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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

コーヒーとドライアイ

2019年08月28日 23時47分46秒 | 日記

カフェインの摂取によって涙を促しドライアイの改善になるんだそうな

とはいえ一日3杯までが適量だそうで それ以上は中毒になるのでやめたほうが良いらしい

そういやコーヒー飲まないと目がショボショボしてくるのだが それって眠気のせいなのかと勘違いしているのかも知れない

本当は眠いんじゃなくて 単に目が乾いて集中力が出ないだけかも

マイボーム腺が脂で固まってしまうのもドライアイの原因だそうで 適度に温めると解消するという

マイボーム腺ってのは涙腺とは別に油脂分を分泌するための器官だそうで 涙と油脂分とのバランスが目の健康において重要なんだそうな

PCなどのディスプレイを目の高さよりも下にすることで 眼球の露出を減らすことになるというので デスクトップPCよかノートPCの方が良いのかも

スマホみたいに手元のディスプレイだと頭まで下を向いてしまい「スマホ首」の原因になってしまうが 適度に低い場所にディスプレイがあるのはドライアイ対策になるらしい

 

Ende;


意識のないバカでは知能は働かない

2019年08月28日 23時23分01秒 | 意識論関連

ビル・ゲイツは別に天才ではないけどな

IQ基準というのも結局は学力偏差値と一緒で 認知科学的な知能の論拠にはならない

特定能力が高くても 例えば計算能力であれば機械の方が圧倒的に高いのであって それが「人間としての知能」の論証には何ら該当しない

どんなに学力偏差値が高くても 誰も気づかない発見や発明や指摘ができなければ本質的な知能の論証にはならない

オイラは中学2年の時の幾何数学だけは何の予習復習もしてないのに異常に成績が良かったが それ以外は全部苦手だったな

 

「君は一人じゃない」という話は嫌いだな 誰もが世界で一人なのに 何で他の人と共通点を持たなければならないのかと言えば 主観的感覚としての孤独感が作り出す錯覚に過ぎない

誰もが死ぬときゃ一人なんだよ

人生の最後に最も求めるものとは何かといえば 安心して死ねる社会への希望だけである

何の希望も持てない殺し合いや潰し合いや奪い合いの社会では 何を「勝ち取って」も意味がない

人は何かを競うことを目的にする必要はないのだが 先天的な順位序列への意識(無意識な行動バイアス)が無駄なチキンレースへの強迫観念を生み出しているに過ぎない

その競争には勝者はいないのだが 競争の全てには勝者がいるはずだという錯覚妄想によって ありもしない勝利へと突き動かされているだけなのである

 

ヒトの多くは他人との比較にばかり執着する習性があり 何が何でも他人よりも何かが優れていなければならないかのような強迫観念に苛(さいな)まされているが こうした他人との比較に依存した価値観というのは環境依存であって本質的には主体性がないため 自律的な判断力が働かなくなる性質がある

文化だの社会だのと称して環境依存性を主張したがる時点で本質的主体性の欠如を事後正当化することで認知的不協和を解消したつもりになっているのだけなのである

人間性の本質というのは 「自律的な社会的責任判断選択」が絶対条件であり 自律というのは環境依存性からの脱却なくしてあり得ないものである

アルベルト:アインシュタインが相対性理論を書いたのは 大学での職を得られず特許局勤めをしていた時期であり 社会環境だの文化だのに依存しないことこそが本質的な人間としての知能なのである

東電社内における「文化」だの「体質」だのといった環境に迎合したからこそ 原発の津波に対する脆弱性は放置されたのであって 文化だの社会だのといった環境なくして何も出来ないかのように言い出すダニエル:デネットのように自分からは何も気づかないバカの発想というのは 自身の頭の悪さを事後正当化するための言い訳言い逃れ取り繕いはぐらかしに過ぎない

誰からも教えられていない事柄に気付くためには 環境に依存しない自発的発想が必要不可欠であり 文明だの環境だのに依存しなければ何も気付くことが出来ないデクノボウには どう逆立ちしても不可能なのである

 

Ende;


おいしいものは体に悪い

2019年08月28日 16時25分16秒 | 日記

洋菓子職人は仕入れた小麦粉を半年くらい寝かすんだとか

若しくはオーブンの上に2週間くらい放置することによってグルテンの結合を弱めることでカステラなどがふっくらと膨らむんだそうな

なので ホットケーキミックスも粉の状態からフライパンで焦げない程度にカラ煎りしてから使うとぶ厚く膨らむんだとか

まだ実際に試したわけではないのでよくわからんけど

NHKの「ガッテン」でそう言っていた

洋菓子職人って銅製のぶ厚いフライパンとか使うんだけど

そんなん持ってないわ

ホットケーキ屋だとホイップクリームてんこ盛りになってて体に悪そうだけど

やっぱ脂と糖がうまいんだろうな

「おいしいものは脂肪と糖で出来ている」

脂肪と糖をより多く摂ろうとした個体への淘汰圧力が祖先で働いたんだろうな

ヒトって ヒトになる以前の方が圧倒的に長いんだよね

だから何でも罰とか暴力で解決しようとしちゃう

そういう残念な生き物

わかっていてもやめられない

というか

わかろうともしない

そういや養老孟司がこんなこと言ってたことあるな

「頭に血がのぼって怒鳴り散らしている時には 前頭葉(理性)なんぞ邪魔なだけだ」ってね

怒鳴りちらしている方が意識の本質だと思っているから「理性が邪魔」だと言い出す

そういう非論理的な大衆観念的デマの方が人気が出るんだろうな

大衆の観念にとって都合のよい 大衆の気分が良くなる話の方が人気が出る

そういやオウム真理教教祖麻原彰晃も「皆さんの気持ちはよくわかる」なんて言ってましたな

そう言われれば気分がよくなって信用するようになる

言っている内容に合理性がなくても

気分が良くなりゃ満足

それが洗脳ってやつだよ

以外と簡単なのよ

養老にいわせりゃ「チョロいもん」なんだろうね

 

Ende;


お教養

2019年08月28日 14時30分12秒 | 意識論関連

「願ってやまない」の「やむ」は「已む」と書く。「己」や、十二支の「巳」と紛らわしい字ではある。安倍氏が手にした原稿では教養のある官僚が漢字で書いていたため、なんと読むかためらって、「願っていません」と言ってしまったのではないかとも思われる。

こういう誰も知らない教養を強要しないで欲しいわ

「誰も読めないかも知れないからルビふっておこうか」という配慮を欠いた「お教養」にはウンザリだわ

知識の「量」だけひけらかして知能だと思っているバカが多すぎるわ

 

Ende;


人間性とは

2019年08月28日 14時02分30秒 | 意識論関連
メンタリストのDaigo君がいくら腹を立てても 所詮は主観的「感覚」という先天的行動バイアスによる条件反射に過ぎないので それだけでは意味を為さない

被害がなぜ起きるのかを徹底的に原因究明し 再発防止の対策を立てなければ 被害はいくらでも繰り返されてしまうのである



東池袋自動車暴走事故の被害者遺族 松永莉子パパが「加害者が逮捕すらされない」ことに対してどんなに気分的に憤慨しても それ自体には意味がないのも同じことである

それは私が主観的に「腹が立つ」ことにも意味がなく 誰の主観的「感覚」にも それだけでは意味がないのである

「腹が立つ」だけなら常磐自動車道アオリ男の感情と同じであり 感情の強度程度で行動が決定していたのでは合理的な「解決」には至ることはない



ヒト個人の中には様々な感情や感覚があり その様々な主観を統合的に論理検証する客観性に基づいて行動選択をすることによって はじめて人間性として機能するのである

個人的感情という無意識に流されることなく 客観的論理検証性によって 「本当に優先されることとは何か」という統合的目的行動選択こそが 人間性として機能するのである

厳罰化に安易に共鳴してくれるヒトは多いのであろうが 厳罰化自体は事故の再発防止にとってほとんど意味がなく 時間が経てば事故や事件は簡単に風化し忘れ去られてしまえば効果は薄れるものである

東池袋事故の報道の後に減った踏み間違い事故は6%程度でしかなく 自動ブレーキの対人事故低減率60%以上にくらべても遥かに小さな値である

厳罰化による抑止効果というのは 罰に対する恐怖心を煽っているだけであって こうした精神論的な行動抑圧というのはJR福知山線脱線事故の原因となったJR西日本による懲罰的「教育」と同じものである

広告代理店の電通における「鬼十則」などというのも 強迫観念を煽るものであり どちらも会社の利益にとってわずかに効果があるとしても 有害な副作用の方が圧倒的に大きいのである

ヒトという種の生物は どうしても感情的な行動にこそ意味があると錯覚しがちな習性があり それによって本当に合理性のある効果的な対策というものを蔑ろにしてしまうのである

実際 生産現場においても 張り紙による注意喚起や罰則よりも ポカヨケ的な構造的改善の方が圧倒的に効果が大きいことは明らかである

ところが 生産現場以外の一般的対処においては合理的工夫よりも精神論的懲罰ばかりが優先されがちであり これは一般人の「意識」の低さ(感情が優先して合理性が後回しになる性質)に由来するものである

工場とかによく大きく書いてあるでしょ「安全第一」って 本当に安全を優先するために必要なのは張り紙とか懲罰ではなくて 構造的改善なんですよ

被害者や遺族だからといって 厳罰化といった精神論的抑圧を優先して良い理由にはならない そんな特権に合理性はないのである

実際に事故や事件の被害者や遺族になってから感情的になってしまいがちなのは致し方ないとも言えるのだが 実際に自分が被害をこうむるまで他人事として何も合理的で有効な対策を誰も採ってこなかった無責任さによって 回避可能だった被害である可能性は充分にある

「被害に遭ったから報復的懲罰だ」という感情的スパイラルを漫然と繰り返していても 本当の意味での事故や事件の再発防止に対する合理的で有効な対策にはならないのである

司法役人達はそれで充分であり 機械手続き的に判決さえ出しておけば合理的な再発防止策になろうがなるまいが どうでも良いのである

刑法裁判というのは 一種の因習に過ぎず「お祈り」と「かおまじない」レベルの話でしかないのである

航空機事故が起きたからといって 安全祈願のお札やお祓いをしたからといって安全性が高まる合理的根拠がないのと同様

刑法に基づいた判決が下っても事故や事件の再発防止に対する合理的対策になるわけではない

多数による気分感情的同調共感共鳴を得られれれば 気分的には良くなるのであろうが それは一種の集団心理が作り出す錯覚であり 合理性があるわけではない

合理的に事故や事件を減らすことを優先しないのであれば 回避可能だった危険性が放置されることになるのであり それを「人間性」や「心」と言うことは出来ないのである



ヒトの多くは 気分を良くしてくれる相手を主観的に好きになり 好きな相手の言っていることを盲目的に信用していれば安心で満足になる習性がある

その場限りに気分的に安心満足することによって 個人は自律的な責任判断を簡単に放棄するようにもなる

だが 統合的 客観的な視点に立脚して「考え」れば それは社会的には無責任な行動なのである

人災が人災たりうるのは そこに「人間」がいないからである

知恵や工夫なくして「人間」ではない

知恵や工夫は論理的な「考え」によって導き出されるものであって 感情的な「思い」の強度程度はむしろ「考え」を阻害する原因にもなるのである

「ヒトという種の生物」は 先天的には「人間」ではない

どんなに金もうけが得意でも 多数大衆から人気があろうとも 学歴や学力偏差値が高かろうとも 「自律的な社会的責任判断選択」ができなければ人間性の論証にはならないのである

養老孟司のような嘘つきであっても大衆やマスコミは「著作が売れた」とか「多数から人気がある」といった「根拠」に基づいて疑うことをせず 「客観的事実などない」と断言し「誰が退官してまで解剖なんていう辛気臭いことをするんですか」などと言い放った養老を 未だに「解剖学者」として扱う始末である

学者として自分が専門でやっていた領域を「辛気臭い」などと形容するというのは言語道断である

本来学者というのは公金を使って研究する領域を自分で選んでいるのであり それを否定するというのは社会に対する背信である

「脳化」などという非科学的オカルト観念に染まった養老を学者扱いしているマスコミや大衆は頭がおかしいことを自覚していないからである

養老のような非科学的オカルト観念に染まった「学者」というのは他にもたくさんおり 「世界は存在しない」だとか「時間は無限に分割すればなくなる」などという訳のわからぬことで人気を得たマルクス:ガブリエルを鵜呑みにしたマスコミや大衆の頭の悪さを 全く自覚していないのであろう

「なぜマルクス:ガブリエルの言っていることを鵜呑みにしたのか」を 論理的に原因を理解していない状態だからこそ リチャード:ドーキンスのお伽話を鵜呑みにし マイケル:サンデルやジャレド:ダイアモンドや松沢哲郎や山極寿一の嘘や間違いを誰も指摘出来ない痴呆状態から抜け出せないのである

自分達の頭の悪さを理解せずに オウム真理教信者の洗脳をとやかく言えた義理ではなし ISILの野蛮性は何が原因なのかも語ることは出来ない

そんなことだから「被害者の実名報道を今後の教訓に活かす」などという大嘘を平気で言い出すことになるのである

一体どうやって被害者情報を教訓に活かせるというのか 全くもって意味がわからないのだが バカというのは自分の頭の悪さを自覚していないので一向に治らないのである

それは女子中学生監禁事件の寺内樺風の自覚の欠如と構造的には同じものである



Ende;

お励まし

2019年08月28日 10時32分53秒 | 意識論関連
メンタリストのDaigoがYouTubeで被害者実名報道に怒り心頭らしい

具体的にはようわからんのだが「心ないひとたち」による「お励ましのお言葉」的なものが殺到して非常に迷惑なんだとか

NHKをはじめ 報道各社は「今後の教訓とするため」とか言っているんだが 事故や事件の再発防止において被害者の情報は意味がない

国会原発事故調査委員会報告書のどこにも「被害者の情報」なんぞ出てこない

証言者(加害者)の実名すら書いてないのに 被害者の実名が原因究明や再発防止に意味があるわけがなく 合理性が何もない嘘である

「心ないひとたち」が非常に多いことも社会の病的側面ではあるのだが これもまた一種の「失敗」ではあるので具体的にどのような「心ないひとたち」による「心がえぐられる」ような遺族が受けるダメージというのを公開し 何をしてはいけないのかを周知すべきではないかと思う

多分 Daigo君がいくら「怒って」も 「心ないひとたち」にしてみれば「何が悪いのかわからない」のではなかろうか

こうした無神経さというのは女子中学生監禁事件の寺内樺風と一緒で 自分自身の気持ちというものがそもそも「よくわかっていない」ために 他人の気持ちもよくわからない故の行動であろう

社会的に大きく報道された事件の被害者に対し その場限りに「かわいそう」という感情の強度程度によって ほとんど条件反射的に「お励まし」をしないといられない無神経さを発揮しているのではなかろうか

何か自分の主観的感情(感覚)によって促される条件反射的行動を短絡的に「心」だとか思っているバカがあまりに多いという社会的病理が被害者実名報道の根源的問題点なのである

バカがいなければ「私刑」も「お励まし」による被害も起きないのであって 政府が率先して「罰を解決だ」とみなして危険学や失敗学的な合理的対策を放棄していることが諸悪の根源だと言える

学力偏差値ばかりを追求している癖に 「罰で解決」という短絡性については誰も言及しない頭の悪さを認識しない(見えていない)のが そもそもの原因だと言える

罰というのは気分的なものであって 具体的に原因究明や再発防止にならないのだが それを短絡的に「解決」だと錯覚しているトンチンカンさと 「お励まし」を被害者や遺族に押し付けないといられない自己抑制の欠如はメカニズム構造的に同じものである

Daigo君がいくら感情的に「怒って」も 「心ないひとたち」には何も影響を及ぼさない

それは刑罰をいくら重くしても治らない犯罪者と同じである

「お道徳で犯罪がなくなる」とか「規範意識(無意識)でイジメを無くす」などという「神話」を鵜呑みにしている頭の悪さから認識すべきである



Ende;