大相撲

大相撲についての想い

朝青龍からの花束

2006-02-14 00:48:52 | Weblog
朝青龍が福祉大相撲のあと、それが定年で最後の一番となる木村庄之助親方に花束を渡したという。先代が九州場所で定年になった時も花束と金一封(三封だった?)を渡して話題になったが、それに続いての、プレイヤーの頂点にある者から裏方さんへのねぎらいの気持ちの伝達。

これって、いい話だと思うし、もらった方は何十年も勤め上げた最後にこういう心遣いをしてもらえば一生忘れないだろうと思う。きっと、家で花束を飾って、それを眺めながらいろんな想いをかみしめながら一杯やったんじゃないだろうか?最高の美酒だろう。他の若い行司さん達にも励みになるんじゃないだろうか

横綱も、福祉大相撲なんかでやるんだから、スタンドプレーだとかって意識はないんだと思いたい。万が一そういう意識がかけらだけでも仮にあったとしても、行動に移すことは立派なことだと思う

本来、今回の庄之助さんは初場所一場所だけだったから横綱の本割の取り組みは、少なくとも横綱になってからは初場所の15番しか裁いてないことになる。むしろ、いつも裁いてもらっていた大関陣から何かねぎらいがあったっておかしくはない。

ここでは、そういうことをしなかった大関陣が情け知らずとかつまらないことをいうつもりは毛頭無い。横綱にその気があるんなら、やっぱり頂点に立った横綱からの方がいいはずだし。

ポイントは、朝青龍は誰かの進言でこういうことをしているのか?ありうるとしたら誰?付け人の輝面龍?某占い師?おそらくそういうんじゃなくて、横綱自身の考えだと思う。じゃあ横綱ってそういう考え方ができるような素地をどうやって養ったの?断言はしないけれど、師匠の教えではないように思う。

彼って、普段も巡業で若手に胸を出すし、優勝インタビューなんかでも地元の人への心配りを忘れなかったりするし、tacticalにこういうことをやるのに長けた人というのではなく、横綱として適格者だと思う。少なくとも、自分の知ってる限りの歴代の横綱と照らしても、相対的に適格者だと思う。

すぐモンゴル帰っちゃったり、やっぱり今でも時々カッとなっちゃったり、手つきが不十分だったりと意地悪に非難しようと思えばできちゃう脇の甘さはあるけれど、仮に今少しずつ回復しつつある大相撲人気が本物になって、また活気が戻ることができたとすれば、将来から振り返ってこの数年を相撲界が延命できたのは朝青龍の功績が極めて大きかった、と評価することになるんじゃないだろうか。

それでもやっぱり、万が一何かおきれば(「何か」が何かはわからないけど)、外人は日本の心がわからないとか、やっぱり日本人が上位にいなければ駄目だ、とかいう攻撃の矢面に立たされちゃうのかな。

横審の石橋委員長なんかは、この辺ちゃんとわかっておられて、横綱を評価する発言を積極的にされているように思う。でも、もし朝青龍が評価されるに足る横綱だとした場合、彼のふるまいの中で評価の対象となることって、日本独特の日本人にしかわからないような事、で評価されるんじゃないんじゃないだろうか。むしろ、ユニバーサルな価値感として評価されるような事...花束しかり、若手を稽古することしかり、ファンへの気配りを忘れないことしかり...であって、大和言葉でしか表現できないようなそんなことではないのではないと思う。

って言うか、もしユニバーサルな価値観には外れるんだけど、でも大相撲のあり方として必要なこと、なんて本当にあるんだろうか。勝った力士はガッツポーズなんかしないとか、負けてもしっかり礼をするとか、そういうことって、相撲が単なる勝ち負けを競うだけではない競技であることから来る、ある種のルールであって、そういうルールだと捉えれば、別にユニバーサルな価値観と矛盾するわけではない。それに、それって、外国人でも普通に脳味噌があって、真摯に大相撲に取り組んでいれば誰だって理解できることだと思う。

同じようなことって柔道でも同じで、正面に礼をして、とかっていう所作があるけれど、柔道で出てくる外人はみなそれをやっているし、外人が強くなって金メダルとかとっても、外人だから強いけどあいつは日本の心がわかってない、みたいなことをいうのって聞いたことないわけで、だとすると、大相撲に関して殊更に「外人はわかってない」みたいなことが言われてるような印象があってならない。

そりゃ、入門直後に本当に急に上がってきて、幕下とかの優勝決定戦なんかでもヘンな動きしてる外人とかいるよ。それは確かに師匠の問題でしょう。でも、日本人の中卒の若者が本当にそれと同じスピードで上がってきたらやっぱりなんか間違えるでしょ。例えば新十両の若者(日本人)が、よく十両土俵入りとかでヘンな動きするでしょ。でもあれって微笑ましい姿とか、初々しさとかって言われるんだよな。

で、話を戻すと、大相撲特殊論みたいなことで必要以上に大相撲が独特で理解しにくくって、外国人にとってハードルが高い的なことが言われる傾向が本当にあるとすると、そういうことを言ってる人って、一部の、親方とか横審委員とか大相撲関連マスコミの人のような気がして、で、仮にそれが事実だとすると、あなたたちは本当に大相撲が好きなんですか、大相撲の発展を考えてるんですか、ということを言いたい。

今日は、仮定に仮定を重ねた話ばっかり書いているけれど、一言で言えば、つまらないことに目くじら立てないで、日本人でも外人でもなんでもいいから、カッコよかったりすごかったり立派だったり面白かったり目立ってたりしたら、まずは褒めましょう、大相撲を盛り上げましょうよ、ということ。そうなったら、大相撲は古来の大和魂がつかさどっているものであり「道」であったとしても、同時に一つの大いなるエンターテインメントになれるはず。

追伸として、ちょっと次元が違う話だけど、相撲界がそうやって楽しく伸びていくんだったら、武蔵丸だって本気で年寄株取得して協会に残って若手をどんどん指導していくだろうし、朝青龍だってモンゴルに帰って何やるかしらないけど、その計画を変えて協会に残って技を後進に伝えようって気になるのでは。それで世界中の猛者が入門するような相撲界になって、日本からも少子化にめげず運動神経が発達した子供が門をたたくようになるっていうことになればいうことないんだけどな

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