ある生物学者は
「鳥が卵を温めるのは プログラミングされた反射行動に過ぎない」
と述べた
あのね 鳥類に限らず動物の情動や感情の全ては先天的にプログラミングされた反射であって 先天的本能習性というものは必ずしも常に「正しい行動」を促すとは限らない
先天的本能習性によって促された統率的協調行動というものが 戦争や組織的詐欺や差別イジメの原因になることからも 感情という先天的行動バイアスの全ては目的のない「結果」以上の意味はない
そもそも感情という先天的行動バイアスというものは 進化の過程で結果的に残った性質に過ぎず そこに合理性のある目的が介在しているわけでもなく 目的の存在しない先天的行動バイアスが促す行動が どのような結果をもたらしても 誰も責任を負ってはくれないのである
感情のままに行動した結果 残虐な殺し合いになろうとも 絶滅しようとも 誰も責任を負ってはくれないのが遺伝的進化であり 先天的本能習性もまた遺伝的進化によって促された結果に過ぎない
遺伝的進化というものは数十億年に渡って洗練されたものであるため 生存にとって非常に有利な性質を獲得してはいるため たかだか数百年程度しか文明を持たぬヒトよりも優れた特定能力を持っているとしてもおかしくはない
だがしかし 遺伝的進化というものはあくまで膨大な失敗の上に成立するものであって ヒトが論理的に考えて合理性のある行動選択を行うこととは全く別次元のものである
ヒトは 先天的感覚によって促された錯覚を 錯覚として認識出来るため 錯覚に惑わされることなく合理的に行動を修正することも可能だが 遺伝的進化で同じように行動修正を実現するためには膨大な失敗 膨大な屍の末に偶発的に成功する必要があり
こうした遺伝的進化における「成功」というものは あくまで偶発的 確率的に発生するものであって どんなに稀な「成功」であっても膨大な変異と淘汰さえ繰り返せば起きる可能性は存在してはいるのである
だが ゆめゆめ間違えてはならないのは 遺伝的進化というものはあくまで「膨大な失敗」の上に成立するものであって 決して「進化任せにしておけば 全てうまくゆく」というような夢物語ではないのである
「膨大な失敗」の上に成立する進化を 「全てうまくゆく」と言い張るのは 膨大な失敗を無視したご都合主義的こじつけ以外の何ものでもない
ヒトが子供を大切にする感情であっても 順位序列感情に基づいた無責任さであっても 先天的本能習性が促す行動バイアスの結果であることに違いはない
しかし 社会的に無責任であることが社会安全性にとって逆行するものであることを検証出来る自己客観性があってこそ はじめて人間性として発揮されるのである
社会安全性への配慮が出来ることが 果たして「愛」や「心」として分類可能かどうかは知らないが 社会的に最も優先されるべきなのは目先の感情ではなく理性に基づいた選択であることに疑う余地などないのである
Ende;