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何かマニアックなものを待ち望むブログ(二代目)

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カービィとデデデ大王の関係について考えてみた(再構成版)。

2016年09月25日 20時11分58秒 | カービィ

こんにちは。今日も考察です。

今回は、Twitterの #カービィ版深夜の真剣考察60分一本勝負 の2016年2月12日分お題に挑戦した文章を再構成してみようと思います。
内容は、「カービィとデデデの関係について」ですが、カービィと大王様それぞれの人となりを、初期作品などでの描写から想像して書いています。
その人となりにどう変化があったのか、がふたりの関係性になると思ったので。


昔々、カービィが現れる前の大王様は、きっちりとした王様(支配者)では当然無かったでしょう。
山の向こうから突然やって来たその姿は、どちらかと言えばお山の大将に近いものだったのではないかと思われます。
プププ大全に載っていた設定を見るに、大王様の手下は統制されて決まった人が決まった仕事をしているというよりは、
その都度勧誘して子分のようにしたり、仕事を頼んだり…というような、かなり流動的、刹那的な関係であることが想定されます。
それだけに、彼がわがままを言ったりして、付き合いきれなくなった場合、多くの「手下」は比較的簡単に彼から離れられた
(さらに、ほとぼりが冷めたら戻ってくることもできた)のではないかと思います。
そうすると、彼がおイタをし続けても止めてくれる人はおらず、彼も調子に乗り続け、
最終的に「国中の食べ物を一晩で盗み出す」というスケールの大きなイタズラをするまでになってしまったのでしょう。
もっと言うと、大王様は自分のお城にプロレスリングなど作っているくらいなので、
大王様は、ここで毎日国中のケンカ好きな連中と対戦しては、自分の力を見せつけてきたのかもしれません。
彼に一度敗れて以来、あるいは、その強さに惹かれて、彼についていくようになった…なんて部下もいるかもしれませんね。
そこまで行くと、力ずくでもって彼を止めるにしても、そんなことができるようなひとは誰も居なかったでしょう。

さて、そこに現れたのが星のカービィです
彼は旅人でしたが、困ったみんなの声を聞いて悪い大王をやっつけに行くわけです。
この頃から彼は「おひとよし」だったようですね。
結果、国中でだれも勝てるひとがいなかった大王を、なんとフルボッコしてしまいます。

これには、さすがの大王様も仰天したはずです。
皆に迷惑をかけることも、自分が一番強くて偉いことも、当たり前だと思っていたことが、全部ひっくり返っちゃったんですから

初代「星のカービィ」のエンディングでカービィに負けた大王様は大泣きしてしまいますが、それも当然と思えますね。

そこで、カービィの側もかなり驚いたんじゃないかというのが私の考えです。
なぜなら、カービィとしてはこのとき、「悪いやつをやっつけて食べ物を取り返そう」という、非常にシンプルな考えで動いていたと思うのですが、
やっつけるべき「悪いやつ」が、目の前でボロボロ泣き出しちゃった。
そこで、本来シンプルな一本道であるはずだったものに、迷いが出てしまったのではないかなと思います。
それは、「この人に可哀想なことをしてしまったんじゃないか、ちょっとやり過ぎちゃったんじゃないか」という迷いです。
画面から退場する大王を追いかけていったのは、そういう気持ちが芽生えたからではないかと私は考えます。

そこから「夢の泉の物語」までに、どんなことがあったかわかりませんし、その後ふたりが話をしたりする機会があったのかどうかも不明ですが、
その間に大王様はカービィに勝つため血の滲むような努力をし、新技まで身につけ、
カービィは、皆から与えられた家に住み彼の国へ定住することとなるのです(うーん尊い)

そして夢の泉で起こる事件。当時の取扱説明書に物語冒頭でのふたりの会話があります。
これを読むに、大王様は決して慌てたりすることなく、大人のような落ち着きをもってカービィに説明しようとしていますが、
カービィはもうカンカンに怒っている様子。話を聞く余裕なんてありません。
でも、初代での反応を考察したあとですと、
これは「あのときちょっとでもやり過ぎたと思った自分が間違っていた、こいつはやっぱり紛れもない悪人だ!」という怒りだったのではないかとも思います。
結局、この怒りは全く見当違いで、カービィがナイトメアを倒して事は丸く収まるのですが、
冷静な対応力があったり、ひそかな努力家だったりする大王様は、物語の中で大人、年長者として書かれている感じがします。
対して、周りを見ず突っ走ってしまったり、大王様の手を借りたりするところから、カービィは文字通りの「わかもの」であり、年少者のようです。

年少者は真っ直ぐで力に溢れているけれど、年長者の助けや導きが無ければ道を誤ってしまうこともある、といったところでしょうか。
反対に、年少者の素直さと力によって、堕落した生活から目を覚まされた年長者、というのが初代のお話だと言えるかもしれません。

コピー能力「ハンマー」説明文に「大王直伝」の文字が入るのは「スーパーデラックス」から。
この後和解したふたりは、技を教え・教わる間柄に変わっていったのでしょうか(あー尊い)


カービィの持つという、「無限のパワー」とやらを考えてみた。

2016年09月21日 23時35分40秒 | カービィ
最新作のソウル系良かった(挨拶)
 
お久しぶりです。2年あいちゃった。
久しぶりの長文投稿というやつです。
皆さん、「星のカービィ ロボボプラネット」はもう遊びました? トリデラがヤバイならロボプラはしんどいだね(褒めてる)。
 
 
さて、「ロボボプラネット」において、カービィの持つ「無限のパワー」について言及がなされました。
「Wii」でマスタークラウンに宿る「無限のチカラ」とほぼ同じ語で、ちょっと不気味ですね。
この「無限のパワー」とやら、「ロボボ~」で唐突に現れた概念なので、
メタ的に考えれば「スタッフ(たぶん熊崎氏)が後付けした設定」です。
カービィは強い!という、いわゆる「主人公補正」の言い換えかもしれません。
 
でも、もしもそんな「後付け設定」が、過去作までの謎と、うまく噛み合ったら。
まるで元々あったもののように、シリーズ全体にしっくりと馴染む後付け設定って、とても素敵ですよね。
 
そんなわけで、今回はカービィの「無限のパワー」について考えてみます。
 
パワーと云っても、生身の状態で力が強くなったり、受けるダメージを減らしたりするようなものではないようです。
「Wii」で同じプレイヤーキャラとして並ぶデデデ大王やメタナイト、ワドルディと比べても、極端に強い、ということはありません。
ゲームの中で、普通にダメージを受けて、体力が無くなればミスになるカービィは、
少なくとも、不死身の体を持った超人ではなく、傷つきながら戦う等身大のヒーローのようです。
 
カービィの代名詞:コピー能力に関しても、その関連性を裏付けるには今のところ情報が足りません。
「3」でダークマターの種族であるグーイもコピー能力を使えましたが、
彼が「無限のパワー」を持っているかは現時点ではわかりません。
 
では、「無限のパワー」とは、いったい何か?
はじめてその概念が出てきた「ロボボ~」を振り返ると、それを考えるヒントがあります。
 
本作で登場するカービィの頼れる相棒ロボボアーマー
これは、敵であるインベードアーマーがカービィの搭乗により姿を変えたものですが、
インベードアーマー自体の設計である「乗る者によって発揮するパワーが異なる」機能があるとはいえ、
最終的にはその開発者である星の夢も脅威を感じるほどの「性能をはるかに超えるエネルギー」を持つに至っており、
星の夢自体がそれを指して「無限のパワー」と呼んでいるような印象を受けます。
 
(余談。『無限のパワー』なる言葉が出てくるポーズ時のメッセージは、星の夢の視点で語られているような節がある。
 星の夢が個人的に認識しているパワーなのかもしれない。)
 
これを元に考えると、「無限のパワー」を引き出すにはカービィ単体ではダメで、必ず何らかの媒体を必要とするのではないでしょうか。
そう仮説すると、過去作の中でも同じように、「媒体を通してカービィが力を発揮した」と考えられる事例が挙げられます。
そのひとつが、「夢の泉の物語」におけるスターロッドです。
 
 
「夢の泉~」では、デデデ大王はナイトメアを封印するためスターロッドを隠してしまいます。
しかし、最終的にはカービィがスターロッドを使ってナイトメアを退治しているのです。
 
それでは、何故デデデ大王が最初から自分でスターロッドを使い、ナイトメアを倒さなかったのでしょうか。
もし、倒さなかったのではなく、倒せなかったのだとしたらどうでしょう。
つまり、平時のスターロッドには戦うための力など無かったのだとしたら。
 
すなわち、スターロッドでナイトメアを倒せたのは、カービィの持つパワーがスターロッドを「ナイトメアを倒せるものに変化/強化」させたから、と考えることができるのです。
そうだとしたら、デデデ大王に(みずからスターロッドを用いて)ナイトメアを倒すという選択肢が無かったのも当然だったと言えます。
 
ひょっとしたら、初代「星のカービィ」において
空飛ぶ秘宝きらきらぼしでカービィが気球のように膨らんだのも、
きらきらぼしを媒体としてカービィの「無限のパワー」が発揮された結果なのかもしれません。
(それを奪ったデデデ大王本人が、ゲーム中で空を飛ぶようなことが一切無かったため。)
 
そうすると、他のさまざまなアイテムにも、カービィの「無限のパワー」が働いているのかというと、
例えば「鏡の大迷宮」のマスターソード、「参上!ドロッチェ団」のトリプルスター等のように、
もともと強力な力を持った武器というだけに見えるものもあります。
「タッチ!カービィ」の魔法の絵筆などは、それ自体の意思があってカービィを助けているようにも見えますね。
 
ですので、いわゆるラスボス専用武器群が全て「無限のパワー」を引き出しているわけでは無さそうですが、
「無限のパワー」に言及してしまったこの先、カービィがどんなアイテムでどんな力を発揮してくれるのか、
早くも次回作が楽しみですね。

3DSソフト「星のカービィトリプルデラックス」について考えてみた。

2014年03月20日 16時23分03秒 | カービィ

死んでるブログを再生するよプロジェクト。
気付けば無職。翠玉です。


目が覚めたら2014年。一時停滞していた「星のカービィ」シリーズは
驚くべき進化を遂げていた。


ということで、今日は「星のカービィトリプルデラックス(3DS)」
(以下「トリデラ」)について。
※ネタバレ有です。未プレイの方はご注意下さい。

 

 

 

 

 

まず、言いたいこと。「トリデラは、ヤバイ」。

何がヤバイのか、以下で語ります。 


1. 既存キャラクターの魅せ方がヤバイ

原始、カービィの生みの親、桜井政博氏は言いました。
「カービィとはカーソルである」と。 

しかし今作ではこっちに向かって頷いてくるわ、デデデに飛びついて喜ぶわ…
と感情豊かなこと。かわいい。


トリデラでは、カービィというキャラクターは
「プレイヤーの感情移入を要求するキャラ」へと変貌しています。 


 尤も、「ヒロインを救出できたら嬉しい」とか
「強敵の前にはキリリと緊張する」とかは、
プレイヤーのわりと当たり前の感情。
これは、桜井氏ディレクション時代からの
「主人公はプレイヤーの意思を反映すべき」というキャラ作りから、
そんなに外れていないように思える…のですが、どうでしょう?


そして、デデデ大王
このキャラクターがちょっと特殊で、
アニメで一回強烈な「別キャラクター」としての
キャラ付け(語尾とか性格とか)をされ、
それが定着しかかっているわけです。


そのせいなのか、または元々のゲームの性質か、
ゲームでのキャラ付けは薄味気味…なのですが、
それを上手くまとめあげようとしている所に注目。

(そもそもウルトラスーパーデラックス(USDX)の時点で、
 アニメ寄りの設定を極力排除した、あの感じは凄い。閑話休題)


 今回、洗脳されてアクス振り回したり
しているけれど、ちゃんと大王様であります。

と、そもそも
洗脳・イケメン(カッコつけ?)・ツンデレ・カービィとのライバル具合。
これ全て、歴代ゲームデデデの要素なのでした。


 ちょっと持ち上げ過ぎ? いえいえ、桜井氏もやってますし(スマブラX)。 


2. 新キャラの設定がヤバイ

トリデラが過去作と一線を画している所は、
新キャラでめっちゃ切ないストーリーを語りだした!ということ。


しかもその切ないバックグラウンドは、
ボス戦中にスタートボタンを押して
ポーズ画面を見ないと、全部がわからない!

(ディレクターの各所での発言を見るに、どうやらポーズ画面を見る前提で
 ストーリーが作られている!きっと、見ない人もいるのに!!)


そして、もはや「新しいカービィのお約束」と呼んで良いでしょう、
ソウル系ラスボスの確立と定番化。
こいつは、魔法使い系、暗黒物質系に続く、3のカービィシリーズ。 


しかしここでも旧作リスペクトは忘れないのがトリデラ。
真相が最初から見えないのは、夢の泉から脈々と続く
カービィ定番の要素
なのでした。



3. ゲームとしての出来がヤバイ

ここまで、いかにもキャラクター、ストーリー重視の
ゲームのように説明してきましたが、
どっこい只のキャラゲーじゃないのがカービィの凄い所。


しっかり遊びの部分は「カービィ」していて、
しかも過去作要素がまとまっている。


初心者に優しいのに、
上を目指そうとすると鬼畜(これは初代からの要素)。


尚且つ新しい要素もある(奥手前、ビッグバン吸い込み等)。


と、全て揃っていて、
且つゲームとしてバランスがとれているのです。


まさに子供から大人まで、
ライトユーザからアクションゲーム好きまで、
全方位対応型ゲーム
なにこれこわい。



4. そもそも発想からして常軌を逸している

これが一番重要かもしれない。

今回、大きなお友達が唸る
…を通り越して悲鳴をあげている出来のトリデラですが、
その出来を決定づけた超原因とされているのが、
本作のディレクター、熊崎信也氏です。


ちょっとだけ昔、前作「Wii」の「社長が訊く」で、
岩田社長から「カービィらしさ」を問われた熊崎氏は、
同席する他のクリエイターが抽象的な答えを返す中、ひとり
「奥の深い設定」「燃える展開」を楽しめるもの、
という異端な回答をしていたのでした。


でも、コアなファンは知っています。
かつて自分達がカービィにハマった時、そういった要素に
強く惹かれていたことを。

つまり、この回答は、完全にファン目線の回答。


他にも、
「もっとセリフついててもいいのよ」
「音楽の作曲者がわかるといいな」

「暗黒物質が、鏡勢が持て余されてて勿体無い」
「デデデの扱い良くして欲しい」


これ、大体コアなファンのご意見なのですが、全部叶えてきてるじゃないですか…。

これ、どう考えても、熊崎氏その人がカービィのファン。それも、シリーズ全体へ、相当大きな愛を持っているとしか思えないのです。

思えば、熊崎氏の関わった「USDX」も「Wii」も、ゲームとしての出来が素晴らしい、評価の高い作品でした。が、この過去2作の時点で、氏のカラーは既に発揮されていました。

ファンの要望をこっそり拾い上げ、
過去作の要素をしたたかに持ち上げること。

あっと驚くような新しい演出や、意味深なテキストを盛り込むこと。
そして、ラスボスに並々ならぬ情熱を注ぎ、
最強最燃の存在をつくり上げること。

しかも、そのカラーは、新作が出るたびに濃くなっている。


だから、現状最も熊崎氏のカラー、というか、趣味と情熱が詰まっている作品が、トリデラだと言えるわけです。

いわば、熊崎氏というビッグ・ファンに作られた究極のファン・フィクション。


終わりに。

カービィは、きっとこれからもコアなファン視点で作られるでしょう。
というか、作られて欲しい。
自重なんてしないで突き進んで頂ければと、心から願う次第です。


そして、そうなれば過去作の要素も、
どんどんぶち込んできてくださる可能性大、です。

(ちなみに現在のカービィシリーズプロジェクトマネージャーはグーイ好きです。
 大事なことなので言及しておきます。)


いやぁ、次のソウル系楽しみですね!