連絡が遅くなり欠礼の連絡をしている暇がありませんでした。
12月14日に父がなくなり、その後始末に追われております。
今年、満100歳となり、このままいつまで大丈夫なのかなーと漠然と考えておりしたが、酸素濃度が下がり特養の職員が吸入をしつつ救急車が到着したときにはすでに心肺停止状態で、眠るがこときの大往生でした。
12月14日に父がなくなり、その後始末に追われております。
今年、満100歳となり、このままいつまで大丈夫なのかなーと漠然と考えておりしたが、酸素濃度が下がり特養の職員が吸入をしつつ救急車が到着したときにはすでに心肺停止状態で、眠るがこときの大往生でした。
甦るのが得意な親父だったので、最初の電話がきたときに、また大丈夫かな、と一瞬思いましたが、さすがに今回はだめでした。でも最後までオムツも使わず、ほとんど自立した生活を送れましたので幸せであったと思います。
前の日まで普通だったので、なんだかあっけない幕切れで、あまりまだ実感がわきません。毎日、骨壺の傍らで酒を酌み交わしています。
100歳の天寿の全うですから、ある意味めでたいとも言えます。でもお寂しい正月になったと心中お察し申し上げます。私的には、周りに迷惑も掛けず、自立出来ていて、生物の細胞の限界として苦しまず眠るように往生できるのは憧れてしまいます。うらやましい死に方です。「終わりよければ全てよし」ですね。
普段いなくても、いざ骨になると空虚感が襲ってくる物。大いに対座してお酒を酌み交わしてあげて下さい。逆順でない事が一番の孝行です。
本人は三年前ほど前にお告げがあったと称して、自分の命日を98歳の9月22日と決めていましたが、それよりも2年間長生きしました。戦中の5年間、戦場にいてかすり傷ひとつ負わなかったくらいですから運もよかったのでしょう。