ギガミ3巻のネタバレ感想第2回。
※ロックマンギガミックス3巻のネタバレに触れています。未読者閲覧注意!!
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今回はキャラごとに感想。
◆「主人公」ロックマンとはなんだったのか
作中のカットマンのくだりは、そのままロックの
「世界とか人類とか他人とかの為じゃなく、自分の為に生きる(戦う)」
という結論にリンクしていくのですが、
それとは裏腹に、世界共通の希望でありヒーローであり偶像である
「ロックマン」という存在は、常にあるように思えるのです。
ちょっと専門的な言い方をすると、
「ロックマン」が大文字の他者として存在してて、
各方面(ロック本人も含めて)に影響を及ぼしていると。
ロックの「僕はロックマンなんだ」というアイデンティティー。
今回、はっきり断言してくれて良かったです。
今までは、ロック自身の意思がどこに向かってるのか、
(≒戦いたいのか戦いたくないのか)
イマイチわからないところがあったので…;
「ロックマン」とは不屈の闘志を持ち、
常に人々の平和のために命を賭して戦うもの。
ロックにとって、それは「自分」ではあるんだけれど、
ある意味
「自分がなりたいもの」「自分がならなくちゃいけないもの(未然)」
でもあり、同時に世間一般から
「こうだと期待されているもの」でもある感じがするのです。
つまり、「ロックマン」は元々ロックそのものでありながら、
ロック自身の「理想の自分」でもあり、
社会にとっての「理想のヒーロー」でもあるというような、
広がりすぎてしまった感じが。これがリアルヒーローなのか。
今回、デューオ(真)にガンガン問い詰められまくったせいで、
ロック自身の考える「ロックマン」というものが顕になって良かった。
そして、ロックが「ロックマン」であることに疲れたり、
疑問や違和感を感じたりしていないようで一安心。。。
ちなみに、
「ロックマン」であることがアイデンティティーというのは、
コピーロックマンと全く同じなんだよね。
本物とコピーの間に、本質的な違いは何もなかったってこと?
…ウム。
◆カットマンという男はどうしてあんなにカッコいいのか
今回、というか今回も、というか、
とにかくカットマンがカッコよくてカッコよい。
そしてフェードアウトする直前まで極めて主体的であり、
それなのにやろうとしていることは自己消失という非主体さ、
とどのつまりは「俺は主人公じゃないから」というのを
体を張って語っているということ。
つまり、彼はあくまでも「裏主人公」なのであります。
悲壮だけど勇壮。なんて奴だ結婚してください←
「自分の体を犠牲にして兄弟を助ける」というのは
鉄腕アトムでもあった構図で、所謂古典でもありますしね。
電子頭脳にデータ入れ替え→本人は消滅って流れも
ちょっと意外だったけれど、流れとしては王道なのかも…
ここで、人工頭脳とかAIじゃなく「電子頭脳」って言葉を使う
ところもニクイ。
◆シャドーマンとは一体何だったのか
なんでこんなにこの人普通の人なんだ!!
一言でいうとこんなん。
ギガミのシャドーマンは、物凄い大事件に巻き込まれ、
物凄い重要な立ち回りを要求されているけど
そういった場面に慣れていない、まさに「普通の人」でした。
そりゃもう、驚くほどに。
で、次々と起こる非日常的シチュエーションに、
普通の人なりに、必死にしがみついている。
だから、リアクションその他が読者の側に近くなっているようです。
シャドーマンなのにっ!w
そして、ギガミ1巻であれだけ見せつけた強さも、
クイックには全然及ばない→修行が足りないんだ!
で、しまいには修行の旅に出てしまう始末。あれ?
…やっぱり普通の人だ。
謎めいた部分についても、何ら語られることなく、
単に「とあるワイリーナンバーズロボ」として描かれている
有賀シャドーマン。
うーん、何か一波乱あるのかと思ってたから
正直、肩透かしだったなぁ…。
修行に出たのちの彼の物語が読みたい。
※もうちょっとだけ続くんじゃ(予定)。
その解釈のロックマンはどちらかというとエックスに近いなぁ。
というか有賀ロックマンのシリアスストーリーは全体的にエックスの雰囲気がするんだよね。
キャラクターのディティールもエックスシリーズっぽいし。
カットマンについての展開は個人的に良。
自己犠牲が安易と言えばそれまでだが。。。
シャドーマンはこれまでのキャラがシャドーマン自身によるキャラ作りと考えれば、さらに人間臭さが増しますね。
「自分は隠密だからかくあるべき」という信念をキャラとして演じていたというか。
で、許容範囲を超えた事態に地が出てきてしまったと。
(自分の理想とする人物を演じるなんて、まさに人間的)
そういう意味ではロックマン並みに思考回路が人間に近くレプリロイドに近いなぁ。
有賀版のロボットたちって、
下手するとレプリロイドとかよりずっと人間臭いんですよねぇ。
「マンガのウソ」(手塚治虫語録)でもありロマンでもあり。。。
それはそれで、というかむしろそれが大好きなんですけど、
ゲームのほうが比較するとかなり「あっさり」してるので
(&それを有賀先生が支持してるのでなおさら)
どうしてもギャップを感じちゃいますね。
シャドーマンの序盤(メガミなど)のキャラ付けは、
あまりに長すぎる熟成期間だったと思うのですよ…
(多分最初の構想と変わっているところもあるのでしょうが;)
今回のシャドー話が
「ワイリーナンバーズ、シャドーマンの場合」
感が強いので、そのせいで
他のDWNの内面が見てみたくなってしまう罠。