話の種

新聞やテレビ、雑誌などで、興味深かった記事や内容についての備忘録、感想、考察

オリンピックの若者たち

2024-08-31 16:10:13 | 話の種

「オリンピックの若者たち」

パリ・オリンピックも終了したが、今年もオリンピックでは様々な問題が浮かび上がっている。
曰く誤審問題・誹謗中傷問題・性別問題・紛争による参加国の問題など。
また各国のメダル争いも相変わらずの光景である。
しかし、これらの問題はさておき、私がオリンピックを見て感銘を受けたのはスケートボード、スポーツクライミングなど近年の新しい種目での若者たちのすがすがしさである。
これらの競技では、若者たちは国籍や勝敗など関係なく、自分の最高の技を披露することを目的とし、また相手も競争相手の素晴らしい演技には惜しみない拍手を送る。ここにはお互いの技を高め合い、競い合うというスポーツ本来の精神が宿っているように思える。

例えば東京オリンピックでのスポーツクライミングのボルダリングだが、選手同士が国籍に関係なく、どのようにルートを攻略するか相談し合う姿が強く印象に残っている。


これについてネット検索したところ、次のような記事があった。

〇「ライバル同士でルート相談「高め合う感じスポーツとしていい」」日刊スポーツ(2021年8月6日)

「2種目のボルダリングが行われる前に選手同士が互いにルートを相談し合う光景が、SNS上で注目されている。

高さ5メートル以下の人工壁に設定された複数の課題(コース)を制限時間内にどれだけ完登できたか競うボルダリングは、登る前にオブザベーション(下見)が許されている。限られた下見の時間で攻略方法を探ろうと、選手同士が知恵を出し合う様子が見られた。

決勝に残った日本勢の野中生萌(24=XFLAG)と野口啓代(32=TEAMau)も、互いに話し合う姿が見られた。
SNS上では「登る前に選手みんなで下見してどう登るか相談し合うのおもしろい!」「協力しながら高め合う感じ、スポーツとしていいなぁ」などの声が寄せられた。」


またスケートボードでも印象に残ったシーンがあったので、確か新聞記事の切り抜きを保存してあるはずと思い探したところ、下記記事が見つかった。

〇「スケボー、「新たな世界」開く「自分らしさ表現」価値置く」朝日新聞(2021年8月14日)(一部省略)

「スケートボード女子パーク決勝。最終滑走者だった岡本碧優(みすぐ)(15)は難易度の高い演技に挑戦し、転倒した。4位。技の難易度を下げて成功していれば表彰台の可能性もあった。控え場所へ戻ろうとしたところ、ブラジルや豪州の選手たちに突然、担ぎあげられた。「目標としていた演技ができなくて悔しい。でも、(担がれて)とてもうれしかった」

今大会で初めて五輪に採用されたスケートボードでは、演技が成功すれば他の選手たちも拍手を送り、失敗すれば我がことのように悔しがった。

日本勢の史上最年少出場で銀メダルを手にした開心那(ひらきここな)(12)が予選1本目の演技を終え、真っ先に駆け寄った相手はフィンランド代表リジー・アルマント(28)だった。都心の最高気温が34.4度だったこの日、アルマントは自らがさすパラソルを傾け、開を日陰に入れた。開は「五輪がすごい大会というのは分かっているんですけど……。全然緊張しなかった」。

英国代表の銅メダリスト、スカイ・ブラウン(13)は、金メダルの四十住(よそずみ)さくら(19)、開と3人で肩を組みながら記者会見場に現れ、言った。「一緒に表彰台に乗れてうれしい」

「スケートボードが新しい世界をみせてくれた」と語るのは、オリンピアンの為末大さんだ。

五輪において、日本のスポーツ界はこれまでの社会の価値観を反映していたと指摘する。「常に、決められたレースの中でランキングや勝利を重視していた。だから、『勝たなければ意味がない』という考え方になっていった」

これに対し、スケートボードが違う評価軸を示したとみる。「勝ち負けよりも『楽しんで自分らしさを表現する』という部分を大事にしていた」。他の競技はもちろん、社会全体にもこうした考え方が広がることを期待する。」

 

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米欧のダブルスタンダード

2024-08-29 20:38:37 | 話の種

「米欧のダブルスタンダード」 

この問題については、これまで諸問題に対する米欧の対応について当方疑問を抱くことが幾度かあったが、このダブルスタンダードがはっきりと世間に示されたのが、米欧のウクライナ問題に於ける対応と、イスラエルのガザ侵攻に対する対応の違いであろう。
そしてこのことを改めて強く感じたのが、今年の広島、長崎の平和祈念式典に於ける米欧の対応である。

今年の広島、長崎の平和祈念式典では、広島はイスラエルを招待したが(パレスチナは招待せず)、長崎はイスラエルを招待しなかったので(パレスチナは招待)、これに反発した米欧6か国(米、英、仏、カナダ、ドイツ、イタリア)の大使は長崎の式典には欠席した。
理由は「ロシアやベラルーシと違い、イスラエルは(イスラム組織ハマスの攻撃に対して)自衛権を行使している」(ロングボトム駐日英国大使)ということで、他の国も同様のようである。
これには当方愕然とした。

(参考:長崎の平和祈念式典についての大手新聞の記事で、パレスチナが招待されていることについて言及しているのは日経新聞だけで、他の新聞は全く言及がないようである。これには何か意図があってのことだろうか。)

当方若いころは、米国は自由及び民主主義の象徴として一番好きな国だったが、近年はその身勝手さが目につくようになり、これまでの米国経済の発展もその身勝手さによるものではないかと思うようになった。
(過去の自動車、半導体などの日米貿易摩擦、現在の半導体などの米中貿易摩擦など)

近年新興国や発展途上国の米欧離れが目につくのも、欧米流の価値観の押し付けということ以外に、このダブルスタンダード(二重基準)にこれらの国は嫌気が差しているからではないだろうか。
また近年民主主義の危機が言われるようになったのもこれらのことに起因しているものと思われる。

民主主義の危機ということについては「権威主義と民主主義」の項でも触れているが(参考:「権威主義と民主主義」https://blog.goo.ne.jp/sunny3/d/20230605 )、今回はこの米欧のダブルスタンダードについて過去の切り抜きをチェックしてみたところ次のようなものがあった。


〇「(日曜に想う)欧米の「二重基準」がもたらす代償は(編集委員・佐藤武嗣)2024年7月28日」

「米欧の首脳らが7月上中旬、ワシントンに集い、岸田文雄首相も参加した北大西洋条約機構(NATO)首脳会議。その共同宣言を見て、思わず、ため息をついてしまった。

宣言では、ウクライナに軍事侵攻したロシアを「国連憲章を含む国際法の明白な違反だ」と痛烈に批判。宣言文には「ロシア」が40回も登場し、ウクライナ勝利のための支援強化を確認した。残忍な戦闘を繰り返すロシアをNATO諸国が結束して非難するのは当然のことだ。

ただ、宣言文に「ガザ」や「イスラエル」の文言は見当たらない。国際司法裁判所(ICJ)がイスラエルのパレスチナ自治区への占領政策を「国際法違反だ」と勧告しても、ガザ情勢には見て見ぬふりだ。

トルコなどNATO内でも、バランスを欠いた対応に異を唱える国もある。スペインのサンチェス首相も「我々がウクライナを支援するのは国際法を擁護するからだ。ガザ問題にも同じ姿勢でなければならない」と、「二重基準」を改めるべきだと訴えた。確かにロシアの侵攻と、イスラム組織ハマスの攻撃への反撃としてのイスラエルのガザ侵攻では事情は異なる。だが、市民の巻き添えもいとわず、人道地域や病院、国連学校への爆撃を繰り返すイスラエルの行為は、国際法違反、人権侵害という点で、ロシアの蛮行と同じだ。

(中略)

民主主義国家の権威主義国家への対抗軸は、「力には力」ではなく、法の秩序や法の支配といった、理念や価値であるべきだ。欧米が、二重基準を続ければ、「法の秩序」を主張したところで、説得力を欠き、正当性が失われていく。それはロシアや中国など権威主義国家にとって好都合に働く。実際、欧米の二重基準を見透かし、中国は今月、パレスチナ自治区の各派代表を北京に招き、中東での仲介外交を演出した。

日米中やアジアの国防相らがシンガポールに集った6月のアジア安全保障会議で演説し、ロシアの国際法違反を指摘したウクライナのゼレンスキー大統領に、カンボジア代表が「それならイスラエルにも国際人道法の順守を求めるべきではないか」と質問。会場の一部から起きた拍手について、会場にいた神保謙・慶応大教授は「欧米と東南アジア諸国の価値観の対立を代表させるもの。アジア諸国は欧米の二重基準に不信感を抱いている」と見る。国際秩序の帰趨(きすう)を左右するグローバルサウスも欧米の対応を注視している。

(後略)」

この他に朝日新聞には次のような記事があった。(どれもガザ問題についての記事で、いずれも一部抜粋)

〇(ガザの衝撃 問われる世界)米だけの「正義」ではなく(アメリカ総局長・望月洋嗣) 2023年11月5日

「ロシアによる露骨な侵略が起きたウクライナ情勢をめぐり、バイデン氏は「正義は力を生む(Right makes Might)」と語り、抵抗を励ました。米国が道義的な優位を得るのは難しくなかった。

一方、激しい空爆を続けるイスラエルに対し、国際的批判は日増しに強まっている。ユダヤ系米国人は政財界や言論界で強い影響力を持ち、米国はイスラエルの建国以来、巨額の軍事援助を通じて支えてきた。その米国内でも、パレスチナ側への同情論が広がる。

だが米国は10月18日、国連安全保障理事会で拒否権を使い、戦闘の中断を求める決議案を葬り去った。単独で反対した米国にどれほどの「正義」があったのか疑わしい。

冷戦後、圧倒的覇権を得た米国が、イラク戦争などで示したのは「力こそ正義(Might makes right)」と言わんばかりのおごりだった。覇権に影が差し、米国は中国との競争に目を奪われるようになっていく。その虚を突いたガザの衝撃はウクライナでは見えにくかった米国の「二重基準」も浮き彫りにしている。」

〇(ガザの衝撃 問われる世界)信頼損なう、欧州の二面性 (ヨーロッパ総局長・杉山正)2023年11月7日

「欧州が説いてきた理念が「二重基準」に揺れている。

ガザの人道危機が深刻化して、欧州首脳らの発言に人道や支援の必要性が強くにじむようにはなった。だが、首脳らからイスラエルを強く直接いさめる言葉はほぼない。
「イスラエルには国際法と国際人道法に沿った形での自衛をする権利がある」。決まり文句として使われる言葉には、人道危機を止めようとする意思は感じられない。

欧州の姿勢には歴史など様々な背景もある。

ブリュッセル近郊のデモに参加したモロッコ系の男性が言った。「欧州はホロコーストの罪悪感からイスラエルを止めようとしない」
ベルギー人でイスラム教徒の友人が私にこう語った。「人道主義は強者の都合でしか適用されない」

パレスチナ問題は、アラブ民族運動を支援しつつ、ユダヤ人の国家建設にも甘い言葉をかけ、仏ロと第1次大戦後の中東地域の分割を秘密裏に決めた英国の「三枚舌外交」に端を発する。欧州側の責任も大きい。」

(参考:パレスチナ問題及び英国の三枚舌外交については下記の項を参照)
(「パレスチナ問題」https://blog.goo.ne.jp/sunny3/d/20231014 )


なお、今年の広島、長崎の平和祈念式典の問題については、朝日新聞の社説は次のように述べている。

〇(社説)被爆地の式典 納得できぬ米英の欠席 2024年8月10日

「どの国・地域に声をかけるかは、基本的に式典の開催地が決めることだろう。ところが米英側は、長崎市の決定に対して「イスラエルをロシアなどと同列に扱うのは誤解を招く」と反発した。

ハマスの奇襲を受けて戦闘を始めたイスラエルと、一方的にウクライナに侵略したロシアとは異なるものの、イスラエルは多くの市民を巻き添えにしており、けっして見過ごせない深刻な事態だ。

しかし主要7カ国(G7)はロシアを非難する一方、人道を軽視するイスラエルへの対応は鈍いままだ。この「二重基準」を、米英は被爆地にも持ち込んだとも言える。

被爆地でも、さまざまな意見がある。広島は、政府が国家承認している国の大使を基本にイスラエルも招いたが、被爆者団体からはイスラエルを除くよう申し入れがあった。長崎の判断に対しては、紛争当事国を含めて全ての国を招き、平和を訴えるべきだとの声も出ている。」

 

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