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(07/06/01)

シャーロットのおくりもの

2006年12月01日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
12月23日公開の「シャーロットのおくりもの」の試写会に行ってきました。
観たのは字幕版で、公開されるのは吹替版がほとんどのようなので印象はちょっと違うでしょうが。
まず女クモのシャーロットの声をあてたジュリア・ロバーツが素晴らしすぎ。正直なところ、最近のジュリア・ロバーツの顔を観ると、その窪んだ眼球をほじくり返したくなる衝動に襲われるのですが、声優としてならまた聞きたいというか、シャーロットのイメージそのものというか、まさに全米が納得のハマり役というか。デジタルっぽい感じに変調していたようですが、それを差っ引いても理性的で冷静なクモ役にジュリア・ロバーツがハマり過ぎていました。
さらにダコタ・ファニングがかわいすぎ。今までは純粋な子役で来たわけですが、この作品では仲良くなる男の子が登場。動物の声が聞こえるのは要するに子供だってこと、って医者の診察シーンがあるのですが、これはダコタのためにある場面のような気がします。わての世代の日本では、間下このみとか安達祐美とか宮沢りえとかマナカナとか、子役から大人になっていく過程を見せてくれる女優がいましたが、映画の役でその過程を見せてくれた人はいなかったように思います。
ストーリーとか世界観とかブタはどうでもいいような感じでした。
ただ、動物を題材にしたお子ちゃま向けの甘ちゃんドラマではありません。アヒルが抱いていた卵が1個だけ孵化せずに残ります。腹を痛めて産んで、何日も抱えてきた最愛の卵。これをあっさりとネズミに渡します。腐った卵だということも、割れたら臭いことも納屋のみんなが知っていますし、割れた後には臭い臭いと大騒ぎ。こういう、命があるべき姿でも命がなければモノとしてあっさり切り捨てる感覚って欧米では珍しくないんでしょうかね?車に轢かれた猫を見て"That was a cat"と言ったという女の子の話を思い出しました。
思い出すといえば、全編を通じて「動物の言葉がわかるドリトル先生は何を食べてるんだろう?」「ジャングル大帝で仲の良い草食獣を食べないように肉食獣がバッタを養殖して食うのはいいのか?」など、幼少期のさまざまな疑問がよみがえってきました。
このブタは特別なブタだから食べちゃいけない、という不自然さにブタ自身が突っ込みをいれます。それに対する答えが「君は意識していないだろうが、君の無意識なうちに取った行動がわたしを幸せにした、だから特別なんだ」ってなんなのですか?
知恵を持ったクモを無意識に救ったブタは救われて、他の無意識のブタはハムやベーコンになると?
いや、確かに社会ってのはそういうものですし、大人になったらいやでも納得せざるを得ないものですが、その事実だけを子供に付きつけてなにが面白いんですかね?子供に一方的にトラウマを与えたり、逆に僕ちゃんは特別なんだと増長させたりするだけのような気がするのですが。少なくとも子供に命というものを考えさせるという目的には不適格です。
この辺をいいバランスで教えてくれていたのがムツコロウさんです。ムツゴロウさんが作ってきた動物を溺愛しつつ突き放す距離感、命を尊重しつつ妥当に扱える重さ。そのすべてが絶妙過ぎます。ムツゴロウさんなき今、ムツゴロウさんに人生の大事なことを全て教わった幸せを実感しています。

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