数日前の天気予報では、今日辺りから晴れる予報だったが、今日も一日中雨、明日も雨、これほど雨が続くと、もう晴れ間には出会えないのではないかと絶望的になる。そんな時の神頼みだが、神も自然の一部なら、もしくは自然の統合かもしれないが、この天気も神のなせる業、神に祈っても仕様がない。さてさて、困ったものだ。また数日晴れ間はお預けのようだ。温暖化になると、異常気象が当たりまえになるというのは現実味を帯びてきた。アメリカの南東部にまたカテゴリー5の巨大ハリケーンが6月2日に上陸するという。100万人に「とにかく逃げろ」と州知事が指示を出した。既に人類は、改めて自然から隠れ、逃れ生き延びる存在に、数千年前の人類誕生のころの姿に、舞い戻ったのか。
さて、日本の東京に、今のような集中豪雨と巨大台風が重なったら、間違いなく江東区や墨田区板橋区は水没するだろう。都心の港区や品川区とて水没の可能性がある。これが夢物語ではないことは、既にシミュレーション済みである。確率的には、これから毎年30%ぐらいの確立で起きるのではいか。アメリカは、ハリケーンの予想に対して100万人に逃げろと指示を出し、住民も車や、列車バスで脱出を始めたようだが、そのとき、石原都知事はどう動くのか。数百万人、2百万人ぐらいの都民に「とにかく逃げろ」と支持を出し、対処しようとするのだろうか。いったい何処へ?
耐震対策を見ても、もし都心が水没しても、首都機能が壊滅しても「こんな災害実際に起こるとは誰も思ってないよ、あんただってそうだから東京に住んでいたんだろ」程度のところではないか。しかし、関東大震災も、首都水没も夢ではない。何度も言うがオリンピックどころではない。狂乱的再開発どころではない。改めて、だから僕はゼネコンを辞めた。今日のテーマは別でした。
今の日本の政策、もしくはビジョンは、日本人に「消費動物と化せ、さもなくば精神分裂病におちいれ」と脅しをかけているようなものである。ここ10数年来、環境意識を高め、物を大切にもったいないの精神を子どもたちに植付けやっと多くの大人も、その気になったら、今度は消費拡大内需拡大、もっと物を買え消費せよときた。せっかく身につけた倹約の思想は、何処に行けばいいのだ。勿論、経済的に豊かなら、新しい製品にとびついていくのかもしれないが、それは、バカな金持ちに任せておけばいい。例えばノーベル平和賞をとったゴア副大統領のような年間300万円も電気代を使って。
やはり、今必要なのは、大量生産大量消費の構造ではなく、必要なものを生産し、身体的(医療や教育や文化)に満たされる社会を作ることではないか。それが、どんな社会なのか、ここで今具体的社会モデルを提示できないが(おいおい提示したいと考えている)。
今後も拡大しそうな、グローバルな消費社会では、やっぱり特権的富裕層(日本の場合、世界も一緒か、多くは成金的富裕層だが)と、その消費行動を真似ようとする群集のひがみ的欲望社会になってしまうのではないか。
若手俳優の柳楽優弥が自殺未遂をしたようだが、天災少年とおだてられ、自分もその気になったため、ただの青少年であることで生きられなくなってしまったのと同じように、一度手に入った欲望はなかなか捨てられない。常に何かに追いつこうとしている。
今の社会も、実は、生きていられるだけで、程ほどに暮らしていけるだけで、人間は幸せを見出せる能力、関係性を持てるはずなのに、個々を孤立化して競わせ消費動物に化そうと社会が動いている。
貧しき芸人たちが、体を張って、自尊心を捨て、虚飾を競い合い、下品なエド・はるみが24時間TVでお茶の間のスターになる。勿論頑張ることは悪いことではない。しかし下品な芸は化け物小屋や見世物小屋だけにしておいて欲しいのだが、さてさて、僕の考え方がゆがんいるのだろうか。現代社会で自己分裂するのは僕だったりして・・・・?