大相撲

大相撲についての想い

大相撲と少子化

2006-02-19 21:11:13 | Weblog
最近、少子化や人口減が世の中で話題になることが多く、担当の国務大臣なんかもできちゃったりして、いよいよ問題として本格化しつつある。

そういう報道を読むにつけ気になるのが大相撲の将来。果たして、将来、相撲界に新弟子はきちんと供給されていくのか。子供の数が減っていって、ラグビーやバレーボールなどプロスポーツの数が増えていけば、当然パイの奪い合いは激化する。しかも、今よりも大相撲の他のスポーツに対する苦戦の度合が増すように思う。

おそらく、少子化が進むと大学への入学はしやすくなり若年人口の高学歴化が進むだろう。大学や高校に行かない事が今よりももっと特異な選択になるのではないか。

現在の相撲界の人材獲得ルートは大きく3つ;①中卒の体が大きい又は相撲好きな子を発掘して一から育てる ②大卒(一部高卒)の相撲エリートを迎え入れて即戦力的に育てる ③運動神経の良さそうである程度身体がある外国人を入門させる(ただし各部屋一人まで)

世の中の高学歴化を前提とすれば、多分②のルートで入ってくる人材数はそんなに大きく増減しないのではないか。少子化で子供の数そのものが減っても、高学歴化によって大学相撲に進む子供の数は増えて、全体としては相殺されるのではないか。結果として、片山や嘉風のように前相撲から取る大学出身力士が増えるように思う。

おそらく、①のルートからの人材数が激減する危機が迫っているのではないだろうか。青森等一部の地域のように幼い頃から相撲に明け暮れて育つわけではない子供にとって、成長していく過程でサッカーや野球など多くのスポーツに触れるだろうし、その中からdedicatedに相撲をやることを選ぶのは明らかに少数派になっていくのではないか。そして、今までなら進学に積極的でなかったであろう子供でも、極端に言えば「受ければ入れる」学校が増えるならば、とりあえず進学しておこうということにもなるだろう。そしてその流れの中で、他のスポーツや他の関心事項に出会って、普通に社会人となったり別のプロスポーツに進んだりするパターンが増えるのではないか。

はっきり言って今の大相撲界においては、入門することに伴うセーフティネットが他のスポーツよりもない。実力が花開かなかったり、怪我などにより志半ばで断念したりした場合、ちゃんこ屋さんに勤める以外はあまり明確な第二の人生のキャリアパスがない(ように思う)。今後は、中卒で入門して数年経った若者が転職の機会を見つけることは、周囲の高学歴化が進むことでより相対的に難しくなっていくのではないか。また、仮に関取になれたからといって、高齢化によって名跡の空きができず30-40代で別の世界で再就職しなければいけなくなる可能性も高くなる。

これまでは、相撲に入門し、それぞれの事情で相撲界を去っていく人たちの多くは、引退時のインタビューの受け答えでも、一生懸命やる大事さや礼儀の大切さを学んだり、人間関係という財産ができました、という形で前向きに総括しながら、新しい人生に挑んでいくことが多かったように見受けられる。

しかし、これから入門する若者たちの親は団塊未満の世代であり、そういう人たちが、自分の子供が人生を賭けた結果身についたのが礼儀と料理の腕だけだ、などと否定的に曲解するおそれはあると思えて、そうであればなおさら新弟子獲得が難しくなっていくように思われる(②のルートから入る子であれば、将来の年寄株の約束などはありうるだろうが、①から入ってくる、相撲の素質としては海のものとも山のものともつかない子達にはそういう待遇はないだろう)

有名な話だが、中村部屋では取的さんたちを高校の通信課程に入学させているときく。これは、弟子の学歴を押し上げてemployabilityを高めてあげるという効果もあるだろうし、それ以前に若者に多くのことを学ぶ機会を提供するということは、相撲部屋が人間育成の場であると考えれば非常に意味のある取り組みだと思う。

このような取り組みは全く否定しないし、師匠の考えでそういうことを進める部屋がもっと出たりしてもいいと思う。部屋同士が弟子争奪のコンペティターであると考えれば、部屋の福利厚生?による差別化で弟子を獲得する戦術の一環として、こういう部屋が出てくるのもいいだろう。ただ、個人的にはそういうことを各部屋がすべきだ、という主張は全くするつもりはないし、そんなメリットがあるからということで入門を決断するような力士が増えて欲しくはない。協会全体が、そういう方向で動くようなことにもなって欲しくない。やはり、力士は何よりも自分の相撲が強くなることに全てを賭けて日々の鍛錬を重ねる存在であってほしい。

やはり、中学を卒業し、退路を断って相撲界に飛び込んだからこそ、死に物狂いでやって大成する力士が出てくるという側面は否定できないだろうか(中卒でなければいけないわけではないが、退路を断つということは重要ではないか)。失敗した場合に負け組になるリスクがどれだけあるのか、みたいなことを考えた結果相撲を選んで入ってくるような人が出現するくらいの、何かemployabilityが高まるようなメリットを提供できることが百万が一あったとしても、そういう人が力士として強くなる可能性は低いのではないか。日本人に限らず、朝青龍が今日あるのだって、中学出てモンゴルから日本に留学して、でも高卒資格なんか蹴っ飛ばして高校中退して相撲界に入って、ひたすら稽古して、ということで退路を断って稽古してきたからだと思う。

結局、少子化に立ち向かいながら大相撲全体の層の厚さを底上げしていくためには、若者が子供の頃から相撲に親しみ、大相撲の迫力やカッコ良さを体感していく機会を飛躍的に増やしていく必要があるのではないかと思う。高見盛のキャラ的な部分で人気集めをしたりするのは入り口の敷居を低くするということでは一つの打ち手なのだろうが、大相撲本来の魅力ということではなく、あくまで補足的な施策であるべきである。つい最近までミスタードーナツのTVCMで、現役の力士ではない、髷を結った巨漢二人が突っ張りの仕草をしながら道を歩くようなものがあった。まだ継続して放映されているかもしれない。あの宣伝は、力士姿の人にヘンにおどけさせてそれでインパクトを出そうという意図が感じられて、個人的には抵抗感がある。

まずは、本場所中のテレビ中継こそが、最も広範に大衆に接触する可能性のあるメディアなのであるから、大相撲を普段は見ない人でもちょっとチャンネルをNHKに回した時に、そのわずかな時間内で思わず相撲を見てしまうような仕掛けが必要だと思う。その意味で、ユニークな解説者・ゲストの登用、従来モードの繰り返しの実況の抜本的改善、力士の意識や技術がわかりやすい解説、真剣勝負としての格闘技の迫力がビビッドに伝わる映像などを導入するため、今の放送はゼロベースから見直す必要があるように思う(大相撲が行われ、放送される時間帯の見直しを含めて)。また、テレビ以外のメディアを通じても格闘技やスポーツエンターテインメントとしての魅力で勝負できるような方策を考えるべきだ。携帯電話の活用でも、現在の着メロとか待ち受け画面の配信が中心の取り組みは明らかにまだまだ改善の余地がある。さらに、世の中に影響力のある人の中で大相撲のサポーターを増やして、大相撲の面白さを語ってもらうようにすべきだし、そのために、どこが面白いのかをもっと大相撲の側から主張していくべきだ。そのためには、厳しい評価や力士のモチベーションが下がるような内容ばかりが目立つ協会や横審の幹部の発言も、大相撲がどれだけ面白いか、を世の中に伝えていくような中身に入れ替わっていくべきだ。力士自身も、質問に対する相槌とオウム返し、「一番一番自分の相撲をとるだけです」「目標は勝ち越しだけです」の繰り返しはやめるべきである。こういうことの積み重ねで、常に身近に大相撲の放送が流れていて、何やら面白そうで、相撲が強いというのはカッコいいことなんだ!ということが子供の心に刷り込まれるような環境ができるように努めていくことが必要ではないか。

その上で、子供が相撲をとること自体も身近なものにしていく必要がある。最近、協会は相撲健康体操を積極的に紹介する運動を行っているように感じる。非常に結構なことだと思うけれど、相撲という競技自体の魅力の広がりにもつながっているのだろうか、その点だけが心配である。もちろん、相撲健康体操は子供にとっての入り口として位置づけるということならそれでもよく、必要なのはそこから次の一手として相撲の競技そのものに引きずり込むことにつなげる試みが必要だ。おそらく協会自体、財団法人として認可された存在であり続けるためにも、相撲が社会へ広がり、それを通じたメリットが出て行くことを実現していかなければいけないのであろうから、相撲を特殊な競技にしてはいけなくて、普通にあちらこちらで行われているようなものにしていく必要があるのではないか。

最近巡業が減っているが、勧進元がなくても、ごく数人でも現役の関取クラスの(テレビに映るようなクラスの)力士が全国に出向いて、協会後援で子供の相撲大会を頻繁に開催して、「相撲を取ったことのある人」の絶対数を増やしていくべきではないか。同時に、そのいった場で力士に触れた子供は、力士の体躯の立派さや力強さが魅力として刷り込まれていくということも期待できるのではないか。

相撲はわずかなスペースさえあればそこで立ち合って組み合うことで成立する、ある意味シンプルなスポーツだから本当は競技人口を増やすことは十分可能なはずである。

一つ心配するのは、相撲を取るときに、年齢に比べて極めて規格外な身体の子供がいると、普通の体格の子供はそもそも勝負にならなくて、そこで相撲って面白いなっていう事を感じる機会を逃してしまって、自分がプレーヤーであるという関わり方をなくしてしまうことがあるのではないかということ。あるいは、そういう子供がいたら勝負にならないし怖いからいやだな、ということでそもそも競技に参加しない子供が潜在的にいるのではないかということ。今は子供相撲はたいてい学年別だと思うけれど、もっと細かく体重なんかで分けて、体格差では決まらない拮抗した勝負が増えるようにした方がいいのではないか。もちろん、プロの大相撲は小よく大を制すも重要な要素だからそういう階級別はなじまないだろうけれど、競技者の底辺を広げるためには、入り口を入りやすくして、チャンピオンになってヒーローになれる子供の数が増えるようにしていった方がよいのではないかと思う。

これはまだ一例であって今後も思いつけば書いていきたいが、こういう競技者を拡げる試みがあって、それでさらにメディア戦略があって(これもデジタルテレビや携帯へのテレビ配信等新たなマルチメディア活用については今後記述予定)、もちろんプロである大相撲では土俵の充実があって、その上でこれらをサポートする(ロイヤルカスタマーを増やす意図で)ための打ち手として、高見盛のクリアファイルを国技館で配ったりするのは大変意味のあることだろうが、どうも現実の打ち手はそういう体系の上に成り立っていないように思う。どちらかというと単発的な思いつきで、安易に相撲への親しみやすさばかりを増やそうとしているような。こういう視点は、単に短期的な相撲人気だけでなく、中長期的な人材獲得という要素にも影響を及ぼすので、極めて重要だと思う。

最後に、入門経路の第③のルート、外国人のスカウトだが、少子化であろうがなかろうが、競技としての質を高めるために人材を幅広く集めるという観点で外国人入門の鎖国制度は緩めるべきで、グローバルスポーツへの本格的脱皮を図るべきである。さらに、少子化で日本人が減っていってそれでも鎖国が続けばより一層人材は先細るので、いずれにしても鎖国は緩和がマストだろう。もし仮に、そんなことをしたら外人ばっかりになってしまって駄目だ、という議論が主流になるようなら、その末路として将来は大相撲の人材の層はカスカスになり、少数の外人と少数の日本人による閉じた世界で行われるものになって、切磋琢磨も少なく土俵内容は低下し、それで一層日本人の入門者は減り、という展開になるような気がしてならない。大相撲の将来が危機に瀕さないように、今の協会や横審のリーダー達にはつまらない攘夷論だけはやめてもらいたいと願う。