◇改めて悟りの階梯(3)◇
第二の段階(天界の悟り、5次元)は、私という自我を捉える見性と真我の第一段階の覚醒の両方を得た階層です。
この階層の象徴的なイメージは、幸福感、創造主、二元だと私は思っています。
まず、幸福感とその周辺について。
この階層では、見性と真我の第一覚醒の両方が得られているため、その両方の特徴が反映されます。
4次元では、自我か真我の片方の覚醒しか得られてないため、意識の状態がアンバランスであったのですが、それが改善され、安定しやすくなります。
具体的には、真我の第一覚醒が得られているため、基本的に真我の外縁による感覚が前面に出てきやすく、意識や感覚の状態として、幸福感、積極性、楽しさ(ジョイ)、愛、感謝などのバイアスが日常的にかかりやすくなります。
それでいて、自我が捉えられてますから、そのような真我の外縁による感覚に必要以上に翻弄されることもなく、バランスが保たれやすいです。
次に、創造主とその周辺について。
この階層では、4次元よりも、自我が薄くなっており、起こってくる考えも減っていますから、考えに翻弄される割合も減ります。
それでいて、この階層におられる大半の方にとっては、自我に相当程度の厚みがまだ残ってますので、創造主として自我を駆使し、考えを操るには好都合なのです。
中には、創造主としての能力や実感を楽しまれる方がおられるだろうと思います。
この次元は、人が考えの主人(マスター)になる次元なのです。
なお、自我の削減が進んでしまっている方の場合は、そのような創造主としての実感は薄い場合があると思います。
次に、二元とその周辺について。
この階層は、まだ良い悪いで代表される二元の迷いの中なのです。
この階層におられる大半の方は、真我の外縁が見せる愛や善等に代表される二元の感覚(考え)に囚われています。
さらに、この階層について申し上げるとすると、その複雑さと、分厚さと、迷いやすさです。
複雑さについては、この階層におられる大半の方は、まだ多種多様な考えを握りしめておられます。
そのため、その方に起こってくる考えや出来事の展開も複雑で多様なものになる傾向があります。
また、分厚さについては、この階層におられる大半の方がまだ相当数の考えを握りしめておられます。
そのため、それらの考えに対する手放しが並大抵ではないのです。
また、迷いやすさについては、真我の外縁が見せる幸福感や楽しさ等が迷いを誘います。
自分に意識を向けるべきところ、どうしても意識が外側に向いてしまうのです。
この階層から抜け出すには、日常生活の中での経験や、自分に意識を向ける自覚等を通じて、自我が掴んでいる考えを手放していく必要があります。
そうやって考えの手放しが進んでいくうち、自ずと第三の段階の悟りである大悟に導かれていきます。
続きます。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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第二の段階(天界の悟り、5次元)は、私という自我を捉える見性と真我の第一段階の覚醒の両方を得た階層です。
この階層の象徴的なイメージは、幸福感、創造主、二元だと私は思っています。
まず、幸福感とその周辺について。
この階層では、見性と真我の第一覚醒の両方が得られているため、その両方の特徴が反映されます。
4次元では、自我か真我の片方の覚醒しか得られてないため、意識の状態がアンバランスであったのですが、それが改善され、安定しやすくなります。
具体的には、真我の第一覚醒が得られているため、基本的に真我の外縁による感覚が前面に出てきやすく、意識や感覚の状態として、幸福感、積極性、楽しさ(ジョイ)、愛、感謝などのバイアスが日常的にかかりやすくなります。
それでいて、自我が捉えられてますから、そのような真我の外縁による感覚に必要以上に翻弄されることもなく、バランスが保たれやすいです。
次に、創造主とその周辺について。
この階層では、4次元よりも、自我が薄くなっており、起こってくる考えも減っていますから、考えに翻弄される割合も減ります。
それでいて、この階層におられる大半の方にとっては、自我に相当程度の厚みがまだ残ってますので、創造主として自我を駆使し、考えを操るには好都合なのです。
中には、創造主としての能力や実感を楽しまれる方がおられるだろうと思います。
この次元は、人が考えの主人(マスター)になる次元なのです。
なお、自我の削減が進んでしまっている方の場合は、そのような創造主としての実感は薄い場合があると思います。
次に、二元とその周辺について。
この階層は、まだ良い悪いで代表される二元の迷いの中なのです。
この階層におられる大半の方は、真我の外縁が見せる愛や善等に代表される二元の感覚(考え)に囚われています。
さらに、この階層について申し上げるとすると、その複雑さと、分厚さと、迷いやすさです。
複雑さについては、この階層におられる大半の方は、まだ多種多様な考えを握りしめておられます。
そのため、その方に起こってくる考えや出来事の展開も複雑で多様なものになる傾向があります。
また、分厚さについては、この階層におられる大半の方がまだ相当数の考えを握りしめておられます。
そのため、それらの考えに対する手放しが並大抵ではないのです。
また、迷いやすさについては、真我の外縁が見せる幸福感や楽しさ等が迷いを誘います。
自分に意識を向けるべきところ、どうしても意識が外側に向いてしまうのです。
この階層から抜け出すには、日常生活の中での経験や、自分に意識を向ける自覚等を通じて、自我が掴んでいる考えを手放していく必要があります。
そうやって考えの手放しが進んでいくうち、自ずと第三の段階の悟りである大悟に導かれていきます。
続きます。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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最近ひょんなことから自我が掴める感覚というかパッと湧き出る考え(自分の感覚では意味付けみたいなもの)が掴める感覚みたいなものが感じられるようになって来たので慧空さんのブログを過去記事から読み返させていただきながら手探りでいろいろ試しています
今でも湧き出る苦しみを手放すことが出来ずに毎日苦しいです
自我を見つめる感覚はなんとなくわかるのですがハートを意識するワークはなかなか感覚が掴めていませんのでこれからブログか掲示板に現れると思うのでよければよろしくお願いします
それといつも素晴らしい記事をありがとうございます(^^)
コメントありがとうございます。
>最近ひょんなことから自我が掴める感覚というかパッと湧き出る考え(自分の感覚では意味付けみたいなもの)が掴める感覚みたいなものが感じられるようになって来た
おそらく、21さいさんは考えを捉えられるようになってきておられるんだろうと思います。
お若いのに素晴らしいです。
>今でも湧き出る苦しみを手放すことが出来ずに毎日苦しいです
苦しみにもいろいろありますが、それを手放すのは簡単ではありません。
手放すのは無理だと諦められるのなら、その方が簡単です。
また、存在の根底にあるような苦しみについては、それを感じ始めたなら、それを一時的に忘れることはあっても逃れることはできません。
悟りの道を歩む人にとって、苦しみは災いではなく、むしろ恩恵なのです。
苦しいことは良いことだと思って、歩んで頂きたいと思います。(^^)
無責任なことを言いまして、ごめんなさいね。
でもこれが事実なのです。(^^)
>ハートを意識するワークはなかなか感覚が掴めていませんのでこれからブログか掲示板に現れると思うのでよければよろしくお願いします
ハートを意識する自覚は、人によっては難しいようです。
焦らずやって頂きたいと思います。
こちらこそ、よろしくお願いします。
コメントありがとうございます。
>どうすれば、もっと早く 中心意識にちかずけますか? ご指導願います。
意図して許すことが出来れば、それに超したことはないのですが、現実にはなかなか難しいです。
地道にコツコツと自覚をやられることで、ちびっこさんが握りしめている考え(執着、囚われ)に気づいていくしかありません。
執着や囚われに気づけば、それらの手放しが進んでいきます。
近道や効率的な方法はありません。
強いて言えば、自覚が最も効率的で確実な方法だと思います。
自覚に取り組まれるとのこと、素晴らしいです。
応援しております。(^^)
コメント待ってます。何でもご遠慮なくお書きくださいな。
このブログに付設の掲示板(http://jbbs.shitaraba.net/study/12486/)(ブログ画面の右端にリンクがあります)に書いて頂いても結構です。
書き込み待ってまーす(^^)/