本当の賢治を渉猟(鈴木 守著作集等)

宮澤賢治は聖人・君子化されすぎている。そこで私は地元の利を活かして、本当の賢治を取り戻そうと渉猟してきた。

結論

2016-10-16 15:34:42 | 『賢治、家の光、卯の相似性』
 しばし〝 賢治、家の光、犬田の相似性〟という観点から、あちこちうろちょろと周辺を彷徨ってみたのだったが、意を決してそろそろまとめに入りたいと思う。 1 新聞報道から見えてくる下根子桜時代の賢治  さて、当時賢治はどのようなことを考えどのようなことを実践しようとしていたのだろうか。そのために、賢治の下根子桜時代に報道された例の新聞記事をまたぞろ見直してみたい。 (1) 大正15年4月1日付『岩手 . . . 本文を読む

石川理紀之助

2016-10-15 22:17:32 | 『賢治、家の光、卯の相似性』
 周知のように、   大正15年 六月 このころ「農民芸術概論綱要」を書く。と『新校本年譜』等にあるが、その時期について私は疑問を抱いている。それは、『校本全集』所収「宮澤賢治年譜」の作成者である堀尾青史が、このことに関する境忠一氏の質問に対して次のように答えているからだ。  そこでは、まず境氏が  大正十五年六月に、例の「農民芸術概論綱要」を書くわけですが、六月という日付には、具体的な根拠がある . . . 本文を読む

双曲線上の宮澤賢治と犬田卯

2016-10-09 09:00:00 | 『賢治、家の光、卯の相似性』
『詩と詩人』より  懸案だった例の出典であろうものがなんとか見つかった。それは草野心平の『詩と詩人』の中にあり、以下のようなものだった。    坂本遼の「たんぽぽ」  詩集『たんぽぽ』は昭和二年九月に刊行された。著者は坂本遼、装幀は浅野孟府で赤い日本紙の表紙にマッチの棒が一本描いてある。いまはもう古本屋などでも殆んど手に入らない。発行部数がすくなかつたせゐもあるが、それよりもこの詩集は、一度手に入 . . . 本文を読む

「農民詩人」猪狩満直と三野混沌

2016-10-08 09:00:00 | 『賢治、家の光、卯の相似性』
 先に、「二人の農民詩人が参加したことで、賢治は「銅鑼」に作品を寄せる必要がなくなったという書簡を寄せたことがある」という部分に関しては同紙に載っておらず、この証言が何を出典として書かれているのかは現時点では確認できずにいるがと述べた。その後、手を尽くしてそれを探しているものの未だ見つかっていない。そこで取り敢えず、この二人の「農民詩人」のことをここでは少しだけ探ってみたい。  この二人の「農民詩 . . . 本文を読む

「農民詩人」坂本遼

2016-10-07 09:00:00 | 『賢治、家の光、卯の相似性』
 さて、ここでもう一度前掲の心平の証言「二人の農民詩人が参加したことで、賢治は「銅鑼」に作品を寄せる必要がなくなったという書簡を寄せたことがある」を確認したい。これを素直に解釈すれば私には、  もともといた「農民詩人」坂本遼に加えて、この度新たに二人の「農民詩人」猪狩満直、三野混沌が同人となったからこれで計3人の「農民詩人」が『銅鑼』同人の中にいることになる。そこで、賢治自身はもう作品を発表する必 . . . 本文を読む

『春と修羅 第三集』の所収の詩と『銅鑼』

2016-10-06 09:00:00 | 『賢治、家の光、卯の相似性』
「羅須地人協会時代」の賢治の詩は「農民詩」?  さて、「農民詩」について考えているうちに、「農民詩人」渋谷定輔に話が及び、さらには土田杏村等までに関心が至ってしまって大分回り道をしてしまったのだったが、ここに辿り着くまでの道すがら、「羅須地人協会時代」の賢治の詩は「農民詩」であったのではなかろうかということに思い至った。なにしろ詩の鑑賞力の乏しい私だからその見方にあまり自信はないのだが、同時代の賢 . . . 本文を読む

賢治と卯の相似性(芸術論・思想)

2016-10-05 10:00:00 | 『賢治、家の光、卯の相似性』
 では次は、卯と賢治の芸術論における相似性をここでは少し考えてみたい。 犬田の「農民文芸」  さて、賢治が下根子桜に住んでいた頃の犬田は大正15年には『土に生まれて』を、昭和3年には『土にあえぐ』をともに平凡社から、そして『土にひそむ』を昭和4年に不二屋書房から相次いで出版している。  そして、安藤義道氏によれば、  この三つの作品はいわば犬田卯の「土」三部作といえる。主人公はいずれも良一である . . . 本文を読む

賢治と卯の相似性(農民劇)

2016-10-05 09:00:00 | 『賢治、家の光、卯の相似性』
 では、犬田卯と宮澤賢治二人の相似性をここで考え直してみたい。まずは農民劇に関してである。 賢治の農民劇  さて、そもそも農民劇に関して賢治はどんなことを考え、関連してどのようなことが言われていたか。 1.平來作の証言より  『宮沢賢治物語』の中には平來作からの聞き書き「農民劇」が載っており、  何かの折に、  「花巻言葉で、菩提樹の皮の蓑着て、舞台さ、がさがさ出はつてしやべつたらば、ずい分東京 . . . 本文を読む

『農民文芸十六講』出版後の犬田卯

2016-10-04 10:00:00 | 『賢治、家の光、卯の相似性』
 さて、渋谷の『野良に叫ぶ』が発刊された約3ヶ月後の大正15年10月に犬田卯等は『農民文芸十六講』を出版したことになる訳だが、安藤氏の前掲書によれば  『農民文芸十六講』という形で「研究会時代の研究結果の集大成」を果たした農民文学運動は「それと前後して、会員の数はいよいよ増し、また会員諸氏は単なる研究という範囲から一歩進んで、各自の制作――小説、評論、詩等を世間的に発表するようにな」る(「農民文芸 . . . 本文を読む

『野良に叫ぶ』出版前後の渋谷定輔

2016-10-04 09:00:00 | 『賢治、家の光、卯の相似性』
 さて、『野良に叫ぶ』を出版した渋谷定輔はその前後どうしていたのだろうか。松永伍一は次のように紹介している。  そのころかれは「家族制度を呪詛し、長男という囚人にひとしい束縛を呪いながら、百姓をやらねばならず、そこで村の小作人を扇動し、県下屈指の有名な三年間無耕作の大小作争議を巻き起こした。その間、私は日本農民組合に加盟したけれど、インテリゲンチュアの中央委員の衒学的優越感に憤激し、しばらくして脱 . . . 本文を読む

「自由大学運動」の実践家土田杏村

2016-10-03 08:00:00 | 『賢治、家の光、卯の相似性』
「自由大学運動」  さて、これで少しだけ土田杏村のことがわかった。特に、宮澤賢治にも優るとも劣らないと思われそうな土田の博覧強記ぶりは群を抜いているということを知った。まさしく土田杏村は〝知の巨人〟であったのだろう。が、かといって彼は知識だけが豊富な単なる評論家に過ぎなかったのかというとそうでもないようだ。というのは、  土田杏村は、文明批評家としての総合的見地から、文化学の大系化を目ざしていまし . . . 本文を読む

土田杏村という「知の巨人」

2016-10-02 09:00:00 | 『賢治、家の光、卯の相似性』
『野良に叫ぶ』出版の経緯  ところで、小作農家の一青年の詩集が大正15年の7月に平凡社からどうして出版できたのだろうか。その訳を知りたくて幾つかの本を調べていたならば、詩集『野良に叫ぶ』の出版の経緯等に関して渋谷定輔自身が『大地に刻む』の中で次のように語っていることを知った。     私の詩の原稿を発見して世に出してくれた人は土田杏村です。 と。  そして私は「あれっ!」と思った。土田杏村?ってど . . . 本文を読む

「農民詩」人渋谷定輔と賢治

2016-10-01 09:00:00 | 『賢治、家の光、卯の相似性』
 前回、佐伯郁郎の考え方に基づけば『春と修羅 第三集』の所収の詩は「農民詩」たり得ると私は思った。もちろん賢治を〝「農民詩」人〟と呼ぶ人は余りいないと思うが、私は少なくとも下根子桜時代の賢治が書いていた詩の中にはまさに「農民詩」そのものであったものも少なくないと思っている。なぜなら、佐伯郁郎が主張するところの「農民文芸の意義について」の一つの面「一、田野の生活が如何なるものかを描き出す現実直写の農 . . . 本文を読む

農民文芸運動における「農民詩」

2016-09-30 08:00:00 | 『賢治、家の光、卯の相似性』
 では今回は農民文芸の中の一分野である「農民詩」について少し調べてみたい。  まずは、『家の光(昭和三年四月号)』の中に掲載されている佐伯郁郎の「農民詩講話」を少し見てみたい。そこでは次のようなことが論じられている。  農民文学とは如何なるものであるかといふうことになる。…(投稿者略)…私には農民文学は、どこまでも簡単に云つて、不断に進展しつゝある農民の生活意志の探求であり、隈なき表現であると思 . . . 本文を読む

農民文芸運動における「農民劇」

2016-09-29 09:00:00 | 『賢治、家の光、卯の相似性』
 では今回は、農民文芸運動における「農民劇」に関して少し調べたみたい。先にも引用した佐伯研二編の『佐伯郁郎と昭和初期の詩人たち』の中では次のようなことも述べられている。  佐伯の「農民文芸会」に於ける実質的な活動期間は、大正十四年から昭和三年六月までの間である。この間、機関誌『農民』『地上楽園』『女性文化』『家の光』『野菊』等に詩、評論を寄せ、大正十五年七月二十五日には、白鳥省吾、犬田卯と共に東北 . . . 本文を読む