男 つまりヒトのオスとしての本能的行動習性としては 若くてピチピチした女子を力ずくで抑え込んで勃起したチ○ポコを無理矢理オマ○コに挿れて「ヒーヒー」言わせてみたいって「思う」ものなんですよ
これは本能ですから 男なら大抵ある
場合によっては女子にもあるそうです ラブリちゃんはそれで問題になったらしいです
ラブリちゃんって ちょっとサバサバした性格なもんだから 自分が嫌だと思えば自己主張がちゃんとできるため 自己主張があまり強くない人の断り方みたいのにあまり敏感に察することができずにセクハラになっちゃったみたいな要素があるんじゃなかろうかと 勝手に想像しているんだが
まあいいや 想像の範囲でしかないから
ヒトって元々は野生動物から進化したため どうしても野生動物的な行動習性が先天的に組み込まれていて しかもこれは自分では選択することができない
欲望そのものは選べないんですけど どの欲望に基づいた行動が最も自分にとって「本当に求めているものなのか」は選択可能になる
そうだな 例えば 「今すぐなら100円貰えるか それとも1日待てば200円貰えるか」を選択する場合 余程お金に困っていなければ一日くらいは待てると思います
でも イヌとかサルってそういう「明日のこと」なんかに興味がない イヌなんか数秒先のことすら考えない
自律的な社会的責任判断選択というのは 自分がこれからも生き続ける社会の理想のためであって 何十年後とか 更には自分が死んだ後の社会への責任として 主体的に選択するものだと言えます
今目先の利益(欲望)を追い求めることよりも これからも生き続ける社会が安全で公平な社会であることの方が優先する それが「自律」的な社会的責任判断に結果的につながることになる
主体的に生きようとする これが重要で 世間の多数に流されていると本当に自分が何を求めているのかも見えなくなってしまう
人それぞれに好みとか感覚が違うものであって そうした多様性を許容するためには自分と他人との違いを客観的に理解することが前提になる
自分ができることと 他人ができることには違いがあって 自分ができないことを他人ができることもあれば その逆もある
自分にとっては「こんくらい良いじゃねぇか」と思っていても 他人にとっては「凄く嫌だ」と思うこともある
タレントさんの中にはまりちゅうちゃんみたいにおパンツ丸見えでも平気な顔している娘もいるんだけど だからといって女子の全員がおパンツ丸見えになっても平気なわけではない
だったらPerfumeさんみたいにスカートの下にはショートパンツみたいの履いといてって思うんだけど
まあ それは強制できるようなものでもない
自分と他人との違いを許容できなくなるのは 他人から価値観を強要されたことで主体性を失っているのが原因で 「虐待の連鎖」みたいに他人から価値観を強要されたことを他人にそのまま同じ様に強要するようになってしまっているからなんですね
他人から価値観を強要されたことが嫌だと そう思ったなら「自分は他人には価値観を強要しないようにしよう」という主体的な行動選択が働かないと 「連鎖」的に主体性が失われてゆくことになる
連鎖的って チェーンリアクションって英語で表現する シーケンシャル(機械的)動作を指す表現
「俺が強要されたことを お前らにも強要してやる」っていう報復感情が伴うことで 強要性は更に酷くなったりすることもある
「100倍返しだ!」ってね
強要された本人に報復するならわかるんだけど 教師とか親とか先輩から受けた強要を 大抵の場合は自分の生徒とか子供とか後輩に強要して満足しようとする
「勝てそうな相手」「強要しても報復されそうにない相手」に強要する
そういう卑屈で卑劣なことを平気でする
「意識がない」って そういうこと
「自分は嫌なことを強要されたことがあるけど 嫌なことを強要する人には自分はなりたくない」って思う主体性(意識)が働けば 連鎖は止められる
「自分はどうする」っていう主体性がないと 本当の意識は働かない
ヒトって どうしても「本当の目的」を忘れて手段とか制度手続きとか因習の方を目的だと錯覚してしまう習性があって それは主観的な安心満足感による錯覚が原因なんですよ
主観的安心満足っていうのは先天的な本能習性によるものであって それは決して主体的に選んだものではない
虐待されて育った人は 虐待こそが「普通」だと思って安心して虐待をするようになる
虐待されていたことも「躾の一環だ」と言われて虐待されていれば それを鵜呑みにして自分の子供に対しても「躾の一環だ」と称して虐待を繰り返す
自分が受けた虐待を 事後正当化しておいた方が認知的不協和を感じずに済むからなんですね
こうした連鎖性というものは 家庭内での虐待に限らずあらゆる面において言えることなんです
無意識に連鎖しておいた方が気分的に安心満足できるため 意識なんぞは働かさない方が精神的怠惰によって「楽」でいられる
宮台真司が学生時代に教師から「自分の頭で考えるのは10年早い 丸暗記しろ」と強要されたことを事後正当化する形で 学生にも同じことを強要するのも メカニズムは一緒です
機械的条件反射で連鎖している
機械と一緒なら 人間としての意識は働いていないんですよ
自分の先天的本能欲望のままに行動していれば サルや機械と一緒なんです
「パブロフのイヌ」って 機械的なんですよ
だって 先天的本能欲望っていうのは自分では主体的には選択していないんですから
過酷な自然環境下であれば 弱肉強食でしか生き残ることができません でも それは「結果」であって「目的」ではない
弱者であっても誰一人とり残すことない社会を求める それが「人間としての社会性」であって 他人を食い物にしてまで利己的生存にとって有利な行動を採っても人間としての価値にはならないんですよ
遺伝子レベルの貧乏性を発揮するから 利己的利益が公益性を蔑ろにしてしまう
女子中学生なんてのは 身体が小さいですから 成人男子ならその気にさえなれば簡単に強姦なんてできるんですよ 物理的にはね
でも それが社会的に無責任だという主体的判断によって 欲望に歯止めをかけ 他のことで代替して忘れることもできる
他に楽しみを見つけることができれば 社会的に無責任な行動は主体的に抑制することができる
その選択可能性こそが 人間性として働くわけです
社会的に無責任な行動をしてしまえば 自尊心を失い自己肯定もできなくなります
ヒトである以上は脳容積にさしたる違いはありませんから 良心の呵責からは逃れることなんかできない
その場限りの快楽のために人生を賭けるのは あまりにバカげています
「注意一秒 怪我一生」ってね 後悔は先には立たないものです
他人からの評価に左右されずに純粋に主体的に続けたいことがあれば 後悔するような行動選択はしなくなるものです
自律っていうのは自発性とか主体性の中にあるものであって 他人の顔色窺っても他律にしかならないんですよ
他律ってのは環境依存性がありますからナチス政権下ならナチスに迎合してしまうことになる
天動説が信じられていた時代には 地動説は火炙りにされる
そうやって真実は失われてしまうんですよ
Ende;