先日紹介した蜘蛛の糸のモビールを切り取って机の前につるして見ましたが、なかなか立派な作品となりました。最近の現代美術はというと、大きな倉庫や美術館の部屋一杯に、レールを引いたり布をたらしたり小石をばらまいたり竹を組んだり・・・映像を映したりして時代批評的なテーマに、屁理屈こねたものが多いが、こういう蜘蛛と葉っぱの織り成す造形を切り取ってみるのも立派な現代美術でしょう。皆さんも、身の回りにある何かsomethingをそっと切り取って、具体的にでも心の中でも、自分だけの芸術作品を楽しんでみてはいかがでしょう。今正に芸術の秋です。なぜ芸術の秋なのだろうか?
現代と言う時代、何もかもがお金や権威主義(権威がお金を呼び込み、お金が権威を生む?)に社会が揺れ動く。今まだやっているかどうか知らないが光と静寂の画家フェルメールが来たとやたら騒いでいる。確かにフェルメールはたいした絵描きだが、それ程画期的な作品だろうか、フェルメールの作品の少なさと、贋作の多さで一時期世を騒がせたから、フェルメールもこれほど有名になったのではないだろうか。かの世紀を越えた世界のダビンチのモナリザとて、ルーブル美術館の大きな壁にちょこんと展示しているのを見たが、「ああこれがモナリザ」てなもので、特に感動したと記憶もない。モナリザはすごいとはやし立て学校でも教え行列が出来るからモナリザはすごくなってしまったので、ダビンチの多くのデッサンにこそ魂をえぐるような凄みを感じることがある。
今度の金融バブル崩壊で、成金相手の売れっ子現代美術家が一気に貧乏画家に転落と言う事態の起こるのではないか。この間の日本のバブル崩壊でも、銀座の画廊がバタバタ潰れました。その後の現代美術は、どうも軽薄漫画チックなものがもてはやされたようですが、やっぱり芸術家、特に現代作家は反社会的で貧乏でなければ嘘です。そういう意味では、僕など必要条件は備わっているのだが、やっぱり世に出なくては作品はただのゴミ?
日本では、どうも煮え切らないウナギ犬麻生太郎(漫画好きの麻生太郎をウナギ犬に例える人が出てきませんね)が蛸壺にはまり込んだようだが、海の向こう芸術の国フランスのサルコジ大統領も、穴のアナが小さい男のようです。国内のオモチャメーカーがアフリカの呪術をまねた「サルコジのろいの釘うち人形(釘を打ち付けて呪い殺し遊びをする人形)」を発売したところ、サルコジが怒って裁判所に販売中止を訴えた。裁判所は「サルコジと言う存在を対象としているのではなく、サルコジ大統領の政策や考え方を批判しており、且つ冗談だからいいじゃないの」という判断だったが、サルコジは上告するという。どいつもこいつも世界の為政者は小さくなった。そうそう、公明党の大田代表が解散を延ばしている麻生太郎に「誰のお陰で総理大臣になった」といらついたという、どいつもこいつもである。