話の種

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価値観と同調圧力

2023-08-03 11:07:49 | 話の種

価値観と同調圧力

■(先月、タレントのりゅうちぇるさんの自殺が報道されたが、この時の朝日新聞の社説(2023.7.20)から。)(一部略)

(社説)他者の生き方 「意見」が刃になるとき

 人の生き方や家族のあり方について、さまざまな見方があるのは当然だろう。異論や違和感を表明して議論することは、いろいろな立場の人たちが互いを理解し、ともに生きていくために不可欠なことだ。公人などへの建設的な批判は社会が前に進むための原動力でもある。

 しかし一方で、誹謗(ひぼう)中傷とまではいえないような「意見」や「感想」であっても、それが時に刃(やいば)となり、他者を必要以上に追い詰めてしまうことにも考えを巡らせておきたい。特に、性自認や性的指向のような当人の存在の根本にかかわる話題で、敬意を欠いた匿名の非難が束になって大量に降りかかれば、人を深く傷つけることになる。

 多様性の実現が社会課題になって久しいが、いまなお多くの人が偏見や価値観の押しつけに苦しんでいる。とりわけ意思表示をする少数派の人への風当たりは強い。それでもりゅうちぇるさんは発言と対話を続け、多くの人に影響を与えてきた。

 2年前の自著には、こんなことを書いている。「自分とは違う意見や反対の意見に対しても、まずは耳を傾けて『なるほどね』と受け止める練習をする」「たとえ自分とは違う考え方だと思ったとしても、『そういう考え方もあるんだね』と認めることはできるはず」

■(海外の投稿サイトの投稿をまとめた「パンドラの憂鬱」というサイトがあるが、そこでの記事(2023.7.27)から。)

[「日本のように自由であるべきだ」外国人歌手が日本より欧米の方が同調圧力が強いと指摘し話題に。]

エリザヴェータさんは現在日本在住で、先日には、普段のご自身の生活をファンに紹介する目的で、
「スーパーマーケットに買い物の時間!今でも人が多い公共の場ではマスクをしています」と投稿。
それだけのメッセージだったのですが、マスクを着けているという事に批判の声も寄せられ、翌日に改めて以下のメッセージを投稿しました。

「コメント欄の反マスクの荒らしにはいつも驚かされます。なぜ?混雑した公共の場でマスクをすることで、私が誰を傷つけているというのでしょうか?
日本では誰もマスクをしている私に目もくれないのに、欧米人はマスク着用者をいじめる事が権利だと思っているみたい。」

この投稿に対して次のようなコメントがあった。

「社会という枠組みの中でどう生きるのかを、教えられていない人がこっちには多い気がするね。いつだって「自分が、自分が、自分が」で、「自分が絶対的に正しい」って感じがする。」(カナダ)

「個人主義で知られる国民が、多数派に従うことを重視し、基本的な自由を行使する人々を嘲笑するという、深刻な問題を抱えている現状に私は魅了(?)されてる。その一方日本とかでは、他人に危害を加えない限り、何をしようと誰であろうと気にしないよね。」(アメリカ)
(そう、それこそ正に私が言いたかった事です。)(投稿者)
(それはあなたの国だけじゃないよ。私の国でも全く同じ状況です。)(イギリス)

(参考)
エリザヴェータさんは、様々なハリウッド映画や米ドラマなどに、自身の楽曲を提供しているオペラポップ歌手。

■(先日(2023.8.1)の朝日新聞の天声人語より。)(一部略)

アンパンマンの敵役ばいきんまんは、あまり悪者らしくない。ドキンちゃんのわがままに振り回されてばかりだし、「とどめだ!」と叫ぶわりに、アンパンマンをとことんやっつけたりはしない▼それはお互い様であるのだろう。アンパンチを打たれても、ばいきんまんは自分の家に逃げ帰るだけだ。どちらも徹底的には打ちのめさない。「その手前で止めるということが、ぼくは大事だと思っています」。作者はそう語っていた(『やなせたかし 明日をひらく言葉』)▼今年は、アンパンマンが絵本に登場して50年、やなせさんが亡くなって10年という節目だそうだ。改めて作品を読んで感じるのは、絶対の正義などどこにもないのだ、という「共生」のメッセージである▼翻って、いま私たちの目の前にある政治はどうだろう。「共産党はなくなったらいい」。日本維新の会の代表が放った言葉に、ため息がでた。政策論争ではなく、政党の存在そのものを否定するような発言は見過ごせない▼そうでなくても、自らの支持者にしか向き合わない国会議員が目立つ昨今である。広く国民の代表として熟議を重ねる。分断を避け、合意を探る。そんな民主政治の基本をよもや忘れてもらっては困る▼「正義でいばっているやつは嘘(うそ)くさい」とも、やなせさんは言った。自分だけが正しいとの排除の政治に陥れば、ばいきんまんに嗤(わら)われるだろう。

 

さて、これらの3つの記事は内容がバラバラのようだが、共通しているのは、自分達は正しいと思い込んで相手を非難し否定していること。そして私が思ったのは価値観の違いと同調圧力、そして相手に対する気遣いや配慮の必要性。

最初のりゅうちぇるさんの記事だが、「偏見や価値観の押しつけ」ということが書かれているが、これについてりゅうちぇるさんは、「自分とは違う意見や反対の意見に対しても、まずは耳を傾けて『なるほどね』と受け止める」「たとえ自分とは違う考え方だと思ったとしても、『そういう考え方もあるんだね』と認める」ことが大切だと述べている。

これについて、当方思い当たることがあり、それは友人との会話で彼がよく口にする言葉で、「あなたの言うことは正しい(間違っていない)。ただ・・・」「あなたの言っていることは良く分かる。しかし・・・」というもの。

当方若いころは、自分が全て正しいと思い込んでいて、よく相手と衝突をしていたが、近年友人が(友人も年を取ったせいもあるだろうが)会話の中でこのような言い方をするのを聞いて、これならば無意味に議論、衝突することもなくなり、なるほどなと思った次第。

2番目のエリザヴェータさんの件は、言うまでもなくネット上での価値観の押しつけで、同調圧力と言われるもの。
昔は意見を主張するにしても、デモでプラカードを掲げるなど(今でもあるが)可愛いものだったが、ネットでは匿名性をいいことに自分の価値観(主張)を声高にばらまき散らすことにより、あたかもそれが多数意見であるかのようなふりをする傾向が強くなっている。
(これらは、個人のレベルであればまだしも(これでも良くないが)、国家間、政治のレベルでもフェイクニュースなどプロパガンダが盛んになってきている。)
この記事を見ると、どうも日本よりも海外の方がこの傾向が強いようだが、どうだろうか。
(例えば日本人はほとんど気にしない「文化盗用」などということも、よく海外のネットなどでは取り上げられているが。)

3番目のアンパンマンの記事を取り上げたのは、「世の中に絶対的な正義などない」ということで、自分は絶対に間違っていないと思うのは間違いで、かつ相手を全否定するのも間違いだということ。そして、相手を負かしてやろうとは思わないで、気遣いや配慮は常に忘れてはいけないということ。

人の価値観というのは人生観、主義主張から嗜好、好き嫌いなど、その意味するところは幅広くまたその内容も様々だが、社会或いは個人間の紛争、論争、対立、差別、偏見などは全て価値観の違いから生じるものと考えられる。従って、この価値観の違いは避けることはできないが、その結果として生じる対立や偏見を避けるには、まずはその違いを認めることが必要と言える。

(参考)価値観についてChatGPTに聞いてみた。

価値観とは
ChatGPT
価値観とは、個人や社会が持つ、何かを判断し評価する際の基準や尺度のことを指します。これは、人々がどのような価値を重視し、何が大切であると感じるか、行動や意思決定をする上で影響を与える考え方や信念の集合体です。

価値観は個人差や文化、社会的背景によって異なる場合があります。個々の経験や教育、宗教、家族などが、価値観の形成に影響を及ぼします。また、時代や社会の変化によっても価値観は変わることがあります。

 

 

 


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