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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○ヤバイ話。

2019年05月13日 11時48分54秒 | 意識論関連
頭の悪さっていうのもスペクトラムで

とんでもない大バカ野郎からほとんどバカじゃない奴までいろいろいるわけだ

だから 結果的に甚大な被害を引き起こしたバカが生じた その陰に無数の小さなバカが隠れている

むしろバカ性が一切存在しない奴なんかいるわけがない

万能の神じゃないんだからね



結果的に重大な被害に至った事象の「加害者(悪者)」を 特別に異常者だと決め付けて差別し 糾弾し 懲罰さえ与えておけば社会安全性が高まると 大衆の多くは錯覚しているようだが

そういう主観的気分にとって都合の良い論理構造や力学が存在するわけではない



何か 得体の知れない「人知や理性を超越」した 訳のわからぬ実証不能の観念を鵜呑みにして満足しておけば安心して思考停止に陥っていられるのが ヒトという種の生物の脳の先天的欠陥である



「日本の原発は絶対に安全だ」などという神話を鵜呑みにし

刑法懲罰制度を鵜呑みにし

マイケル:サンデルを鵜呑みにし

マルクス:ガブリエルを鵜呑みにし

カントの純粋理性批判を鵜呑みにし

遺伝的進化のメカニズムを万能だと錯覚し

しまいにゃフリードリヒ:ニーチェによるゾロアスター教だのハイデガーを「倫理」だと鵜呑みにし

「何が正しいのか わからないわ」等と言っているバカの 何と多いことか



そういう「小さなバカ」の集積によって 甚大な「人災」への対策が放置されているのである



小さな無責任を見逃すことにより 重大な無責任へと発展する原因となる

ところが ヒトという種の生物は 多数派の小さな 被害が実際に出ていない(露見していない)段階での無責任は 多数派によって責任が薄まるような錯覚(感覚)によって 小さな無責任は傍観放置されるのである

サブプライム金融のような「リスクが薄まる」感覚というのは 気分的な錯覚に過ぎず 客観的に見ればそうした感覚こそがリスクを助長しているのである



ヒトという生物は 伝統だの格式形式手続きだのといった保守主義への迎合か

若しくは暴力的破壊革命かのどちらか一方にしかコンセンサスが得られない性質があるが

そういう先天的本能習性が促す目先の気分的行動バイアスだけの選択というものは 非常に幼稚で「雑」である

地道に丁寧に 繊細に精密検証に基づいた選択をすることによってこそ 本当の「目的」意識を発揮することが可能となるのである



「これさえやっときゃ 全ては解決する」という短絡幼稚な論理的根拠のない観念の方が ヒトは先天的に好きなのである

だから宗教やイデオロギーばっかり人気が出て 科学的思考も出来なければ 「本当の哲学」が何なのかすら認識出来なくなる



気分や感情というものは 先天的に決定しているものであって 単にそれ自体では「目的」行動選択にはならない

ヒトという種の生物が 他の野生生物と決定的に異なるのは 先天的本能習性が促す行動バイアスだけで行動が決定するわけではないという「自律」判断選択可能性を持っているという点である

既に存在しているだけの自己の内部に 現時点においてのみ選択可能性を開くのが 自律的な客観的論理検証性である

ヒトの中には様々な感情や欲望があり かわいい女子に厭らしいことをしたいとか 気に入らない相手を殴り殺したいという感情もあれば

一方では東池袋での自動車暴走事故のような悲惨な事象を何とか食い止めたいとか パレスチナの子供達が安心して暮らせる世界を作りたいといった感情もある

様々な感情を 客観的に論理検証し 自分が生き続けるに価する社会とはどのようなものであるべきかを基準にすれば

自ずと社会安全性に基づいた選択に至るものである



人間性というのは先天的本能習性のように環境要因に依存した受動的なものではなく 主体的能動的自律的に発揮されなければ人間性の論証にはならない

そして それは特定のヒトだけしか発揮することが出来ないようなものではなく 誰でも発揮する可能性を持っている

釈迦が言うには 「どんな凶悪狂暴な者であっても仏性(人間性)はある」が 人間性というものを阻害しているものが具体論理的に何なのかを理解認識しないことには 人間性を発揮することは出来ないのである

19人もの障害者を殺害した植松聖にまで人間性が具わっているとは 私も到底信じられないのだが

それでも 「なぜ植松聖はバカになったのか?」という構造やメカニズムを検証する「素材」としては利用価値が存在しているのではないだろうか



私は別に「刑法廃止」とは言っても「犯罪者の全てを無条件で釈放してしよう」と言っているわけではなく あくまで犯罪者が犯罪者になるメカニズム構造を科学的に解き明かし これから大人になってゆく子供達の中から犯罪者になる可能性を丁寧に排除してゆくことで 社会安全性を高めるための論理的対策につなげるべきだと言っているのである

懲役刑でタダ食いさせておいても半数は治らない上に 論理的対策も全く構築出来ない現状の司法制度というのは社会安全性において重大な欠陥がある

「くさい臭いは素から絶たなきゃダメ」なのであって 現状の司法刑罰制度というのは「強烈な香料(雰囲気)でごまかしている」だけに過ぎない

現状の司法刑罰による懲役罰では 服役者の半数以上は「自分の何が悪いのか」を論理的には理解自覚していないし 自覚させる構造には最初からなっていない

「罰が嫌で怖いから 法律に触れることはやりたくない」というのは 自律ではないし これは同時に人間性でもないのだが 現状の司法刑罰制度というのは こうした主観的気分で犯罪者を誘導しようとしているに過ぎず

刑務所から一歩釈放されれば 自律がないので再犯が半数近くある

半数は「更正」かと言えば もしかすると最初から悪意や自覚のない「うっかりミス」が結果的に重大被害に至ってしまった割合が一定数あるかも知れないのだ

だとすると 刑罰って更に無効だって話になる

それ ヤバイでしょ



Ende;

○定義。

2019年05月13日 09時12分19秒 | 意識論関連
「エピジェネティクス」という言葉の定義は そんなに明確なわけではないようだ

歴史的な用法や研究者による定義の違いもあり、その内容は必ずしも一致したものではない -Wikipediaより抜粋

まあ 後天的であれ先天的であれ 個体の目的意図や努力などがそのまま個体の形質に反映されるわけではない

2世代前に起きた大豊作がその後に循環器系疾患を増やすという結果をもたらしたわけだが

それなら過食を何世代にも渡って繰り返しておけば自動的に過食に対する耐性が遺伝要素に組み込まれるわけではない

もし 遺伝的要素に過食に対する耐性が組み込まれるとしたら それは過食に対して耐性の低い個体の大量死滅という強力な淘汰圧力が必要である

当然ながら そこに個体の目的意図も努力も意味を全く為さない

遺伝的に適応してなければ死ぬだけであるし 果たして耐性を持った変異が起きるのかどうかも「運」次第である



なんにせよ 大衆や 大衆迎合的な大多数の生物学者達は「個体の目的意図や努力が個体の形質に都合良く反映されるはずだ」という非科学的妄想観念に多数人気が集まってしまい

その多数人気を基にリチャード:ドーキンスによるお伽話が本気で信じ込まれてしまっているのである



ヒトは漫然と失敗を繰り返していても 決して自動的に失敗を繰り返さないような能力が獲得出来るわけではなく あくまで意識的目的意図を持って論理客観的な根拠に基づいた知識や教訓にまで形にしなければ 社会や文明の進歩にまでは至ることはない

ヒトの先天的欠陥というものは それ自体を無くすことは今のところ不可能である

将来的に可能かどうかは不明であり ヒトの子供達を集団で放置してしておけば自動的にイジメ差別や暴力は発生するものである

「先天的に人間性が組み込まれているはずだ」などというお伽話を鵜呑みにしていれば その場限りに気分的に安心は出来るのだろうが 先天的欠陥を認識しようとはしなくなる

ヒトという種の生物には 先天的に人間性(仏性と形容しても良いだろう)存在しているとは言えるのだが 仏教的には「十界互具」であり 何も考えずに本能的欲望のままに行動しているだけでは非人間性しか発揮されることはない

マイケル:サンデルやマルクス:ガブリエルや養老孟司による非科学的 非論理的お伽話を鵜呑みにし 思考停止に陥っているバカでは人間性は発揮されることはないのである

ヒトという種の生物には 思考停止によって洗脳され 自発的には論理検証しなくなるという先天的欠陥が存在しているため 非科学的なお伽話で脳が酔っ払い(中毒) 何も考えなくなる

何も考えない状態を「バカ」という 他に形容詞は知らないし 知りたくもない



サンデルがやたらと取り上げる「トロッコ問題」というのは 危険学や失敗学において何の意味も存在しない

伊勢崎賢治の紛争学にも何の意味を為さない

なぜなら人間性や倫理の本質が「トロッコ問題」の中には存在していないからである

にも関わらず 学力偏差値が高いだけのバカ学生のほぼ全員はサンデルの講義で「自分は頭が良くなった」などと勝手に妄想し サンデルの講義自体に存在する洗脳性には誰も気付くことがない

どこぞの病理診断医も サンデルの洗脳に簡単に引っ掛かっていた 未だにそのままかも知れないが

医者免許を取得出来る程記憶力が良くても バカはバカである 医者や教師など責任ある職種の人物が不祥事を引き起こすことは珍しいことではなく 医者免許や教員免許などの国家試験は人間性そのものを測る基準には全くならないのである



リチャード:ドーキンスが提唱した「ミーム」なるものとは 遺伝的要素に依らない知識や教訓によって社会としての進歩(進化)の可能性を分類したものだが

そもそも遺伝的進化のメカニズムが自動的に意図目的に沿った都合の良いものであると錯覚していれば 知識教訓までもが自動的に意図目的に沿って獲得出来ると錯覚することになる

一体何をどう勘違いしているのかは知らないが 何も考えないバカが呆然と目先の欲望を満たしておけば自動的(自然)に進歩が促されるわけではない

アダム:スミスが「見えざる神の手」なるものを提唱すれば 大多数のバカは鵜呑みにして利己的利益さえ追求しておけば自動的(自然)に社会が良くなるという妄想を抱くことも可能である



「人知や理性を超越」した実証不能の謎の英知など存在しないのだが

何か見えない力学によって自動的に人間性が発揮されるかのような妄想錯覚に酔いしれ 「虜」になっていれば満足するのがヒトという種の生物の先天的欠陥である

原発の危険性が放置された原因にも「原発は絶対に安全」という「神話」による思考停止が大きな要因となっていたのである



道路交通法に基づく司法刑罰さえ実行しておけば 自動的(自然)に交通事故が減るとでも思っているのであろうか



何か 説明していてウンザリするわ

主観的に気分が乗らないのでとりあえず終わりにする



Ende;