大相撲

大相撲についての想い

星が生まれる時

2006-02-04 00:21:09 | Weblog
今気になっていること。果たして、琉鵬関は来場所幕内に上がれるのか?今まで、十両が精一杯かと思われていた琉鵬関。初場所大勝ちして、もしかしたら幕内昇進、という状況にある。上がれるとしても東方だけに飛び出している17枚目だろうが、おそらく嘉風関の十両転落とのどちらかになるのだろう。琉鵬関、いかにも地味な力士だ。昨年12月の国技館のふれあい感謝祭で二階に十両力士が警備をかねて立ち並んでいたときも、把瑠都関のように人気力士は列ができ、それほどでない関取でも何人かのファンがサインや写真撮影をせがんでいたのだが、琉鵬関だけは誰にも話しかけられず、他の力士より何歩も退いて二階廊下のガラスの壁際で所在無げにたたずんでいた。恥ずかしながら私も遠目で見たときは一瞬豊桜関かと思って四股名を誤って呼んでしまいそうになった。そんな琉鵬関、地道な努力は定評があり、それが実って初場所花開いたのはなんとも喜ばしいことだった。で、今頃、来場所は幕内なのか十両なのか、気にしないようにしても気になってしょうがないのではないだろうか。もちろん努力がさらに実を結んで大阪場所の番付がどうであっても中期的に番付を上げていくのかもしれないが、もしかしたら、初場所がフルポテンシャルだったということもなくもない。もし万が一そうだとしたら、次の番付で幕内までいくか、十両でとまるかは相撲人生の今後の輝きを決める上で大変重要な要素になる。大相撲の大きな流れの中でこんなことは些細なことかもしれないが、一人の人間が人生をかけて相撲界に入ってきた成果が最も輝く一瞬が訪れようとしているのかもしれないのである。これは、ちっぽけな星かもしれない。あるいは、この先眠っていた才能が伸びて、もっともっと大きな星になるかもしれない。けれど、いずれにしても今は、一つの星が生まれる、その直前の瞬間なのかもしれないのだ。逆に、十両陥落するかもしれない嘉風関、スピード昇進で歴代何位かであがってきて、初の幕内場所でも負け越したが活きのいい相撲を見せ、幕内上位や三役も狙えるかもしれないというポテンシャルを示した力士である。彼にとっては来場所が十両上位になるか幕内ぎりぎりになるかは相撲人生の中で特に大きな意味はないだろう。落ちれば落ちたで、それを励みにしたことが彼のその後の相撲人生の飛躍につながるのかもしれない。しかし、最初に十両にあがってすぐ落ちてからずっと十両復帰できず長い間捲土重来を期する日々を送ってきた琉鵬関にとっては、十両で勝ち越せたばかりか幕内も狙えるとなれば、やはりまずは何はともあれ今回で幕内にあがっておきたいのではないだろうか?大相撲ファンとしては、一人の力士の相撲人生で最も輝いている一瞬に立ち会うのかもしれないと思えば、本人と取り巻く人々の想いを想像すると、自然と襟を正して顛末を見守りたいという気になる。大きな星が輝く直前の一瞬のきらめきなのかもしれないし、小さな星が全力をふりしぼって力の限り輝く瞬間なのかもしれない。どっちになるにしても、思う存分稽古して、その日を迎えてほしい。そして、次の番付がどうなるにしても、その努力を実らせて大化けしてほしい。

前回のブログで、協会の新体制について偉そうな批判をしてしまった。後の報道で、巡業体制の強化のために新ポストが設けられていたとのこと。まったくの不徳の至らなさで見過ごしてしまっていた。是非成果につながることを祈る。地方の人たちに、テレビではわからなかった大相撲のカッコよさが伝わるような、すばらしい巡業の場が一つでも増えれば、きっとそれが大相撲ファンの拡大につながっていくだろう。

全くの余談だが、九州場所で朝青龍に年間最多勝ち星数を破られた北の湖理事長。実は任意の連続六場所をとった場合、彼は85勝という記録があって、朝青龍の昨年一年間の84勝を一つ上回るのだ。年間最多勝は起算点をどこに設定するかだけの問題だと言ってしまえば、横綱北の湖の偉大さはやはりたいしたものだ。史上最も六場所間で安定した高い成績を残した力士ということになるからだ。北の湖理事長に対して苦言をちょっと呈しすぎたかもという反省があるので、理事長の名誉のために、世の中にあまり知られていない記録をここに紹介したいと思った次第である。