亮のブログ

もと電電公社退職退職の老人です。スポーツ、社会問題など気のむいた記事を自由に載せます。

狂人加藤の考察

2008-06-12 16:05:51 | Weblog
加藤智大についての考察 


 狂気の殺人魔加藤についての考察を述べてみたい。ニュースを見ていたら加藤の祖父母や両親たちの感想が放映されていた。この場面で不思議なのは、これ等の近親者達の顔が一切写されない事であった。
被害者の多くの肉親達の顔はテレビで放映されていたが、何故、加藤の近親者達の顔が放映されないのか、不思議な現象であった。

 本来なら罪を犯した側の人達の顔は放映しても、被害者の家族の顔こそ隠すべきではないのか、日本は何故加害者のプライベートは守られて、被害者のそれが守られないのだろう。この現象は本来から言えば逆転していると思う。加害者側は世間に身内の顔も公表されるべきである。それにより加害者となれば残された家族にも迷惑を掛けることを予測して、犯罪を犯すことに躊躇するのではないか、

 もう一点、加害者の身内の話しでは、両親が祖父母に教育方針に関与しないでくれと言って、近くにいる祖父母と加藤の触れ合いを禁じていたという。この両親の態度も奇妙である。教育方針に介入しないことと、近所に住む祖父母との接触を禁じることは両親の行きすぎた行為であり、当人の加藤もそれを金科玉条のように守っていたのは異常な行動である。

 また、マスコミが加藤の肉親に対して「この事件をどう思いますか?」と尋ねていたが、この質問も誠に可笑しな質問である。この種の事件について、こうしたマスコミの質問をよく目にするが、まさか肉親者が「喜んでおります」とでも答えると期待しているのだろうか、意味不明の質問である。

 この事件について、何故いろいろなメールなどがパソコンで流れていたのに、警察はなんとも予防策を取れなかったのかと質問する向きもあるが、警察はもともと事件が発生するまでは動けないのであり、この態度は仕方がないだろう。例えば殺人ばかりでなく強姦でも実行すれば犯罪となるが、心の中で思うことは許容されるのが当たり前で、心の中で思っただけでも犯罪になっては殆どの人が犯人となって仕舞う。ここに警察の不介入の原理がある。