もしヒトの女性が生理痛で苦しまないように遺伝的進化を引き起こすためには
先天的に生理痛がひどくて苦しむ遺伝子を持った女性が全て淘汰され死滅する必要がある
遺伝的進化に必要な「収斂」とは そういうことである
先天的に生理痛の少ない女性だけが生き残り 生理痛の強い女性の全てが死滅するような淘汰圧力が働かない限り「生理痛がひどくないように進化する」ことはできない
ただ 将来的には医学の進歩によって無駄に生理痛で苦しまずに済むような治療法が開発されることはあるかもしれない
知らんけど
一般人の多くは遺伝的進化というものに対して間違った解釈をしていることが多く 遠藤秀紀はこれを「典型的な間違い」と指摘しているのである
遺伝的進化というものは あくまで自然現象であり 結果的に繁殖が継続的に行うことができて今現在生存しているものを「生物」と分類しているに過ぎない
ところがヒトというのはイデア論的に概念の方が先に存在ているかのように錯覚しているフシがあって 既存の現象に対して「とりあえず分類した」に過ぎないものを あたかも「絶対的な概念」であるかのように錯覚して疑うことをしなくなる習性がある
遺伝的進化というものに対し 多くのヒトは「遺伝的に進化さえ起きれば 何でも都合良く解決する」と 勝手に錯覚するのである
ヒトの多くは「死にたくない」と思っている
「思っている」のは主観的感覚であって 先天的本能習性として「怖い」と感じるからである
主観的にどんなに「死にたくない」からといっても永遠に生きられるように進化することはできない
自分が「死にたくない」からといって 他人を危険にさらしてまで生存にとって有利な行動を採れば「人間」ではなくなる 「人間」ではないなら ヒトである必要性はなくなるので 生存だけならゴキブリでも充分である
むしろゴキブリの方が「生存」や「繁殖の継続」においては合理的だとも言えるのである
遺伝的進化というものは あくまで「生存」や「繁殖の継続」における必然的結果であって 目的があるわけではなく ただの自然現象という結果に過ぎない
ただの自然現象であり結果に過ぎない以上は 「生存」や「繁殖の継続」以外には何も都合の良い進化は起きない
どんなに強く「死にたくない」と思ったからといって 後天的に「どう思う」かは遺伝的要素には影響を及ぼすことはないし 永遠に生き続けることもできないし 永遠に生きる合理的必要性もない
変異によって本能的に「死にたくない」と強く思う個体と 「別に そんなに生き続けることに興味はないな」と思う個体のどちらの方が過酷な弱肉強食の自然界では生き残れるかと言えば まあ ありていに言って生存への執着が強い方が生き残りには適しているであろう
ヒトが死にたくないと「思う」のは 脳が持つ常習性によって作り出された好き嫌いによるものであり ヒトは生まれてからずっと「生きている」ため 「生きている」状態に慣れ 「生きている」状態を好み 「生きている」ことを維持しようとする行動選択の優先順位が高くなるように先天的にできている
生物の基本的情動システムとして 常習性というのは最も根幹を成すものである
常習性を作り出すのは脳内物質(脳内麻薬)ドーパミンによる作用であり 恒常的な環境を好むように行動「学習」を促すことで 結果的に生存にとって有利に働いたため 遺伝的に遺された先天的な脳の構造によるものである
脳の構造も含めて 先天的な形質や習性というものの全ては 祖先の生育環境下における淘汰圧力によって「蒸留(人工知能界隈での形容詞)」されたものであり かつての生息環境下における必然性は存在していても それが永久に合理的で最適化された目的に則ったものであるわけではない
遺伝的進化の過程において「生存」や「繁殖の継続」における必然性はあっても それらが成立さえすれば別に絶対的最適化である必要もなく 実際決して最適である論理的証拠や証明もなく 無駄な形質や習性も少なからず存在しているのである
「死んでなければ生物」 ただそれだけのことである
ヒトの脳に遺伝的に遺された様々な行動バイアス(習性)にも 合理性のないものは結構ある
過酷な自然環境下においては より強い力を持った個体の方が生き残りにとって必然的に有利であるため メスや縄張りの奪い合いで同じ種同士で争うことが結果的に環境適応になったと言えるが 現代の文明社会においてヒトが女性や物の所有を巡って暴力的な紛争を起こす合理性は何もない
ユヴァル:ノア:ハラリは「農耕革命によって所有の概念が生じた」と主張しているが 所有の概念は縄張り争いをする動物全般に見られる普遍的性質である
野生生物にとって 縄張りはエサとなる資源であり 他の個体に勝手に喰われてしまうと自分の食べる量が減ってしまうことになるため より広い縄張り所有を求める個体種への収斂によって 独占所有は先天的本能として組み込まれたものである
過酷な自然環境下における生存競争においては 暴力性は「生存」や「繁殖の継続」において必然性があるが 同種同士で争うことにより双方が怪我をしてしまえば互いに損になることにもなり あらゆる面において合理性があるわけではなく 「最適化」への収斂も促されることはない
怪我をしない程度に力比べをする個体種への収斂も あくまで「同種同士での争う習性の上における最適化」でしかなく 決して絶対的合理性のある最適化への収斂にはならない
差別というのは 先天的な社会的生活習慣病である
祖先の生息環境における「生存」や「繁殖の継続」においての必然性はあっても それ以外における合理性や最適化が促されるプロセスやメカニズムは遺伝的進化には存在しないのである
ユヴァル:ノア:ハラリは あたかも狩猟採集生活の時代には所有の概念がなかったかのように主張しているが 今でも狩猟採集生活をしている文明から隔絶されたヒトは存在し 土地資源の所有独占のために暴力紛争を引き起こし 殺し合いで年間1%程度死亡しているという
文明から隔絶された環境下では 殺し合いは絶滅にまでは至らないが 科学技術が発達した文明社会における所有独占への行動は地球規模での環境破壊を引き起こすことになる
それなら環境破壊を引き起こさないようにヒトという種の生物が進化するかと言えば そんな都合の良い淘汰圧力は存在せず 都合良く「環境に適応した変異がどんどん起きる」わけもでもない
むしろ 差別による淘汰圧力は 「より差別をしたがる個体種」への収斂を促し 多様性や個性は排除の対象にしかならない
ロシアでのキツネの人工繁殖では キツネは変異が大きく数世代で見た目も性格も多様になるにも関わらず 実際の自然環境下では一様な個体しか繁殖できていない
これは キツネの群れの中では民族浄化バイアスが働くことによって 多様性を排除する習性が存在していることを示唆している
実際にヒトの子供同士で生活させておくと 自然(自動的)に順位序列を形成し イジメ差別が始まるものである
イジメは子供に限ったことではなく 慶応大学を卒業している銀行員でもやらかすものであり 海上自衛隊でも問題になっている
軍隊というものはそもそも上意下達で上官の命令にのみ従うよう「学習」されているため 封建的な順位序列への意識(無意識な行動バイアス)が強く働くことによって 自分の頭で物事を考えたりせず 気分感情のおもむくままに差別イジメが酷くなるものなのである
自分の頭で物事を考え 判断していれば 戦争などというクソしょうもない行為なんぞに加担するわけがないのである
自衛隊であっても その内実は軍隊と同じものであり 決して個人の主体的判断を尊重する組織ではない
銀行員や子供でもやらかすイジメ差別というものは 別に軍隊のような封建的組織でなくとも起きるものであり ヒトの先天的な本能習性としての社会形成習性によって促される無意識な行動バイアスに過ぎないため 様々な環境場面で発揮されるのである
Microsoft社のTwitterAIが ヒトのツィートを「学習」する形でヘイトスピーチを始めてしまうことからも SNS上には膨大な差別発言がアップロードされ続けているのである
差別発言の大半は匿名の「捨てアカ(使い捨てアカウント)」であり 一貫性を持った責任ある発言ではない証左でもある
その場限りに他人を攻撃することによって目先の満足感を得ることだけが目的であって 客観的根拠や証拠もなしにデマに基づいた誹謗中傷を繰り返す中毒者に過ぎない
ヒトという種の生物は そもそもが先天的に多様性や個性を受け入れたがらないものなのである だからといって差別排除が正当化できるわけではなく 先天的本能習性に流されていて「自由」意思でも何でもないことを理解し 自覚し 理性によって許容するという主体的「選択」が必要なのである
私は個人的にバカが嫌いである
それでもバカの存在自体は認める必要があることも理解している
だが バカが原因でバカげた嘘を信じ込んで真実を見分けられずに「進化さえすれば何でも解決する」とか「学力偏差値が高いから頭が良い」などと錯覚して自分の頭で考えようともしない傲慢さは許容できない
バカなのは仕方ないが バカが原因で傲慢なのは許容範囲を超えている
バカであることを自覚すれば 傲慢にはならないはずなのだが 「自分はバカではない」と勝手に勘違い妄想して「遺伝的進化が万能の願望器のように常に都合良く働く」という非常識なデマを傍観放置することは許容範囲を超えている
その嘘は社会的に有害だからである
◇
遺伝的進化というのは常に「繁殖する前に死ぬ」という淘汰圧力の結果による収斂でしか起こらない
繁殖するまで生き続けられ 個体数が維持できさえすれば生物であり
どんなに苦しかろうが 痛かろうが 暴力的であろうが 残虐であろうが 嘘つきであろうが 人間性に欠けていようが バカだろうが遺伝子には影響を与えない
別に頭が良くなければ生き残れないわけではなく クラゲのように脳がなくても海洋環境では絶滅せずに繁殖を継続し続けることは可能である
生物でありさえすれば良いというのであれば ヒトである必要性はないのである
ヒトがヒトとして存続する必要性とは ヒトなら人間性「も」発揮可能だからである
「も」は取り除くことができない 遺伝的進化のプロセスに先天的に人間性が高まるメカニズムは存在しない上に そもそも現代の文明社会では人間性が高まるような収斂プロセスが存在せず ヒトは変異による多様性は拡大しても進化は起きないからだ
変異による多様性拡大は 先天性疾患を持った子供や 猛烈なバカも生み出すこともある
先天性の疾患なら多くのヒトは「医療処置でナントカならぬか」と思うものだが 猛烈にバカ過ぎて障害者虐殺なんぞやからすと「いや死ねや」としか「思わ」ないものである
主観的「思い」の多数決で虐殺犯を死刑にしても 虐殺犯が発生する原因やメカニズム構造が解明されて再発防止になるわけではないので死刑は何の「解決」にもならない
ヒトという種の生物は 最初はバクテリアの様な単純な生物でしかなかったが 様々な環境に適応し続けるうちに結果的にヒトにまで進化が起き 社会持続可能性や安全性や公平性にも配慮が働くようになることで 先天的な本能習性によって促される非合理な因習や根拠のない常識に囚われずに「本当の合理的選択」も可能となった
それは 一面的には「素晴らしい(主観)」ことではあるが 先天的本能習性からすると決して全面的に「気分の良い話(これもまた主観)」ではなく 不条理性が伴うものでもある
自分の女房子供を殺されても 犯罪者は死刑にならずに 「なぜ他人の女房子供を殺すようなキチガイになったのか」についての原因究明と再発防止が優先されるという 公益的見地の方が優先され 被害者や遺族の報復感情は満たされないことになる
それでも 同じ様な被害者が出ないようにするためには最も合理的な「選択」にはなるのである
報復感情というものは テロリストや通り魔の犯行動機でもある
主観的に「殴りたい」という感情なら ヒトの大半に普遍的にみられる感情であり 理不尽な不公平を主観的に「感じ」てしまえば多くのヒトは怒って報復的に「正義」を主張したがるものである
世間一般的に「学力偏差値=知能」という 認知科学的にも根拠のない「常識」を鵜呑みにし 学力偏差値が高ければ褒められることを脳が「学習」することによって いわば中毒的に学力偏差値に異常執着した結果 実社会においては学力偏差値が役に立たずに評価が得られなかったりすると 世間に対する方向性のない報復感情が芽生え これがテロや通り魔などの無差別殺人の原因となる
論理客観的には根拠のない世間の「常識」を鵜呑みにし 迎合的に同調し 権威の言うなりに唯々諾々と服従したにも関わらず それで誰からも評価承認が得られない場合には 根拠のない世間の「常識」を鵜呑みにした自分の頭の悪さを省みることなく 「悪いのは世間の方だ」という決めつけをすることによって 無差別殺人の動機となるのである
ヒトの大半はバカである
東大学部に入れてもバカは地下鉄に毒ガス撒いて「人類の救済だ」と本気で「思って」いるものである
ヒトの大半はバカなので 東大生がテロをやらかしても「それは特殊な事例に過ぎない」などといった解釈をして無視しておこうとするものだが 原発の暴走も 大企業の粉飾決算などの不祥事も 全部「高学歴なバカ」によって実行されたものなのである
そして 遺伝的進化任せにしておけば何でも都合良く正しい結果が得られるかのように勝手に解釈し 「進化で苦しくなくならないの?」などという荒唐無稽な非科学的質問をしはじめるものなのである
後天的努力は遺伝子には影響を与えない
従って後天的にどんなに苦しんでも 苦しくならないようには遺伝子には影響を与えない
私は決して生物学が専門ではないが 遺伝的進化のメカニズムや 進化のプロセスは理解しているつもりである
ちょっと考えれば遺伝的進化に目的や戦略といった選択可能な要因が存在しないことくらいは解るはずなのだが 生物学者の大半が遺伝的進化に目的だの戦略だのを「こじつけ」ている解釈の仕方を教え込まれてしまえば簡単に鵜呑みにし 何の疑いも持たないようになるものなのである
全然「知的生命体」でも何でもない
教えられたことを 教えられた通りに覚えて答えられれば 学力偏差値は必然的に高くなるものである
だが いくら学力偏差値が高くても 教えられた内容に間違いがあることには誰も意識が働かず むしろ得点や単位の方を優先し 権威に忖度する形で唯々諾々と鵜呑みにするようにもなる
むしろ そういうバカが大半である
何が真実で 何が嘘なのか これを区別できてこその「意識」である
嘘を鵜呑みにしているから「地下鉄に毒ガス」となるのであって 人間としての「意識」がないからこそバカなのである
「人間としての意識」とは 「人間としての知能」の源でもある
嘘と真実の区別がつかないことには知能としては全く機能しないからだ
主観的に「信じたい」かどうかに惑わされることなく 主体的に論理客観的に検証して(考えて) 自律的に真実を見極めることができないからバカなのである
奨学金と称した700万円だかの借金を背負わされて大学で教わった内容に間違いがあるとは 多くの学生は「思わ」ないであろう
「思い」たいとすら「思わ」ないであろう
その主観こそがバカになる原因である
東大医学部に合格できるほどに頭を鍛えた学生であっても騙されることがあるという事実に基づけば 「物事を深く考えたこともない自分なんぞは簡単に騙される可能性が充分にある」と警戒するものである
多数に迎合同調し 権威に忖度服従しておいた方が主観的に安心満足することができ それこそが社会安全性や公平性につながるものだと勝手に解釈することは簡単である
そういう簡単なことしかできないからバカが治らない
社会の大多数がバカなら 社会問題の多くも解決することはできないのである
温室効果ガス削減や 感染拡大防止対策というものは 個人の日常生活における地道な努力の積み重ねが必要不可欠であり 政府が専門家の言いなりに施策をどんなに工夫しても 国民が率先して協力しないことには達成することはできないものである
「エコ運転を心がけています」と書かれたトラックが 急加速して赤信号に詰めて停車することに必死になっているのを時折見かけることがある
燃料も無駄なら ブレーキパッドも無駄に浪費しているのである
まるで「禁煙と書かれた看板の前でタバコを吸う養老孟司」のようである さぞかし「俺は脳化していない」とでも思っているのであろう
まあ良いや
今の自動車というのは 運転する個人の「意識」がなければエコ運転にはならない
自動運転技術が進歩すれば赤信号に無理矢理詰めて停車させるような無駄なことは減るのであろうが それまではあと何十年かは必要で 温室効果ガス削減目標にはどう考えても間に合わず 運転者個人の「意識」が必要なのである
養老孟司は「こまめに電気(照明)を消すようなことはしない そんなことをしても無駄だと思っているからだ」そうである
まあ良いや
養老なんぞ信じているバカでは何言っても無駄だろうし
世間の大多数のマスコミも含めた衆愚は養老孟司を疑っておらず 「時折問題発言もあるが 概ね正しいことを言っている」とでも「思って」いるのであろう
養老孟司は相手を気分的に安心させて思考停止に陥れることに長けた根っからのペテン師であり 訳のわからぬことを言って「話を丸め」てごまかすことしかしない
自分の主観的感覚を絶対的なものだと過信し 一度自分が信じた養老孟司などのペテン師をいつまでも疑わずに信じ込んでいる方が 精神的には怠惰で安心満足感が得られる
認知的不協和を解消する形で都合の悪い話は全て無視し 気分の悪い話は理解することすらしなくなるのがヒトという種の生物がバカになる原因である
バカなのは許容しても良いが バカが原因で真実を捻じ曲げ嘘やデマの方を鵜呑みにしていれば 社会的損失や実害の原因となるのであって これは許容範囲を大幅に超えている
科学や哲学というものの全てが 「自分の気分的安心満足を与えてくれるものだ」と勝手に解釈するバカが世の中の大半だが これには論理客観的な根拠はなく ただ「多数だから安心」なだけに過ぎない
科学や哲学が追求する「真理(本当のこと)」とは 衆愚の多数決で民主的に決定するようなものではなく 論理客観的に検証されて磨かれるべきものである
どんなに生物学界がバカしかおらず 生物学者の多数が遺伝的進化に目的だの戦略だの「賢い」などという主観的形容詞による感想を述べても科学的論証であることの証拠にはならない
遺伝的進化というものは全て「結果」であって 生物やその遺伝的進化には「目的」や「戦略」といった選択可能性は存在せず 後天的「考え」も遺伝子には影響することはない
イジメや差別が起こると「困る」からといって 「イジメや差別をしなくなる変異がどんどん起こる」などという荒唐無稽な非科学的現象は起こらないのである
温室効果ガス排出による地球環境破壊が「困る」からといって 「温室効果ガス排出をしなくなる変異がどんどん起こる」わけもないのである
後天的にどんなに「困って」も 遺伝子には何の影響も及ぼすことはない
たとえ何億年「困って」も である
文明から隔絶された狩猟採集生活の原住民達も紛争による死者は出るものであり 文明がないために被害が少なくても済んでいるだけであって 縄張りの独占所有のための紛争は石器時代からずっと続いていると考えるべきである
狩猟採集生活をしているヒトであっても 文明社会でスマホ歩きをしているヒトであっても 遺伝的には何も「進化」などしておらず 同じヒトという種の生物に過ぎない
ググって知識をひけらかしていると 自分の頭が良くなったかのように錯覚する性質があるという
そんな錯覚は昔からあって 学力偏差値が高いと頭が良いものだと衆愚は錯覚しており それを錯覚だとすら思ってもいないものである
いくらググろうとも どんなに教科書や論文を読み散らかそうとも 自分の頭で論理客観的に考え 何が間違いで 何が正しいのかを自律的に判断できないことにはバカは治らない
当たり前の話である
いちいち私が説明するまでもないことを 何で説明しなければならないのか バカ過ぎて話にならない
Ende;