写真で綴る気ままなすぎさん

野鳥・花・祭り・生活など気ままに撮り歩いた写真の紹介

横浜山手通り 洋館と建物

2019年11月06日 08時18分07秒 |  横浜 鎌倉 小田原 伊豆 (東海道) ~花めぐり

横浜 港の見える丘公園 山手通り~外交官の家までの洋館と建物を
港の見える丘公園からの横浜みなとの風景 ベイブリッジ

横浜市イギリス館  横浜市中区山手町115-3
昭和12(1937)年に、上海の大英工部総署の設計、英国総領事公邸として、現在地に建てられました。

山手111番館 横浜市中区山手町の港の見える丘公園内にある西洋館
大正15(1926)年にアメリカ人ラフィン氏の住宅として建設

大佛次郎記念館 横浜市中区山手町113番地
作家大佛次郎の記念館である。港の見える丘公園に隣接した位置に所在する。設計は浦辺鎮太郎

岩崎博物館(ゲーテ座記念) 横浜市中区山手町254
岩崎ミュージアムは、横浜開港期の西洋劇場 ゲーテ座の面影を感じさせる服飾資料を中心とした博物館。
1885(明治18)年に建て られた商業劇場ゲーテ座の跡地の一部

外人墓地 横浜市中区山手にある外国人墓地
横浜の観光スポットの一つ。 横浜外国人墓地は開国にわく1800年代から、多くの外国人達の最後の安らぎの場として広く親しまれています。

山手十番館 / 仏レストラン&カフェ
異国情緒あるレトロな洋館 昭和42年(1967年)明治100年を記念して建てられた

山手資料館 横浜市中区山手町247
明治42年に建造された、横浜市内に残る唯一の「和洋併設型住宅」木造西洋館

横浜山手聖公会 横浜市中区山手町235番地 1931年 設計: J・H・モーガン

自動電話 横浜市中区山手町234
レトロな公衆電話

山手234番館 横浜市中区山手町234−1
昭和2(1927)年頃に外国人向けの共同住宅(アパートメントハウス)として、現在の敷地に建てられました。ここは関東大震災の復興事業の一つで、横浜を離れた外国人に戻ってもらうために建設された経緯があります。設計者は、隣接する山手89-6番館(現「えの木てい」)と同じ、朝香吉蔵です。

エリスマン邸 横浜市中区元町1丁目77−4
生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人格として活躍した、スイス生まれのフリッツ・エリスマン氏の邸宅でした。大正14(1925)年から15(1926)年にかけて、山手町127番地に建てられました。設計は、「近代建築の父」といわれるチェコ人の建築家アントニン・レーモンドです。

ベーリック・ホール  横浜市中区山手町234−1
関東大震災の復興事業の一つで、横浜を離れた外国人に戻ってもらうために 建設された経緯があります。平成9(1997)年から保全改修工事を行い、平成11( 1999)年から一般公開しています。

カトリック山手教会

プラフ18番館 横浜市中区山手町16
関東大震災後に山手町45番地に建てられたオーストラリアの貿易商バウデン氏の住宅でした。戦後は天主公教横浜地区(現カトリック横浜司教区)の所有となり、カトリック山手教会の司祭館として平成3(1991)年まで使用されていました。同年に横浜市が部材の寄贈を受け、山手イタリア山庭園内に移築復元し、平成5(1993)年から一般公開

外交官の家 横浜市中区山手町16
1910年に建築された塔屋付き木造2階建の西洋館。1997年に国の重要文化財に指定。明治政府の外交官内田定槌の邸宅として、アメリカ人建築家のジェームズ・ガーディナーの設計により東京都渋谷区南平台町に建てられた


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