心機一転とは、区切りをつけてよい方向に舵を切るようなそんな意味。
ここではそんな大仰なものではなく、新しい年を迎えたし、今日から仕事初めだったし、何か日常に変化を付けたいなくらいの軽い気持ち。
自分の部屋で夜のしじまに浸り、物事を考える時間があってもいいのではないか、どうせ考えるのなら、思うがまま、文章に残してみてはどうか。
そんな程度の話である。
さて、年末に、自分の部屋とか、職場であてがわれている仕事部屋とか、例年より少しだけ丁寧に片付けてみた。
うまく、というか、狙い通りに片付くと居心地が変わる。
頭の中も整理できたような、もっと言えば生活そのものが整ったような、そんな錯覚に陥る。
ところで、この「片付け」。
一言で「片付け」といっても、いろんなポリシーがあるようだ。
自分の場合、作業をするスペースを作ったり、動線を確保したり。
それによって、いかに機能的にモノを配置するか。
ここが最重要ポイントとなる。
「全然片付いてないやん。」
わかってない。
いかにひとつひとつのモノたちが、考え抜かれて、機能的に配置されているか。
それは人にわかってもらうためのことではないのでどうでもいい。
モノを視界に入らないようにどこかへしまう。
そういうポリシーの人もおられる。
そういう人がやる気になって家中を「片付け」はじめると厄介だ。
モノがなくなる。
とは言いすぎだけれど、何をどこへしまったのか、片付けた本人を含めて「わからない」ということがたまに起きる。
こうなるとやっかいで、家中を片っ端から捜索することになる。
捜索の果てにあきらめることも・・・。
目をつぶっても、手を伸ばせば目的のモノが取り出せる、という状態を理想とする自分にとってこれは苦痛であり、ストレスにほかならない。
ただこれはやはり人によってポリシーが異なり、自分も含めて曲げられない世界観の1つなので、安易に修正を求めてはいけないなとも思う。
世の中すべからく、「妥協点をどこに求めるか」。
これこそ究極のコミュニケーション能力ではないかと思うがいかがなものか。
整理整頓。
これをシステマティックに考えると、引き出し単位であれ、部屋の単位であれ、大まかに次の6つのステップが必要となる。
① 今あるものを一旦すべて並べてみる。
② 日常的に使うもの、日常ではないが必要なもの、すでに不要になってしまったもの、取っておいても使うチャンスのないものなど、
レベルの差はあれ、分類してみる。
③ 広い意味で不要と判断したものを容赦なく捨てる。
④ 埃を拭いたり、汚れを取り除く。
⑤ しまう場所を再設計する。
⑥ 優先順位に基づいて配置していく。
①~③が整理。④~⑥が整頓。
とは言いながらこれも時間との闘い。根気との闘い。
しつこいようだが、世の中すべからく、「妥協点をどこに求めるか」。
もしかしたら、生活とは、「妥協点をどこに求めるか」のくりかえしなのか。
生きるとは・・・。
話が長くなった。
この辺で妥協しておきたい。