◇依存と感情◇
依存と感情の関係について書いてみます。
多くの方は、何か出来事があると怒ったりして、感情的になります。
嫌な相手に対してほど、強い感情が起こってきたりします。
そこには、あなたが嫌いなその相手に対するあなたの依存があります。
強い感情が起こる程、あなたは強くその相手に依存している訳です。
その相手のことで始終感情的になっている人は、その相手に対してどっぷりと依存していることになります。
そんなことは無いと、わなたは否定されるでしょうが、私は、いいえそんなことは無いですよ、と言います。
そもそも、依存していないと、そんな強い感情など起こるはずがないのです。
仮に強い感情が起こっても、時が経てばスッと流れていくはずなのです。
感情が留まり、その感情が繰り返し起こってくるのは、依存がある証拠なのです。
依存には、いろいろなものがあります。
相手のことを大切に思う余り生じる依存もあります。
逆に相手に否定的な考えを握り締めることにより生じる依存もあります。
この依存という観点から、あなたとあなたの周りとの関係を見つめ直してみて頂きたいと思います。
あなたの依存が見えてくると思います。
◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇セッションのご案内はこちらです。
※次回の講話セッション、個人セッションは6月28日(日)です(上のリンクを参照ください)
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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依存と感情の関係について書いてみます。
多くの方は、何か出来事があると怒ったりして、感情的になります。
嫌な相手に対してほど、強い感情が起こってきたりします。
そこには、あなたが嫌いなその相手に対するあなたの依存があります。
強い感情が起こる程、あなたは強くその相手に依存している訳です。
その相手のことで始終感情的になっている人は、その相手に対してどっぷりと依存していることになります。
そんなことは無いと、わなたは否定されるでしょうが、私は、いいえそんなことは無いですよ、と言います。
そもそも、依存していないと、そんな強い感情など起こるはずがないのです。
仮に強い感情が起こっても、時が経てばスッと流れていくはずなのです。
感情が留まり、その感情が繰り返し起こってくるのは、依存がある証拠なのです。
依存には、いろいろなものがあります。
相手のことを大切に思う余り生じる依存もあります。
逆に相手に否定的な考えを握り締めることにより生じる依存もあります。
この依存という観点から、あなたとあなたの周りとの関係を見つめ直してみて頂きたいと思います。
あなたの依存が見えてくると思います。
◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
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読んで頂いてありがとうございました。

>体調を崩したり、病気になったりしたりした時、自分自身をもどかしく感じたり気力が萎えたりし自分自身に翻弄されることは自分(の感情)に依存してるということになるのでしょうか?
そうですね、大体はそれで合ってますが、
正確には、身体やその身体のしんどいとか辛い等の感覚に依存しているというか、身体やその感覚を掴んでいるというか、同化しているというか、そういう感じです。
なんだか独り言のようであいすみません。
はい、そうです。
私に起こってくるすべての考えについて、徹底的かつ丁寧に、これは私の考えだと自覚してください。
24時間、徹底的に二週間やれれば、自覚が身につき、心持ちが変わってきます。
本当です。
Unknownさんは、いろいろ辛い経験をなさっているようか感じですね。
ご苦労さまです。
決して自分を責めないでくださいね。
自分を責めていては、どうにもなりません。
さらに苦しくなり、弱ってしまいます。
自分だけは、自分の見方でいてください。
自分の見方は自分しかいないのですから。
辛いということは、十分に頑張っているということですから、頑張っている自分に気づいてください。
そして、自分を認めてください。
どういう状況であろうと、また誰がなんと言おうと、
自分は十分に頑張っているんだということを認めてください。
そして、自分の見方になってください。
彗空さんの今日の記事で私のこれまでの事を照らし出してもらい私がやりたい事の一つが浮上、私個人の自覚のきっかけになりました。その様な記事を書いて頂きありがとうございました。
私の記事がはるやさんにヒットしたようで、よかったです。
こちらこそ、ありがとうございました。
今回の記事が今の私にはまりました。
質問させてください。
身近な職場に卑怯でずるく、嘘つきで、怠惰で傲慢で不潔で浅はかで………
英語で言うとクソヤロウと私が思う人がいます。
その人間の行動、仕草表情、言葉、見た目、どの縁に触れても私の中には不快感が生じます。
それらの自覚により、自分の善悪の概念や、人も自分も責めている苦しみなどを知るきっかけになり、囚われに気づくのですが、彼の縁に触れた時の強烈な不快感は変わらないのです。
強烈なんですよこの不快感は、ぶっ殺してやろうかと思うくらいに(^o^;)
これって相当に深い囚われがあるのかな~と思ったのですが、もう前世レベルでの業?でしょうかね
それとも単純にウンコの匂いを避けるような、身を守る為の人間の防衛本能による反応なのでしょうか?
アドバイスくださいm(_ _)m
こういう感情も味わいつつ、油断なく自覚していきますね。 またブログも楽しみにちょくちょく読まさせて頂きます。
そのお相手の方は、相当な方なんでしょうね。
そのような方を身近で目の当たりにすると、おそらく私(慧空)もそれなりの嫌悪感は感じるだろうと思います。
それはそういうものなんです。
酷い自我は強い嫌悪感を与えるものなのです。
ですから、ケロケロさんがその方に対してそれなりに強い嫌悪感を感じるのは、基本的に仕方が無いことなので、その部分については諦めるしかありません。
どうしても嫌なら、何らかの方法でその方を遠ざけるか、ケロケロさんの方から遠ざかるしかありません。
しかしおそらくですが、ケロケロさんに起こっているその心の反応は、そのような単純な嫌悪感だけではないのだろうと思います。
ケロケロさんが握り締めている善悪等の固定観念が反応して、そこから感情や感覚、思考や衝動が起こっている部分もあると思います。
例えば、その方のここがダメ、あそこがダメ、もっとこうすべきだ等の思考を感情を伴いながら、繰り返し起こしているのではないかと思うのです。
そう言ったケロケロさんの囚われに関連して起こってくる感情や思考については、自覚を徹底することにより、抑制又は除去できます。
あまり大した助言はできませんが、総合的な判断から、ケロケロさんがどうされるのか決めて頂きたいと思います。
余りお勧めできませんが、マゾ的な対処法があります。
その方とケロケロさんの自覚の材料として積極的に活用するんです。
その方と対峙したとき、激しい嫌悪感や感情、思考、衝動等が起こってきたとき、強い決意を持って、自覚するんです。
例えば、「いま起こっているこの考えは私の考えだ」等と、心の中で念仏を唱えながら、集中して自覚するんです。
ダメもとで、ちょっとやってみてくださいな。(^o^)