アメリカでは、グーグル、フェイスブックなどでも活用されています。集中力が高まり、仕事の生産性が上がるのです。
アメリカでは、グーグル、フェイスブックなどでも活用されています。集中力が高まり、仕事の生産性が上がるのです。
みなさんおはようございます。
腰の違和感はまだありますが、なんとか坐禅の恰好はとれるようになってまいりました。
そこで、昨日は2ヶ月ぶりにマインドフルネス実践会に行って参りました。
参加者は十数名でしたが、大勢の人の気配を感じながら、「今、ここに集中する」感覚を味わえて、なかなか良い瞑想ができました。
昨日のテーマは「生活の中での実践」
マインドフルネスというのは、坐禅をしたりヨガをしたり、特別な時間を作り修行をするということではありません。
日々の生活の中で、じっくりとその時、その時を意識し、その感覚を味わいながら行動をする機会はどこにでもあるのです。
歩く、食べる、飲む。
人は学習をしたことで、無意識のうちに動作できてしまうこと。それが多いです。
今パソコンのキーボードを叩いてますが、それもかなりの部分、無意識にやってます。
無意識にやっていることにことに対して、意識を集中することで、それまで感じていなかった様々な事に気づく。
それが学びになり、その後の方向性に影響を与えていくのだと思います。
生活の中での何気ない事でもマインドフルネスを実践する、これもまた大切だし、できるようになると面白いのかなと思います。
さて、昨日の夜があまりにもいい瞑想だったので、今朝も先ほどまで、2時間弱ヨガやったり、ボディスキャンやったり、静座瞑想をやってました。
かなり睡魔にやられて、ほとんど意識が飛んでましたね。
マインドフルではなくマインドレスってやつです。
昨日できたことが、今日も同じようにできるわけでもなく、今日できなかったからと言っても、また違う時間になると別の感覚を味わう。
これこそマインドフルネス!
4月の初めに腰を痛めてから、瞑想をしていませんでした。
私がやる瞑想はどちらかというと坐ることが多く、腰痛がでるとちょっときつい。
でも、横たわりながらやれるものもあるのです。
それがボディスキャン。
つま先から頭まで、順に注意を集中し、体との一体感を感じる。
言葉にするとこんな感じになりますが、私も、なかなかこの感覚を掴むのには時間がかかりました。
ただ集中できないという感覚に気づくことも、この瞑想では正解であり、間違いということはありません。
実践し、今の自分に意識をすることで、気づきの感覚をつかめるようになってくる。
こんなかんじでしょうか?
ただ、ボディスキャンの難点は、眠くなること!
睡魔との戦いをかなりきつかったです(笑)
皆さん、おはようございます。
昨日はマインドフルネス実践会に参加しました。
テーマは身体を感じること。
シュワイショーと筋弛緩法をやって体をリラックスさせてから、ボディースキャンをしました。
ボディースキャンで、身体のいろんな部分に意識をもっていき、呼吸を感じながら、時々睡魔と戦う(笑)。
それでもいつもよりは深い瞑想ができたと思います。
休憩のあとに、静坐瞑想をやりながら、途中で慈悲の瞑想をやりました。
一法庵でも慈悲の瞑想をやりましたが、今回もこの瞑想をやることで、自分をより深く観察することができたような気がします。
全体的に昨日の実践会はいつもよりも集中でき、深く瞑想ができたように感じてます。
なかなか、良かった。。。
みなさんおはようございます。
今読み始めた本で『初心』という言葉にひっかかってます。
この本によれば初心とは「はじめての人のこころ」、英語でいうところのビギナーズマインド。
「初心」には「何かを得た」という思考はありません。
「何かを知っている」とか「何かを悟った」ということはないということです。
人である限りこの境地はものすごく難しいような気がします。
私の経験上「知っていること」は対しては安心感が生まれ、優越感も生まれます。
論理的に頭で理解することが、脳にとっては快感なのです。
でもこれって幻想なのかもしれません。と思い始めてます。
知っていると思うことでいろんな執着が生まれ、そのこだわりがもとで、いろいろな苦しみが生まれるという経験も何度もしているようにも思います。
最初は脳にとって快感でも、それが時間が経つにつれ、不快感のかたまりになり、体にも影響がでる。
また、さらなる知識をもとめ、脳や体中のいろんなところに力が入り、疲れる。。。
悪循環ですよね。
マインドフルネスでは常に「今を見つめ感じ」ます。
今をあるがままに感じる。
それは「何かを知っている」という感覚を捨て去り、まっさらな状態で新たなことを受容することなのかなと思いました。
この本では、禅の修行とは初心に感謝することとありました。
深いですよね。。。