丸山暁の「僕の考えるブログ」

いろんな言葉、情報が世界を駆け巡っている今、僕の頭で、巷のこと、都会と田舎、世界のことを考えてみる。脱構築。

黒の時代ギャルが年とりゃ三輪明広か

2009-10-16 21:33:41 | Weblog
 

我が家の白菜も随分育ってきました。この時期けっこう蒔き始めたので、今年もいい白菜が出来るでしょう。だいたい40個ぐらいまともなのが出来れば大成功でしょう。我が家の白菜は完全無農薬有機栽培なので、青虫にとっても美味いらしく、3分の1ぐらいはやられてしまい、多いくそだったものも無傷もものは無い。それが自然の姿。

日本の農業がおかしくなったのは何故だろう。形や色、見た目をつき給する余り薬品付けにして、旬を捨てて味と栄養価を落とし、そんな野菜をありがたがっている。

消費者に聞けば、「少々傷ついたり曲っていても安全で美味しいほうがいい」といい、生産者もそれに越したことは無いだろうが、「農協を通せばそうわいかない」という。ここだけの話、最近大流行の産直とて、産直だから安全というわけではない。産直こそ、虫の食った白菜を見たことが無い。

さて、これは誰の責任でしょうか。最近の日本社会の清潔主義、白くなければ、除菌しなければと躍起になる社会現象と、野菜も似ているのでは。

最近もやっているが、あややの「私、見えない汚れで汚れてました」という宣伝は、今の社会を如術に著し、見えないなんかにおびえる閉塞感を煽っている。

あと、亭主の臭いを嫌がって、シュシュッとファブリーズとやらを振り掛けるコマーシャル。他人の臭いをクンクン嗅いで、「臭わない」と満足げなレノアの宣伝。このあたりは見たくないコマーシャルである。人間の人間性を否定し、画一化無機質に向かわせる。

不況だからしようが無いのかもしれないが、最近の就職運動学生の洋服が、見事に真っ黒になってしまった。学生だけではなく、サラリーマン全てが、真っ黒。

すこし、ファッション業界から世の中を明るくする動きでも出ればいいのだが。女の子相手のかわいいファションは大評判なのに、それが大人の社会風俗には寄与していない。僕らが青春時代からジーパンを今でもはくように、今のギャルたちが大人になれば、みんな三輪明広のようになるのだろうか。それも不気味である。