 だいたい人間の評価は亡くなってから百年すれば定まるということだから、考えようによっては賢治の場合はそれまでまだ20年弱の時間はある。ということならば焦らずにやってゆこうか。まあ、約20年後となればその頃には我々はこの世にはいないだろうけどな。
吉田 なあに、天国で賢治や露の周りをうろちょろしながらその顚末を見ていようじゃないか。
荒木 俺は天国には行けんから、地獄からそれを見上げているよ。
吉田 じゃじゃ、荒木とあろうお方が殊勝なことを言うもんだ。
荒木 おれはなあ……いろいろあったからな。
 まあ何はともあれ、ある一定限度内で
    高瀬露は<聖女>だった。
は真理であったということを確信した人間がこの世に一人増えたということは確かだってことだ。
吉田 いやいや待て待て、少なくともあと二人は増えたとしてくれよ。
鈴木 そうだよ、荒木。
‡‡‡‡‡‡‡ 
◇宮澤賢治研究の発展を希求する
 さて、ここまで私なりに「人間賢治像」を自分の手と足で検証してきた。そしてそのことを通じて、『春と修羅 第一集』はこれからも誰にもスケッチできないものだろうと、また、『やまなし』とか『おきなぐさ』そして『よだかの星』や『銀河鉄道の夜』はやはりこれからもこよなく私が愛し続ける童話であろうと確信できた。しかしながら、『グスコーブドリの伝記』や『春と修羅 第三集』そして『雨ニモマケズ』に対する私の評価は一変してしまった。なぜなのだろうか。
 それは、この拙著を著すことを通じて、昭和3年6月の上京は逃避行であったとも見られる賢治と、その頃、『二葉保育園』でスラム街の子女の保育のために献身していた聖女の如き伊藤ちゑとでは比べものにならないことや、この拙著の主人公高瀬露については、賢治が聖人君子に祭り上げられる一方で巷間露は<悪女>とされているが、実は露はそれと全く逆の〈聖女〉であったということなどを知ってしまったからだろうか。
 あるいは、賢治は「農聖石川理紀之助に続く系譜を正しく継ぐ人」だと言う人がいたから過日私は潟上市に行ってみたが、この目で実際に石川の実践の一端を垣間見たならば、羅須地人協会時代に行った賢治の実践は石川のそれと比べれば全然叶わないものだったということが直ぐわかったからだろうか。
 そこで私は悩む。誤解を恐れずに言えば、例えばこれらの三人に比して「人間賢治」が勝っていた点は一体どこなのだろうかと。言い方を換えれば、巷間言われている「人間賢治像」はどうやらかなり創り上げられたものではなかろうかと。もしそうであるとしたならば、もともと「真実は隠せない」はずで、真実は隠すものでもなければはたまた何時までも隠しおおせるものでもなかろうから、巷間流布している「人間賢治像」は逆に賢治のことを実は貶めているのではなかろうかと。だから、私たちはもうそろそろ《創られた賢治から愛すべき賢治に》という時代を受け容れてもいいのだと覚悟すべきではなかろうか、と。
 それから、このこと以上に喫緊の重要課題が見つかった。それは、巷間流布している〈露悪女伝説〉は全くの捏造だったということがわかったからそのことを世間にまず知ってもらうことだ。そしてそれは私の願いでもあり、賢治の願いでもあるはず。なぜなら、『賢治を聖人君子にするために、<聖女>だった露を、あろうことか誰かがとんでもない<悪女>に仕立てしまった』ということがどうやら明らかになりつつある今、天上の賢治は、自分にもその結果責任があると受けとめ、一刻も早く露の冤罪が晴れることを願っているはずだからである。
 ところで、賢治のことをよく知っているある人が「通説となっている賢治」は実はこうだったということを公に発言した途端、周りから一斉に集中砲火を浴びてしまってその人はその後一切口をつぐむしかなかった、という事実がかつてあったということを私は地元にいることもあって聞き及んでいる。
 ところが、それに近いことが今の時代でもあるということを私も一年半ほど前に経験した。それは次のような仮説、
 賢治は昭和2年11月頃の霙の降る日に澤里一人に見送られながらチェロを持って上京、3ヶ月弱滞京してチェロを猛勉強したがその結果病気となり、昭和3年1月に帰花した。
を立てて検証してみたところその実証ができたので、そのことを拙著『羅須地人協会の真実 ―賢治昭和二年の上京―』にて世に問うたのだが、それに対して、ツイッター上で『宮澤賢治奨励賞』受賞者H氏を含む仲間同士が、この拙著を『根拠なき「陰謀論」』であると決めつけたり、「稚拙滑稽噴飯墓穴唖然呆然」という言葉で誹ったりしながら論ってもらったからだ。
 さらには、『「理不尽なペンの暴力」を振るっていることになってしまわないか』『「フォースの暗黒面に堕ちていた」ということになりますが』などの脅しのようなものをそのH氏から私のブログのコメント欄に直接書き込んで頂いたからだ。
 しかし、賢治も亡くなってはや80年以上が過ぎたのだから、もうそろそろこのような圧力を受けることなく自由に「宮澤賢治研究」ができる時代になってほしいし、その発展を希求する。
‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡  
 最後になりましたが、本書の出版に際しましては、ご指導やご助言、そしてご協力を賜りましたA氏、赤田秀子氏、阿部弥之氏、伊藤大亞氏、伊藤博美氏、岩田有史氏、上田吹黄氏、浦辺諦善氏、大内秀明氏、鎌田豊佐氏、菊池忠二氏、黒澤勉氏、佐藤慎也氏、佐藤誠輔氏、澤里裕氏、社会福祉法人 二葉保育園様、鈴木修氏、高橋カヨ氏、高橋輝夫氏、高橋征穂氏、千葉満夫氏、千葉嘉彦氏、tsumekusa氏、日本現代詩歌文学館様、花巻市教育委員会様、花巻市立図書館様、花巻市立博物館様、藤井悠久氏、牧野立雄氏、三浦庸男氏、宮沢賢治イーハトーブ館様、盛岡タイムス社様の皆様方には深く感謝し、厚く御礼申し上げます。
平成27年2月23日 (高瀬露の命日) 
著者
****************************************************************************************************

 続きへ
前へ 
 “「聖女の如き高瀬露」の目次”へ。

 ”検証「羅須地人協会時代」”のトップに戻る。

《鈴木 守著作案内》
◇ この度、拙著『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』(定価 500円、税込)が出来しました。
 本書は『宮沢賢治イーハトーブ館』にて販売しております。
 あるいは、次の方法でもご購入いただけます。
 まず、葉書か電話にて下記にその旨をご連絡していただければ最初に本書を郵送いたします。到着後、その代金として500円、送料180円、計680円分の郵便切手をお送り下さい。
       〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木 守    電話 0198-24-9813
 ☆『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』                ☆『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著)           ★『「羅須地人協会時代」検証』(電子出版)

 なお、既刊『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』、『宮澤賢治と高瀬露』につきましても同様ですが、こちらの場合はそれぞれ1,000円分(送料込)の郵便切手をお送り下さい。
 ☆『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』      ☆『羅須地人協会の真実-賢治昭和二年の上京-』     ☆『羅須地人協会の終焉-その真実-』





最新の画像もっと見る

コメントを投稿