村上文緒はアマデウス先生の嫁(仮)

いい風が吹いていますよ~ 村上文緒

1月11日(日)のつぶやき

2015-01-12 06:54:01 | 日記

朱印状を受けた慶長八年(1603)以降、了以は安南 (ベトナム)等との海外貿易で莫大な利益を得、角倉家を「茶屋」「後藤」「灰屋」などと肩を並べる豪商に押し上げた。金融業巨万の財をなした一族は、単なる成金ではなく、高い教養と志をもっていた。代々、医者や学者を輩出しており、


実際、了以の父親も足利将軍を診た医師だった。また、自身二度明に渡ったことがあり、現地での多くの見聞とともに、医学書や数学書を大量に持ち帰り、了以とその弟たちに伝えたという、了以の息子素庵も、のちに近世儒学の祖と呼ばれた藤原惺窩の薫陶を受け、書画工芸で名高い本阿弥光悦から書を学んだ


素庵は能書家として角倉流を興し、また、光悦らと協力して嵯峨本と呼ばれる典雅な本を刊行するなど、当代きっての文化人であった。しかし、何といっても角倉了以・素庵父子の名前を不滅にしたのは、河川開削事業である。