頭の悪さっていうのもスペクトラムで
とんでもない大バカ野郎からほとんどバカじゃない奴までいろいろいるわけだ
だから 結果的に甚大な被害を引き起こしたバカが生じた その陰に無数の小さなバカが隠れている
むしろバカ性が一切存在しない奴なんかいるわけがない
万能の神じゃないんだからね
結果的に重大な被害に至った事象の「加害者(悪者)」を 特別に異常者だと決め付けて差別し 糾弾し 懲罰さえ与えておけば社会安全性が高まると 大衆の多くは錯覚しているようだが
そういう主観的気分にとって都合の良い論理構造や力学が存在するわけではない
何か 得体の知れない「人知や理性を超越」した 訳のわからぬ実証不能の観念を鵜呑みにして満足しておけば安心して思考停止に陥っていられるのが ヒトという種の生物の脳の先天的欠陥である
「日本の原発は絶対に安全だ」などという神話を鵜呑みにし
刑法懲罰制度を鵜呑みにし
マイケル:サンデルを鵜呑みにし
マルクス:ガブリエルを鵜呑みにし
カントの純粋理性批判を鵜呑みにし
遺伝的進化のメカニズムを万能だと錯覚し
しまいにゃフリードリヒ:ニーチェによるゾロアスター教だのハイデガーを「倫理」だと鵜呑みにし
「何が正しいのか わからないわ」等と言っているバカの 何と多いことか
そういう「小さなバカ」の集積によって 甚大な「人災」への対策が放置されているのである
小さな無責任を見逃すことにより 重大な無責任へと発展する原因となる
ところが ヒトという種の生物は 多数派の小さな 被害が実際に出ていない(露見していない)段階での無責任は 多数派によって責任が薄まるような錯覚(感覚)によって 小さな無責任は傍観放置されるのである
サブプライム金融のような「リスクが薄まる」感覚というのは 気分的な錯覚に過ぎず 客観的に見ればそうした感覚こそがリスクを助長しているのである
ヒトという生物は 伝統だの格式形式手続きだのといった保守主義への迎合か
若しくは暴力的破壊革命かのどちらか一方にしかコンセンサスが得られない性質があるが
そういう先天的本能習性が促す目先の気分的行動バイアスだけの選択というものは 非常に幼稚で「雑」である
地道に丁寧に 繊細に精密検証に基づいた選択をすることによってこそ 本当の「目的」意識を発揮することが可能となるのである
「これさえやっときゃ 全ては解決する」という短絡幼稚な論理的根拠のない観念の方が ヒトは先天的に好きなのである
だから宗教やイデオロギーばっかり人気が出て 科学的思考も出来なければ 「本当の哲学」が何なのかすら認識出来なくなる
気分や感情というものは 先天的に決定しているものであって 単にそれ自体では「目的」行動選択にはならない
ヒトという種の生物が 他の野生生物と決定的に異なるのは 先天的本能習性が促す行動バイアスだけで行動が決定するわけではないという「自律」判断選択可能性を持っているという点である
既に存在しているだけの自己の内部に 現時点においてのみ選択可能性を開くのが 自律的な客観的論理検証性である
ヒトの中には様々な感情や欲望があり かわいい女子に厭らしいことをしたいとか 気に入らない相手を殴り殺したいという感情もあれば
一方では東池袋での自動車暴走事故のような悲惨な事象を何とか食い止めたいとか パレスチナの子供達が安心して暮らせる世界を作りたいといった感情もある
様々な感情を 客観的に論理検証し 自分が生き続けるに価する社会とはどのようなものであるべきかを基準にすれば
自ずと社会安全性に基づいた選択に至るものである
人間性というのは先天的本能習性のように環境要因に依存した受動的なものではなく 主体的能動的自律的に発揮されなければ人間性の論証にはならない
そして それは特定のヒトだけしか発揮することが出来ないようなものではなく 誰でも発揮する可能性を持っている
釈迦が言うには 「どんな凶悪狂暴な者であっても仏性(人間性)はある」が 人間性というものを阻害しているものが具体論理的に何なのかを理解認識しないことには 人間性を発揮することは出来ないのである
19人もの障害者を殺害した植松聖にまで人間性が具わっているとは 私も到底信じられないのだが
それでも 「なぜ植松聖はバカになったのか?」という構造やメカニズムを検証する「素材」としては利用価値が存在しているのではないだろうか
私は別に「刑法廃止」とは言っても「犯罪者の全てを無条件で釈放してしよう」と言っているわけではなく あくまで犯罪者が犯罪者になるメカニズム構造を科学的に解き明かし これから大人になってゆく子供達の中から犯罪者になる可能性を丁寧に排除してゆくことで 社会安全性を高めるための論理的対策につなげるべきだと言っているのである
懲役刑でタダ食いさせておいても半数は治らない上に 論理的対策も全く構築出来ない現状の司法制度というのは社会安全性において重大な欠陥がある
「くさい臭いは素から絶たなきゃダメ」なのであって 現状の司法刑罰制度というのは「強烈な香料(雰囲気)でごまかしている」だけに過ぎない
現状の司法刑罰による懲役罰では 服役者の半数以上は「自分の何が悪いのか」を論理的には理解自覚していないし 自覚させる構造には最初からなっていない
「罰が嫌で怖いから 法律に触れることはやりたくない」というのは 自律ではないし これは同時に人間性でもないのだが 現状の司法刑罰制度というのは こうした主観的気分で犯罪者を誘導しようとしているに過ぎず
刑務所から一歩釈放されれば 自律がないので再犯が半数近くある
半数は「更正」かと言えば もしかすると最初から悪意や自覚のない「うっかりミス」が結果的に重大被害に至ってしまった割合が一定数あるかも知れないのだ
だとすると 刑罰って更に無効だって話になる
それ ヤバイでしょ
Ende;
とんでもない大バカ野郎からほとんどバカじゃない奴までいろいろいるわけだ
だから 結果的に甚大な被害を引き起こしたバカが生じた その陰に無数の小さなバカが隠れている
むしろバカ性が一切存在しない奴なんかいるわけがない
万能の神じゃないんだからね
結果的に重大な被害に至った事象の「加害者(悪者)」を 特別に異常者だと決め付けて差別し 糾弾し 懲罰さえ与えておけば社会安全性が高まると 大衆の多くは錯覚しているようだが
そういう主観的気分にとって都合の良い論理構造や力学が存在するわけではない
何か 得体の知れない「人知や理性を超越」した 訳のわからぬ実証不能の観念を鵜呑みにして満足しておけば安心して思考停止に陥っていられるのが ヒトという種の生物の脳の先天的欠陥である
「日本の原発は絶対に安全だ」などという神話を鵜呑みにし
刑法懲罰制度を鵜呑みにし
マイケル:サンデルを鵜呑みにし
マルクス:ガブリエルを鵜呑みにし
カントの純粋理性批判を鵜呑みにし
遺伝的進化のメカニズムを万能だと錯覚し
しまいにゃフリードリヒ:ニーチェによるゾロアスター教だのハイデガーを「倫理」だと鵜呑みにし
「何が正しいのか わからないわ」等と言っているバカの 何と多いことか
そういう「小さなバカ」の集積によって 甚大な「人災」への対策が放置されているのである
小さな無責任を見逃すことにより 重大な無責任へと発展する原因となる
ところが ヒトという種の生物は 多数派の小さな 被害が実際に出ていない(露見していない)段階での無責任は 多数派によって責任が薄まるような錯覚(感覚)によって 小さな無責任は傍観放置されるのである
サブプライム金融のような「リスクが薄まる」感覚というのは 気分的な錯覚に過ぎず 客観的に見ればそうした感覚こそがリスクを助長しているのである
ヒトという生物は 伝統だの格式形式手続きだのといった保守主義への迎合か
若しくは暴力的破壊革命かのどちらか一方にしかコンセンサスが得られない性質があるが
そういう先天的本能習性が促す目先の気分的行動バイアスだけの選択というものは 非常に幼稚で「雑」である
地道に丁寧に 繊細に精密検証に基づいた選択をすることによってこそ 本当の「目的」意識を発揮することが可能となるのである
「これさえやっときゃ 全ては解決する」という短絡幼稚な論理的根拠のない観念の方が ヒトは先天的に好きなのである
だから宗教やイデオロギーばっかり人気が出て 科学的思考も出来なければ 「本当の哲学」が何なのかすら認識出来なくなる
気分や感情というものは 先天的に決定しているものであって 単にそれ自体では「目的」行動選択にはならない
ヒトという種の生物が 他の野生生物と決定的に異なるのは 先天的本能習性が促す行動バイアスだけで行動が決定するわけではないという「自律」判断選択可能性を持っているという点である
既に存在しているだけの自己の内部に 現時点においてのみ選択可能性を開くのが 自律的な客観的論理検証性である
ヒトの中には様々な感情や欲望があり かわいい女子に厭らしいことをしたいとか 気に入らない相手を殴り殺したいという感情もあれば
一方では東池袋での自動車暴走事故のような悲惨な事象を何とか食い止めたいとか パレスチナの子供達が安心して暮らせる世界を作りたいといった感情もある
様々な感情を 客観的に論理検証し 自分が生き続けるに価する社会とはどのようなものであるべきかを基準にすれば
自ずと社会安全性に基づいた選択に至るものである
人間性というのは先天的本能習性のように環境要因に依存した受動的なものではなく 主体的能動的自律的に発揮されなければ人間性の論証にはならない
そして それは特定のヒトだけしか発揮することが出来ないようなものではなく 誰でも発揮する可能性を持っている
釈迦が言うには 「どんな凶悪狂暴な者であっても仏性(人間性)はある」が 人間性というものを阻害しているものが具体論理的に何なのかを理解認識しないことには 人間性を発揮することは出来ないのである
19人もの障害者を殺害した植松聖にまで人間性が具わっているとは 私も到底信じられないのだが
それでも 「なぜ植松聖はバカになったのか?」という構造やメカニズムを検証する「素材」としては利用価値が存在しているのではないだろうか
私は別に「刑法廃止」とは言っても「犯罪者の全てを無条件で釈放してしよう」と言っているわけではなく あくまで犯罪者が犯罪者になるメカニズム構造を科学的に解き明かし これから大人になってゆく子供達の中から犯罪者になる可能性を丁寧に排除してゆくことで 社会安全性を高めるための論理的対策につなげるべきだと言っているのである
懲役刑でタダ食いさせておいても半数は治らない上に 論理的対策も全く構築出来ない現状の司法制度というのは社会安全性において重大な欠陥がある
「くさい臭いは素から絶たなきゃダメ」なのであって 現状の司法刑罰制度というのは「強烈な香料(雰囲気)でごまかしている」だけに過ぎない
現状の司法刑罰による懲役罰では 服役者の半数以上は「自分の何が悪いのか」を論理的には理解自覚していないし 自覚させる構造には最初からなっていない
「罰が嫌で怖いから 法律に触れることはやりたくない」というのは 自律ではないし これは同時に人間性でもないのだが 現状の司法刑罰制度というのは こうした主観的気分で犯罪者を誘導しようとしているに過ぎず
刑務所から一歩釈放されれば 自律がないので再犯が半数近くある
半数は「更正」かと言えば もしかすると最初から悪意や自覚のない「うっかりミス」が結果的に重大被害に至ってしまった割合が一定数あるかも知れないのだ
だとすると 刑罰って更に無効だって話になる
それ ヤバイでしょ
Ende;