私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

観照と内観と自覚の違い等について

2015年04月04日 21時02分10秒 | 自覚ワーク等の紹介
◇観照と内観と自覚の違い等について◇

観照と内観と自覚の違いについて、メールでご質問を頂きまして、その返事をもとにブログ記事をつくることにしました。


自覚と内観の違い等については、先日のブログ記事に書いた通りです。

観照とは、内側、外側の区別なく、起こってくる現象や、感情、感覚、思考、衝動、行為など、すべてのこを、ただ観る(ただ認識している、あるいは気づいている)という瞑想のような意識の使い方のことです。
「ただ観る」という意識の使い方にウエイトがあります。

これに対し、内観は、その名の通り、外側のことよりも、主に内側で起こる感情や思考等の考えを観るものですが、内観の場合は、「ただ観る」という意識の使い方だけでなく、分析したり、掘り起こしたりするような意識の使い方も、含むものです。

また、自覚は、「私」に意識を向けることを基本とし、内側及び外側で起きてくるすべての考え(現象も感情も思考等を含む)について、その考えは「私」の考えだと自覚するものです。
そして、もちろん、自覚は「私」に意識を向けることが基本なので、ただ「私」に意識を向けてるだけでも自覚になります。

このように、自覚、内観、観照は、意識の使い方やそのウエイト配分等が少しずつ異なっていますが、三者は完全に別個独立しているものではなく、互いに共通する部分を有しています。
ですから例えば、自覚を伴った観照という意識の使い方もあります。
と言いますか、高い集中度で「私」に意識を集中し、深い自覚に入ると、自ずと、自覚を伴った観照の意識状態になります。

自覚、内観、観照の基本的な関係については、こんな感じです。


補足として、ついでに観照意識と呼ばれるものについて説明したいと思います。

観照意識とは、起こってくる現象(考え)をただ観ている(あるいは、ただ認識している)意識であり、私という自我の意識の根底にある意識です。
私という自我の意識は、その観照意識をベースとし、その上に、感覚や感情、思考等が重ね合わされるようにして構成されています。

多くの方の場合、起こってくる感情や思考等がとても多いため、観照意識がその思考等の厚い層に常に覆われています。
それが、悟りの道に入り、思考等が減ってくるにつれ、観照意識が思考等の隙間を介して意識の表面に露わになってきます。
観照意識が意識の表面に露わになると、思考等が十分に抑制され、起きてくる現象(考え)をただ観ている(あるいは、ただ認識している)意識状態になります。

さらに補足して、この観照意識は自我の範疇なので、その強さを自我の力で制御することができます。
例えば、「私」に対する集中度を高めれば高めるほど、観照意識も強くシャープなものになります。
そして、通常の意識状態から観照意識に移行した状態で、観照意識の強さを落としていくこともできます。
その強さを落としていくにつれ、この世界に対する認識が低下又は後退していきます。
そして、「私」をポイと投げ捨てるようにして観照意識を手放すと、完全な無我である涅槃(気絶状態です)にストンと落ちます。

観照意識から涅槃に入ることができるのです。
興味のある方はぜひやってみて頂きたいと思います。

面白いでしょ。(^^)


コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。

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8 コメント

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Unknown (ひじき)
2015-04-05 15:43:00
内容とは関係ない質問なのですが失礼します。
欲求はどうなりましたか?
性欲 食欲 睡眠欲などの本能的欲求にも変化はありましか?
Re:ひじきさんへ (慧空)
2015-04-05 19:10:49
コメントありがとうございます。
基本的には、肉体的な欲求も精神的な欲求も、バラツキはありますが、薄くなるか、殆どゼロになります。
精神的な欲求に関しては、本当に薄くなっています。
肉体的な欲求についても、生きることと関係が薄いもの、例えば性欲については殆どゼロですね。
生きることとの関係が深いもの、食欲、睡眠欲等については、薄くはなってますが、それなりに残っています。

自分でも面白いと思うのは、欲求が薄くなるのと関係して、我慢をする力も弱くなっているんです。
ですから、眠くなったときなどは、我慢できないのです。
パソコン画面を見ながらストンと寝てしまうことはや、風呂の湯船で寝てしまうことはしょっちゅうです。
Unknown (ひじき)
2015-04-05 20:02:18
ご丁寧にありがとうございました。
Unknown (kayo)
2015-04-05 20:50:27
慧空さん
いつもありがとうございます。
自覚をやっていて、ひっかかりがあると、そのまま内観に入って掘り起こすことが多いのですが、
掘り起こそうとせずに、ただ、自覚するだけの方が良いのでしょうか?
Re:kayoさんへ (慧空)
2015-04-05 21:47:11
コメントありがとうございます。
掘り起こしが好きで、掘り起こしばかりをやっている方がおられますが、掘り起こしは余り効率が良くないのです。
自覚が最も効力を発揮するのは、真っ直ぐに「私」に意識が向けられているときなのです。
それが掘り起こそうとすると、何かを探そうとするため、意識が「私」の中心から外側にずれてしまうのです。
そのため、いくら掘っても、その試みが、本当に掘り起こすべき根っ子の囚われに到達することは殆どないのが現実です。
仮に何かを掘り当てたとしても、表面的で比較的どうでもいいような囚われしか出て来ない場合が殆どなのです。
そのため、掘っても掘っても終わりが来ないということになってしまいます。
という訳なのです。

ですから、できるだけ掘り起こしはしない方がいいです。
効率が悪いですし、いくらやっても切りがありません。
私は殆どやったことがありません(私は掘り起こし無用論者です、笑)。
普通の自覚を基本にやって頂きたいと思います。
そうすれば、掘り起こさなくても、いずれ浅い部分の囚われから順番に、ふわっと浮かび上がるようにして消えていきます。
Unknown (kayo)
2015-04-05 22:43:21
慧空さん
確かに、掘り起し中は私から意識がそれますね。
これからは、掘り起こさずにしっかり私に焦点を当て続けるようにします。
いつもありがとうございます。
Unknown (kayo)
2015-04-06 12:52:47
慧空さん
昨日、立て続けに私がしがみついていたものが
意味がないとわかる経験があり、
今朝から、わたしなんて何の役にも立たないし、人生なんて意味ないし、早く消えてしまいたい
という考えが繰り返し起こります。
少し、楽しいことを思い浮かべるとましになりますが
ゆったりくつろぐことができなくなりました。
意味もなく涙が出てきます。
私を自覚していても落ち着きません。
ハートがざわざわして重たく、迷いの中にいます。
同時にわたしの持っている囚われをすべて焼き払いたいという強い欲望があります。
どうしたことでしょう。
とにかく苦しいです。
なにか、ご意見をいただけるとうれしいです。
Re:kayoさんへ (慧空)
2015-04-06 14:01:35
冷たいようですみませんが、私は自分のことさえよく分からない人間です。
こんな私が、他人であるkayoさんのことなど分かるはずがないんです。
自分ことは自分しか分かりません。
否、自分でも分からないし、誰にも分からないと言うべきかもしれません。

自分に意識を向け、「これはどうしたことなのか」と思い、答えや解決方法を求めている自分に気づいてください。

苦しさについても、すみませんが、私はとても冷たいです。
敢えて言います。
もっと苦しんでください。
大丈夫ですから。
苦しみにどっぷりと浸ってください。

もしkayoさんが大悟に至られるなら、そのときは、強い発心や衝動が起こってきます。
発心が導いてくれます。

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