私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

悟りの階梯に関する理解の変化

2014年11月15日 22時35分13秒 | 悟りの階梯
◇悟りの階梯に関する理解の変化◇

現在、「改めて悟りの階梯」と題して文章を書いている途中なのですが、悟りの階梯に関する私の理解が少し変化して来まして、そういう理由もあり、記事のアップが停滞しております。

今日は、その私に起きている理解の変化がどういうものかを少し書きたいと思います。

私のこれまでの理解では、自我と真我について、自我が主であり、真我が従であるとしながらも、両者を対等なものとして捉えているところがありました。
しかし、その理解が変わってきたのです。

結論として、唯一本質的な要素は、考えの連鎖そのものである私という自我だけなのです。
自我だけが本質的な要素であり、他のすべてのものは、私という考えの連鎖の中で現れてくる考えであり、現象に過ぎないのです。
よって、真我や空も、私という考えの連鎖の中で一時的に現れる一つの考え(幻)に過ぎないのです。

真我や空に関する感覚や理解は、悟りの道中で一時的に現れる一過性のものなのです。
同様に、大悟に伴って生じる「見るものは見られるもの」という感覚や理解も、悟りの道中の一過性のものなのです。

悟りの階梯を一つ昇ったときには、自我にその厚みがギャップ状に薄くなる等の変化が生じます。
至福等の真我の外縁の感覚や、「見るものは見られるもの」という感覚は、そのような自我のギャップ状の変化により生じる一時的な過渡現象なのです。
それらは、水面に石を投げ入れたときに生じる波紋のようなものであり、水面が落ち着くに連れ収まっていくものなのです。

できれば、この新たな観点から、悟りの階梯について再度書き直してみたいと思っています。


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読んで頂いてありがとうございました。

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