「アフリカゾウが密猟者に狙われないように牙がないよう進化した」とか言っているバカがおるが
「〇〇のために進化した」という あたかもアフリカゾウが自らの遺伝的性質を選択しているかのような言い回しをするのが科学的に「典型的な間違い(遠藤秀紀)」なんすよ
Strategy(戦略)という言い回しが基本的に間違っていて 選択できないものに戦略もスッタクレもないでしょうが
昔 私が学校行ってた30年くらい前には生物学の授業で「○○のために進化した」という教わり方をしてました
その時から「ランダムな変異と淘汰圧力による結果なのに どうして合目的的だと説明するんだろう?」ってずっと思ってましたよ
でも 生物学研究者はほぼ全員「〇〇のために進化した」だとか「進化は人間よりも賢い」だとか 酷い場合には「進化によって人間性が先天的に組み込まれている」なんて言い出すキチガイもいる
遺伝的進化というものは 結果的な「生存」や「種の保存」に対する必然性しかありませんから 「人間性が組み込まれるプロセスやメカニズム」は存在しないんですよ
「戦略」っていう誤った表現を漫然と続けているから 「ウイルスが困るから 適応した変異がどんどん起こる」なんていう実証不能の謎の進化プロセスを説明しはじめる医者まで出てくる
田島木綿子に限らず 進化の方向性を主体的に選択可能であるかのように説明する生物学者の方が圧倒的に多い
皆さんそう「教わった」からでしょうよ
そして更科功による「生きているだけでも 立派なものなのだ」などという主観的感想による「はぐらかし」
ふざけてんのかしら
教わった内容に疑問を持たないようになる原因は 学力評価という抽象化された脳への報酬に対する条件反射的無意識な「学習」しかしていないからですよ
自分の頭で主体的に考えていない
だから間違ったことを教えこまれても 間違いであることには一切気づくことができず 間違ったまま鵜呑みにする
教師や学術権威が言っていることに疑いなんぞ持っても 評価成績にならないからですよ
エサ(脳への報酬)に対する条件反射的な学習しかしない
これって深層学習型人工知能の学習プロセスと全く一緒なんですね
SNS上のヒトのツイートを正解データとして人工知能に学習させると 多数を占めるヘイトスピーチを「正解」だと認識してヘイトスピーチを始めてしまう
「ヘイトスピーチなんかするのはおかしい」とは 人工知能は「思う」こともなければ「考える」こともない
「多数は正義」なんですね 深層学習って
だから多数が間違って覚えた理論は「正しいこと(常識)」になってしまう
人工知能ってヒトも含めた生物の脳を真似たものであって ヒトと同じ様な挙動をしても何の不思議もない
ヒトの脳と同じ挙動はするけど 人間として機能する保証はない
間違いなのか真実なのかを区別できないから 東大医学部の学生が「人類の救済だ」と称して毒ガステロを始めてしまう
学力が短絡的に人間としての知能だという世間的な「常識」もまた間違っているんですよ
別に私が偏差値低かったからって妬んで言っているわけじゃありません
事実 通り魔やテロリストの中には学生時代に偏差値高かったケースって結構多くて でも偏差値高かったのに社会に出たら何の役にも立たないから評価されず それが不満で今度は社会に報復する形でテロとか通り魔をやるようになる
物凄い単純な構図 犯罪者がプロファイリング可能なのは やっていることが全部一緒だからですよ
「学力成績=人間としての知能=評価承認」という論理的には根拠のない短絡的な大衆的解釈に対して疑問も持たずに ただ漫然と学力競争に勝てば世間的評価とか成功が待っていると勘違いしていて
それが全部根拠がなかったことに気づいたとしても 「一体何がどう間違っているんだろう」という主体的探究心も好奇心も何も働かずに「社会が悪い」の一言で非合理な暴力破壊に暴走して「死刑にしてほしい」などと言い出す始末
そりゃ 確かに根拠のない間違った「常識」を温存しているのは世間ですよ
でもね 世間っていう多数の価値観に論理客観的根拠があるのかどうか 真実なのかどうかを自分の頭で「考え」なかったのは本人の問題でしょ
頭が良くても評価されないことは良くあります 山中伸弥も「ジャマなか」とか言われてたそうですから
他人の評価に左右されずに 「本当のところどうなのか?」って素朴に探求を続ける純粋さがないから 目先の評価が得られないと不安になって簡単に落ち込んだり 不満から暴れたりする
これらは全部個人的な主観に基づく情動 気分感情ですよ
自分の気分感情が短絡的に自分の自由意志とか意識とか目的だと錯覚しているから 合理的な行動選択ができなくなる
他人からの評価に依らない純粋な個人的な楽しみに熱中していても 思ったように上手くいかないこともあるわけです でもね 好きでやってることなら「思ったように上手くいかないこと」でも楽しめる
自分の感情を客観的に見ることができる これが純粋行為の効用です
日々写真をあれこれ撮っていても 思ったような写真って1%にも満たない
99%以上は「上手く撮れない」
だけど それも含めて楽しいから続ける
他人からの評価なんてどうでも良くて 誰からも「いいね」的なものが来なくてもずっと続けている
個人的に好きなことに「諦める」っていう選択肢はないんですよ
いくら説明しても間違いが改められない社会に対して不満はありますよ 殴りたいバカもいっぱいいます
でもね 個人的に好きなことを続けるためには非合理な自分の目先の感情なんて優先順位が下がるから 暴力破壊なんていう非合理な行動はしない
世間多数からの評価や報酬がなくて貧乏していても 「もっと苦しい境遇の人はいる」って考えれば別に「大したことじゃないな」って思える
経済的に余裕があっても自殺しちゃう人っているものです
3万円かそこらで1800万画素のデジタル一眼カメラが買えることって 私が若かった頃から比べたら夢とか魔法みたいなものなんですよ
Android端末なんて11,800円ですよ オモチャみたいです でもちゃんと動く JavaScriptも書ける
今でも経済発展途上国なら実現できないことから比べれば 決して「ハズレ」ではない
こうやって文章をWeb上に公開できることも 30年前と比べたら画期的なことだし
時代が違えば下手に権威を批判したら「火炙り」にされることから比べても 全然「悪くない」
目先の他人と比べて優劣序列ばかりに意識を奪われているからこそ 世界全体を見渡す余裕がなくなる
精神的な余裕を失うから 他人への迷惑にも配慮が効かず そういう迷惑者である自分を肯定することもできなくなって 益々精神的渇望に陥る
バカが陥る「典型的な間違い」なんですね
京王線で暴れた男は「仕事に失敗した」なんて言ってたそうです
なんでしょう この子は人生の中で一度も失敗したことがなかったんですかね
そりゃ逆に凄くないですか
羨ましい限りですよ
私なんか好きなことでも99%以上失敗なんですから
進化生物学上の誤謬を指摘しても 理解している奴なんかほぼいませんよ
これもまた99%以上は上手くいかない
Web上で主張を始める前から言ってますから もう20年以上は主張している
でも 誰も耳を貸しませんよ
もう「ぶん殴ってやろうか」と「思う」こともありますけど 合理性がないからやりません
間違っている大多数の中の数人を殴ったところで 何かが変わることはありませんからね
それよか「間違っているぞ」って地道に説明を続けることの方が重要だと それが生きている間に「成功」しないとしても 合理的行動選択を優先する
世の中には間違った部分はあります
あるけど それは地道に丁寧に原因を究明し 同じ間違いを繰り返さないように合理的で実効性のある対策につなげていかないと 世の中は良くなりません
「ここは間違っているよ」って思うことがあるなら それは辛抱強く論理的 建設的に改めていかないといけない
「社会が悪い」と称して「だから俺も悪いことをするんだ」ってのは 世間に踊らされ過ぎです
「へずまりゅう」と発想が一緒
「迷惑者はザラにいる」から「俺の迷惑なんぞ かわいいものだ」ってね
バカが考える発想の形式は皆一緒
ヒトという種の生物はバカになるのは簡単なんですよ
簡単なことならバカでもできる
バカだと簡単なことしかしない
大脳容積が同じでも 使い方がバカだと無駄になる
Ende;