話の種

新聞やテレビ、雑誌などで、興味深かった記事や内容についての備忘録、考察、感想

若者とスマホ(天声人語)

2023-10-17 16:42:49 | 話の種

若者とスマホ

昨日の朝日新聞の「天声人語」に次のような記事があった。

「お昼どき、たまたま目にした小さな定食屋に入った。何を注文しようかと考えていると、店長らしき年配の男性と、まだ10代ではないかと思えるアルバイトの若い女性の会話が聞こえてきた▼「きょうのお薦めはサバだ。おめえ、鯖(さば)って漢字、書けねえだろ」。店長は大きな声で言った。若者はのんびりとした調子で小さく答えた。「いえ、書けます。スマホで調べますから」。しばらくして、壁にかかった品書きの黒板に、彼女はきれいな文字を記した▼私はえっと驚いた。「お薦めメニュー 秋刀魚」と書かれていたからだ。女性は何げない表情で仕事を続けている。わざと、書いたのかな。そう思うと、ちょっと愉快な気分になり、やがて、少し切なくなった▼よし、今夜はサンマを食べよう。思い立って、帰宅途中にスーパーに寄った。時間が遅かったせいか、食品棚にはパック入りのサンマが、ぽつんと1匹だけ。〈さんま、さんま、/さんま苦いか塩つぱいか〉。(以下略)」

最近は当方も寝転がったりしている時に、ちょっとした調べ事があるとスマホを使うことが増えたが、そのあと新聞や雑誌などを読んだりすると文字がぼやけてしばらく戻らない。
(当方近視が強いせいか年をとっても未だに老眼鏡なしで新聞などが読めるが、これはその影響もあるのだろうか。)
最近の若い人たちは頻繁に、かつ長時間スマホを使い続けることも多いようだが、目を悪くしないだろうかと他人事ながら気になって仕方がない。

ところで先の女店員の話だが、これは単にサバとサンマを聞き間違えただけのことかと思われるが。
(わざとそうしたとしたら、書けねえだろと馬鹿にされたと思っての腹いせか。)

(追記)

「若者とスマホ」について、他に最近気になっていることを幾つか記しておく。(少数かと思うが。また余計なお世話かも知れないが。)

・情報が偏っていないか。
(スマホで見るのは自分の選択箇所だけ。最近は新聞などを読まない若い人たちも増えているようなので、物事を幅広く見聞きする機会が減っているのでは。特にSNSなどは一方的な、或いは虚偽の情報も多いので、他にも情報源を広く持っているかどうか。)
・思考停止に陥っていないか。
(スマホは画面が小さいので文章を深く、かつ行間を読むことは難しい。特に最近の若い人たちは時短と称して早読みすることも多いようなので、印象だけで物事を判断するようになってはいないか。)

 

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ウクライナ問題

2023-10-17 11:35:16 | 話の種

ウクライナ問題

2022年2月にロシアがウクライナに侵攻し戦争状態となってから1年8カ月が経過したが、未だに終結する見通しは全く立っていない。
何故ロシアはウクライナに侵攻したのか、ここで一度整理してみたいと思う。

[ロシアの近年のウクライナ侵攻の動き]

2014年2月 ロシアがクリミア半島を併合
2014年4月 (ドネツク州で親ロシア派勢力が「ドネツク人民共和国」の建国を宣言)
2014年5月 (ルガンスク州で親ロシア派勢力が「ルガンスク人民共和国」の独立を宣言)  
2022年2月 ロシアがウクライナに再び侵攻、戦争が始まり今日に至る

*ロシアによるウクライナ4州の併合宣言
2022年9月30日、ロシアのプーチン大統領はウクライナ東部・南部4州(ドネツク州、ルガンスク州、ザポリージャ州、ヘルソン州)の併合宣言を行う。勿論国際社会はこれを認めていない。
(この併合はロシア連邦議会によって承認され、プーチン大統領は10月5日、これら4州をロシア連邦に編入するための条約の批准法案と国内法改正案に署名し、ロシア連邦としての法的手続きを完了させた。)

[ロシアとウクライナの関係(歴史)]

(ロシア)

キエフ大公国(ルーシ)(882-1240)
・バルト海方面から南下したルーシが、先住民の東スラブ人に同化して成立した国家。
・場所は現在のベラルーシ、ロシア、ウクライナの辺り。
・首都はキエフ。
・ベラルーシ、ロシアはこのルーシという名前に由来する。
(ルーシというのはスウェーデンからロシアに移住したノルマン人と考えられ、彼らが先住民のスラブ人と混血し現在のロシア人となったと考えられている。)
・この時代に民族はロシア人(大ロシア人)、ウクライナ人(小ロシア人)、ベラルーシ人(白ロシア人)に分化したとされている。
・1240年モンゴル帝国によりキエフ公国は崩壊

15世紀~モスクワ大公国(首都はモスクワとなる)
1721年 ロシア帝国に国名を改称(首都をサンクトペテルブルクに移す)
1917年 ロシア共和国成立(ロシア革命)
1922年 ソビエト社会主義共和国連邦成立(首都をモスクワに戻す)
1955年(ワルシャワ条約機構を結成)(*米国は1949年に北大西洋条約機構を結成)
1991年 ソビエト連邦崩壊、ロシア連邦となる

(ウクライナ)

9世紀~キエフ大公国
14世紀~リトアニア大公国の支配下となる
16世紀~ポーランド王国に統合される(リトアニア=ポーランド王国を経てポーランド王国となる)
18世紀~ロシア領となる
1917年 ロシア革命によりウクライナ中央ラーダが成立(ラーダはウクライナ語で会議・議会を意味し、ロシア語のソビエトに相当する)
1918年 ウクライナ人民共和国として独立を宣言する(しかしロシアのボルシェビキ政権やポーランドの介入などで混乱)
1919年 ウクライナ社会主義ソビエト共和国が設立される(内戦で赤軍が勝利する)
1922年 ソビエト連邦に加盟(しかしウクライナの歴史はソ連の歴史として同一視されてしまい、例えばチェルノブイリ原発事故などはソ連=ロシアでの出来事のように受け止められてしまうことになる)
1937年 国名をウクライナ・ソビエト社会主義共和国に改める
1991年 ソ連の崩壊によりウクライナ共和国として独立(首都はキエフ)

(クリミア半島)

1792年 ロシア帝国がオスマントルコ帝国との戦争に勝利し自国に編入
(ロシアとオスマントルコとの間では、17世紀後半から19世紀後半までの200年間に大小の戦争が12回に渡って行われている。)
1853-56年 クリミア戦争(ロシアの南下政策でオスマン帝国に宣戦したが、イギリスとフランス及びサルディーニャ(現在のイタリア)がオスマン帝国を支援して列強間の戦争となった。ロシアが敗北し、パリ条約で講和、オスマン帝国の領土は保全され、ロシアのバルカン方面での南下は一旦抑えられた。)
1954年 ソ連がクリミア半島をウクライナ社会主義共和国に編入(ウクライナ併合300年を記念して行われたもの)
1991年 ソ連の解体により、ロシアはクリミア半島の領有を主張したがウクライナは承知せず、結局ロシアはウクライナの核保有を認めない代わりにクリミア半島領有を認めた。これによりロシアはヤルタの保養地もセヴァストーポリも失うことになり、黒海への出口をふさがれる格好となった。
2014年 ロシアがクリミア半島のロシアへの併合を宣言。ウクライナ領であったクリミア半島内にはクリミア自治共和国とセヴァストーポリ特別市があったが、ロシアとこの2地域の自治政府の3者が条約を締結して併合が承認されたとしている。ウクライナは当然これを認めていない。

[ロシアがウクライナに侵攻した理由」

メディアではいくつかの理由が挙げられているが、共通しているのは「NATOの東方拡大」ということ。ソ連の崩壊後、NATOへの加盟国が相次いで増えており、ロシアがこれに対して危機感を持ったことが最大の理由と言える。中でも東欧諸国の加盟はロシアにとっての脅威であり、ここにきて、同じルーツを持ち国境を接しているウクライナがNATOへの加盟を希望しているということで、我慢の限界に達したものと思われる。

NATOは1949年に旧ソ連(ロシア)など東側諸国に対抗するために結成した軍事同盟で、防衛を最大の目的とし、加盟国への攻撃は全加盟国への攻撃とみなして集団的自衛権を行使すると規定している。(東側諸国もこれに対抗して1955年にワルシャワ条約機構を結成したが、冷戦終結を受けて1991年に解体された。)

ロシアがNATOの東方拡大を恐れるのは、これ迄幾度となく西欧からの侵攻を受けてきた歴史があるからで、安全保障の観点から東欧諸国を緩衝地帯だと考える意識が強かったようである。
NATOの加盟国は結成当初は12カ国だったが、ウクライナ侵攻当時には30カ国に達しており(現在は31カ国)、数が増えることは勿論脅威だが、それ以上に悩ましいのはこれ迄緩衝地帯だったはずの東欧諸国が逆にNATOに加盟したことである。(ワルシャワ条約機構の加盟国だったが、今度はNATOに加盟した国は、ポーランド、チェコ、ハンガリー、スロバキア、スロベニア、ブルガリア、ルーマニア、アルバニア)

プーチン大統領は2021年の記者会見で、1990年の東西ドイツが統一する際、アメリカのベイカー国務長官がゴルバチョフ書記長に「NATOは1インチも拡大しない」と約束したとし、「我々は騙された」と述べているが、この約束と言うのは口頭でのことで文章は残っていないので真偽のほどは分からない。

ウクライナへの侵攻理由としては、次のようなことも言われているが、やはりゼレンスキー政権の誕生に伴うウクライナのNATO加盟への危惧が引き金になったことは間違いないと思われる。

・同じルーツを持つ国としての思い入れ(ロシアとウクライナは同じ民族との考え)
(これについてプーチン大統領は侵攻開始前に「ウクライナは歴史、文化、精神的に譲渡できない不可分の一部だ」と述べている。)
・プーチン大統領はいまだに旧ソビエト時代の意識から脱却出来ないでいる
(ロシア的なものへのアイデンティティーを求める心情。スラブ文明圏の再興への夢想。)
・ウクライナ東部のロシア系住民の期待に応える
(プーチン大統領はウクライナへの攻撃宣言の際に「ロシア、そして国民を守るには他に方法がなかった」と述べているが、これは侵攻を正当化するためのものと理解されている。)

(所感)

今回の侵攻についてロシア側の立場から振り返ってみると、その心情については分からないこともないような気もする。当方プーチン政権のような権威主義は嫌いだし、勿論今回のような強権的な侵攻は否定されるべきものだが、下記考えさせられた。

・ロシアが過去幾度となく西欧から攻め込まれた歴史を考えると、NATOの拡大に脅威を覚えるのは無理からぬこと。米国からの「NATOは1インチも拡大しない」との発言の真偽はともかくとして、侵攻前の米露外相会談でNATOの東方拡大はしないようにとのロシアの要望を米国は拒否したとの報道もあったが、ロシアは西欧諸国に対してかなりの不信感を持っていたのだろう。(これ以前にもNATOの加盟国が増えないようにと、加盟希望国に対して種々働きかけはしていたようだが、全く理解を得られないでいる。)
ロシア自身も昔から覇権主義の体質があり、他国を攻め込んだことは何回もあるので、このような国は自国の立場は分かっても、相手の立場を理解することは難しいようである。(所謂独善的思考に陥ってしまう。例えば今日の中国も然り。)

・クリミア半島はソ連時代にロシアがウクライナに編入したもので、その時はまさか今のように対立的立場になるとは思っていなかっただろうから、返せという気持ちも分からなくはない。(あくまでも気持ちの話。法的には無理がある。)

・ウクライナにもロシア系或いは親ロシアの住民はおり、この人たちの意思はどのように考えたらよいのだろうか。(統計ではウクライナに住むロシア系住民の割合は約2割、西部や中部の諸州では10%以下だが、東部と南部では10~50%で、中でもドンバス地方(ドネツク州、ルガンスク州)では約4割を占め、クリミア(自治)共和国では7割に及ぶ。)

*住民による分離独立運動は世界各地で見られるが、大半はその国の政府により押さえつけられてしまっている。これはどのように考えたらよいのか非常に難しい問題である。


(参考)

「NHK国際ニュースナビ 世界がわかるQ&A」
(【詳しく】ロシアはなぜウクライナに侵攻したのか?背景は?)
https://www3.nhk.or.jp/news/special/international_news_navi/articles/qa/2022/06/02/22500.html

「朝日新聞デジタル」
(【そもそも解説】ロシアはなぜ侵攻したのか? ウクライナ危機の背景)
https://digital.asahi.com/articles/ASQ3Q7XHRQ3LUHBI03X.html

「世界史の窓」(ロシア)
https://www.y-history.net/appendix/wh0602-052.html

「世界史の窓」(ウクライナ)
https://www.y-history.net/appendix/wh1501-119.html

 

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パレスチナ問題

2023-10-14 13:21:32 | 話の種

パレスチナ問題

10月7日にパレスチナ・ガザ地区のイスラム組織ハマスがイスラエルに対し大規模攻撃を行い、イスラエルもこれに対しガザ地区に空爆を行い、双方に多数の死傷者を出しながらも全く終息の見通しが立たないでいる。
今回のハマスの行為は勿論非難されるべきものだが、イスラエル側にこれ迄非がなかったかと言えばそうとも言えないところにこの問題の複雑さがある。(これ迄の欧米諸国の(アラブ諸国もだが)対応にも問題があったと言える。)

イスラエルとパレスチナ(及びアラブ諸国)はこれ迄幾度となく対立の歴史を繰り返しているが、それは何故なのだろうか。

パレスチナの歴史を簡単に振り返ると次のようになる。

パレスチナ地域はかつてオスマントルコ帝国が支配していたが、第1次世界大戦(1914-1918)後イギリスの委任統治領となり(1923-1948)、第2次世界大戦後の国連総会のパレスチナ分割決議(1947)により、この地域をユダヤ人とアラブ人の住む2つの国に分割することになった。(エルサレムは国際管理下に置く)
1948年5月14日にイスラエルは建国宣言を行ったが、パレスチナ側(アラブ諸国連盟)はこの分割に反発し翌日第1次中東戦争が始まり、その後も戦争の繰り返しとなってしまう。
(パレスチナというのは地域の名称。このパレスチナに住んでいるアラブ人をパレスチナ人と称している。)

*第1次中東戦争
パレスチナ側がこの分割に反発したのは、当時パレスチナの人口の2/3がアラブ人でユダヤ人は1/3に過ぎなかったが、パレスチナの土地の半分以上がユダヤ人に分割されることになったため。
この戦争はイスラエルの勝利に終わり、多くのアラブ人が土地を追い出されて難民となった。(パレスチナ難民 )

*第3次中東戦争
1964年にパレスチナ難民の中からパレスチナ解放機構(PLO)が結成されたが、これを警戒したイスラエルは1967年に自ら戦争を仕掛け、休戦ラインを越えて、国際法上認められていない地域まで占領した。(シナイ半島・ヨルダン川西岸・ガザ地区など)
(また、国際法に反するイスラエルの入植地活動も、これ以降加速する。)

*オスロ合意
1993年アメリカとノルウェーの仲介でパレスチナ暫定自治協定(オスロ合意)が成立、翌年パレスチナ暫定自治行政府(実体はPLO)が設立され、ヨルダン川西岸とガザ地区でのパレスチナ人による暫定自治(先行自治)が始まる。

*対立の再燃
2000年にイスラエルの右派のシャロン党首(翌年に首相となる)がエルサレムの「岩のドーム」(イスラム教の聖地)に立ち入り、これを見たイスラム教徒が暴徒化、これをきっかけにイスラエルの街中では爆弾テロが起こり、これに対しイスラエルはパレスチナの過激派の拠点の空爆を行い、対立が激化する。(シャロン政権はヨルダン川西岸地域に分離壁を作り、高さは最も高いところで8メートル、全長は700キロ以上にもなる。)
その後、パレスチナ側では過激派のハマスが台頭し、ヨルダン川西岸は穏健派のファタハが統治を続けているものの、ガザ地区は2006年の総選挙で第一党となったハマスが2007年より支配するようになり、パレスチナは分裂状態になった。
(イスラエルはガザ地区にも壁やフェンスを張り巡らしているので、この地区は非常に人口密度が高い上に、人や物の厳しい封鎖が続いていることから「天井のない監獄」と呼ばれている。)
ハマスはイスラエルの存在を認めておらず(一部のアラブ諸国にもその傾向はあるが)、その後幾度となくハマスとイスラエルの砲撃と空爆の応酬が続いており今日に至っている。
(欧米諸国もこれ迄、違法なイスラエルの入植活動に強い態度で出ることはなく既成事実化してしまっている。)

では何故このような対立が幾度となく続いているのかということだが、そのきっかけはイスラエルの建国にあると言える。

2000年程前、パレスチナにはユダヤ人の王国があったがローマ帝国に滅ぼされ、ユダヤ人はパレスチナを追い出され世界中に散り散りになり、永住の地がなくなってしまった。(ディアスポラ)
一方その後パレスチナの地には、変遷はあるもののアラブ人(パレスチナ人)が住み続けることになった。
散り散りになったユダヤ人だが、ヨーロッパではキリスト教が広まるとともに、イエス・キリストを処刑した者たちということで差別や迫害の対象となり、職業面でも普通の人がなかなか就かないような仕事に就かざるを得なかったが、その中でも金融業では、その需要が高まるにつれ富を蓄えるようになり、また教育にも力を入れたので、次第に知識階級の間でも影響力を持つようになった。
そして、ユダヤ人の間では、かつて自分たちの王国があったパレスチナに永住、安住の地を作ることが悲願となり(シオニズム)、第1次世界大戦時のイギリスの約束や(三枚舌外交だったが)、ナチス・ドイツによるホロコーストへの同情などもあったことより、第2次世界大戦後これが国連総会の決議で認められることになったもの。

*(悪名高い)イギリスの三枚舌外交
1915年 アラブ人に独立国家を約束(フセイン・マクマホン協定)
   (これはアラブ地域を支配していたオスマン帝国を切り崩すため)
1916年 フランスと中東を分割支配(サイクス・ピコ協定)
   (これにより結局オスマン帝国の領土は英仏で2分割することになる)
1917年 ユダヤ人に国家建設を支持(バルフォア宣言)
   (ユダヤ系の財閥、ロスチャイルドから資金援助を引き出すため)

*(サイクス・ピコ協定を加えずに二枚舌外交ということもある)

以上がイスラエル建国に至った理由だが、一方パレスチナ側からしたら、なんでこれ迄自分たちが住んでいた土地にイスラエルなどという国が作られるのだということになる。(しかも不平等な割合で)
過去ユダヤ人を差別、迫害してきたのはキリスト教徒であるヨーロッパ人で、何故今になって自分たちがその尻拭いをしなければならないのかということ。
ましてや、第1次中東戦争でイスラエルにより自分たちは未だに国も持てない難民となってしまい、これではたまったものではない。
もとを正せば、紛争の原因はイスラエルの建国にあり、国連総会の決議も欧米諸国の主導でなされたもので、自分たちの都合で勝手にパレスチナにイスラエルという国を作ったことにあるということになる。

これらを見てくると、アラブ諸国がこれ迄しばしば欧米諸国に反発してきたのも、単に宗教上の問題だけではなく根深いものがあり、この問題の解決は容易ではないと考えられる。
(今回の紛争で米英仏独伊の欧米5カ国がいち早く揃ってイスラエル支援を打ち出したのも問題の残るところと思われる。)


(参考)

「NHK みんなでプラス/クロ現 取材ノート」
(パレスチナ問題がわかる イスラエルとパレスチナ 対立のわけ)
 https://www.nhk.or.jp/minplus/0121/topic015.html

「世界史の窓」(中東問題/パレスチナ問題)
 https://www.y-history.net/appendix/wh1601-143.html

 

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