丸山暁の「僕の考えるブログ」

いろんな言葉、情報が世界を駆け巡っている今、僕の頭で、巷のこと、都会と田舎、世界のことを考えてみる。脱構築。

炎の本能は何処へ

2009-10-15 21:35:34 | Weblog
 

栗のイガを燃やす時期になると、まだ10月中旬だが、晩秋から初冬を思わせる。

人間火を見ると心が和む。火の揺らめきと暖かさと明るさは、エネルギーそのものである。

昔は、都会の庭先でも、ちょっとした路地でも、落ち葉を集め、年末のゴミを集め、焚き火をしたものだ。焚き火の周りには、子供たちが集まり、通りがかりの大人たちの立ち寄り、手をかざし、新たな人がくれば、ちょっと場所を空けてやり、そんな和みの場が出来た。焚き火とは、暮らしのオアシスだった。

それがもう、この10数年、焚き火は都会ではご法度となり、田舎でも、ゴミ焼きは禁止になり、本来なら落ち葉や草までごみに出せとの指導がある。なげ交わし話である。

火は、人間の本能を刺激し、また和ませてくれる。火は、人間が人間になった原点である。その火が、日常から遠ざけられてしまった現代は、その本能の行き場、よりどころがなくなってしまった。

回虫に対抗するための交代が、回虫や雑菌がなくなったために、働きどころが無くなり、アレルギーを起こすと言う。火への憧れ、本能は何処に行けばいいのだろうか。

そんな事を考えながら栗を拾い、栗のイガを燃やしていた。

さて、民主党政権発の概算要求が90億円を超えそうだとか。これから本予算まで、何処まで削られるか。なんだか、民主党政権もビジョンがありそうでなさそうで、なんだかおっかない。政権が変われば、100日は静観していなければ。