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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

シリアルナッツ

2021年11月12日 12時21分49秒 | 日記

ハマダコンフェクトのバランスパワーBigが安売りしてたので

シリアルナッツっていうのを見たことなかったので買ってみたんだけど

何か小さい…

調べてみたらバリエーションによって量が違うのだった

果実たっぷり 35.0g

スイートポテト 35.0g

北海道バター 32.4g

シトラスチーズ 32.0g

アーモンド 31.6g

ブラックカカオ 31.6g

シリアルナッツ 26.2g

3割以上量が違うものもある

お腹減ってる時に量の少ないのを選ぶと何だか悲しい

シリアルナッツおいしいけどね

 

 

Ende;


思い

2021年11月12日 09時52分10秒 | 意識論関連

 妊娠期間が短い動物は、一度にたくさんの赤ちゃんを産む。たとえば、繁殖マシンのようなハツカネズミは、わずか19日間の妊娠期間を経て、12~20匹の赤ちゃんを産む。しかも、これを2カ月ごとに繰り返す。

「ハツカネズミの環境は危険が多く、常に変化するためです」と、ヒルデブラント氏は説明する。全員は無理でも、そのうちの何匹かはおとなまで生き延びてくれることに望みをかけて、たくさんの子どもを産むというわけだ。

文=LAVANYA SUNKARA/訳=ルーバー荒井ハンナ

 出典:https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/21/090100430/ -ナショナルジオグラフィック

 

⇨「望み」という後天的な「思い」は遺伝子に影響しない

いくら言っても理解しないバカが多すぎる

繁殖力と淘汰圧力とのバランスがとれていれば死滅せずに「繁殖を継続」することができた

そういう自然現象の「結果」である

意図目的だの「思い」は遺伝に影響しない

理論的に正しい話を「小言」だと思っているバカが多すぎる

 

 


Ende;


100年の根拠

2021年11月10日 15時17分33秒 | 意識論関連

「100年後には刑罰はなくなっているのかも知れないが すぐには無理だ」という決めつけをするバカがいるが

「100年」という数字に論理客観的根拠はない

地動説を受け入れるまでに長い期間がかかったことなどから 「ヒトとは大きなパラダイムシフトを受け入れるまでには長い時間がかかるものだ」というバカげた決めつけを言い出すバカが多すぎる

なぜ「長い期間」がかかったのかといえば 論理客観的理解よりも主観的感覚の方が優先するというヒトの先天的な認知的欠陥が原因であり ヒトの先天的な認知的欠陥を理解し 自覚すれば「長い期間」そのものが認知的欠陥に由来するものであることは明白である

秒で理解して行動変容を起こすのが「意識」の本質である

多数のバカの顔色を窺っている暇はない

そんな悠長な時間は人類には残されていないのである

焦らすわけではないが 根拠のない寝言みたいな話を鵜呑みにしていて問題が解決するわけがないのである

 

 

Ende;


甚だしい勘違い

2021年11月10日 13時24分38秒 | 意識論関連

イジメ被害で学校に行けなくなったことを「自分が悪い」と自己嫌悪に陥る子供がいるが

これはトンデモナイ大間違い(錯覚)である

学級内でのイジメを解消できない大人の方に責任があるのであって そもそも「学校に行くことが人間としての価値」になるわけではない

地動説を主張して火炙りにされそうになることもある 多数に同調することが「正しい」わけではないのである

「教育の義務」というものを「小中学校に強制的に通わせれることだ」と勘違いしている大人も非常に多い

そもそも「教育の義務」というのは 経済発展途上において親の都合で子供に仕事をさせてしまうことで 子供が学びたいという意思を尊重させないようになるのを防ぐのが主旨であり 別に「子供を強制的に学校に行かせる」ことが「教育の義務」ではなく 学ぶ方法論なら他にいくらでもある

学校に行かなくても 子供が学びたいを思っていることを学べれば良いのであって 教育というものが受験のための学力偏差値競争が目的にすり替わっているフシがあり またそういう「お受験産業」だけは異常なまでにシステム化され 多数の親が無意識に同調することで金儲けに利用されているが それが原因で子供の主体性が失われ 自分の頭で物事を考えないバカが増えてしまったという弊害もある

大多数の「他の子供」と同じ様に学校生活が送ることができないと 観念的な不安にはなるかも知れないが 別に大多数に迎合することが人間としての価値基準になるわけではない

むしろイジメがあるような学級に迎合同調し馴染んでしまうことの方が 人間としては無能なのである

慶応大学を卒業していても 東大に入れなかった劣等感から東大生をイジメている社会人というのもいるくらいである そんな「塾員」は社会的には「迷惑者」であり 社会効率から見ても多様性を受け入れられない無能者であり たとえどんなに年収が高くても 「人間」としては最低である

多数派に迎合同調することの方が気分(主観)的には安心かも知れないが それは客観的には人間としての価値基準にはならない

「意味なく群れるよりも 意思ある孤立を」って 何かのCMで言ってたが ナチス政権に迎合して生き延びるよりも 反対してスイス山中で自決する方が人間としては優れているのである

とは言え 別に自己犠牲の全てが人間性の論証になるわけではない

自爆テロだの鉄砲玉だの特攻隊が 命がけで組織の利益に供する行動を採ったからといっても 組織自体が腐敗していれば腐敗に加担しているに過ぎないのである

命がけで地下鉄に毒ガスを撒いて「人類の救済だ」などと主張されても 迷惑にしかならない

 

ヒトはどうしても「同じ」であることを求めようとしてしまうが それこそが多様性を受容できない「心の狭さ」の原因である

イジメの加害者集団というのは イジメをすることが「楽しい」という共通点から共鳴共感し イジメ競争によってイジメに歯止めがかからなくなり 自滅への暴走に陥るのである

そして 学級内の8割は傍観放置(日和見)することによって利己的安全を確保するのである

イジメの標的というのは 本当は誰でも良いのであって イジメている側の全員が「自分だけは被害者になりたくない」という強迫観念から誰でも良いから標的にしているだけであって 被害者側に落ち度などない

「面白いことをして目立ったらイジメられなくなった」だとか 「徹底的に反撃して首謀者をボコボコにしたらイジメられなくなった」などというのは 何の自慢にもならない

子供の薄っぺらな価値観に迎合しても 人間性の根拠には一切ならないのである

だから学級というのは大人が制御統率する必要がある

人員が足りないのであれば 監視カメラでイジメの現場を把握し イジメが酷くなる前に加害者側のケア(治療)をすることが必要である

酷くなって自殺者が出てからでは取り返しがつかない

子供は子供だけで集団生活させておけば 必ずイジメは発生するものである 「失敗」を一切しない子供などいないのである

むしろ子供の失敗が小さい段階から教訓として学ぶことによって 大きな失敗への発展することのないように導くのが大人の役割である

加害者の子供に失敗を失敗だと自覚させるためには 大人による冷静な理詰めの説得が必要で 事態が酷くなってから「懲罰」によって抑圧するのは逆効果である

失敗から学ぶことによって 取り返しのつかない大失敗に陥らないように導くことが 加害者の人生にとって有益なことであり 被害も最小限に抑えられるのである

ヒトは必ず間違えるものである

子供であればなをさらである

誰も人生は一度きりであり 子供は人生の初心者であるから 熟練した大人が失敗というものから学ぶ術を教えて伝えることが最も重要である

間違える事そのものが悪いのではなく 間違えたら改めることが人間として重要なのであり 改められない大人にも責任はある

 

その意味においても刑法懲罰制度は無駄なのである

国家権力を用いて暴力的に抑圧しても 自律的な社会的責任判断能力は身につかないからだ

ましてや児童ポルノ販売で罰金50万円などというのは もはや「ふざけている」としか言いようがない

女子中学生を何年も拉致監禁しておいて「懲役9年」という判決にも意味がない

「犯罪者同士の罰の公平性」などという わかったような訳のわからぬ屁理屈は 犯罪を犯していない者からすると意味がさっぱりわからない

自分の頭で自律的に物事を考えない犯罪者というのは 利己的な快楽と罰を天秤にかけるだけであって 罰が軽いなら利己的快楽の方を優先するというサルみたいな行動選択しかしないのである

人間性の根源とは 自律的に社会的責任判断選択をすることであって 既存の制度上で快楽と罰を天秤に量ることで発揮されるようなものではない

司法役人達も自分達の既得権(組織の利益)を優先し 「本当の社会的責任(目的)」を取らないのであれば どんなに法手続き上合法であっても 人間としては最低で 社会的にも無能なのである

温室効果ガス削減のために必要なのは 個人が自律的に社会的責任として行動判断する必要がある

イジメだの犯罪などという糞くだらないことに手間を取られている時間的猶予なんぞ本当はないのである

 

 

Ende;


不自由なスパイラル

2021年11月10日 11時46分48秒 | 意識論関連

イジメの加害者というのは 基本的に自己肯定感の低い子供がやるのであって これを改善しないことにはイジメはなくならない

自己肯定感というのは自信とは違うので 自信たっぷりにイジメをする子供の方が多いので ここを勘違いしてはいけない

イジメの標的は誰でも良くて イジメる標的が集団以外に見つけられない場合には集団内部で順位序列の低い子供が標的にされてしまうため 誰でも構わないから集団の外に標的をでっち上げておかないといけないという強迫観念によってイジメは実行されるのである

イジメ集団の中で順位序列が低いと標的にされかねないため 率先してイジメを行うことによって集団内部で競うようにイジメを行うようになる

より酷いイジメをすることで 集団内部での序列を高めようとする競争が始まるのである

連合赤軍が組織内部での殺し合いになったのも それが原因である

イジメなどの「悪いこと」をする集団内部では 如何に「悪いこと」ができるのかを競うことによって 集団内部での順位序列を決定しようとするのである

イジメをやりたいと思っている者同士で気分的に共鳴(共感)すると イジメ競争が自動的自然にシーケンシャルに始まるようにヒトはできているのである

これは自然界におけるキツネにも見られる習性であり 統率協調性を促す生物学上の先天的な社会形成習性による行動バイアスによるものであるため 集団で誰かをイジメていると「楽しい」ものなのである

ヒトに限らず 動物の行動習性というものは 「楽しい」感覚を作り出す脳内麻薬によって促され 何に「楽しい」と感じるのかは個人が主体的には選択することができない

ヒトの祖先 ヒト以前の野獣の段階では 集団組織的に獲物を追い詰め よってたかって殺傷して喰うという行動をしていたのであり 集団統率的に危害を加えることは本能的に「楽しい」ようにできているのである

フォートナイトというゲームがあり これはチームを結成してチーム同士で殺し合い争いをするゲームであるが これがとんでもなく大人気である

ゲームなら人畜無害だが これが現実の同級生となると重大事象に陥ることになる

フォートナイトでは 味方(チームメンバー)に射撃をしても味方には影響がなく 弾の無駄遣いになるだけである

フォートナイトでの得点は 殺された段階での生き残りの数で競われるため チームで協調して他のチームメンバーを殺害することの方が得点には有利であり 味方チーム内部での序列に構わっている暇はない

フォートナイトの現実版とも言えるのが連合赤軍であり 国家警察に追い詰められて逃げ場がなくなり 反撃不能と判断すると 集団内部での順位序列の低いメンバーに対する暴力が始まった

もちろん合理性などない

イジメも合理性があってやっているわけではなく あくまで目先の気分的な「楽しさ」だけでやっているのであって サルが目の前のエサにしか興味がないのと同様に 人生全体におけるトータルな価値観に意識が働かないため 目先の「楽しさ」しか見えなくなっているのが根本原因である

イジメというのは 標的にイジメをしている時だけは「楽しい」のだが 集団内部での序列争いは強迫観念であり恐怖でしかない

イジメをしている間の快楽のために むしろ自己肯定感をどんどん喪失し 喪失した自己肯定感を埋めるように益々イジメが酷くなってゆくのである

イジメをやっている加害者も イジメが「悪いこと」であることは知っているし イジメ集団内部での順位序列競争はむしろ恐怖でしかないのだが 一度イジメに手を染めてしまうことによって イジメ集団から除外される恐怖の方が上回ることで イジメ集団内部での順位序列競争に歯止めが効かなくなるのである

頭ではわかっている イジメなんぞが無い方が良いと その方が余程安心して生活できると知っていながらも 一度イジメが始まると自分がイジメられるのではないかという脅迫観念によって イジメ競争のスパイラルに陥ることになるのである

 

イジメ加害者がイジメを行うのは 自己肯定感の低さによるものである

純粋に個人的に楽しめることがあれば 弱者を攻撃して楽しむような卑劣な集団に加わる必要はないのだが 生きていて他に「楽しい」と思えることが何もないストレスから 弱者を攻撃する「楽しみ」しか見えなくなっているのである

こうした盲目性というものは 家庭内における序列 家庭内カーストが影響しているのである

家庭内で順位序列が低く扱われていると 主体性を尊重してもらえないため 自分で物事を判断する能力が働かなくなる

それこそ学力偏差値競争への強迫的評価が行われていると 子供はストレスを溜め込み そのストレスを発散するためにイジメに手を染めるようになるのである

親が学力偏差値競争を強要するのは 子供の将来を心配しているわけではなく 実は子供を家庭内での順位序列を低く見積もるためであって 家庭内での順位序列を低く扱うことによって親に服従させるための「威厳を保つ」ことが目的であり どんなに学力偏差値が高くなっても家庭内での順位序列が上がることはない

そういう不条理な「無理ゲー」を家庭内で強いられているからこそ イジメという非合理な快楽中毒に陥ることになるのである

博士ちゃん的に熱中できることがあれば イジメ集団に加わる暇はない

純粋に個人的に楽しいと思えることがあれば 非合理で不条理な「悪いこと」に対する「楽しみ(快楽)」は個人の中で優先順位が低くなるからである

子供が何に熱中できるのかは 子供それぞれであり ある程度実際にやってみないとわからないものでもある

ところが 親が子供を服従させることを優先し 家庭内での順位序列を低く見積もることばかりに執着していれば 子供は自分が個人的に楽しいと思えることを探すことができなくなり 学力偏差値などの「他人との比較」でしか評価が得られなければ イジメなどの目先の「楽しみ」に無意識に流されるようになってしまうのである

他人を攻撃し 貶めていれば 攻撃している間だけは相手よりも自分の方が優位に立った感覚を得られるのだが イジメという行動自体を客観的に見れば「悪いこと」であり卑劣な行為であることも「知っている」ため 更に自己肯定感を喪失し その自己肯定感の喪失を自覚したくないために 自分の頭で物事を客観的に考えることを全くしなくなるのである

自分が如何に卑劣で「悪いこと」をしているのかを自覚すれば気分が悪くなる

その認知的不協和を解消するために 自己客観的自覚(意識・論理客観的考え・合理性)の方を放棄するのである

イジメというのは 加害者側の自己洗脳であり 精神の病気である

 

イジメも連合赤軍もミャンマー軍事政権の民衆弾圧も 合理性など何もない 国益にすら供することはなく むしろ国を崩壊へと導くことにしかならないのだが 民衆を武力で弾圧している間だけは自分達が優位や正義に立ったような主観的感覚が得られるために 中毒的に加害行為を正当化しようとするのである

軍隊というのは上意下達の封建的序列社会であり 兵隊個人の主体性など全く重要視されることはない

家庭内が軍隊のように封建的序列を子供に強要していれば 結果的に兵隊のように「自分では何も考えないバカ」が出来上がるのである

統率をしている上官や親がいる間は統率がとれているが 子供だけで集団生活をさせれば服従すべき統率相手がいなくなった途端に自分が統率者になってしまう

躾を間違えた小型犬が 飼い主に対して「自分よりも序列が低い」と判断した途端に 飼い主の手を噛むようになるのと行動バイアスは同じである

イヌにとって服従は快楽である イヌの統率協調性としての先天的な社会形成習性は非常に強いため 訓練によって飼い主を「上(服従対象)」とみなすようにしつければ 盲導犬や介助犬のように従順に服従するようにもなるのだが イヌは訓練という生育環境に依存し 決して主体的にヒトにとって都合良く服従するようになるわけではなく ヒトが勝手にイヌの主体性を尊重したりすれば 逆に飼い主を見下して噛み付くようになるのである

だが ヒトはイヌとは異なり むしろ個人の主体性を尊重することによって自律的に自分の行動を律するようになるものである

これは先天的知的障害があっても同じであり むしろ個人の主体性を尊重しないとストレスから暴れるようになることある

知的障害も 実際にはスペクトラムであり 決して完全に「知的障害の全くないヒト」などあり得ない

大多数の「普通の人」であっても 何らかの認知的欠陥は存在しており だからこそ詐欺なんぞが成立するのである

有限の大脳容積しかなく しかも先天的行動バイアスによって行動が促される限り 先天的に常に人間性しか発揮しないヒトなど存在しないのである

「自分だけは絶対に大丈夫だ」そう主観的に思っていれば満足感は得られるのだろうが それこそがバカになる根源的原因である

主観的満足感自体が先天的に促されているものであって 野獣の祖先から受け継いだ錯覚に他ならない

野獣は自分の行動を客観視し 主体的に合理性ある目的行動選択をすることはできない

自分が所属する集団内部でイジメが起きれば 自分がイジメられないようにイジメ競争の順位序列に執着し 率先してイジメを行うようになるのである そうなれば大脳容積など糞の役にも立たなくなり 典型的なバカになるのである

「怖い相手に逆らわない」方が楽である

イジメをするような奴は「怖い」ので 「怖い」相手の価値観に同調迎合し 忖度服従しておいた方が利己的「生存」にとっては有利に働くものである

こうした先天的バイアスによって ヒトは暴力者への服従統率による封建的独裁が形成されるのである

テレ朝の玉川氏が安全性を優先して「エスカレーターで真ん中に立ってどかない」と主張しても 衆愚は臆面もなく「勝てないから冷静ではない」などと言い出すものである

「怖い」相手に忖度し 逆らわずに迎合同調して服従しておいた方が気分的に「楽」なものである

東京電力福島第一原子力発電所において 上司の顔色を窺って 原発の津波に対する脆弱性を傍観放置しておいた方が 組織の利益でもあり 個人が集団に迎合するには有利な行動選択である

「怖い」上司に逆らわず 自律的な社会的責任など放棄しておいた方が「楽」なものである

そうやってヒトは無意識な大多数に迎合し 自律的な社会的責任を放棄することを正当化するようになるのである

ヒトには先天的にそうした認知的欠陥が存在していることを前提に これを補うための「意識」が必要である

ハードウェア的な先天的欠陥に対し ソフトウェア的なパッチ(修復)を当てることによって ヒトは無意識で非合理な行動バイアスから逃れ 「本当の目的」に適する行動選択ができるようになるのである

先天的本能習性に無為に流されていたのでは 到底「自由」でも何でも無いのである

 

 

 

Ende;


優先すべきこと

2021年11月09日 22時58分12秒 | 意識論関連

イジメは軽度の段階から家庭指導が必要で イジメ加害者の生徒は家庭に問題があると考えるべきである

大人の犯罪においても 懲役受刑者の大半は暴力を伴う虐待を受けているのである

犯罪の萌芽は生育環境家庭にあり 親の無意識性(無神経さ)が最も大きな要因である

イジメ加害者の生徒であっても イジメが悪いことであることは知っているのであって 誰かをイジメていないと自分が親から受けている虐待を正当化(認知的不協和を解消)できないことから いわば条件反射的にイジメでもやっていないと気分的に「やってられない」ためにやっているのである

犯罪者というのは 犯罪者同士で観念的に共鳴(共感)するものである

そのため 犯罪者同士でのエコーチェンバーに陥り 仲間内での多数決的に犯罪への主観的安心感から敷居値が低く見積もられるようになるのである

イジメの場合 仲間以外に「標的」が見つからないと仲間の中で順位序列の低い子供が「標的」にされるため 被害者にならないためには誰でも良いから仲間以外の誰かを「標的」にし続けなければならないため 中毒的・脅迫観念的にイジメを繰り返すことに陥っているのでもある

イジメの加害者や犯罪者は精神的な病気である

自律的な社会的責任判断選択ができない「病気」であるから これはキチンと「治療」が必要である

被害が軽微な内からイジメや犯罪という「失敗」から 徹底した原因究明と再発防止策を立てないと 被害が酷くなってからでは取り返しがつかないのである

イジメや犯罪といった「失敗」は必ず存在する

間違えないヒトなどいない

生まれてから一度も「失敗」した者などいないのである

イジメや犯罪を「罰で解決」するのではなく 被害が小さい内に徹底した再発防止をすることが 社会的には最も重要なのである

イジメや犯罪をするような者であれば そもそも自律的な社会的責任を負わないのであり 温室効果ガス削減にも感染予防対策にも主体的には行動しないのである

温室効果ガス削減には時間的猶予はない

「仕方がない」で済まされる段階ではないのである

 

 

Ende;


第6波の兆候

2021年11月09日 16時58分54秒 | 日記

11月9日 東京都の感染確認者数30人

先週よりも若干増え始めている

街を歩いていてもマスクせずに集団で歩いている人が出てきたし

スーパーの中で世間話している人もいる

デルタ株はすれ違っただけでも感染する可能性があるので マスクとかソーシャルディスタンスは引き続き確保して欲しい

一旦感染者数が増え始めると 発症して発熱するまで2週間くらいは増加傾向が続くことになるので 増え始めた時点で引き締めないとまた爆発的に増えちゃうよ

気分的に安心してしまうと対策が緩む傾向がある

感染すると6割以上が後遺症に苦しむというので 感染して良いことは何もないよ

 

 

Ende;


本当の目的

2021年11月09日 16時01分28秒 | 意識論関連

男 つまりヒトのオスとしての本能的行動習性としては 若くてピチピチした女子を力ずくで抑え込んで勃起したチ○ポコを無理矢理オマ○コに挿れて「ヒーヒー」言わせてみたいって「思う」ものなんですよ

これは本能ですから 男なら大抵ある

場合によっては女子にもあるそうです ラブリちゃんはそれで問題になったらしいです

ラブリちゃんって ちょっとサバサバした性格なもんだから 自分が嫌だと思えば自己主張がちゃんとできるため 自己主張があまり強くない人の断り方みたいのにあまり敏感に察することができずにセクハラになっちゃったみたいな要素があるんじゃなかろうかと 勝手に想像しているんだが

まあいいや 想像の範囲でしかないから

 

ヒトって元々は野生動物から進化したため どうしても野生動物的な行動習性が先天的に組み込まれていて しかもこれは自分では選択することができない

欲望そのものは選べないんですけど どの欲望に基づいた行動が最も自分にとって「本当に求めているものなのか」は選択可能になる

そうだな 例えば 「今すぐなら100円貰えるか それとも1日待てば200円貰えるか」を選択する場合 余程お金に困っていなければ一日くらいは待てると思います

でも イヌとかサルってそういう「明日のこと」なんかに興味がない イヌなんか数秒先のことすら考えない

自律的な社会的責任判断選択というのは 自分がこれからも生き続ける社会の理想のためであって 何十年後とか 更には自分が死んだ後の社会への責任として 主体的に選択するものだと言えます

今目先の利益(欲望)を追い求めることよりも これからも生き続ける社会が安全で公平な社会であることの方が優先する それが「自律」的な社会的責任判断に結果的につながることになる

主体的に生きようとする これが重要で 世間の多数に流されていると本当に自分が何を求めているのかも見えなくなってしまう

人それぞれに好みとか感覚が違うものであって そうした多様性を許容するためには自分と他人との違いを客観的に理解することが前提になる

自分ができることと 他人ができることには違いがあって 自分ができないことを他人ができることもあれば その逆もある

自分にとっては「こんくらい良いじゃねぇか」と思っていても 他人にとっては「凄く嫌だ」と思うこともある

タレントさんの中にはまりちゅうちゃんみたいにおパンツ丸見えでも平気な顔している娘もいるんだけど だからといって女子の全員がおパンツ丸見えになっても平気なわけではない

だったらPerfumeさんみたいにスカートの下にはショートパンツみたいの履いといてって思うんだけど 

まあ それは強制できるようなものでもない

自分と他人との違いを許容できなくなるのは 他人から価値観を強要されたことで主体性を失っているのが原因で 「虐待の連鎖」みたいに他人から価値観を強要されたことを他人にそのまま同じ様に強要するようになってしまっているからなんですね

他人から価値観を強要されたことが嫌だと そう思ったなら「自分は他人には価値観を強要しないようにしよう」という主体的な行動選択が働かないと 「連鎖」的に主体性が失われてゆくことになる

連鎖的って チェーンリアクションって英語で表現する シーケンシャル(機械的)動作を指す表現

「俺が強要されたことを お前らにも強要してやる」っていう報復感情が伴うことで 強要性は更に酷くなったりすることもある

「100倍返しだ!」ってね

強要された本人に報復するならわかるんだけど 教師とか親とか先輩から受けた強要を 大抵の場合は自分の生徒とか子供とか後輩に強要して満足しようとする

「勝てそうな相手」「強要しても報復されそうにない相手」に強要する

そういう卑屈で卑劣なことを平気でする

「意識がない」って そういうこと

「自分は嫌なことを強要されたことがあるけど 嫌なことを強要する人には自分はなりたくない」って思う主体性(意識)が働けば 連鎖は止められる

「自分はどうする」っていう主体性がないと 本当の意識は働かない

ヒトって どうしても「本当の目的」を忘れて手段とか制度手続きとか因習の方を目的だと錯覚してしまう習性があって それは主観的な安心満足感による錯覚が原因なんですよ

主観的安心満足っていうのは先天的な本能習性によるものであって それは決して主体的に選んだものではない

虐待されて育った人は 虐待こそが「普通」だと思って安心して虐待をするようになる

虐待されていたことも「躾の一環だ」と言われて虐待されていれば それを鵜呑みにして自分の子供に対しても「躾の一環だ」と称して虐待を繰り返す

自分が受けた虐待を 事後正当化しておいた方が認知的不協和を感じずに済むからなんですね

こうした連鎖性というものは 家庭内での虐待に限らずあらゆる面において言えることなんです

無意識に連鎖しておいた方が気分的に安心満足できるため 意識なんぞは働かさない方が精神的怠惰によって「楽」でいられる

宮台真司が学生時代に教師から「自分の頭で考えるのは10年早い 丸暗記しろ」と強要されたことを事後正当化する形で 学生にも同じことを強要するのも メカニズムは一緒です

機械的条件反射で連鎖している

機械と一緒なら 人間としての意識は働いていないんですよ

自分の先天的本能欲望のままに行動していれば サルや機械と一緒なんです

「パブロフのイヌ」って 機械的なんですよ

だって 先天的本能欲望っていうのは自分では主体的には選択していないんですから

過酷な自然環境下であれば 弱肉強食でしか生き残ることができません でも それは「結果」であって「目的」ではない

弱者であっても誰一人とり残すことない社会を求める それが「人間としての社会性」であって 他人を食い物にしてまで利己的生存にとって有利な行動を採っても人間としての価値にはならないんですよ

遺伝子レベルの貧乏性を発揮するから 利己的利益が公益性を蔑ろにしてしまう

 

女子中学生なんてのは 身体が小さいですから 成人男子ならその気にさえなれば簡単に強姦なんてできるんですよ 物理的にはね

でも それが社会的に無責任だという主体的判断によって 欲望に歯止めをかけ 他のことで代替して忘れることもできる

他に楽しみを見つけることができれば 社会的に無責任な行動は主体的に抑制することができる

その選択可能性こそが 人間性として働くわけです

社会的に無責任な行動をしてしまえば 自尊心を失い自己肯定もできなくなります

ヒトである以上は脳容積にさしたる違いはありませんから 良心の呵責からは逃れることなんかできない

その場限りの快楽のために人生を賭けるのは あまりにバカげています

「注意一秒 怪我一生」ってね 後悔は先には立たないものです

他人からの評価に左右されずに純粋に主体的に続けたいことがあれば 後悔するような行動選択はしなくなるものです

自律っていうのは自発性とか主体性の中にあるものであって 他人の顔色窺っても他律にしかならないんですよ

他律ってのは環境依存性がありますからナチス政権下ならナチスに迎合してしまうことになる

天動説が信じられていた時代には 地動説は火炙りにされる

そうやって真実は失われてしまうんですよ

 

 

 

Ende;


お受験産業

2021年11月09日 14時06分23秒 | 日記

学び論が深まらず、教育は受験という決まったゴールを目的としてきた結果、日本では、上手に点をとる手段を細分化することはずいぶんと進みました。そのような状況の中では、効率よく上手に点をとるためのスキルを教える「教え方」が大事になります。そしてそれは、いまや学校よりも予備校のほうが長けていると言えますが、考えてみればおかしな話です。

「人はなぜ学ぶのか」

そもそも人は、自分の意思で生まれてきたわけではありません。私たちの命は、冷静に客観的に見れば途方もなく長い時間の流れの中でほんのいっとき、前の世代から受け継いだ命を次の世代へとつないでいるだけです。動物も植物も、命あるものは全て同じです。

人間は、世界に追いつくためでも、工場で効率よく働くためでも、国家のためでも、立身出世するために生まれてきたわけでも、ありません。与えられた条件のなかで必死になって生き、死ぬときに生きていてよかったと思えるように生きる、それだけです。

それを前提に、自分にとって本当に大事なことは何か。どの時代の人間も、このこと、いわばもっとも人間学的=哲学的な問いを追いかけることが生きる目標でした。人はだから、学ぶのです。

しかし、近代の日本では、そのようなことを考える必要はありませんでした。学ぶ目的ははっきりしていました。先に答えが定められていたために、学び論は十分に深まらなかったのです。

深いところで「よく生きるとは何か」「本当の意味の幸せは何か」について考えようということもなく、ただ点数を追いかけました。原点に戻って「何のために学ぶのか」を考えようと呼びかけてくれる先生もほとんどいませんでした。

この大きな流れは、最近まで基本的に変わらなかったのです。

 

汐見 稔幸(しおみ・としゆき)


 出典:https://president.jp/articles/-/48582?page=3 -PresidentOnline

 

⇨「必死になって」というのはちょっと違う気がするんだけど 自分でできる範囲でやれることをやれば良いんじゃないかと思いますけどね

頑張り過ぎると続きませんから 「継続は力なり」って言うでしょ 続くことを優先するにはあんまり頑張りすぎないことも大切だと思います

 


Ende;


時間的猶予

2021年11月09日 10時27分00秒 | 意識論関連

NHK「ジェンダーサイエンス(2)」の中で

子宮内膜が厚くなる進化の説明で

子宮内膜が薄いと胎児の胎盤が母体を傷つけてしまうため 胎盤を厚くなる進化を選んだ

といった説明をしていたのだ

あのね 何度も言っているけど 進化ってのは選べないよの

本当の進化の説明をすれば

変異によって胎盤の厚い個体と薄い個体がバリエーション拡大をして 結果的に胎盤が薄い個体が全部死滅した結果 胎盤の厚い個体への収斂が起こって進化に至った

というのが科学的説明として正しいわけよ

昆虫の擬態進化の説明とプロセスは一緒で

昆虫が自らの外見を枯れ葉などに似せるように遺伝子を選ぶことなんか構造原理的に不可能であり 変異によるバリエーションの中でたまたま枯れ葉などに似ていた個体の方が天敵に食べられるリスクが低かったことから収斂が起きて擬態進化に至ったというのが真実

自分から進化を都合良く選択できれば そりゃ「賢いわ」なんてことになるんでしょうけども

それ 嘘ですからね

ブチハイエナの出産で6割が死産してしまうのは 擬陰茎が発達してしまう程の男性ホルモンが分泌される個体でなければ群れを形成できなかったため 安産体質のブチハイエナの祖先は全て死滅した結果の収斂進化であると考えられる

群れを形成する動物種は 個体の都合よりも群れ集団の都合の方が優先されてしまうのである

オオカミのメスが出産直前から群れを離れてワンオペ育児をしなければならないのも キツネの変異が自然界では見られないのも 群れの都合の方が優先され個体は「使い捨て」にされるからである

個体においても使い捨てのものはあって サメの歯とか ヒトの爪とか髪の毛とか 皮膚のケラチンも使い捨てであって 個々の細胞の都合は優先されないのと同じように 群れ集団を形成する種の場合は群れ集団の存続維持が優先されることになる

群れ集団の維持存続が保てなければ 個体もまた存続できないからである

従って 特攻隊だの鉄砲玉だの自爆テロなんてのも ヒトの先天的な社会形成習性の名残りであり 祖先が縄張り争いをする上において勇猛果敢に自己犠牲を厭わないような集団の方が集団の維持存続において有利に働いた結果である

そういう先天的習性は現代社会では迷惑にしかならない

ヒトというのはここ5万年くらいはほとんど進化をしておらず 5万年前の生息環境には適応しているが 現代社会には全く適応できていないのであって

かつて祖先の生息環境への適応進化の影響によって生活習慣病に陥るのと同様 社会的な生活習慣病のような行動習性も様々な形で残ってしまっているのである

多数派同調性や迎合性 権威への盲目的服従性や忖度性といった思考バイアスが働き 外見的権威肩書だけで言っている内容を鵜呑みにして疑うことを一切しなくなるのも 統率的協調行動を採る上においての「都合」が優先したためである

振り込め詐欺師が警察だの弁護士だのを名乗って 言葉遣いという上っ面な雰囲気印象だけで被害者が信じ込んでしまうのも 簡単に鵜呑みにしてくれるバカの方が群れ集団にとって「都合」が良かったために収斂進化した結果である

バカでないと戦争や民衆弾圧のようなバカみたいなことには使い物にならないからである

ヒトが簡単に封建的独裁社会に陥ってしまうのは 統率的協調性を発揮していた方が気分的に安心満足感が得られてしまうからであり

ペテン師から「他人の言うことを信用しないのは 心の狭い態度です」などと言われて鵜呑みにしてしまうバカがいるのも 自分の頭で考えるよりも相手の言っていることを鵜呑みにする習性が存在するからである

 

生物学者共はいままでずっと「遺伝的進化に目的だの戦略だのといった選択可能性が存在している」かのように説明をし続けてきたため あたかも以前から「進化には目的がない」ことを知っていたかのようにはぐらかして外見上の権威性(主観的印象)としての体裁を保つために 論理整合性のない支離滅裂な「説明」をし始めたのである

マスコミなんぞ所詮は論理検証のできないバカしかいないので 肩書上権威でありさえすれば 相手の言っている説明を全部鵜呑みにし 権威でありさえすれば全員正しいことを言っているかのように勝手に勘違いしているのである

マスコミというのは「密を避けましょう」とか言いながら 後期高齢者の尾身茂分科会座長に密集囲み取材を平気でやらかすデクノボウしかいないのである

誰の言っていることが真実なのか 論理客観的に整合性のある説明を選択しないことには 「自律」選択にはならないのであり それは社会的に無責任でもある

バカのままで許される程の時間的余裕はない ほんの30年程でエネルギー転換をしなければならないのであって 自分の頭で主体的 自律的に物事を検証し 自発的 積極的に自分の行動を変容させる必要がある

 

「死刑になりたいから 人を殺した」などというバカ丸出しのトンチンカンなことを言い出す主体性のカケラもないバカを 今の教育制度は作り出してきたのである

東大医学部の学生がテロをやらかした時点で原因を徹底究明し 再発防止の実効性のある具体的対策を怠ったためでもある

刑事責任能力があるにも関わらず なぜ無責任な行動を採るようになったのかについての徹底した原因究明と再発防止策を立てないと 刑法罰制度のような「バカのお世話」に手間取られていたら地球環境保全など間に合わなくなる

太平洋戦争時の日本やナチスドイツのような国家の暴走に対し 為政者を処罰して「解決」だと錯覚していたからこそ 中国だのミャンマーの暴走の再発を食い止められなかったのである

暴力的な民衆弾圧による体制維持などという非合理な行動をしている暇なんぞ 本当はない 

そんな時間的猶予は客観的に見れば全くないのである

 

 

 


Ende;


列車テロ(日記)

2021年11月08日 23時09分28秒 | 日記

何だか九州新幹線だの京浜東北線だの アチコチで列車テロみたいのが起きているらしい

九州新幹線は模倣犯だそうだ

そもそも京王線も小田急線の模倣だそうで

流行してんのか?

バカはすぐに流行に便乗する

主体性がないからだろうな

 

 

 ◇

阿佐ヶ谷姉妹のドラマやっとるが

随分レベル高い阿佐ヶ谷姉妹だな

 

 

 

Ende;


意図

2021年11月08日 22時36分25秒 | 意識論関連

 進化とは「世代を積み重ねての遺伝子の変化」と説明できます。遺伝子の変化は完全にランダムであり、そこに意図は働きません。変異も種にとってプラスになるものばかりではありません。

 淘汰されるほどの変異でない場合、たとえば致死的な変異でなければ集団内に広がる可能性はあるのです。大渕さんは「意図を考えるとおかしい進化もある」と話します。

 

 出典:ブチハイエナのリスクしかない進化 -WithNews

 

⇨「遺伝子の変化は完全にランダムであり、そこに意図は働きません」と説明しておきながら 直後に「意図を考えるとおかしい進化もある」と言い出すのは支離滅裂である

生物学者というのは言っている内容に整合性がなく 論理客観的な科学的論証にならない話を平気でするバカが多すぎる

 


Ende;


言うまでもない話

2021年11月08日 21時57分42秒 | 意識論関連

もしヒトの女性が生理痛で苦しまないように遺伝的進化を引き起こすためには

先天的に生理痛がひどくて苦しむ遺伝子を持った女性が全て淘汰され死滅する必要がある

遺伝的進化に必要な「収斂」とは そういうことである

先天的に生理痛の少ない女性だけが生き残り 生理痛の強い女性の全てが死滅するような淘汰圧力が働かない限り「生理痛がひどくないように進化する」ことはできない

 

ただ 将来的には医学の進歩によって無駄に生理痛で苦しまずに済むような治療法が開発されることはあるかもしれない

知らんけど

 

一般人の多くは遺伝的進化というものに対して間違った解釈をしていることが多く 遠藤秀紀はこれを「典型的な間違い」と指摘しているのである

遺伝的進化というものは あくまで自然現象であり 結果的に繁殖が継続的に行うことができて今現在生存しているものを「生物」と分類しているに過ぎない

ところがヒトというのはイデア論的に概念の方が先に存在ているかのように錯覚しているフシがあって 既存の現象に対して「とりあえず分類した」に過ぎないものを あたかも「絶対的な概念」であるかのように錯覚して疑うことをしなくなる習性がある

遺伝的進化というものに対し 多くのヒトは「遺伝的に進化さえ起きれば 何でも都合良く解決する」と 勝手に錯覚するのである

 

ヒトの多くは「死にたくない」と思っている

「思っている」のは主観的感覚であって 先天的本能習性として「怖い」と感じるからである

主観的にどんなに「死にたくない」からといっても永遠に生きられるように進化することはできない

自分が「死にたくない」からといって 他人を危険にさらしてまで生存にとって有利な行動を採れば「人間」ではなくなる 「人間」ではないなら ヒトである必要性はなくなるので 生存だけならゴキブリでも充分である

むしろゴキブリの方が「生存」や「繁殖の継続」においては合理的だとも言えるのである

 

遺伝的進化というものは あくまで「生存」や「繁殖の継続」における必然的結果であって 目的があるわけではなく ただの自然現象という結果に過ぎない

ただの自然現象であり結果に過ぎない以上は 「生存」や「繁殖の継続」以外には何も都合の良い進化は起きない

どんなに強く「死にたくない」と思ったからといって 後天的に「どう思う」かは遺伝的要素には影響を及ぼすことはないし 永遠に生き続けることもできないし 永遠に生きる合理的必要性もない

 

変異によって本能的に「死にたくない」と強く思う個体と 「別に そんなに生き続けることに興味はないな」と思う個体のどちらの方が過酷な弱肉強食の自然界では生き残れるかと言えば まあ ありていに言って生存への執着が強い方が生き残りには適しているであろう

ヒトが死にたくないと「思う」のは 脳が持つ常習性によって作り出された好き嫌いによるものであり ヒトは生まれてからずっと「生きている」ため 「生きている」状態に慣れ 「生きている」状態を好み 「生きている」ことを維持しようとする行動選択の優先順位が高くなるように先天的にできている

生物の基本的情動システムとして 常習性というのは最も根幹を成すものである

常習性を作り出すのは脳内物質(脳内麻薬)ドーパミンによる作用であり 恒常的な環境を好むように行動「学習」を促すことで 結果的に生存にとって有利に働いたため 遺伝的に遺された先天的な脳の構造によるものである

脳の構造も含めて 先天的な形質や習性というものの全ては 祖先の生育環境下における淘汰圧力によって「蒸留(人工知能界隈での形容詞)」されたものであり かつての生息環境下における必然性は存在していても それが永久に合理的で最適化された目的に則ったものであるわけではない

遺伝的進化の過程において「生存」や「繁殖の継続」における必然性はあっても それらが成立さえすれば別に絶対的最適化である必要もなく 実際決して最適である論理的証拠や証明もなく 無駄な形質や習性も少なからず存在しているのである

「死んでなければ生物」 ただそれだけのことである

 

ヒトの脳に遺伝的に遺された様々な行動バイアス(習性)にも 合理性のないものは結構ある

過酷な自然環境下においては より強い力を持った個体の方が生き残りにとって必然的に有利であるため メスや縄張りの奪い合いで同じ種同士で争うことが結果的に環境適応になったと言えるが 現代の文明社会においてヒトが女性や物の所有を巡って暴力的な紛争を起こす合理性は何もない

ユヴァル:ノア:ハラリは「農耕革命によって所有の概念が生じた」と主張しているが 所有の概念は縄張り争いをする動物全般に見られる普遍的性質である

野生生物にとって 縄張りはエサとなる資源であり 他の個体に勝手に喰われてしまうと自分の食べる量が減ってしまうことになるため より広い縄張り所有を求める個体種への収斂によって 独占所有は先天的本能として組み込まれたものである

過酷な自然環境下における生存競争においては 暴力性は「生存」や「繁殖の継続」において必然性があるが 同種同士で争うことにより双方が怪我をしてしまえば互いに損になることにもなり あらゆる面において合理性があるわけではなく 「最適化」への収斂も促されることはない

怪我をしない程度に力比べをする個体種への収斂も あくまで「同種同士での争う習性の上における最適化」でしかなく 決して絶対的合理性のある最適化への収斂にはならない

 

差別というのは 先天的な社会的生活習慣病である

祖先の生息環境における「生存」や「繁殖の継続」においての必然性はあっても それ以外における合理性や最適化が促されるプロセスやメカニズムは遺伝的進化には存在しないのである

ユヴァル:ノア:ハラリは あたかも狩猟採集生活の時代には所有の概念がなかったかのように主張しているが 今でも狩猟採集生活をしている文明から隔絶されたヒトは存在し 土地資源の所有独占のために暴力紛争を引き起こし 殺し合いで年間1%程度死亡しているという

文明から隔絶された環境下では 殺し合いは絶滅にまでは至らないが 科学技術が発達した文明社会における所有独占への行動は地球規模での環境破壊を引き起こすことになる

それなら環境破壊を引き起こさないようにヒトという種の生物が進化するかと言えば そんな都合の良い淘汰圧力は存在せず 都合良く「環境に適応した変異がどんどん起きる」わけもでもない

むしろ 差別による淘汰圧力は 「より差別をしたがる個体種」への収斂を促し 多様性や個性は排除の対象にしかならない

ロシアでのキツネの人工繁殖では キツネは変異が大きく数世代で見た目も性格も多様になるにも関わらず 実際の自然環境下では一様な個体しか繁殖できていない

これは キツネの群れの中では民族浄化バイアスが働くことによって 多様性を排除する習性が存在していることを示唆している

実際にヒトの子供同士で生活させておくと 自然(自動的)に順位序列を形成し イジメ差別が始まるものである

イジメは子供に限ったことではなく 慶応大学を卒業している銀行員でもやらかすものであり 海上自衛隊でも問題になっている

軍隊というものはそもそも上意下達で上官の命令にのみ従うよう「学習」されているため 封建的な順位序列への意識(無意識な行動バイアス)が強く働くことによって 自分の頭で物事を考えたりせず 気分感情のおもむくままに差別イジメが酷くなるものなのである

自分の頭で物事を考え 判断していれば 戦争などというクソしょうもない行為なんぞに加担するわけがないのである

自衛隊であっても その内実は軍隊と同じものであり 決して個人の主体的判断を尊重する組織ではない

銀行員や子供でもやらかすイジメ差別というものは 別に軍隊のような封建的組織でなくとも起きるものであり ヒトの先天的な本能習性としての社会形成習性によって促される無意識な行動バイアスに過ぎないため 様々な環境場面で発揮されるのである

Microsoft社のTwitterAIが ヒトのツィートを「学習」する形でヘイトスピーチを始めてしまうことからも SNS上には膨大な差別発言がアップロードされ続けているのである

差別発言の大半は匿名の「捨てアカ(使い捨てアカウント)」であり 一貫性を持った責任ある発言ではない証左でもある

その場限りに他人を攻撃することによって目先の満足感を得ることだけが目的であって 客観的根拠や証拠もなしにデマに基づいた誹謗中傷を繰り返す中毒者に過ぎない

ヒトという種の生物は そもそもが先天的に多様性や個性を受け入れたがらないものなのである だからといって差別排除が正当化できるわけではなく 先天的本能習性に流されていて「自由」意思でも何でもないことを理解し 自覚し 理性によって許容するという主体的「選択」が必要なのである

 

私は個人的にバカが嫌いである

それでもバカの存在自体は認める必要があることも理解している

だが バカが原因でバカげた嘘を信じ込んで真実を見分けられずに「進化さえすれば何でも解決する」とか「学力偏差値が高いから頭が良い」などと錯覚して自分の頭で考えようともしない傲慢さは許容できない

バカなのは仕方ないが バカが原因で傲慢なのは許容範囲を超えている

バカであることを自覚すれば 傲慢にはならないはずなのだが 「自分はバカではない」と勝手に勘違い妄想して「遺伝的進化が万能の願望器のように常に都合良く働く」という非常識なデマを傍観放置することは許容範囲を超えている

その嘘は社会的に有害だからである

 

 

 ◇

遺伝的進化というのは常に「繁殖する前に死ぬ」という淘汰圧力の結果による収斂でしか起こらない

繁殖するまで生き続けられ 個体数が維持できさえすれば生物であり

どんなに苦しかろうが 痛かろうが 暴力的であろうが 残虐であろうが 嘘つきであろうが 人間性に欠けていようが バカだろうが遺伝子には影響を与えない

別に頭が良くなければ生き残れないわけではなく クラゲのように脳がなくても海洋環境では絶滅せずに繁殖を継続し続けることは可能である

生物でありさえすれば良いというのであれば ヒトである必要性はないのである

 

ヒトがヒトとして存続する必要性とは ヒトなら人間性「も」発揮可能だからである

「も」は取り除くことができない 遺伝的進化のプロセスに先天的に人間性が高まるメカニズムは存在しない上に そもそも現代の文明社会では人間性が高まるような収斂プロセスが存在せず ヒトは変異による多様性は拡大しても進化は起きないからだ

変異による多様性拡大は 先天性疾患を持った子供や 猛烈なバカも生み出すこともある

先天性の疾患なら多くのヒトは「医療処置でナントカならぬか」と思うものだが 猛烈にバカ過ぎて障害者虐殺なんぞやからすと「いや死ねや」としか「思わ」ないものである

主観的「思い」の多数決で虐殺犯を死刑にしても 虐殺犯が発生する原因やメカニズム構造が解明されて再発防止になるわけではないので死刑は何の「解決」にもならない

ヒトという種の生物は 最初はバクテリアの様な単純な生物でしかなかったが 様々な環境に適応し続けるうちに結果的にヒトにまで進化が起き 社会持続可能性や安全性や公平性にも配慮が働くようになることで 先天的な本能習性によって促される非合理な因習や根拠のない常識に囚われずに「本当の合理的選択」も可能となった

それは 一面的には「素晴らしい(主観)」ことではあるが 先天的本能習性からすると決して全面的に「気分の良い話(これもまた主観)」ではなく 不条理性が伴うものでもある

 

自分の女房子供を殺されても 犯罪者は死刑にならずに 「なぜ他人の女房子供を殺すようなキチガイになったのか」についての原因究明と再発防止が優先されるという 公益的見地の方が優先され 被害者や遺族の報復感情は満たされないことになる

それでも 同じ様な被害者が出ないようにするためには最も合理的な「選択」にはなるのである

 

報復感情というものは テロリストや通り魔の犯行動機でもある

主観的に「殴りたい」という感情なら ヒトの大半に普遍的にみられる感情であり 理不尽な不公平を主観的に「感じ」てしまえば多くのヒトは怒って報復的に「正義」を主張したがるものである

世間一般的に「学力偏差値=知能」という 認知科学的にも根拠のない「常識」を鵜呑みにし 学力偏差値が高ければ褒められることを脳が「学習」することによって いわば中毒的に学力偏差値に異常執着した結果 実社会においては学力偏差値が役に立たずに評価が得られなかったりすると 世間に対する方向性のない報復感情が芽生え これがテロや通り魔などの無差別殺人の原因となる

論理客観的には根拠のない世間の「常識」を鵜呑みにし 迎合的に同調し 権威の言うなりに唯々諾々と服従したにも関わらず それで誰からも評価承認が得られない場合には 根拠のない世間の「常識」を鵜呑みにした自分の頭の悪さを省みることなく 「悪いのは世間の方だ」という決めつけをすることによって 無差別殺人の動機となるのである

ヒトの大半はバカである

東大学部に入れてもバカは地下鉄に毒ガス撒いて「人類の救済だ」と本気で「思って」いるものである

ヒトの大半はバカなので 東大生がテロをやらかしても「それは特殊な事例に過ぎない」などといった解釈をして無視しておこうとするものだが 原発の暴走も 大企業の粉飾決算などの不祥事も 全部「高学歴なバカ」によって実行されたものなのである

そして 遺伝的進化任せにしておけば何でも都合良く正しい結果が得られるかのように勝手に解釈し 「進化で苦しくなくならないの?」などという荒唐無稽な非科学的質問をしはじめるものなのである

後天的努力は遺伝子には影響を与えない

従って後天的にどんなに苦しんでも 苦しくならないようには遺伝子には影響を与えない

 

私は決して生物学が専門ではないが 遺伝的進化のメカニズムや 進化のプロセスは理解しているつもりである

ちょっと考えれば遺伝的進化に目的や戦略といった選択可能な要因が存在しないことくらいは解るはずなのだが 生物学者の大半が遺伝的進化に目的だの戦略だのを「こじつけ」ている解釈の仕方を教え込まれてしまえば簡単に鵜呑みにし 何の疑いも持たないようになるものなのである

全然「知的生命体」でも何でもない

教えられたことを 教えられた通りに覚えて答えられれば 学力偏差値は必然的に高くなるものである

だが いくら学力偏差値が高くても 教えられた内容に間違いがあることには誰も意識が働かず むしろ得点や単位の方を優先し 権威に忖度する形で唯々諾々と鵜呑みにするようにもなる

むしろ そういうバカが大半である

 

何が真実で 何が嘘なのか これを区別できてこその「意識」である

嘘を鵜呑みにしているから「地下鉄に毒ガス」となるのであって 人間としての「意識」がないからこそバカなのである

「人間としての意識」とは 「人間としての知能」の源でもある

嘘と真実の区別がつかないことには知能としては全く機能しないからだ

主観的に「信じたい」かどうかに惑わされることなく 主体的に論理客観的に検証して(考えて) 自律的に真実を見極めることができないからバカなのである

奨学金と称した700万円だかの借金を背負わされて大学で教わった内容に間違いがあるとは 多くの学生は「思わ」ないであろう

「思い」たいとすら「思わ」ないであろう

その主観こそがバカになる原因である

 

東大医学部に合格できるほどに頭を鍛えた学生であっても騙されることがあるという事実に基づけば 「物事を深く考えたこともない自分なんぞは簡単に騙される可能性が充分にある」と警戒するものである

多数に迎合同調し 権威に忖度服従しておいた方が主観的に安心満足することができ それこそが社会安全性や公平性につながるものだと勝手に解釈することは簡単である

そういう簡単なことしかできないからバカが治らない

社会の大多数がバカなら 社会問題の多くも解決することはできないのである

温室効果ガス削減や 感染拡大防止対策というものは 個人の日常生活における地道な努力の積み重ねが必要不可欠であり 政府が専門家の言いなりに施策をどんなに工夫しても 国民が率先して協力しないことには達成することはできないものである

 

「エコ運転を心がけています」と書かれたトラックが 急加速して赤信号に詰めて停車することに必死になっているのを時折見かけることがある

燃料も無駄なら ブレーキパッドも無駄に浪費しているのである

まるで「禁煙と書かれた看板の前でタバコを吸う養老孟司」のようである さぞかし「俺は脳化していない」とでも思っているのであろう

まあ良いや

今の自動車というのは 運転する個人の「意識」がなければエコ運転にはならない

自動運転技術が進歩すれば赤信号に無理矢理詰めて停車させるような無駄なことは減るのであろうが それまではあと何十年かは必要で 温室効果ガス削減目標にはどう考えても間に合わず 運転者個人の「意識」が必要なのである

養老孟司は「こまめに電気(照明)を消すようなことはしない そんなことをしても無駄だと思っているからだ」そうである

まあ良いや

養老なんぞ信じているバカでは何言っても無駄だろうし

世間の大多数のマスコミも含めた衆愚は養老孟司を疑っておらず 「時折問題発言もあるが 概ね正しいことを言っている」とでも「思って」いるのであろう

養老孟司は相手を気分的に安心させて思考停止に陥れることに長けた根っからのペテン師であり 訳のわからぬことを言って「話を丸め」てごまかすことしかしない

自分の主観的感覚を絶対的なものだと過信し 一度自分が信じた養老孟司などのペテン師をいつまでも疑わずに信じ込んでいる方が 精神的には怠惰で安心満足感が得られる

認知的不協和を解消する形で都合の悪い話は全て無視し 気分の悪い話は理解することすらしなくなるのがヒトという種の生物がバカになる原因である

バカなのは許容しても良いが バカが原因で真実を捻じ曲げ嘘やデマの方を鵜呑みにしていれば 社会的損失や実害の原因となるのであって これは許容範囲を大幅に超えている

科学や哲学というものの全てが 「自分の気分的安心満足を与えてくれるものだ」と勝手に解釈するバカが世の中の大半だが これには論理客観的な根拠はなく ただ「多数だから安心」なだけに過ぎない

科学や哲学が追求する「真理(本当のこと)」とは 衆愚の多数決で民主的に決定するようなものではなく 論理客観的に検証されて磨かれるべきものである

どんなに生物学界がバカしかおらず 生物学者の多数が遺伝的進化に目的だの戦略だの「賢い」などという主観的形容詞による感想を述べても科学的論証であることの証拠にはならない

遺伝的進化というものは全て「結果」であって 生物やその遺伝的進化には「目的」や「戦略」といった選択可能性は存在せず 後天的「考え」も遺伝子には影響することはない

イジメや差別が起こると「困る」からといって 「イジメや差別をしなくなる変異がどんどん起こる」などという荒唐無稽な非科学的現象は起こらないのである

温室効果ガス排出による地球環境破壊が「困る」からといって 「温室効果ガス排出をしなくなる変異がどんどん起こる」わけもないのである

後天的にどんなに「困って」も 遺伝子には何の影響も及ぼすことはない

たとえ何億年「困って」も である

 

文明から隔絶された狩猟採集生活の原住民達も紛争による死者は出るものであり 文明がないために被害が少なくても済んでいるだけであって 縄張りの独占所有のための紛争は石器時代からずっと続いていると考えるべきである

狩猟採集生活をしているヒトであっても 文明社会でスマホ歩きをしているヒトであっても 遺伝的には何も「進化」などしておらず 同じヒトという種の生物に過ぎない

ググって知識をひけらかしていると 自分の頭が良くなったかのように錯覚する性質があるという

そんな錯覚は昔からあって 学力偏差値が高いと頭が良いものだと衆愚は錯覚しており それを錯覚だとすら思ってもいないものである

いくらググろうとも どんなに教科書や論文を読み散らかそうとも 自分の頭で論理客観的に考え 何が間違いで 何が正しいのかを自律的に判断できないことにはバカは治らない

当たり前の話である

いちいち私が説明するまでもないことを 何で説明しなければならないのか バカ過ぎて話にならない

 

 


Ende;


研究倫理委員会

2021年11月08日 11時22分19秒 | 日記

東京大学で塊の培養肉を作る技術開発をしたんだそうだが

実験で作ったものを食べて良いかどうかを研究倫理委員会にお伺いを立てないと 勝手に食べてはいけないんだとか

生物学者の大半が「目的のために進化した」「進化は賢い」という非科学的大嘘を主張し続けることは傍観放置しているのにね

非効率で合理性がないわー

研究倫理委員会のメンバー知りたいわー

 

 


Ende;


「苦しくない」ように収斂進化は生じない

2021年11月07日 09時30分21秒 | 意識論関連

本人がいくら「苦しく」ても 「苦しくない」ようには進化は生じない

ブチハイエナが先天的に出産困難で苦しんでも 出産困難が解消するようには進化は起きない

遺伝的進化というのは 死なずに繁殖を継続さえすれば良いだけで 個体が「苦しい」とか「ツラい」とか「痛い」とか いくら主観的に「思って」も解消するようには進化は起きない

もし起きるとしても そのためには偶発的に痛みや苦しみを感じない変異個体が発生し しかもその個体以外が全て死滅して収斂しなければ遺伝的進化は起きないのである

辛かろうが苦しかろうが 繁殖が継続する限りは収斂進化は生じない

遺伝的進化というものは 結果的に繁殖が継続すれば良いだけであって 個体の都合に合わせて「お客様相談センター」みたいに要望に応えてもらえるようなものではない

 

脳が恐怖や不安の方が記憶に残りやすい性質も 祖先の過酷な生息環境の中で恐怖や不安の方が記憶に残りやすい個体種への収斂が起きた結果であって それが不条理だとか理不尽だといくら後天的に「思って」も解消することはない

そもそもヒトは人権が守られた文明社会の中では淘汰圧力がほとんど全く働かず 遺伝的進化は生じないのである

 

大槻久もバカなのかしら

それとも放送時間の都合で割愛されたのかしら だとしたら間違った大衆観念だけが放送されていることになるので NHKとして無責任である

 

 


Ende;