明治維新の立役者の岩倉は下級公家ながら、幕末の政局で頭角を現し、和宮隆嫁をまとめ、孝明天皇に信頼される。一時は公武合体派とみられ、一時失脚する。この期間に薩摩藩と親交を結ぶ。大政奉還後に復活し、お御所会議を画策する。
大政奉還した慶喜は天皇を名目上頂点とするが、自分を中心に有力大名と合議制によって政務を行うことを考えていた。
しかし岩倉、西郷、大久保は討幕を目指し、明治天皇を中心とする政府を考え、お御所会議で慶喜に同情的な一派も加えて、徳川抜きの新政府を樹立させた。その後の欧米を視察した岩倉使節団を率いて日本の近代化に貢献したのである。
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