丸山暁の「僕の考えるブログ」

いろんな言葉、情報が世界を駆け巡っている今、僕の頭で、巷のこと、都会と田舎、世界のことを考えてみる。脱構築。

精神分裂社会とエド・はるみ

2008-08-31 21:54:27 | Weblog
 

数日前の天気予報では、今日辺りから晴れる予報だったが、今日も一日中雨、明日も雨、これほど雨が続くと、もう晴れ間には出会えないのではないかと絶望的になる。そんな時の神頼みだが、神も自然の一部なら、もしくは自然の統合かもしれないが、この天気も神のなせる業、神に祈っても仕様がない。さてさて、困ったものだ。また数日晴れ間はお預けのようだ。温暖化になると、異常気象が当たりまえになるというのは現実味を帯びてきた。アメリカの南東部にまたカテゴリー5の巨大ハリケーンが62日に上陸するという。100万人に「とにかく逃げろ」と州知事が指示を出した。既に人類は、改めて自然から隠れ、逃れ生き延びる存在に、数千年前の人類誕生のころの姿に、舞い戻ったのか。

 さて、日本の東京に、今のような集中豪雨と巨大台風が重なったら、間違いなく江東区や墨田区板橋区は水没するだろう。都心の港区や品川区とて水没の可能性がある。これが夢物語ではないことは、既にシミュレーション済みである。確率的には、これから毎年30%ぐらいの確立で起きるのではいか。アメリカは、ハリケーンの予想に対して100万人に逃げろと指示を出し、住民も車や、列車バスで脱出を始めたようだが、そのとき、石原都知事はどう動くのか。数百万人、2百万人ぐらいの都民に「とにかく逃げろ」と支持を出し、対処しようとするのだろうか。いったい何処へ?

耐震対策を見ても、もし都心が水没しても、首都機能が壊滅しても「こんな災害実際に起こるとは誰も思ってないよ、あんただってそうだから東京に住んでいたんだろ」程度のところではないか。しかし、関東大震災も、首都水没も夢ではない。何度も言うがオリンピックどころではない。狂乱的再開発どころではない。改めて、だから僕はゼネコンを辞めた。今日のテーマは別でした。

今の日本の政策、もしくはビジョンは、日本人に「消費動物と化せ、さもなくば精神分裂病におちいれ」と脅しをかけているようなものである。ここ10数年来、環境意識を高め、物を大切にもったいないの精神を子どもたちに植付けやっと多くの大人も、その気になったら、今度は消費拡大内需拡大、もっと物を買え消費せよときた。せっかく身につけた倹約の思想は、何処に行けばいいのだ。勿論、経済的に豊かなら、新しい製品にとびついていくのかもしれないが、それは、バカな金持ちに任せておけばいい。例えばノーベル平和賞をとったゴア副大統領のような年間300万円も電気代を使って。

やはり、今必要なのは、大量生産大量消費の構造ではなく、必要なものを生産し、身体的(医療や教育や文化)に満たされる社会を作ることではないか。それが、どんな社会なのか、ここで今具体的社会モデルを提示できないが(おいおい提示したいと考えている)。

今後も拡大しそうな、グローバルな消費社会では、やっぱり特権的富裕層(日本の場合、世界も一緒か、多くは成金的富裕層だが)と、その消費行動を真似ようとする群集のひがみ的欲望社会になってしまうのではないか。

若手俳優の柳楽優弥が自殺未遂をしたようだが、天災少年とおだてられ、自分もその気になったため、ただの青少年であることで生きられなくなってしまったのと同じように、一度手に入った欲望はなかなか捨てられない。常に何かに追いつこうとしている。

今の社会も、実は、生きていられるだけで、程ほどに暮らしていけるだけで、人間は幸せを見出せる能力、関係性を持てるはずなのに、個々を孤立化して競わせ消費動物に化そうと社会が動いている。

貧しき芸人たちが、体を張って、自尊心を捨て、虚飾を競い合い、下品なエド・はるみが24時間TVでお茶の間のスターになる。勿論頑張ることは悪いことではない。しかし下品な芸は化け物小屋や見世物小屋だけにしておいて欲しいのだが、さてさて、僕の考え方がゆがんいるのだろうか。現代社会で自己分裂するのは僕だったりして・・・・?


民主党は姫井議員をたたき出せ

2008-08-30 21:41:55 | 社会批評
 

今朝見つけた、スコップの柄にしがみつくアマガエル。なんを好き好んで、こんな場所で一夜を明かしたのか分からないが、必死でしがみついているかに見える、実際は吸盤のような手足で気楽なものなのだろうが、小さなアマガエルはなんともかわいいものです。

それにひきかえ、よりによって議員の椅子に必死でしがみつこうとする、ヒキガエル以上に醜い大馬鹿女、姫井由美子などという女を議席数確保のためとはいえ民主党に引き止めておいたとは、民主党も地に落ちた。一端、辞表を出したのだから、そのまま受理してたたき出しておけばよかったではないか。

政治はひとなり、そんな言葉はあるが現実は政治は金と名誉欲、それでも多少なりとも人間性ある政治家を期待せざる負えないのが選挙民なら、あんな馬鹿女がしがみついた政党の支持は相当減ったのではないか。今の1議席より選挙後の数議席の方が大事ではないか。今必要なのは政治への信頼性である、あれだけ醜く人目もはばからずころころ寝返る人間を誰が信じよう。今からでも遅くない、民主党は姫井議員に辞職勧告を叩き付けなさい。そうでないと、ますます曖昧と思われている民主党がいい加減になり、支持を激減させますよ。反自民の僕とて、民主党という政党をなかなか信用できない。

それと、どうせ早晩潰れる福田政権だが、太田農水大臣を自力で辞めさせられなければ、福田政権は安倍政権の二の舞になりますよ。政治家とは、特にこのところの農水大臣は、政治家とはごまかす能力があればいいと、おおぴらにTVの前で大見得切っているようなもの。

さあ、困った2大政党だと言ってみても、自民も民主にも入れたくない、といって社民はたよりないし、共産党も本当は何をやりたいのかわからないし、公明党は無視、今度の衆院選挙は本当は日本にとって大事な選挙だが、棄権するしかないかも。

とりあえず、民主党よビジョンを明確にして、足元を正せ、まず姫井議員をたたき出せ。彼女の口から政治的言動が出たことは一度もない「姫の虎退治」が政治言語か、大ばか者。

国家の先行きなんていい加減のもの、日本どころか世界を左右しかねないアメリカ大統領選でマケイン候補の副大統領候補は、ミスアラスカの白人美人州知事、4児の母、息子がイラク戦争派遣、全く絵に書いたような劇場政治である。

経済は国家を通り越し動き出した、市民も国家を乗り越えて世界市民として連帯しなければ、市民は国家の道具になってしまう。国家や民族を超えて世界市民に尽くしてきたペシャワール会の伊藤和也さんがアフガニスタンで日本人として殺された。彼は世界市民なのに、米軍に協力する日本国家の国民ととらえられてしまう。市民、世界市民という概念はまだ世界にはない。まだ、この国にも市民と言う概念は薄い。まして、世界市民は。


終末時計は進んだ

2008-08-29 21:56:10 | Weblog
 

以前オランダを旅した時、人口500人の小さな村ヒンデローペンで立ち寄った居酒屋で、鼻毛をちょろつかせた酔っ払ったヒンケオバサンが自慢げに言った「ダッチカラー、オランダの空はこの絵の様にいつも青空だ」。彼女とはなしが弾んで僕が広島で暮らしていたことを話すと、彼女は言った「私の願いはただ一つ、世界が平和になることよ」

今また世界は戦乱の世になった。アメリカMDポーランド配備、アフガン、イラク、グルジア、ロシア新しい冷戦・・・日本とて、世界はいつ終末を迎えるか分からなくなった、今かもしれない明日かも。

今日は煮え切らない会議に出て、そんな気持ちになった。


子どもたちが死んでいく

2008-08-28 21:54:36 | 社会批評
 

この花たちは既に死んでいる。花が死ぬとはどういうことなのか、なかなか定義が難しい。動物なら心肺停止とか、脳の機能停止とか、いわゆる身体が全て動きを止めたときが死なのだが、花の場合は、成長のシステムを遮断した時、すなわち栄養を吸収する根っこから切り離した時を死としよう。ただ、それでも植物は、生け花のように茎から養分を吸収して成長もし花も咲かせるが、まあ、ここではあまり深く追求しないでおこう。

昨日だったか、花は花であるだけで美しいと書きました。さて、この花たちは美しいのでしょうか。このシーンを現代美術の1コマと見れば、ある人にとっては美しい。しかし、それは、特異な見方であって、一般的には、このはなたちは死んでいる。屍である。しかも堆肥に捨てられて。やはり、一輪一輪は花の形を保ってはいるが、このはなたちの花としての美しさは失われたのだろう。

切り取られた花でも、必要とされ、花瓶なり、コップでも大事に花として扱われているならそれは死んでいるかもしれないが活き活きとして美しい。

ここ数日書いている女性の美しさだが、最近のいわゆる女の子たちの着飾り方、代表的には渋谷109あたりのファッションを見ると、人間の生気を感じない、単なる物体に色をちりばめたような、すなわち、堆肥の上に積み重ねられた摘み取られた花たちと、同じ感覚を持ってしまう。死んだ花たち、死にはしなくても生気なき花たち。

最近セックス&シティとかいう、アメリカの最前線の女たちの映画、ファッションが話題になっているが、TVのコマーシャルや新聞評で見る限り、彼女たちの装いは本当に美しいのだろうか、ただ、流行と言うものを鼓舞するだけの宣伝ウーマンでしかないのではないか。皆さんもご存知のように、ファションは既に時代遅れを繰り返しているだけである。過剰な倦怠な社会にファッションは意味を持つ。

今日言いたかったのはここではない。さて、生気なき子どもたち。すなわち、日本の子どもたちは生きながら摘み取られてしまっているようだ。

 今日はちょっと忙しくなったので、結論だけ。

日中米の中学生に「自分に満足、まあまあ良い人間だ」という問いを出したところ、米50%中20%日10%だった。この実体が、この国の未来である。子どもは、特に中学生ぐらいでは、思春期で悩んではいても、何かと戦う意欲の高まりつつある時期で、自己否定をしな最も輝くべき時である。その時期日本の中学生の90%が自分を否定しているのである。この現実を多くの大人は、特に教育者や政治家は分かっていない。太田農水大臣や福田首相、なんだかこの時とばかり民主の一派が新党結成に動き出した(どうせ、次ぎに優勢な政党とくっつこうと言う腹だろう)政治家たちに、子どもたちの苦悩は分かるまい。


品格なき坂東真理子と太田農水大臣

2008-08-27 22:05:12 | Weblog
 

昨日今日といい天気になり、小一時間大根やらターサイやら春菊やらの種を蒔いた。今年の農作用は、全く一日逃すと、大きくずれ込んでしまうほど、天候が不順である。それでも、動物的感が備わってきたのか、その一日を逃がさずに農作業が出来るようになった、特に上さんの動物的感はたいしたものだ、東京新橋生れで、20有余まで東京を離れたことのないものが、田舎暮らしを10数年すれば、野生の本能がよみがえるものなのか。文化と自然の程よい融合は美しい。

昨日は、女性が美しくなくなってきた話を書いたが、都会で作為的に作られたそのあたりのある、流行とやらを身につけ、着飾って生きるより、今そのときを生きるための衣を身にまとう女性は美しい。

食後ちょっとTVを付けたら、サンマと工藤静と飯島直子の番組に宝塚歌劇団の乙女達が私服で出ていたが、職業、舞台としての衣装は演出的に華美であるが、普段着の彼女たちは、今、昨日書いたチャラチャラした華美な衣装を身につけていない。どちらかと言うと、清楚でありシックな装いをしていた。それが、女性の美しさである。

さすが宝塚、世のチャラチャラした芸人たちでなく、日本には宝塚という女の伝道がある。

もう一つ、彼女たちの凛々しさ、品格は、彼女たちの舞台以外には、めったやたらにしゃしゃり出てこないことにある。彼女たちがその辺の芸人やジャリタレの如くTVに出てくれば、宝塚の品格は落ちる。

それが分かっていなかったのが、実は『女性の品格』を書いた坂東真理子である。彼女の品格は、最近TVのオリコウサンオバカサン的な番組に(まともに見たことはないが)オリコウサン的な装いで得々としてお馬鹿ぶりを発揮していることで、地に落ちた。このことは、『国家の品格』のあとのドジョウ『女性の品格』で書いたが。

もう一人今品格なき人間は、面つきも態度も言動も人間的にも政治家としては当然(残念ながらかれこそ典型的な政治家だが)太田大臣であろう。ここでは何故とは言うまい。しかし、これだけは言える、何故今彼を農水大臣にしたかは、福田首相ではなく神の声である。自民党のここ2,3年で繰りかえした人間も入れれば6回ぐらい変わっているはずである、もしも神が平静を装うなら、また、こんなすぐ欠陥のでる太田大臣を出すはずがない。これは今すぐ福田内閣、自民党政治を終わりのしなさいという神の啓示である。日本国民がもし、この神の啓示を無視するようなら、日本はソドムかノアの箱舟の如く崩壊するだろう。それが関東、東南海、関東大震災、その上富士山噴火で日本沈没かもしれない。


女が美しくなくなった、読まなくて結構です

2008-08-26 21:20:11 | Weblog
 

今日は一日中ではないが、久々の青空、花たちも終わり行く夏を楽しんでいるようだ、空には秋の雲。空に向かって鮮やかだが凛と胸を張るこの花たちは美しい。この花を美しい、あるいは奇麗と評することに異を唱える方々は少ないだろう。花は、大体どんな花でも美しい、中には食虫花のように、食虫花と呼ばれているから毒々しく見えるので、そうと知らねば、やはり、美しいのではないか。まず、花は大体美しい。

今日は、まとまっていないのでここからは読まなくて結構です。

さて、女性は、女性であることで、少なくとも男性にとっては、魅力的すなわち美しいものである。その証拠に、本来なら、ほとんどの男性は、結婚する(ある程度安定した社会なら)結婚するということは、その相手になるだけの女性がいるわけである。この話は一昔前のことかもしれない。なぜなら現代の東京の20代~40代の4割だか5割は男女共に結婚していない、田舎でもこの傾向はある。この現象は、現代社会の異常現象であり、本来の姿ではないと、一応しておこう。大体、安定した社会では、概ね成人すれば結婚するということで社会が継続できる。よく一人で生きて何が悪いというが、3世代一人で生きれば社会は消滅するのです。この結婚とは、戸籍上の結婚である必要なないが。

本来、どんな女性でも女性であれば男にとっては美しいものなのである。一見ブスに見えても、自分では可愛くないと思っていても、デブだからと卑下していても、案外男は、そういう女性にも美しさ、可愛さを感じるものである。これは、世間を見ればよく分かる。結構いい男(才能や人間性のある男)が、あれ、という女性を一生の伴侶に選んでいる。その逆も多いにあることだ。

それなのに、最近は、恋愛や結婚をする男女が減ってきてしまった、何故だろう。動物なら、適齢期、繁殖期が来れば自然に引き合い結婚するものである(ちょっと子ども向きの表現ですね)。では、何故、最近結婚する男女が減ってきてしまったのか。それは、女性がただケバくなるだけで美しくなくなってきたこと、そして、男性が虚勢されたことによる。

女性は過剰に着飾り、露出が増えて、いつも繁殖期の雄鳥のように、女性性を鼓舞する。

これが、動物なら、刺激を受けたオスは、すぐに襲ってしまえばいいのだが、人間はそうは行かない。ちらりと見ればスケベといわれ、手や肩に触れればセクハラといわれ、男の素直な欲望を素直に表現できなくなってきて、ただ目の前に餌をちらつかせるだけで、耐えているしかない。そのうち諦めもあり、段々去勢されてしまった。

確かに経済的に結婚できないという面もあろうが、年収200万のカップルでも若いうちなら愛があればやっていけるはずだが、そんなロマンも消え去った。

この傾向は、バブル期のパラパラや渋谷ギャルや、チャラチャラした海老もえあたりがもてはやされるようになり、その傾向は強くなってきたのではないか。女が着飾れば着飾るほど化粧が厚くなるほど、虚飾の道具となった時から、女は女を捨てて美しくなくなった。そして男は意欲(女を捕まる意欲)をなくしていった。

 


五輪と国家、小沢では選挙に勝てないかも?

2008-08-25 21:28:45 | Weblog
 

今日の午前中で、第一薪小屋が一杯になった。これで、冬の備えは出来た。今はまだ夏だが、薪小屋が一杯になると、豊かな気持ちになれる。ただ、ブルーシートはいただけない。薪を積み終わった途端に、雨が降ってきたから急遽かけておいたが、我が家の風景としては許せない。このブルーシートももう少し濃いブルーか、モスグリーンに近くなれば、結構絵になるのだが、この明るいブルーはどうもいただけない。いずれ考えなければ。

 北京オリンピックも終わったが、オリンピックはスポーツの祭典であると共に国家発揚の祭典だろう。いつもは、日本なんて、といっていても、やっぱり日本選手を応援し、日本人が金メダルをとればうれしくなるものだ。

ただ、オリンピックもこのまま、国家発揚の祭典として、あり続けていいものかどうかは、冷静に考え直す必要がある。特に今回の北京オリンピックでは、監視システムが強化されオリンピック批判派の世論は完全に押さえ込まれた。そのことを知りながら世界は何も言えず、オリンピックの成功だけが中国内外に鼓舞される。きっと中国政府は益々市場経済を推し進め、内部労働者を抑圧するだろう。

中国がオリンピックで世界に誇示したもうひとつは、コンパニオンの美女たちである。表彰式や選手の誘導では、選手以上にコンパニオンに目を凝らしてしまった。お前がスケベーだからだ、といわれればそれまでだが、ここにも中国の底力を見せ付けられた。東京カワイイやお馬鹿さんをやっている間に、世界の目は確実に中国を向いていくだろう。日本女性は、僕の現役時代では、ミニスカートで闊歩し始めた時代の日本女性が、最も輝いていたのではないか。最近の、茶髪に染めたチャラチャラした衣装の女どもは、女としても人間としても全く魅力を感じない。まあ、僕も57歳だからね。

話しは真面目に戻って、アフガニスタンでは米軍の空爆で80人の民間人が(一部はいわゆるタリバンなのだろうが)殺された、そのことにもう世界世論は何も感じなくなった。日本政府は、アメリカの空爆を、殺人を支援するためインド洋自衛隊給油を続けようとしている。野田氏は民主党代表選挙を降りた。先の参院選で民主党が勝利したのは、小沢が代表だったからではない。反自民がそうさせただけである。小沢が首相になるなら(何を考えているのか、国の向かう方向を示しえていない)、民主党には投票しないという世論が多くいることに民主党は気づいていない。すなわち、国家というもの自体が危ういものになりつつある時、新たな国家像が求められているのです。一緒に考えましょう。


驕りの星野監督と平等社会

2008-08-24 22:03:49 | Weblog
 

一週間前に蒔いた白菜が、芽を出した。今はみんな仲良く育ち始めたが、間引いていずれ数本に、最後は一本になる。栴檀は双葉よりかんばし。この双葉の中で、生き残っていくのは既に数本予測できる。ほぼ同条件で蒔いた種だが、種の落ちた場所、覆った土の厚さ、

堆肥の加減などで、彼らの運命が決まってくる。

人間も似たようなもの、生れ落ちた命の重みは同じだろうが、生れた家庭、経済状態、家庭環境で、こどもの将来の多くの部分が左右されるようになってきた。低所得者層の子供と高所得者層の子どもでは明らかな進路の差があり、それが構造化してきた。ただ、人間と野菜と違うのは、育ちが悪いからといって、むしり取られることはない。何とか、生きていけば、大きく育つチャンスもある。そこが人間の面白さである。

最近日本でも格差が拡大し、社会問題化しているが、これからの社会状況を考えれば、改善されることなく、格差は益々拡大していくのではないか。なぜなら、日本のすすむ方向は、まだまだアメリカを後追いしているからである。如何にアメリカは斜陽国家になっといっても、まだまだ最大の経済大国であり、消費大国であることは間違いない。そして、情けなきことに、日本の景気回復は、アメリカ頼み、中国もあろうが、である。

では、もしアメリカの景気が回復し、中国、インドの需要の伸びたとして、日本社会全体が潤うかといえば、もうそういう時代はこないのではないか。大手企業の正社員は、そこそこの賃金増加はあるかもしれないが、大多数の勤労者は、グローバル経済、労働環境の中で、職を失うか、低賃金労働を余儀なくされるだろう。このことは、既にアメリカやドイツ、フランスが証明したことであり、日本とて免れない。

では、そのとき何が、個人を子どもを救うのかといえば、社会制度、社会福祉しかない。それが国家の役割である。しかし、今の福田政権の景気対策は、全く過去の遺物的ばら撒きであり、多分また、大手ゼネコンが多少潤い、末端業者には配分は行き渡らないだろう。

では、この国は、どうなればいいのか、簡単である。貧しくとも明るさを失わないキューバを見習い、教育(大学まで)と医療がただになればいいのである。そうすれば、生れ落ちた人間がほぼ平等になれるのであり、その後は個人の責任といえる。そうではなく、福田や麻生や安倍や小泉など食うに困ったことのない、出来が悪くても23世政治家が、治める国には、そのような根本的な社会改革は出来ないだろう。まず、2世政治家禁止法案である。

追伸、今度のオリンピックで最も惨めだったのは、最後まで星野ジャパンである。彼の驕りは最後まで消えなかった。晩飯の時TVでやっていた、帰国した星野監督談「オリンピックは強いものが勝つのではなく、勝者が強いのである」、まず、この言葉には何の意味もなく、星野ジャパンは本当は強いのだと虚勢を張っただけ、彼は、こういうべきだった「オリンピックでは強いものが勝つのではなく、勝った者が勇者、英雄なのだ」、最も強いアメリカに勝った女子ソフトボールのように。


氷河期突入、ローカリズムの時代

2008-08-23 22:02:47 | Weblog
 

ここのところ気温が下がって9月下旬の陽気、昨夜ストーブに火を入れて、今日は本格的に炊いている。ほぼ薪割りが終わったが、8月の下旬からこれでは、少々心配である。これはひょっとしたら、人間の温室効果ガスの影響より氷河期に移行するスピードの方が速まったのかと思ってしまう。実際に氷河期に入るグリーンランドの過去の記録では、10年で気温が15℃変化したという。ノアの洪水は一日で起きたことだし、氷河期も案外数年で起きるかもしれない。そうであれば、温暖化対策なんてとんでもないことになる。

ただ、問題は、氷河期に移行する地球規模での原因は、氷床の海への溶け込みが増大して塩分濃度が減少し海流が止まることのようだ。そうだとすれば、氷河期への突入も、人間の温暖化が招いたこと、時既に遅し。

さてさて、本当のところは神のみぞ知る。案外、人間がじたばたするより、地球規模では、おおらかに事が起こっているのかもしれない。勿論、それは、人間に都合の良い言葉ばかりではない。人類が滅亡する事だって起こりうる。

人類が滅亡したら、魂は、何処に行くのだろうか。魂を察知する人間がいなければ、魂は存在しないに等しい。

てなところで、人類が滅亡と言っても、全ての人類が一人残らず壊滅することはないだろう、氷河期でも人類は生き残ってきたのだし、地球上がインドになろうが北極になろうが何処かで人間は生きている。

さて、これからの文明論は、ここからはするのではないか、すなわち「サバイバル文明」。世界はまだ、市場経済、グローバルだの、言っているが、実は人類は、それを通り越してサバイバル時代にもうすぐ突入するのではないか。その時代を生き残る術は、正にローカル主義(そんな言葉はまだないが)、生きる術は地域で得る、しかないのではないか。僕は、今、その途上を生きているのも知れない。自己満足において・・・・・。

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蟻んこ大国日本

2008-08-22 21:55:09 | 社会批評
 

今日薪を割っていて、丸太を台にのっけると、なんと2匹のアリが、獲物のキクイムシの幼虫を引っ張り合っているではないか、本当はもう一匹いたのだが、カメラを取りに行っている間に、諦めたのか逃げ出してしまった。

彼らは、何のために引っ張りあっているかといえば、多分、この獲物を巣に運ぶためなのだろう。であれば、どちらかが諦めれば、簡単のことなのに、それぞれがただ、自分の役割を忠実に果たしているつもりで、無駄に疲れ切っているだけです。どっちかが気が付いて「お、ここのところは君に任すよ」といえば、次ぎの奴は、また新しい餌を探せるのに、蟻んこにはそういう比較分析ということが出来ないから、いつまでも引っ張り合っている。

僕も彼らが、やりたいだけやらせておいても良かったのだが、アリ並に働いて冬に備えなくてはならないので、一刀両断マサカリを振り下ろした次第。アーメン。

このアリたちを見ていて、この国の政治家や官僚たちのことを考えた、日本国の政治家や官僚は、多分、蟻んこよりは立派な頭をもっている。これは進化論的にも大きさにおいても確かだろう。しかし、彼らがやっていることは、蟻んこ並である。

先に決裂したWTOの会議での、日本の交渉は、農業、鉱工業の戦略がバラバラ(農水省と通産省)で、お互い情報も共有せず戦略も共に練らないで、テンデンバラバラに会議に臨んでるから、海外の出席者は「日本はいったい何を考えているのか分からない」と思われているようだ。

これでは日本の政策は蟻んこ並である。このことは対外交渉だけでなく、通産や国交省、農水省など関連事業が相変わらず縦割りであることと同じ弊害がある。

もう一つ蟻んこ並の政策が、今の税制である。やっと稼いだ所得から、所得税、年金、健康保険、介護保険その上後期高齢者医療制度の天引きと、大きな意味での税制がバラバラで、各事業予算あわせで国民からバラバラに税金を吸い上げていく。あげくの果てに、内需はしぼみ、命もしぼむ。安泰なのは、選挙で当選した先生方と、役人だけである。

政治家や官僚が、もうちょっと蟻以上の頭を持ち、既得権益、官僚的利益をむさぼらなければ、この国はもう少し良くなるのだが、国民は蟻の如く働いてやせ細り、蟻並みの政治家、官僚がこの国を支配している。蟻大国日本。