以前も載せたと思うが、今日は突然の雨で庭の写真が撮れなかったので、ご記憶のある方は悪しからず。白いマリーゴールドは珍しいのでいいでしょう。
村木局長無罪事件は、いったいなんだったのだろうか。日本の検察とはまだまだこんなものなのか。
アメリカではグランドゼロ近くのモスク建設反対運動があり、フランスはロマを国外退去し、世界は1つなど夢のまた夢の世界となりつつある。
せめて花は誰の目にも清らかであって欲しい。
これほど見事に血の色に染まった谷間の夕焼けは久しぶりである。
これは何かの前兆か、吉とでるか凶とでるか、
小沢と管の泥試合か、
勢力を増す中国の旗印か、
何処かでうごめく天変地異の前兆か、
それとも単なる情景か。
きっと見る人によって違うのだろうが、
輝く日本の未来の予兆とは読みにくい。
ただ、絵としては感動的であった。
それでいい。
一人一人は何かに感動しながら生きればいい。
小沢・管の対決は、残念ながら小沢に軍配か。
管さんは雇用雇用と薬害エイズでの功労と官民癒着だけでは弱い。小沢の弁舌が中身は別にして輝きを増してきたような。
政治は正義やビジョンではなくではなく大声とハッタリの世界のようだ。
明日は少し気温が下がりそう、日本の政治も落ち着いてくれればよいのだが。
そうだしばらく政治ネタは辞めるのだった。
灼熱地獄でも、わが楽園は花盛り。
くそ暑いので、花壇の手入れも少々おろそかになったが、花たちは元気に咲いている。
彼等はいい。なにがあっても元気だし、死ぬ時は潔い。
人間は、ちょっとした気分の変化で落ち込んだり、悔やんだり厄介なものである。
花のように凛と生きたいのだが、そうもいかない。
そんな時、花は自然が救うが、人間は人間の言葉によって救われる。
誰かに大丈夫だよ、といってもらえれば一番良いんだが。
自分に大丈夫と何度も言い聞かせると、案外大丈夫な気がしてくることがある。
自然は人間を癒すというが、やっぱり人間は人間にしか癒されない。
民主代表戦は、小沢に軍配が上がりそう。
確かに管・小沢の論争を見ていると、小沢のほうが政治的なようだ。
管はちょっと抽象的過ぎる。小沢もたいしたことはないのだが。
問題は、共にこの国のあり方、世界のあり方については全く0点。
国民が政治に癒される時が来るのだろうか。