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公然の陰謀

2022年04月28日 23時18分41秒 | 意識論関連

遺伝的進化には目的などなく、進化の果てに絶対的最終形態のようなものが存在しているわけでも、意図目的に則った「生存戦略」が存在しているわけでもない。

たとえば擬態進化が生じるのは、昆虫が「天敵から見つかりたくないから見つかりにくい姿を選んでいる」わけではなく。

様々な変異の中で、より見つかり難い姿の個体以外が全て天敵に喰われることによる収斂進化の結果であり。 個体の意図目的に依らない自然現象に過ぎない。

どんなに個体が後天的に「喰われたくない」と考えようが思おうが願おうが祈ろうが呪おうが遺伝的進化には影響を与える構造など存在しないのである。

こういう話をした時に「そんなの皆知っているよ」などと言い出すバカがいるのだが。 知っていながら内容は「理解」していないため 生物学権威が論理整合性のない「はぐらかし」を開陳しても、誰一人としてはぐらかされているとは認識できないのである。

長谷川眞理子は「チャールズ:ダーウィンは人道主義者だった」などと主張しているものの その一方では「○○のために進化を選んだのよ」といった支離滅裂な説明を平気でやらかすペテン師である。

遺伝的進化を目的のために選ぶことが可能だとする観念こそが優生学の源であり、「ダーウィンが人道主義者」だったかどうかと優生学の論理反証は論理的には何の関係もないのである。

更科功もダーウィンの進化論によれば「遺伝的進化には目的がない。」と言っておきながら。舌の根も乾かぬうちに「本来生物は、生きるために生きているのであって、生きる以上の目的はないのだろう。生きるために大切なことはあっても、生きるよりも大切なことはないのだろう。まあ、生きていれば、それだけで立派なものなのだ。」などという主観的で支離滅裂な話で読者をはぐらかしているペテン師である。

「生物」というものは結果的に死滅せずに繁殖を継続しているものを分類しているに過ぎず、意図目的や戦略に基づいて進化を選ぶことなど原理的に不可能なのである。

田島木綿子(たじまゆうこ)は「生物は、自分の置かれた環境が変わると、その環境に適応するために、体の構造や機能などを大きく変化させる能力を発揮し、生き残ろうとする。これが成功すると、進化と呼ばれる。」などと述べている

「環境が変わった時だけ環境に適応するために体の構造や機能などを大きく変化させる能力」などという あたかも主体的に変異を促進できるかのような、科学的には何の根拠もないオカルト観念を提唱しているのであり。科学者として不適切にも程がある。

他の多くの生物学者共も、ダーウィンの進化論によれば遺伝的進化には目的が存在していないと説明しておきながら、同時に「○○のために進化を選んだ」などと称した「生存戦略」概念も主張するという二枚舌を平気でやらかす嘘つきばかりである

これは今まで散々「生存戦略」概念に基づいた説明をしてきた都合上、今更否定すると沽券(権威の体裁)に関わることから大衆やマスコミをはぐらかして「以前から知っていた」かのように偽装しているのである。

にも関わらずマスコミや大衆の大半は生物学権威共のはぐらかしには全く気づかず、学術権威の言っている内容を鵜呑みにして「知っている」だけであって。内容を論理的には全く理解していないのである。

自分の頭でちょっと考えれば、長谷川眞理子や更科功の言っている内容が論理的に支離滅裂で整合性のない嘘であることは、私ごときであっても認識可能な簡単な事であるにも関わらず、ほとんど誰も指摘しないという怠慢をやらかしているのである。

 

 

句読点とかめんどくせ

読みやすくしたところでバカじゃ理解しないからな

 

 


Ende;


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