春のこの一時だけ花咲く、スピノシマという可憐な白い薔薇は、花開いて数日で散っていく。ZARDの坂井泉水さんが不慮の事故で無くなった。坂井泉水さんの魂にこの白い薔薇を捧げる。
僕は、ポップスはその時代その時代に流行っている曲を聞き流す程度だが、ZARDの「負けないで・・」と歌う、彼女のさわやかで、弾むような歌声は、この十年間何度も心に響いていた。ちょっと、辛くなったり、寂しくなった時、知らず知らずに脳裏に浮かんできては僕を励ましてくれていたのだと思う。そんな曲はそう無いものだ。きっと彼女の音楽にはげまされながら、生きてこられた方々は随分多いことだろう。これからは、天使の声として、現世の人間たちに響いてくることだろう。心から御冥福をお祈りする。
人が一個の人生を生きていくのは、なんと大変なことか、今改めて考えさせられる。そして、生きているということだけでいかにありがたい、幸せなことかと。
しかし、人の一生とは生きていく中で、自ら招こうが、自ら感知しなくても、本当に大変なことがある。それは、大人でも子供でも、金持ちでも貧乏人でも、スターでも大衆でも、人性のどこかでほぼ平等に降りかかってくる。中には、何の心配も無い人生だったと、この世を去っていく大往生の方もあるが、きっとそういう人は、苦難を心の中で回避する方法(そんな方法はほとんど無いと考えているが)を身につけた方々か、人性の終焉を幸せに迎えている方なのだろう。
人が苦しんでいる時、頑張りすぎているとき、精神的にでも、身体的にでも、極限までいって生の臨界点を超えれば、人間は死んでしまう。それが病気でも自死でも。
機械なら、軋みが出たり、検査すれば欠陥が見えてくるのだが(先のジェットコースター「風神雷神」の事故とて、ちゃんと検査すれば自己は防げたのである)、人間が人間であるがために厄介なのは、また良い人間や頑張り屋さんほど、心や身体の軋み、苦しみを我慢したり、理性的に耐えてしまったりしてしまうのである。だから、苦しみが他者にわからず一気に死に至ることがある(あまりいい表現ではないが急に言葉が浮かばない)。
だが、苦しんでいる本人がどんなに耐えようと、隠そうとしても、人間の心の苦しみ身体の葛藤は、表情に出てしまう。
ここで幾つか紹介しておこう(これらは精神医学的に言われていることである)。
まず、目の下に大きな紫色のタボができる。これは肉体的に疲労が重なると共に精神的に頑張りすぎるとでてくる。次に、口がゆがんでくる(これは口をきゅっと結んで左右に広げた時、不自然に口が傾いでくる)。これは精神的に不安になったり追い詰められると出てくる。また、嘘をついたり自分を欺くことへの葛藤から来る表情は、最近の松岡農水大臣の国会での姿のように、落ち着き無くぺろぺろ唇を舐める行動にでる。これは、耐震偽装問題で国会証人喚問された方々に顕著に表れた。
人間は生きていくだけで大変なのである。そして大きな負荷がかかったとき、人は、それを表情に表す(隠していても自然に現れる)。そおいう、身体的表情にもっと、自分も他者も敏感になる必要があるのではないか。そして、それに気づいて自分にも、他者にもやさしくなることである。
ここでは、個々の事例には言及しないが、もっと人間をもっと人間的に見て行こうではないか。地位や立場や経済力など人間に後からついてきた属性でなく、人間の身体そのものとして。
S. Sun Maruyama
僕は、ポップスはその時代その時代に流行っている曲を聞き流す程度だが、ZARDの「負けないで・・」と歌う、彼女のさわやかで、弾むような歌声は、この十年間何度も心に響いていた。ちょっと、辛くなったり、寂しくなった時、知らず知らずに脳裏に浮かんできては僕を励ましてくれていたのだと思う。そんな曲はそう無いものだ。きっと彼女の音楽にはげまされながら、生きてこられた方々は随分多いことだろう。これからは、天使の声として、現世の人間たちに響いてくることだろう。心から御冥福をお祈りする。
人が一個の人生を生きていくのは、なんと大変なことか、今改めて考えさせられる。そして、生きているということだけでいかにありがたい、幸せなことかと。
しかし、人の一生とは生きていく中で、自ら招こうが、自ら感知しなくても、本当に大変なことがある。それは、大人でも子供でも、金持ちでも貧乏人でも、スターでも大衆でも、人性のどこかでほぼ平等に降りかかってくる。中には、何の心配も無い人生だったと、この世を去っていく大往生の方もあるが、きっとそういう人は、苦難を心の中で回避する方法(そんな方法はほとんど無いと考えているが)を身につけた方々か、人性の終焉を幸せに迎えている方なのだろう。
人が苦しんでいる時、頑張りすぎているとき、精神的にでも、身体的にでも、極限までいって生の臨界点を超えれば、人間は死んでしまう。それが病気でも自死でも。
機械なら、軋みが出たり、検査すれば欠陥が見えてくるのだが(先のジェットコースター「風神雷神」の事故とて、ちゃんと検査すれば自己は防げたのである)、人間が人間であるがために厄介なのは、また良い人間や頑張り屋さんほど、心や身体の軋み、苦しみを我慢したり、理性的に耐えてしまったりしてしまうのである。だから、苦しみが他者にわからず一気に死に至ることがある(あまりいい表現ではないが急に言葉が浮かばない)。
だが、苦しんでいる本人がどんなに耐えようと、隠そうとしても、人間の心の苦しみ身体の葛藤は、表情に出てしまう。
ここで幾つか紹介しておこう(これらは精神医学的に言われていることである)。
まず、目の下に大きな紫色のタボができる。これは肉体的に疲労が重なると共に精神的に頑張りすぎるとでてくる。次に、口がゆがんでくる(これは口をきゅっと結んで左右に広げた時、不自然に口が傾いでくる)。これは精神的に不安になったり追い詰められると出てくる。また、嘘をついたり自分を欺くことへの葛藤から来る表情は、最近の松岡農水大臣の国会での姿のように、落ち着き無くぺろぺろ唇を舐める行動にでる。これは、耐震偽装問題で国会証人喚問された方々に顕著に表れた。
人間は生きていくだけで大変なのである。そして大きな負荷がかかったとき、人は、それを表情に表す(隠していても自然に現れる)。そおいう、身体的表情にもっと、自分も他者も敏感になる必要があるのではないか。そして、それに気づいて自分にも、他者にもやさしくなることである。
ここでは、個々の事例には言及しないが、もっと人間をもっと人間的に見て行こうではないか。地位や立場や経済力など人間に後からついてきた属性でなく、人間の身体そのものとして。
S. Sun Maruyama