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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

ペテン

2022年06月02日 23時35分48秒 | 意識論関連

遺伝的進化というものは 結果的に生息環境に適応し 繁殖が継続することに「成功」した個体種への収斂が促されるだけであり

決して都合良く進化を自発的に「選ぶ」ことなどできない

したがって 遺伝的進化の説明において「○○のために進化をした」「○○のために進化を選んだ」といった説明の全ては論理科学的に間違いである

昆虫などの擬態進化において 従来の生物学では「天敵から見つからないように姿を周囲の環境に似せた」などという説明を 当たり前のようにしていたが これが根本的で「典型的な間違い」なのである

こうした遺伝的進化に対する「典型的な間違い」というものは 擬態進化だけにとどまるものではなく あらゆる遺伝的進化において言えることであり 「頭を使ったから脳が肥大した」などという後天的努力の類いは遺伝的進化には影響を及ぼすことはなく 典型的な非科学的デマである

遺伝的進化の過程において遺伝的に新しい個体種の方が脳が大きい傾向性はあるが しかしこれは配偶交配や突然変異によって 脳の容量には個体差が生じ その中で脳がより大きい個体の方が「繁殖の継続」において有利だったとは言えるものの これは後天的努力とは無関係なものである

無差別殺人犯の脳容積が小さい傾向もみられず 学習障害のような傾向もないにも関わらず 国立大学出身のロシアの大統領や 東大医学部の学生によるテロが行われることからも 別に「脳が大きければ頭が良い」とか 「学力偏差値が高ければ頭が良い」という単純なものではない

学力偏差値という基準は 極めて一面的能力を測ることにしかならず しかも学力成績という他者から与えられる抽象化された「脳への報酬」だけが目的になってしまえば 間違ったことを教えられても全く気づかず 教えられた内容の中に論理整合性の欠落があっても全く認識しようともせず ただ漫然と鵜呑みにして知識の「量」だけをひけらかして「俺様は頭が良いんだ」などと勝手に勘違いしているバカが大半である

遺伝的進化というものが都合良く選ぶことが出来ないこと 生物学上における「社会性(封建的序列順位による統率的協調性)」というものを短絡的に「人間としての社会性」と混同していたことを 現状の生物学権威の大半は訂正や周知徹底を怠り あたかも以前から知っていたかのようにはぐらかして国民をおちょくっているのである

国民も国民で 遺伝的進化という自然現象に対する盲目的安心感を抱き 遺伝的進化さえすればあらゆる問題が解決するかのような万能なものであるかのような勝手な解釈をこじつけ 生物学権威共のデマや嘘までをも鵜呑みにしておいて何とも「思って」いないのである

未だにNHKでは「○○のために進化を選んだ」などという説明をしており 遺伝的進化に対する「典型的な間違い」を全く理解していないバカ制作者が大半を占めているのである

 ◇

11億もの研究費不正流用をやらかした松沢哲郎は 私が「生物学上の社会性は 人間としての社会性を伴うわけではなく 全く別次元のものである」と主張したことに対し 根拠も示さずに「チンパンジーの先天的行動習性から人間としての社会性を立証できるかも知れない」などと言い出し マスコミ各局はこれを鵜呑みにして満足し 「立証できたら素晴らしいですね」などと称賛し その上文化功労賞まで獲得しているのである

国民をバカにするにも程がある

まあ 実際にバカなんだが

チンパンジーを鋼鉄製の檻に閉じ込め その中でどのような行動を採ったとしたら人間としての社会性の立証になると言えるのであろうか

たとえばチンパンジーの代わりにプーチンを鋼鉄製の檻に閉じ込め プーチンがどのような行動を採ったとしたらプーチンの人間性の立証になると言えるのであろうか

ウクライナ市民を虐殺したロシア兵でも構わない 彼らがどのような行動を採ったとしたら彼らの人間性の立証になると言えるのであろうか

たとえ如何なる行動を採ったとしても 既に行われた虐殺行為を反証することなど原理的に不可能なのである

たとえ残虐な虐殺行為を行っていないヒトで検証したとしても それがロシア兵も含む「ヒト」の非人間性の反証になどなりようがないのである

ヒトという種の生物にも 他の社会性動物同様に統率的協調行動は見られるが 特定集団内部での利他的行動だけを どんなに大量に抽出枚挙してきても それが「自律的な社会的責任判断選択能力」の立証になどならない

振り込め詐欺師が仲間内で利益供与をしたとしても それが「振り込め詐欺師の人間性の立証」になどならないのである

残虐なゲリラやロシア軍兵士の群れの中においても同じことであり 仲間内での協調性をどんなに抽出してきてもゲリラやロシア軍兵士の人間性の立証になどなろうはずがないのである

 

山極寿一は「ヒトには必ず先天的な人間性が組み込まれているはずだ」などという これまた論理的根拠のない身勝手な予測を提示し 衆愚人気を集めていたが

その一方では「安倍政権は忖度だらけでゴリラと一緒だ」などと言い出す始末である

忖度というゴリラにも見られる本能的習性に 人間性が伴うのか 伴わないのか その論理整合性というものが山極の主張には著しく欠けているのであり 言っている内容が支離滅裂でその場限りのウケ狙いでしかものを言っていないのである

リチャード:ドーキンスあたりから衆愚人気を集めている「先天的本能習性としての人間性の可能性」という話は 実際には特定条件下にのみ見られる衆人環視下や仲間同士での忖度や偽善であることを否定できないのである

特定条件下においてのみしか発揮されない利他行動では 他の条件下において発揮されない可能性が否定できず これは人間としての社会性 すなはち「個人が自律的な社会的責任を負う」ことの立証には全くあてはまらないのである

山極は「戦争をしているのは人類のごく一部だということを知れば戦争はなくなる」などとも主張していたが これもまた論理的根拠の全くない身勝手な決めつけによる衆愚迎合に過ぎず 科学者としての社会的発言責任を全く負うつもりがないペテンも甚だしい

大衆やマスコミの大多数は こうした根拠のないデマであっても学術権威の肩書さえあれば簡単に鵜呑みにし 疑うことを一切しないバカでもある

 

スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験では ヒトには権威と見なした相手の命令に唯々諾々と服従し 他人に危害を加えてしまう性質が存在することを立証している

この実験の被験者達は あくまで「普通の一般人」や学生であり 「普通のヒト」に普遍的に見られる性質として立証しているのである

ヒトは産まれてくれば初期的には子供であるため 子供は親に服従し 盲目的に信頼しようとする習性があり この盲目的信頼や服従性というものが 血縁続柄を超えて「王」や「学術」といった権威への盲目的服従対象の転移が生じることにより 封建的順位序列に基づいた統率的協調性として発揮されるものでもある

統率的協調性というものは 一人ではできないような「大きな力」として発揮することも可能だが 「力の大きさ」だけでは人間性としての優位性の論拠にはならない

なぜなら 戦争で弱者を殲滅し環境資源の奪い合い競争に勝ち抜くこともまた 統率的協調性による「大きな力」によるものであるからだ

文明の発達や 人口増加による経済規模や利益の拡大には良い面もあるとは言えるものの それが原因で地球環境を破壊してしまい 自滅の可能性という負の側面も作り出している以上は全面的に「良いこと」だとは言い切れないのである

地球環境資源を食い尽くす程の異常繁殖のことを「繁栄」などと称して全面的に「良いこと」であるかのように形容する者は多いが これは衆愚迎合(ウケ狙い)的デマでしかない

 

大衆の多くやマスコミは 都合の良い一面的側面だけを採り上げて人間としての優位性であるかのような勝手な解釈をしたがるものだが それは何も考えていないバカが気分的に安心満足するためだけの「信じたい話」でしかなく 論理客観性を欠いた身勝手な解釈でしかないのである

大衆の多くは主観的に気分が良くなる「信じたい話」ばかりを信じようとし ほとんど誰も論理客観的に「信じるに価する話」かどうかは検証しないものである

ロシア国民の大半がプーチン政権を信用しているのと同じように ヒトの大半は生物学権威や哲学権威の肩書を持った者の主張には誰も疑問を持たず 何の批判精神もなく唯々諾々と鵜呑みにするバカである

長谷川眞理子は 私の優生学に対する論理反証に対して 「チャールズ:ダーウィンは人道主義者だった」などという関係のない話ではぐらかし しかも「○○のために進化を選んだのよ」などという支離滅裂な「説明」をも平気でする二枚舌(嘘つき)なのである

更科功もチャールズ:ダーウィンによる自然選択説に基づき 「進化には目的がない」という説明をした直後に「生物は生きることだけが目的」だの「生きるために生きている」だの 終いには「生きているだけでも立派なものなのだ」などという個人的主観まで混同させて従来の遺伝的進化の説明の間違いをはぐらかしているのである

現状の生物学界というのは論理整合性のない支離滅裂な話で大衆の脳を撹乱し 「立派」などという主観的形容詞を持ち出して衆愚人気を集めるだけのバカの集まりに過ぎない

バカがバカを騙して何が真理なのかを誰も理解認識していないカオスな状態だからこそ ヒトという種の生物の先天的危険性が認識されず 銃乱射事件や紛争虐殺が一向に止められないのである

本来ならば 「科学の帝王」である哲学が生物学界の支離滅裂さを指摘しなければならない立場でありながら 未だにイマヌエル:カントの「純粋理性批判」を「近代哲学の最高峰」などと称して称賛し 「世界は存在しない」だの「時間は無限に分割すればなくなる」だのと荒唐無稽なオカルトに過ぎぬマルクス:ガブリエルなんぞが学術権威に居座っているという大失態をやらかし続けているのである

生物学界と哲学界による こうした組織的腐敗というものは 科学や哲学に限らず 人類に対する冒涜とも言えるものである

マスコミもマスコミで 大衆と同様に気分的安心満足に溺れて何の批判精神も持たず ただ漫然と無意識に学術権威の肩書の主張を唯々諾々と鵜呑みにし 呆然と垂れ流し続けているというのは マスコミとしての社会的役割を放棄しており 無責任にも程がある

その上NHKは受信料まで払えと主張する

頭がおかしいだろ

公共的な放送だと言うのであれば 嘘や間違いは徹底的に訂正周知しなければおかしいのであって 公共水道に喩えれば「糞を水道に流して金をよこせと言っている」ようなものである

有り難がって糞を平気で飲んでいる国民も頭がおかしい

 

 

Ende;


目的意識

2022年06月02日 11時03分57秒 | 意識論関連

従来生物学においては 遺伝的進化の説明において「○○の為にの進化を選んだ」といった説明をしてきた

この説明の仕方はチャールズ:ダーウィンが自著の進化論においてもしているらしい(原文は読んだことがない)のだが 自然選択説においては都合良く進化を「選ぶ」ことなどできないのであり 理論的に整合性が欠けている話である

 

「生きるため」に進化を「選んだ」のではなく

「死ななかった」個体を「生物」と分類しているに過ぎず 消極的に自然に「選ばれる」ことはあっても 能動的積極的に「選ぶ」ことはできない

主観的に「死にたくない」と「思った」ところで それは後天的な「望み」「欲望」であって どんなに強く「死にたくない」と主観的に「思った」ところで それは遺伝的要素には影響を及ぼすことはない

そもそも本能的に「死にたくない」と主観的に「思う」ことそのものすら選択不可能なのである

「死にたくない」と先天的に望む個体と 「特に死にたくないとは思わない」個体のどちらが生存に適しているかと言えば 自ずと「死にたくない」と思って生存に執着している個体の方が生存には適しているのであり 動物は基本的に死にたくないと本能習性として「思う」個体への収斂進化が起こっているのである

大脳辺縁系が作り出す行動バイアスというものは あくまで「死なずに生き残る」のに適した本能的(無意識)行動が促された個体への収斂進化の結果であって 本能習性そのものは本人には選ぶことができないものである

本能習性というものは祖先の生息環境や状況への適応に過ぎず 弱肉強食の過酷な殺し合い環境の中では凶暴性が強くなるものなのである

一般的に 環境資源の豊富な土地では 草食獣の個体数が多くなるため 肉食獣にとっても個体数を増やす上において有利に働くことになり より生存競争は激化し 草食獣は逃げ足が速くなったり 肉食獣も捕獲能力が高くなり 共に大型化も見られる

これは 草食獣の同じ種の動物の中においても「逃げ足」競争が起きているため 先天的に逃げ足の遅い個体から全部喰い殺されたことによって 結果的に先天的に逃げ足の速い個体への収斂が起こることで 先天的に逃げ足の速い個体への進化が促されるからである

しかし 環境資源の乏しい土地においては そもそも草食獣も数が増えず 肉食獣にとっても環境資源が乏しいため 共に個体数が限られ  生存競争も激化しずらいために 大型化や逃げ足が速くなるような進化もあまり見られず 凶暴化もあまり進まない

環境資源の乏しい土地では サルも集団の個体数が少ないために 集団内部での競争もあまり起きないために凶暴性も低いという

凶暴性の高い個体というのは 生存競争の激しい環境では適応しやすいが 環境資源の乏しい環境には適応しずらいのであり 凶暴性の高さというものは あくまで環境によって「選ばれる」ものであって 個体が主体的に「選ぶ」ことなどできない

 

ウサギやネズミは繁殖能力が高く オスはメスを見つけると見境いなく交尾をしようとする

過酷な自然環境下においては メスを選んでいる余裕などないため メスと出会えったらとにかく交尾をしないと「繁殖の継続」にはつながらず 環境に適応することにならない

オスの行動バイアスとしては 単に繁殖行動への強いバイアスが働いているだけであって 別に「繁殖の継続」を目的とした目的行動選択をしているわけではなく

より強い繁殖行動バイアスを持った個体の遺伝子の方が「拡がりやすかった」という結果的なものに過ぎない

後天的にどんなに「天敵に喰われたくない」と願おうが祈ろうが呪おうが ほとんどが喰われてしまう環境下においては 食い尽くされない程に増殖能力の高さが必要であり 生態系のピラミッドの底辺に属するネズミの意図目的のようなものは遺伝的要素には反映されることはないのである

「天敵に喰われたくない」「死にたくない」といった本能的情動というものは 個体が選択できるようなものではなく どんなに永遠の命を望み続けても永遠に生き続けるような進化が促されることはないのである

情動は それ単体では意志ではなく 目的も合理性も存在しない

ヒトにおいて 時折幼女強姦殺人のような犯罪が起こるのも 先天的行動バイアスとして幼女を強姦したい衝動によって促される行動であって そこに目的や合理性のようなものは何もないのである

先天的本能習性によって促される動物行動的衝動というものは 自然界においては「繁殖の継続」において有利に働く結果をもたらすことはあっても それが結果的に生態系の恒常性において適したとしても それは合理性を伴った「目的」の論証には全くならない

結果をいくら重ねても 結果以上のなにももたらされることはないのである

 

ヒトの場合には 幼女強姦なんぞが横行する社会では持続可能性や公平性が保てないことを理解認識すること「も」可能であるために 欲望や衝動の程度強度に無意識に流されることなく 自律的に社会的責任判断選択をすること「も」可能となる

無意識に流されないために必要なのは意識である

社会安全性や持続可能性 公平平等が担保されない社会というものを 自ら望まない「意志(自由)」によって 人間性を伴った行動選択「も」可能となるのである

しかし ヒトの意識の大半は 他の動物と同様に情動という無意識に支配されており 特に冷静さを失うような強い情動を伴う状況下においては簡単に理性を失い 「本当の目的」を忘れ 目先の恐怖を処理することにしか意識が働かなくなり バカになるのである

それこそ軍隊のような封建的序列による統率的協調行動を促す盲目的服従性を強要されていれば 目先の恐怖心を「処理」することばかりにしか意識が働かなくなり 戦争のようなバカげたことでも平気で行えるようになるのである

ヒトという種の生物が持つ先天的な認知上の欠陥というものを理解せずに 21歳かそこらの一兵卒に懲罰を加えても 戦争という残虐行為の根源的な原因究明にはならず 必然的に再発防止にも全くならない

 

ヒトは その先天的な「社会性」によって 多数や国家権力などの権威に対しては 恐怖心によって逆らわない傾向があるため 衆人環視環境下においては外見上の人間性を装うことはするものの これは個人が主体的に社会安全性や公平性を旨として選択しているわけではないので 誰も見ていない状況下においては神だか変質者だかに見張られていることにしなければならなくなるのである

エセ有神論者は「神がいないなら 何をしても許される」などと言い出すものだが 「神がいなければ社会安全性や公平性は求めなくても良い」ことには全くならない

社会の中において 自らの安全性や公平性を求める上においては 他人への安全性や公平性にも配慮することは当然の社会的責任であり 神の有無は関係がない

「神」のような「他者」から見張られている恐怖心というのは他律的なものであり これを利用すればヒトの盲目性を引き出し 独裁的に特定権力者の個人的欲望に則った集団統率的行動を促すことも簡単である

原発事故であれ 日本大学や大企業の組織腐敗であれ プーチン政権やナチス政権であれ あらゆる「人災」というものはヒトの先天的な頭の悪さ ヒトの無意識性によって作り出されるものであり 「自分だけは絶対に大丈夫」という正常性バイアスが作り出す錯覚によってヒトは簡単にバカになるものなのである

虐待が連鎖するのと同様に ヒトは自分の中の「常識」に論理客観的根拠や目的があろうがなかろうが情動的に安心でさえあれば盲目的に信じ込み 事後正当化の屁理屈ばかりを陳列しようとする

これこそが無意識が作り出した「エピソード記憶(嘘)」というものである

血縁続柄を超越し 他人すらも超越した実証不能の謎の無意識的行動バイアスによって 自分が意識しなくても自動的自然に人間性が発揮され 必ず正しい結果に無意識に導かれるかのような錯覚を抱いていた方が気分的には「楽」なのであろう

それは 元々親に対する信頼が超自然的な何者かに転移した幻であり そうした幻による主観的安心満足こそが 自律的な社会的責任判断選択をヒトがしなくなる原因でもある

遺伝的進化の過程において 祖先の生息環境下ではそれが「繁殖の継続」に適したために ヒトという種の生物に先天的本能習性として遺されたという結果であって そこに超自然的な目的なんぞあるわけがないのである

イマヌエル:カントの「純粋理性批判」を多くの衆愚や「哲学者」共が鵜呑みにして満足したのも 自分には先天的に超自然的人間性のようなものが組み込まれているかのような超常的力学への幻想に因るものである

ヒトが自らの頭の悪さを自覚することができなければ 必然的にバカげた行動しか採ることができずに 本当は誰も望まない結果に陥る可能性は高まることになる

自分の頭の悪さを自覚することが 主観的に気分が悪いのは 誰のせいでもなく 本人の主観(個人的好き嫌い・本能)に過ぎない

「欲望(本能)そのものを欲することはできない」のであって 目的意識に基づいて自らの頭で「本当の目的」に基づいた行動選択をしなければ 必然的に誰も望まない結果に陥るのは当たり前の話である

 

 

 

Ende;


ミエリン化

2022年06月01日 23時49分21秒 | 意識論関連

長谷川眞理子

総合研究大学院大学学長

 

側坐核

報酬、快感、嗜癖、恐怖などに重要な役割を果たすと考えられ、またこの部位の働きが強い者ほど嘘をつきやすいことが京都大学の研究グループによって突き止められている。(Wikipediaより)

⇨目先の「報酬」が優先するんだろう

 

ミエリン化 伝達速度が上がる

神経線維のミエリン化で思春期が終わる

ミエリン化は30歳前後で終わる

ミエリン化のデメリット ルーティーン化 常識化 新奇開拓性が失われる

⇨いつまでも「○○の為に進化を選んだ」と言い続けているのは長谷川眞理子の脳がルーティーン化 常識化しているからだろ 自然選択説を支持していながら一方で進化万能論を主張している二枚舌はどうにかなんねぇのかよ

「チャールズ:ダーウィンが人道主義者だったかどうか」は優生学の論理否定とは関係ないだろ

バカなんだったら辞めちまえ

 

 

Ende;


浅慮

2022年06月01日 16時48分53秒 | 意識論関連

戦争心理学だとか言って 「集団浅慮バイアス」だとか「集団極性化バイアス」なんつう話が出ているんだが

そんなものは中学生のイジメでも働くバイアスである

日本大学の組織腐敗においても 東京電力福島第一原子力発電所における無責任性においても「集団浅慮」は働いているのである

暴力に依存した集団が より暴力的に極性化するのは当たり前の話で 別に軍隊の中だけの話ではなくて 一般市民の暴動でも働くものである

暴力的で「怖い」相手の主張ばかりがまかり通るようになるのは 暴力的加害集団の中では普遍的に見られるヒトの本能習性であり

日本大学の中では理事長幹部達による左遷やリストラを怖れることで 腐敗した封建的組織の温存維持や傍観放置という盲目性によるものである

こうしたヒトの盲目性というものは環境資源の奪い合い競争において有利に働いたからこそ ヒトの本能習性として組み込まれたのである

 

人工的な森林開発によってチンパンジーの生息環境の環境資源の枯渇により チンパンジーは普段は仲良くしているヒヒやゴリラまでをも殺害するようになったという

ヒトという種の生物の祖先が 環境資源の枯渇の際に 限られた環境資源の奪い合いが一切なかったという証明は不可能である

自然環境というものは 人工的開発がなかったとしても 決して完全無欠の定常安定ではなく 時折天災による大きな環境変化は起こり得るものであり 

精神的ストレスがかかった際にヒトが集団統率的暴力破壊を行う先天的習性があっても何ら不思議ではない

実際に相模原障害者施設津久井やまゆり園虐殺事件の報道に対し 梅沢富美男による「こんな奴は死刑にしちまぇ!」発言に多数の衆愚が同調したことからも ヒトは気分的ストレスがかかると懲罰的暴力で短絡的に「解決」しようとしたのである

 

オサマ:ビン:ラーディン容疑者に対して米国政府は 「容疑者」でありながら国際司法裁判にはかけずに 殺害して海洋に遺棄し「正義の鉄槌を下した」などと勝手に決めつけている

それでも誰も「法手続き的におかしい」とは言わないのは 2001年9.11のテロがあまりに衝撃的だったからであろう

 

ヒトという種の生物は 状況によっては簡単に論理客観性を喪失し 短絡的で合理性のない行動判断をしてしまうものなのである

「集団浅慮バイアス」だとか言っているが そもそもヒトなどという生物は物事を深く論理客観的に「考えて」などおらず それが集団になると余計酷くなるだけの話に過ぎない

「哲学者」の権威肩書を持ったバカ共によって イマヌエル:カントの「純粋理性批判」などというオカルトファンタジーを「近代哲学の最高峰」などと形容していたのであり それに対して誰も批判もしなかったことも含めて ヒトの大半は先天的に自分の頭で物事を考えないバカなのである

世の中「極刑を持って罪を償うのことが尊厳」などと言い出すバカが大半だが 人命に関わる社会安全性を優先せずに倫理も尊厳もヘッタクレもあったものではない

法手続きという「形式」に依存し それが本当に論理客観的合理性を伴うのかどうかを「考え」なくなる原因は 「長い時間」継続している因習に対する主観的安心(無意識)によるものである

 

 

Ende;


目の前のロウソク

2022年06月01日 14時02分57秒 | 意識論関連

「賢くなればなるほど神を信じる可能性が低くなる」という研究結果 - GIGAZINE

 

自分の頭で物事を判断せずに盲目的信頼に依存するから「賢くない」のであって まあ 必然的結果だな

セーレン:キェルケゴールは宗教者だが 盲目ではなく 真理を見極めようとする意志があるから「賢い」のであって 「人間としての神」を見極められるから「賢い」のであって

差別と誹謗中傷にまみれた「イヌ野獣の神」を盲目的に信じ込んでいるから「バカ」になる

 

ジャガイモ(デンプン・糖)を油で揚げて 塩をまぶしたポテトチップが美味しいのは本能的欲求だが

そんなもんばっか喰ってたら生活習慣病で健康を害するのは当たり前である

主観的に「気持ち良い」ことが短絡的に「正しい」ことの論拠にはならない

 

キェルケゴールを読んでも楽しくもならなければ 気分が良くもならないし キェルケゴール本人は人気も得られず野垂れ死にしたのである

読めば読む程 自分の個人的主観や「感覚」のなんと愚かなことかと自覚させられてしまうが

真理がどこにあるのかを見極めるための「遙かな灯火」とはなるのである

真理という「遙か遠くの灯火」は 目の前の快楽よりもずっと暗く見えるものだが 本当の輝きの強さは距離に反比例するのである

100億光年先の星の輝きよりも 目の前のロウソクの炎の方が明るく見えるものなのである

 

なんてね

ウケ狙いで文学的形容をしてみた

 


Ende;


先天性の欠陥

2022年06月01日 11時53分35秒 | 意識論関連

ヒトの多くは 天然素材というものに対する過剰な信頼のようなものがあって

自然任せにしときゃ何でも解決するんじゃなかろうかという妄想を抱いている人は多いんだが

そもそもヒトの先天的欲望そのものが天然ものだからな

ヒトが塩分や糖質や脂質を過剰に摂りたがるのは 祖先の生息環境においてそれらを積極的に摂ろうとした個体への収斂進化の結果であって

それを「現代社会が悪い」などと称して環境の所為にこじつけるバカは多いが そもそも現代社会だってヒトの欲望が求めたものであって どちらも先天的欲望のコントロールができていないことが原因であり 一方的に「社会環境が悪い」などという話は合理性がない

 

「自然のものなら何でも安全だ」という 根拠のない観念があるから そこら辺に生えているスイセンやゼフィランサスをニラと間違えて子供に喰わしちまったり イヌサフラン(コルチカム)をギョウジャニンニクと間違えて喰っちまった(死ぬよ)りすることになる

実際には有毒の植物って結構そこら辺にいっぱいあって 陸上自衛隊ではカトラリーが支給されずに そこら辺の枝とか折って箸にしたりして飯を喰っていたそうなんだが キョウチクトウで喰ったら死ぬぞ ほぼ間違いなく死ぬぞ 自然なめんな

 

ヒトが人工的に生成したものには危険なものもあるんだが それは人工的だから安全性確認を怠ると「人災」として問題になるんであって 天然の危険性は「天災」だから問題にされないだけ

「天災」だったら当事者の無知以外に誰も責任取れないから 問題にされないだけであって 人工物だけが危険なわけではない

一般的に用いられる天然素材というものは 長い間安全性が確認されているから安全なのであって アスベストも天然素材ではあるもののそれまで使われてこなかったために危険性が認知されていなかったことが問題となったのである

何でもかんでも天然由来なら安全なわけではない

 

遺伝的進化という自然現象にまで根拠のない安心感を抱いてしまい 「進化さえ起きれば何でも解決して 犯罪や戦争までもがなくなるんじゃないか」と思っているバカが結構多いらしいのだ

「進化で月経の痛みがなくならないのかしら」などというトンチンカンな発想も 遺伝的進化を万能で安全なものだと錯覚している実証不能の謎の大衆観念によるものである

リチャード:ドーキンスや山極寿一などの生物学界隈では 遺伝的進化によって「ヒトには人間性が組み込まれているはずだ」などという 論理的プロセスやメカニズムを都合良くこじつけたオカルトファンタジーが あたかも科学的論証であるかのように扱われているが

現実にはヒトの残虐行為は数多く見られ SNS上ではAIが「正解データ」として「学習」してしまう程に多数の誹謗中傷やヘイトスピーチが蔓延しているのであり 到底「先天的人間性」なんぞ統計的にも立証不可能なのである

それは たとえ少数だとしても 少数でも差別迫害が起きるのであれば「先天的な非人間性」の立証にはなり 「無視して良い」話になんぞならん

山極寿一は「現代では戦争をしているのは圧倒的少数だから 戦争はなくなる」などと主張して衆愚人気を集めていたが これは論理的根拠には全くならず 無責任極まりない身勝手な大衆迎合にしかなっていない

「航空機事故は自動車事故に比べたら圧倒的に死者が少ないんだから 対策なんて考えなくても良いんだ」と言っているのと同じ様なものであり バカ過ぎて話にならない

危険学では どんなに小さな確率の危険性であっても 「いつか必ず起きる」という前提の下に対策が施される

中学生のイジメが暴走して殺人にまで至ることは ウクライナ侵攻に比べたら「小さな出来事」かも知れないが 「一つの大きな事象の陰には無数の小さな事象が隠れている(ハインリッヒの法則)」のであって 「少ないから大丈夫」などという話は 衆愚が主観的に安心満足して思考停止してバカになるための非論理的デマにしかなっていないのである

「子供のイジメなんて たいしたことはない」と片付けてしまっていたからこそ 殺人にまで至ってしまったのであり

中学生のイジメ殺人の原因を徹底究明しなかったからこそ ウクライナ侵攻だのミャンマー軍事政権による国民弾圧だの 香港警察による民主化組織弾圧だのといった暴力的独裁の暴走を許してしまったのである

子供のイジメは「よくあること」である

「よくあること」だからこそ 気分的に安心して傍観放置してしまうのであり 多数の事象だからといって見逃して良い理由には全くならない

気分的安心という 主観による行動バイアス(意識の9割を占める無意識)が ヒトをバカに誘う先天的な認知上の欠陥なのであり 生物学界や哲学界における支離滅裂な「説明」に大衆人気が集まるからといって その大衆の多数によって論理客観的根拠が担保されたことになんぞならん

 

 

 

Ende;


山本芳久 東京大学大学院総合文化研究科教授

2022年05月31日 15時17分29秒 | 意識論関連

アリストテレスのニコマコス倫理学では「友愛が善」などと主張しているが

暴走族同士でいくら仲良くなっても善にはならない

ニコマコス倫理学というのは 論拠が全てアリストテレス個人の主観的感想「○○と思われる」ばかりであり

論理客観的論証の形をなしていない

「倫理にゆらぎがある」だのといったあやふやで根拠の乏しい話を「哲学」的真理であるかのように錯覚するのは頭が悪すぎる

東大大学院でこんなあやふやな話を高額な授業料を徴収して教えているというのは 社会に対する冒涜である

哲学界というのは おしなべて批判精神が乏しく 古典的著書をただ漫然と教えているだけであって 内容の精査などが全くされておらず

故にイマヌエル:カントの「純粋理性批判」のようなオカルトファンタジーまでもが「哲学書」として扱われ しかも「近代哲学の最高峰」とまで形容されているという トンデモナイ大失態をやらかしているのである

そんなことだからマルクス:ガブリエルだの養老孟司の嘘やデマすらも見抜けないのであって 東京大学はほとんど痴呆状態であり オウム真理教幹部を輩出した失態に対する反省が全く見られない

 

科学や哲学というものは 客観的根拠に基づいた真理(本当のこと)を見極め 峻別するためのものであって

気分が良くなるような都合の良い身勝手な解釈をして安心満足して思考停止に陥るためのものではない

本来哲学というものは「科学の帝王」であり 生物学における遺伝的進化に対する「典型的な間違い」をも指摘すべき立場にありながら 未だにバカ「哲学者」共は理解すらしておらず 未だに「○○のために進化を選んだ」だの「進化は賢い」などという非科学的オカルトの蔓延を傍観放置しているのである

これは社会に対する背徳行為であり 即刻山本芳久のような無能なバカは更迭すべきである

 

 

Ende;


盲目という快楽

2022年05月31日 11時46分51秒 | 意識論関連

子は親に対して盲目性を持っている

哺乳類の子供の多くは親なくしては生き延びることができないため 自ずと親を盲目的に信頼し頼る先天的習性を持つ個体種への収斂進化が促されている

子供は それが合理的かどうかに関わらず 親に対する盲目的信頼をしておけば安心する本能的習性を持っているから盲目的信頼をするのであって こうした本能習性というものは「親に対して盲目的信頼をしなかった個体が生き延びられずに淘汰された結果」的な収斂進化であると言える

イヌやニホンザルなどの「社会性(封建的序列社会形成習性)」を持った哺乳類の場合 血縁続柄を超えて集団組織の内部の特定個体に対して盲目的服従対象の転移が生じ これが「群れのボス」に対する盲目的信頼や服従行動として統率的協調行動も促すようになる

 

生物学的な「社会性」を持たない動物の場合 「怖い」相手からは単純に逃げようとするが 「社会性」を持った動物の場合には集団の中で「自分よりも上」と見なした相手に対して 腹などの急所を向けて服従することを提示することがある

こうした行動は 「親」に対する行動が群れの中での順位序列が「上」と見なした相手にも行われているのであり イヌは怖い相手に服従することで集団の序列順位が決定し 統率的協調行動が促されるようにもなる

イヌは別に合理性に基づいて順位序列を作っているわけではなく 群れの中で順位序列を形成していることに安心感を持つ習性があるために順位序列が結果的に形成されているに過ぎず イヌ個体が「考えて」統率的協調行動をするために順位序列を形成しているわけではない

イヌが「自分よりも上」と見なした飼い主に対する盲目的服従性というものは尋常ではなく 異常な興奮まで伴うものであり まるで薬物中毒の如く飼い主に媚びへつらうこともある

 

ヒトの左側頭葉の一部に 強力な磁気刺激を与えると 「神を感じる」と言われている

「神」だと感じているということは それが「快楽」だから「神」だと感じるのであって 嫌悪感であれば「神」だとは感じないはずである

ヒトもまた 自分よりも順位序列が「上」と見なした相手に対する盲目性を持っており 血縁続柄に依らず「安心して盲目的信頼をしておける対象」として「権威」に対する盲目性を発揮するようにもなる

ヒトは権威だと見なした「自分よりも順位序列が上」の相手を盲目的信頼しておくことで 気分的に安心満足する「甘え」を持っており これによって統率協調性も発揮することにより「大きな力」も発揮することが可能となり ヒトの祖先は環境資源の奪い合い競争においても勝ち抜くことが可能となったのである

しかし これはあくまで本能習性によって促される無意識な行動バイアスに過ぎないため 合理的目的の有無に関わらず発揮されることもしばしばあり 子供や海上自衛隊や企業内部におけるイジメにおいても発揮される原因ともなる

日本大学における組織腐敗においても 田中英寿理事長をトップとする封建的順位序列が形成され続けた原因も 「自分よりも上」と見なした相手に対する「畏れ」の感情が働いていたために 盲目的服従迎合性が働き 組織腐敗を長年傍観放置する大きな要因ともなったのである

「怖い相手には逆らいたくない」と同時に 「怖い相手に服従」することによって統率的協調行動が促され 恐怖によって形成される順位序列は群れの統率者の主観的気分や個人的好き嫌いだけで差別排除の対象も決定してしまい 何の合理性もない差別や不公平が組織集団内部に蔓延してしまうのである

ヒトはそもそも先天的に平等が嫌いなのである

主観的に「怖い」相手に媚びへつらい 盲目的に服従し 組織の利益を優先することによって 自律的な社会的責任判断すらも放棄するようになる

暴力的で「怖い」集団に対しては ヒトは逆らうことが嫌なので 暴力を旨とした集団には逆らわなくなる傾向が強く だからこそ自律判断の難しい子供においてはイジメはほとんど必ず生じるようになるのである

先天的な本能習性として 統率的協調行動をすることにより 暴力的差別を旨とした集団への迎合や同調こそが 主観的に安心で満足感を得られるものなのである

「人間」としては卑屈で卑劣な暴力的差別というものは 「ヒト」という種の生物としては中毒的快楽によって促される本能習性でもあり だからこそSNS上では根拠のない誹謗中傷や差別が蔓延し 卑劣な独裁国家も後を絶たないのである

 

イヌ科の動物は 配偶交配による変異が大きく イヌは品種改良をするとネコよりも非常に多くのバリエーションを拡大することが可能である

ロシアにおけるキツネの人工繁殖実験では 数世代で様々な見た目や性格のキツネが発生するのだが 実際の野生環境下においてはキツネは見た目も性格もほとんど同じものしか見ることができない

キツネが繁殖において見た目や性格といった遺伝的性質をコントロールできるわけもなく 本当は見た目も性格も様々な個体が産まれてきてしまうのだが 群れに馴染めない個体は群れから差別排除されることで見た目や性格が一定に保たれているために 自然界ではバリエーションの拡大が見られないのである

イヌ科の動物は一度に数匹の子供を産み 生涯ではたくさんの子供を産んでいるにも関わらず そのほとんどは死んでしまうことで 本来天敵のほとんどいない環境においても個体数が一定に保たれているのであり それはイヌ科の動物の群れの中での民族浄化バイアスが働くことによって個体数の安定化が促され 生態系とのバランスも取られているのである

 

先程も述べたが ヒトは先天的に平等が嫌いである

ヒトが同質性を求めたがる習性によって差別排除が促されてしまうのも ヒトが平等を忌み嫌い 少数異端を差別排除することが先天的に安心満足感を得られる先天的本能習性として組み込まれているからである

こうした行動習性というものは 現代社会においては何の合理性も持たないが 先天的本能習性というものは祖先の生息環境に依存した淘汰圧力の「結果」であって 合理的「目的」とは相容れないものであるとしても選択することはできないのである

「平等が嫌い」という時点で ヒトという種の生物には先天的な人間性などなく むしろ非人間性こそが先天的に組み込まれているのであって 山極寿一やリチャード:ドーキンスら生物学者が提唱する「先天的人間性」などというものは 大衆をヌカ喜びさせるだけの非科学的デマでしかないのである

 

ヒトは神の名の下に差別排除を行う

ヒトは平等があまりに嫌いなために 自分達と同じ神を信じない異教徒や無神論者を「自分よりも序列が下」だと見なして民族浄化を行う先天的な人間性としての欠陥が存在しているためである

本当の有神論者であれば 神の代行として暴力的懲罰や差別排除はしないはずなのだが エセ有神論者というのは本当は神の存在など全く信用していないために 何もしてくれない神の代行として差別排除を統率協調的に行い満足しようとするのである

それは「人間の神」ではなく 「イヌ野獣の神」でしかないのだが 自分の頭で物事の真偽を見極める能力のないバカだと暴力的差別を旨とした「イヌ野獣の神」への盲目的服従によって動物本能的満足を求めるようになるのである

ナチスによるユダヤ人大量虐殺や 旧日本軍による特攻や イスラム教原理主義者による自爆テロというものも 優生学の神や天皇やイスラムの神の名を借りた「イヌ野獣の神」への盲目的忠誠忠実さによるものであり 真実を見極められない頭の悪さ 認識の甘さに起因する「間違い」なのである

そもそも遺伝的進化というものは自然現象に過ぎず 自然現象を万能の神として盲目的に崇めるゾロアスター教によって優生学が科学とすり替えられたのであり 膨大な淘汰圧力を伴う遺伝的進化をヒトに適用しようとする発想そのものが科学を逸脱したオカルトなのである

 

ヒトは 自分の主観的「感覚」こそが 自分の意識の主体や本質だと「感じ」ているが そう「感じ」ていることそのものが主観的「感覚」に過ぎず そこに錯覚が混入する可能性を自覚していないからこそ 自己客観的な論理検証というものをしなくなるのである

ヒトは所詮動物であり 主観的好き嫌い(情動)が行動選択の主体であることにおいては 他の動物とほぼ一緒である

だが ヒトには論理客観的に物事を検証し 考え 本当に求めているものとは何かという目的意識に基づいた理性による行動選択「も」可能であり 社会安全性や公平性といった人道に基づいた目的意識的行動選択「も」可能ではある

目的意識的行動選択「も」可能ではあるものの そのためには自発的思考 自律的判断選択能力というものが必要不可欠である

何も考えないバカであれば 先天的本能習性のままにしか行動判断ができず 嘘やデマや間違いを真理だと勘違い錯覚したまま行動すれば 間違った行動に陥るのは必然というものである

 

 


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イヌ野獣の神

2022年05月30日 20時58分04秒 | 意識論関連

実証不能の神なんぞを信じて一切疑わない者というのは 「信じたい自分」の主観的感覚を絶対だと思っている傲慢さがあるもんだから 自己客観性というものが全然なくて すぐ怒り出すので面倒臭い

「神を信じている」んじゃなくて 「神を信じている自分のことを盲目的に信じている」だけなので 本当は実証不能の神なんか信じてないもんだから すぐに神の代行として暴力的懲罰による最終解決に走ろうとする

やれ「不可知論者」だの「多くの人は実証不能の神なくしては生きられない」だのと エセ有神論者のご機嫌を損ねないようにするためのはぐらかしの屁理屈ならいくらでも出てくるんだが

本当に神を信じているならいちいちヒステリー起こさなくても良いだろうと思うのだが 主観的に気に入らない相手を攻撃することを正当化してすぐに暴力的解決に暴走しようとする

もし本当に神が存在するというのであれば 悪いことをする奴はヒトがいちいち神の代行で懲罰を加えなくても 神が悪人は罰してくれるんだから「暴力で解決」する必要なんかないはずなんだが

エセ有神論者ってのは本当は神なんぞ信用してないもんだから ヒステリックに自分で神の代行をしようとする

「神が偉い」んじゃなくて 「神を信じている自分が偉い」と思っている

神の威を借りて 自分が異教徒や無神論者よりも偉いと思っている

それはもう 暴力団に所属していることで「俺様はヤクザだぞ 怖いんだぞ 俺様はお前らよりも偉いんだぞ」って言っているバカと一緒

神という自分よりも「上」とみなした対象に媚へつらい畏れ 恐怖によって盲目的に忖度服従することによって 自分達と同じ神を信じていない相手を「下」とみなして差別する

しかも集団統率的協調行動で攻撃する

それはもう「人間としての神」じゃなくて 「イヌ野獣の神」でしかないのだが 何せ自分の主観的感覚として全能感に溺れているために自己客観性というものが全然働かない

ロシア正教徒でありながらウクライナ侵攻を正当化しようとする

日本でも天皇を神と崇めながら中国侵攻に熱狂したことがある

古代から中世近代に至るまで暴力と侵略の歴史であり これはヒトという種の生物の先天的本能習性として 環境資源の奪い合い競争が本能として組み込まれているからである

民族国籍に依らず 大多数の衆愚は実証不能の神を盲目的に信奉することによって 他人に多大な迷惑をかけるものなのである

 

「多くの人は 実証不能の神なくしては生きられない程弱いもの」などという話も 所詮は「キリスト教ビジネス利権者の生活のため」のはぐらかしに過ぎない

本当は誰も強くも弱くもないし 誰も永遠に生きられるわけでもない

弱者を気取って被害者面しておけば特別扱いしてもらえると思っているから「生きられない程弱いもの」などと決めつけているだけであって 客観的根拠や統計的根拠があるわけではない

本当は神がいようといまいと「死ぬ程弱く」なんぞありゃしないのであって 実証不能の神の威を借りておけば「強く」なったような感覚に陥って満足できるだけの話に過ぎない

 

フリードリヒ:ニーチェは 実証不能の神の代わりに 科学的根拠のない「超人」なんぞを提示して気分的な安心満足感を提供しているに過ぎない

ヒトは主観的に満足すると 問題意識も喪失して何も考えなくなる

ニーチェの言っている内容には 根拠がなかったり 基準の曖昧な決めつけばかりであるが 読み手が都合良く勝手なこじつけが可能であるために 衆愚人気があるに過ぎない

ゾロアスター教の神なんぞというものは超自然的な絶対的存在であって これが遺伝的進化万能論と結合すると優生学などというオカルトが科学的論証のように扱われるようになってしまうのである

 

ヒトの意識を超越した 実証不能の謎の力学によって 「ヒトが正しい方向へと無意識に導かれるのではないか」という妄想錯覚がヒトにはある

私にはないが

それは 子供が親大人達の言うことを盲目的に信用しておくことの安心感が 大人になって本来自分自身で物事の真偽を判断しなければならない責任があるにも関わらず これを放棄し 謎の「無意識的誘導によって自動的に人間性が発揮されるはずだ」という願望だけが暴走しているだけの話に過ぎない

どんなに強く「信じたい」と主観的に「思った」ところで 「信じて良い」ことの論拠にはならない

「信じたい」のは主観であって 本当に「信じても良い」かどうかは自分の頭で考え 責任を持って論理客観的に判断しなければならない

 

「不可知論者」などというはぐらかしも 「ボクちんバカなのでわかりませーん」とトボケているだけであって 本当は実証不能の神が役に立たないことは知っているのである

ただ 「無神論者だ」と言うと エセ有神論者の観念上では「神がいないなら何をしても許される無法者」みたいに勘違いされて拒絶反応が激しいもんだから 不可知論者だとはぐらかしているだけの話に過ぎない

神がいようといまいと 神が許そうが許すまいが 社会安全性や公平性を基準にしなければ人間性もスッタクレもあったものではない

神にいくら祈っても信じても 温室効果ガス削減にも 戦争や犯罪の撲滅にもならないのである

祈ったり信じたりしておけば 主観的には安心満足なのかも知れないが その主観的安心満足のために論理客観的真理を求めなくなることこそが 「人道」に対する冒涜なのである

自分が信じている「神」が 本当に人道に基づいた「人間としての神」なのか それとも身勝手な主観的満足感を得るためだけの「イヌ野獣の神」なのか それを見極めるのは自己客観性である

 

私は神の存在は信じていないが 人道に基づいた「人間としての理想」の姿がどういうものなのかは見極め識別したいとは思っている

強くもなければ 弱くもない 安心か不安かもどうでもよろしい それらは全て私の個人的主観に過ぎないからだ

ただ 社会持続可能性や安全性 公平中立性が担保されない社会を求めないだけである

 

 


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意識を超越した潜在知能

2022年05月30日 11時48分37秒 | 意識論関連

ヒトに限らず 動物というのは基本的に情動バイアスによって行動が決定する

気分が良くなるように行動が促されるのが基本であり 論理客観的真実かどうかは優先されない

だからこそヒトの多くは実証不能の謎の観念を簡単に鵜呑みにし 他人に多大な迷惑をかけてしまうのである

 

ヒトの多くは ヒトという種の生物でさえあれば自動的自然に人間性が発揮されるものだと勝手に妄想している

なぜならば そう「思って」おけば安心満足で気分が良いからだ

ヒトは 先天的には自分の頭で物事を論理客観的に考え 何が真実なのかを自律的に判別しようとはしないものであり 自分の感覚(直感など)のままに判断していれば 常に正しい判断になるものだと主観的には「思って」いるのである

ヒトの多くが実証不能の謎の神の存在を信じたがるのも 「実証不能の神を信じたい」という先天的欲求が先行し 論理客観的に実在するかどうかの判断は優先しないからである

 

「ヒトの多くは実証不能の神なくしては生きられない程弱いもの」などという話は養老孟司や遠藤秀紀がキリスト教系神学校で教師から教え込まれがちであるが 実際には実証不能の神の存在が客観的に立証されなくても死ぬ人などおらず キリスト教をビジネスとしている神学校の教師特有の都合の良いはぐらかしに過ぎない

現実には実証不能の神の名のもとに殺し合いが行われていることの方が圧倒的に多く 

実証不能の神を信じているような人程 プーチンやトランプのような「強い」為政者も信じ込むポピュリストでもある

論理客観性がないのだから そりゃポピュリズムになるのは必然というものである

ポピュリズム 大衆迎合というものは 要するに「ヒト」という種の生物における先天的な快楽のバイアスに則った人気取りであり 多数のヒトが気分の良くなる話 安心する話をしておけば ヒトの大半はそれが論理客観的合理性を伴った真実かどうかは 先天的には興味がないのである

 


「意識的に自分で考えて判断しなくても 無意識によって正しい判断が促されるのではないか」という主旨のことを能町みね子が言っていたことがある

「潜在知」などという言葉もある

これらはヒトには先天的に人間性が組み込まれていて 自分で意識的に考えて行動選択をしなくても 気分感情のままに行動しておけば自動的自然に正しい結果に導かれるかのような根拠のない妄想に基づくものであるが

こうした妄想を信じ込んでいた方が 主観的には安心満足感が得られるために ヒトの多くは自分の頭で物事を論理客観的に考え 判断することをしたがらないのである

自分の考えを超越した 実証不能の謎の知能が ヒトには先天的に組み込まれていて 進化的に正しい行動しか促されることのないようにヒトは進化しているとでも思っておきたいようなのである

イマヌエル:カントの「純粋理性批判」における「理性を超越(逸脱)した謎の悟性」だの 「純粋統覚」だの「絶対に知覚することのできない叡智界」などという荒唐無稽なオカルトファンタジー妄想話を あたかも論理客観的根拠のある真理の論証に基づいた「哲学」であるかのように 多くのヒトが錯覚するのも それが「信じたい話」だからであって 主観的に安心満足感が得られるから信じているだけなのである

 

論理客観的に物事を判断できる者にとっては こうした荒唐無稽なオカルトを信じているヒトは極めて少数派で 大部分のヒトは自分と同じように実証不能な謎の観念など信じていないものだと 感覚的には「思って」いるものだが

これは 論理客観的に物事を判断している者だけの「直感」的感覚に過ぎず ヒトの大部分は「科学を信じている」にも関わらず 現実には「学術的権威肩書を盲目的に信奉している」だけであって 決して自分の頭で真偽の判定などしていないのである

 

ヒトは先天的には多数や「多数によって承認された権威」の言うことを盲目的に信用し 多数派に迎合同調しておけば主観的にも安心満足感が得られるというバイアス(偏り)があるため 自分の頭で物事を考え判断しようとはしたがらないものなのである

そもそもヒトは 産まれてくれば初期的には必ず「子」であるため 先天的に「親」を盲目的に信頼し 依存し 服従する習性がある

これが血縁続柄を超えて集団の中における「上」と見なした権威などの対象への盲目的服従「パターナリズム」として発揮され ヒトの多くは権威肩書への盲目性を発揮することで封建的順位序列に基づいた差別や理不尽な過当競争にも陥るようになるのである

イヌが異常なまでに飼い主に媚へつらうのは イヌにとって飼い主が神も同様だからである

ヒトであっても 子供のうちは親が神同然であり たとえ虐待するような親であっても 親から引き離されることには恐怖を感じてしまうものでもある

神とは 要するに子供が親を求める本能的行動バイアスが作り出した妄想なのである

自分で物事を判断し 自律的に社会的責任判断選択などしなくても 権威肩書を持った他人任せにしておけば あらゆる責任判断も権威肩書に丸投げできるものだと そう「思って」おけば安心であるため 「信じたい話」として信じようとするだけであって それが本当に人間として正しい判断であるかどうかすらも 自分では考えたくはないのである

 

ヒトは暴力的な相手には逆らいたくないものである

多くの他人が暴力者に迎合し 忖度していれば 自分だけが暴力者に反逆することに対しての「恥ずかしさ(恐怖)」を抱き

暴力的権威によって形成される集団に同調し属しておくことで 組織体制への「適応」することは 生存や「繁殖の継続」においては有利に働くため 進化的には暴力者に服従する卑屈な習性を持った個体への収斂進化が促されているのである

だから日本大学のような組織腐敗が起きるのである

これは珍しいことではなく 「会議」と称して取引先や上司など他人の陰口を言い合って差別を共有し 仲間意識を満たして満足している企業がほとんどである

アリさんマークの引越社による経営取締役達の異常な社員差別も ヒトの先天的な順位序列による差別をしたがる行動バイアスによるものであり 子供じみたイジメが企業内や海上自衛隊で蔓延するのも 無意識な情動バイアスによって導かれた結果である

 

イヌの服従性を利用すれば 介助などに有効利用することも可能ではあるが これはあくまで訓練次第である

イヌの「直感」的行動バイアスとして ヒトにとって都合の良い行動を採るように訓練すれば介助犬として有効利用も可能であるが 「直感」という主観的感覚は 学習される「正解データ」に依存するものであり ヒトにとって都合の良い行動をするように訓練せずに イヌだけで集団を形成させておけば野犬の群れになるだけである

イヌは自然界においては凶暴な「野犬の群れ」にしかならない

イヌというのは先天的に凶暴な「野犬の群れ」を形成することによって獲物を統率協調的に捕獲し 自然界における弱肉強食の生存競争に勝ち抜くことができるのである

遺伝的進化というものは あくまで過酷な自然環境下における弱肉強食の生存競争による淘汰圧力によって収斂が引き起こされるのであって 人間社会に生存競争による遺伝的進化を持ち込むというのは「脳が壊れている」としか言いようがない

 

山極寿一は「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」などと称して大衆から人気を集めているが 京都大学学長を務めたことがあるからといって 言っている内容に科学的根拠が伴う保証にはならない

原発の危険性を傍観放置した東京電力社員達や 日大の組織腐敗を傍観放置した職員達 プーチン政権に服従迎合している政権幹部達に「先天的な人間性」が存在していると言えるであろうか

「先天的な人間性」が存在していることにしておけば あたかも自分という「ヒト」が先天的に優秀で 自動的に人間性に基づいた行動選択へと無意識に導かれるかのように妄想しておけば満足だから「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」などという論理的根拠のない話で満足し 「信じたい話」として信じているだけであって 本当は誰も科学的根拠など興味はないのである

 

ヒトは所詮動物であり 先天的には主観的に気分が良くなるようにしか行動選択が促されることはない

衆人環視下では善人を装うが 腐敗組織内部では封建的順位序列競争に邁進し 他人を蹴落とすことしか考えなくなる ヒトとは先天的にそういうものなのである

Microsoft社のTwitterAIが SNS上の数多くのヘイトスピーチを「正解データ」として学習してしまう程に差別は蔓延しているのであり これは同時に統計的事実でもある

それでも「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」などという話を信じこもうとするのは 「脳が壊れている」としか言いようがない

 

人間性というものは 何が真実なのかを判別する能力が必要であり 「本当の目的」を忘れて目先の快楽や満足ばかりを追及しているから人間性を欠いた身勝手な実証不能の観念を振り回すようになるのである

社会安全性や持続可能性 公平性や中立性といったものも それが本当に安全性にとって最も合理的なのかどうか 公平中立性にとって合理性があるのかどうかの見分けがつかなければ人間性としては機能しない

司法ビジネス利権者達にとっては 判決だけが目的であって 司法判決というものが社会安全性や 本当の社会的公平性や中立性において合理性があるかどうかは「知ったことではない」のである

通り魔を死刑にしたら「解決」であり 「なぜ通り魔などという何の合理性もない行動を採るようになったのか」についての徹底した原因究明や再発防止策など 司法ビジネス利権者にとっては制度上「儲け」にならないから興味も持たないのである

通り魔が暴力で解決しようとするのも ヒトの大半が「司法判決で解決」だとみなすのも 結局は主観的気分による満足に基づくものであって 論理客観的に合理性を伴った社会安全性に基づく判断ではないことに違いはないのである

「テロを準備したら刑罰だ」などという法律も 結局は「テロで解決だ」と思っているテロリストと 発想の短絡性そのものは同じものであって その短絡性そのものに合理性がないことには誰も気づかないのは 端的にいって何も考えない「バカ」だからである

テロを準備していたら それは確かに危険ではあるから身柄を拘束するなどの処置は必要だが 罰を与えても「なぜテロで解決だと思っているのか」についての原因究明には全くならない

そもそも「罰(判決)で解決」という判断の短絡性を棚上げにしておいて 「テロ(暴力的懲罰)で解決」というテロリストの短絡性に言及することはできないのである

 

軍隊のような服従統率や「規範意識」に対して 大衆マスコミの大半は「社会性」や「人間性」であると主観的には思って安心しているようだが

規範や規則に対する盲目的服従性というものは 極めて機械的な手続きに過ぎず 「薪ストーブの灰を肥料として販売したら犯罪」になってしまうような運用も可能なのであり

軍隊というものは戦争のようなバカげた行為であっても為政者にとって便利に使える非合理なものでもある

日大アメフト部による違反行為も 指導者による威圧的命令に対する盲目性が促したものであって 服従統率というものには人間性など存在せず むしろ盲目的服従や順位序列による差別や迫害の原因にしかならないのである

それでもヒトは 神や権威に盲目的に服従することを求めるものである

それは 先天的本能として求めているからであって 主観的な満足安心が優先しているからであり 権威に服従していれば判断責任は権威に丸投げできるという安心感も伴うからである

それは 小さな子供が親に叱られるかどうかでしか行動判断が出来ないのと同じであり こうした「甘え」こそがヒトの先天的無責任性や非人間性というものの原因となっているのである

能町みね子のように 「意識的に何かを判断しなくても 無意識な知能のようなものが働いて 正しい結果へと導かれる」などという主旨の発言をしだすのも 自分で物事を判断するという責任意識を放棄し 権威や神や遺伝的進化にでも行動責任を丸投げしておいても構わないという無責任な盲目性を発揮しておけば 主観的に安心満足感が得られるからであって 当然ながら論理客観的にそれが正しいことの根拠なんぞありはしないのである

 

SNS上でヒトの多くがヘイトスピーチに邁進したがるのは 他人をバッシングしておけば自分の方が優位に立てたかのような「感覚」が得られるからであり 差別や序列を勝手に作り出すことでしか自己肯定の方法を知らない憐れなバカによる身勝手な正義の振り回しに過ぎない

 

ヒトという種の生物 それは自分も含めたあらゆるヒトという種の
「動物」であり 遺伝的進化によってヒトにまでは進化したものの 現代社会を形成することによって自然界の過酷な生存競争から逃れ 安全で公平な社会を求めること「も」ヒトには可能となったが

同時に祖先の生息環境によって組み込まれた生存競争(殺し合い)への行動バイアス「も」存在しているのである

断片的な利他的行動だけを都合良く抽出してきて「先天的人間性」などと称して主観的に安心満足するのは簡単であろうが それはヒトの先天的なあらゆる人間としての欠陥を無視した都合の良い「こじつけ」でしかないのである

遺伝的進化による現存生物種や生態系の恒常安定性というものは あくまで過去の進化の過程における膨大な淘汰圧力によって 恒常安定性を獲得した生物種や生態系への収斂結果に過ぎず 環境が変われば簡単に絶滅したり異常繁殖して結局は生態系ごと死滅に至ったりするものでもある

ある程度のホメオスタシスの原理は働くとしても それはあくまで特定環境変化の範囲内においてのみ働くものであって あらゆる環境変化に対応できるようなものではなく 許容範囲を超えた環境変化は生態系を著しく破壊し 元通りに恒常安定性を獲得するまでは再び幾度もの「失敗」を繰り返さなければならないのである

遺伝的進化というものは あくまで恒常安定性を獲得できなかった変異個体の全てが死滅することで 恒常安定性を獲得した個体種への収斂進化が促されるのであって 淘汰圧力という死滅なくして進化など起きないのであり 大手町の医師が言うような「死んだら困る」から「環境に適応した変異だけがどんどん起こる」などという「後天的に都合の良い進化」しか促されるようなものでは断じてない

 

ヒトは既に地球環境を喰い尽くさんばかりの異常繁殖に至っているのであり ウイルスにとっての生息環境(宿主)としては 別に何人死のうが豊富な生息環境の中では共存進化する淘汰圧力など働く必要性すらないのである

風呂場のカビは いくら掃除してもヒトとは共生進化など起きないし ゴキブリはいくら駆除しても猛毒のボツリヌス菌を媒介してしまう性質がなくなるわけではない

ウイルスは異常繁殖した生物の数を「整理」する役割や働きがある

それは別に目的があって役割や働きがあるのではなく 生態系の進化の過程において生態系の恒常安定性に役に立ったから その役割や働きを持ったウイルスが遺ったのであって 異常繁殖したヒトの数を「正常な数」に「整理」するまで弱毒共生進化は生じない

それがヒトにとって後天的に「都合が悪い」としても 後天的「都合」は遺伝的進化には影響を及ぼさないのである

実際の自然界においては赤潮ウイルスは赤潮を解消するまで赤潮プランクトンを死滅させ続けるのである

 

遺伝的進化によって バクテリアがヒトにまで進化したからといって ヒトという種の生物がヒトを超越した実証不能の謎の超人にまで進化するわけでもなければ

遺伝的進化によって無意識に人間性が発揮されるような都合の良い進化が「終わって」いるかのように妄想するのは それがヒトにとっては安心で「信じたい話」だからに過ぎない

ヒトは現代社会を作ることによって 過酷な生存競争から逃れたのであって 生存競争による淘汰圧力から逃れた以上は遺伝的進化が促されることはない

つまり 遺伝的進化というものは ヒトにまで進化を促した時点で それ以上の人間性のようなものまで作り出してくれるような都合の良いものではなく むしろ祖先の生息環境における過酷な資源の奪い合い競争の名残りとしての習性によって ヒトは順位序列による差別や迫害 懲罰などの暴力によってのみ「解決」だと錯覚する「人間としての欠陥品」なのである

先天的なハードウェアとしての欠陥があるとしても ヒトには論理客観的に真理を見分ける能力「も」持ち合わせており 後天的にソフトウェア的パッチとして先天的欠陥を補う能力「も」発揮可能性が存在するのである

そのために必要なのは 自分の主観的「感覚」というものが 単なる動物的な行動バイアスという無意識に過ぎないことを理解することである

主観的 情動的に「信じたい話」かどうかではなく 論理客観的に「信じるに価する真実なのかどうか」を識別することが 人間として必要となるのである

嘘やデマと 真実との区別も出来ずに人間性もスッタクレもあったものではないのである

 

 

 

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印象操作

2022年05月29日 14時59分42秒 | 意識論関連

脳科学者共がやたらと羽生善治の「直感」ばかりを採り上げたがるのは

あたかも直感などの主観的感覚こそが知能を司るかのような印象操作による意識撹乱・論理撹乱であり

悪質である

科学的論証や発見というものは 必ずしも直感だけで導き出されるようなものではなく むしろ直感に基づいて検証してみたら全く逆の現象が観測されることも珍しくはないのである

真理というもの 客観的事実というものは直感などの感覚とは大きく異なる事実も多く あくまで論理客観的に論証されなくてはならないものなのである

直感的には赤道が超音速で回転してるとは「感じ」ないかも知れないが 一周4万キロの地球が24時間で回転している事実の否定にはならないのである

計算すると時速1,666キロになるが感覚的には誰もそうは「感じ」ないのである

かつては宇宙というものが永遠に不変で 完璧な秩序に支配された定常安定的なものだと「思われ」ていたし

地球を中心として世界が回っているとすら「思われ」ていたのである

そして 今現在においては 遺伝的進化というものが あたかも万能なもので 何でも都合良く進化が選べる「賢い」ものだと本気で「思って」いるバカが大半である

チャールズ:ダーウィンによる自然選択説においては そんな都合良く進化を選べるようなメカニズムもプロセスもなく ただ自然選択による「結果」しかもたらすことはないのである

 

脳科学者というのは 生物学のジャンルの一種であり 進化生物学上の「典型的な間違い」を指摘できなかったバカ脳科学者共が 自身の頭の悪さをはぐらかすために羽生善治の「直感」ばかりを採り上げることで あたかも主観的感覚こそが知能であるかのようにはぐらかし続けているのである

しかも 「自由意志などない」などという荒唐無稽なデマまで流布しているというのは 科学に対する冒涜である

ヒトの意識の大半は無意識な「情動」によって支配されてはいるものの だからといって論理客観的根拠に基づいた目的意識的行動選択(自由意志)の一切が存在しないことの論証にはならない

「殴りたくなったから 殴った」とか 「強姦したくなったから 強姦した」では 到底「人間」や「社会人」としてあり得ないのである

それは犯罪者などの「無意識で無責任なバカの意識」を述べているに過ぎず 「オノレはカブトムシと一緒だから本能習性には逆らえないんだ」などと言っているバカと同じ「寝言」レベルの話でしかない

夢遊病者であれば行動責任が取れなくても致し方あるまいが 寝起きでぼんやりしているわけでも 飲酒で酩酊状態でも 殴られて朦朧としているわけでもないのに 自律的な社会的責任が負えないなどというのは バカという以外何の形容詞も当てはまらないであろう

もしもヒトに一切に自由意志選択能力が存在しないというのであれば 原発事故も含めたあらゆる「人災」は誰も責任を負わなくても構わないということになるのである

そんな荒唐無稽なオカルトを主張している「脳科学者」なんぞ 公的研究費で研究をさせておくべきではない

国民をおちょくり過ぎである

 

そういえば ダンゴムシの研究者が「感覚的にわかってもらえれば」などと称して「ダンゴムシに心がある」などと主張していたこともあるが これもまた科学を逸脱した根拠のない嘘か間違いである

こうしたオカルト観念に基づいたエセ科学に公的研究費を費やしているというのは 社会に対する背徳行為であり 断じて許されるべきものではない

 

マスコミや衆愚は学術権威の肩書の主張でさえあれば どんなに荒唐無稽な話であっても鵜呑みにし NHKを筆頭とするマスコミ各社も内容の責任の全てが主張した研究者に丸投げできるものだと勘違いし 何の反証もせずに平気で垂れ流している

 

原発を暴走させた東電職員達や 組織腐敗を傍観放置した日本大学職員には自由意志がなかったとは言うことが出来るかも知れないが それこそが無意識であり 無責任の根源こそが主観的気分による行動バイアスによって促されたのである

 

ウクライナで野蛮行為を行っているロシア兵も 本人の意志など関係なく 服従しなければ反逆罪として「処分」される恐怖でしか行動が決定することはないのである

上官の命令に逆らえば 上官から嫌がられて何をされるかわからないのが軍隊というものであり 末端の兵隊に責任を負う能力など存在しないのである

 

殺人を旨とした兵隊ならいざ知らず マスコミ職員が学術権威の主張を唯々諾々と鵜呑みにして放送するというのは マスコミの社会的役割というものを放棄した 無意識で無責任な社会に対する冒涜である

 

本人にその自覚はないかも知れないが 自分の主観的「感覚」というものを盲目的に信じ込んでいる傲慢さを自覚すべきである

そうでないなら 日本大学の無責任性も問うことなど出来ないのである

 

 


Ende;


自分で物事を論理客観的に考えるのが嫌いなバカは進化などの自然現象を賢いと称して盲信するものである

2022年05月29日 11時54分06秒 | 意識論関連

遺伝的進化を「賢い」などと称して あたかも知能というものが自然現象として働くかのように錯覚することも簡単である

遺伝的進化というものは 何かを「考えて」生ずるものではなく ランダムな変異の中から偶発的に環境適応的な個体だけへの収斂が起きた「結果」でしかない

目的意識的に「考え」て進化が起きているわけではないのである

 

遺伝的進化は時に非常に高度な能力を先天的に発揮することもあるが

これは別に「考えて」獲得しているわけではない

変異の中から高度な能力を持った変異個体への収斂が起きた「結果」的な能力に過ぎず 生息環境から受ける強烈な淘汰圧力なしに進化は生じないのである

昆虫などに見られる擬態は 「天敵に食べられないように周囲の環境と見分けがつかない姿を選んだ」のではなく 「周囲の環境と見分けがつきにくい変異個体が天敵から食べられ難かった」ことから促された収斂進化の結果である

自然現象任せにしておけば 無意識に知性のようなものが働いて 自動的に「賢い」選択が得られるかのような妄想を持っている生物学者や脳科学者の方が多いようだが

これは科学を逸脱したオカルトである

何かの能力を進化的に獲得するためには その能力を持たない変異個体に対する淘汰圧力が働かなければ 特定能力を獲得するような進化は促されることはない

もし ヒトが賢く進化するためには バカが片っ端から死んでゆくような淘汰圧力が必要であるが そのような淘汰圧力は現代の人間社会においては存在せず 存在しているとしても放置しておいて良いものでもない

「誰も取り残さない」ことが人間として正しい判断であり 淘汰圧力などというものは現代の人間社会において「あってはならないもの」なのであり 淘汰圧力などという遺伝的進化のプロセスが現代社会において働いて良いわけがない

自然環境下においては「強い者が生き残る」が これはあくまで弱肉強食の殺し合い競争の「結果」であって 人間社会の「目的」とは無関係であり たとえ遺伝的進化がバクテリアをヒトにまで進化させたとしても 遺伝的進化のプロセスを人間社会に持ち込んで良いようなものでは断じてない

「繁殖の継続」や「生存」そのものを目的とするのであれば もはや「ヒト」という種の生物である必要性すらなくなるのである

「生存」はあくまで生物という「結果」であって 人間としての「目的」ではない

ヒトが殺し合うような社会であるならば それは人間として生き続ける意味がなくなるからである

現存生物種の「生存」とは遺伝的進化の「結果」であって 生存しているものを「生物」と分類しているだけであって 「生存」そのものが人間としての目的になるわけではない

「生存」するに価する社会でなければ 人間として生き続ける「目的」にはならない

戦争だの無差別殺人だのといった非合理な暴力行為というものは 「懲罰で解決」だと見なして原因究明をしなくなるヒトの認知上の重大な欠陥によって 何度も引き起こされているものである

懲罰や暴力によって「解決」だと主観的に思ってしまうのは ヒトの祖先がその生息環境において「死なずに生き残った」行動習性でしかなく 過酷な自然環境下においては 物事を深く考えて行動する暇がないため 目先の情動のままに「死なない選択」としての短絡的情動行動が促されるように大脳辺縁系に組み込まれた本能習性である

通り魔を何人死刑にしても 通り魔事件などという非合理で不条理な犯罪の原因究明にも再発防止にもならない

懲罰というものは自暴自棄な通り魔やテロリストに対しては抑止効果が全くないからであり それでも死刑などの罰を「解決」として見なすのは それが主観的に安心満足感を得られるからに過ぎず その安心感というものは祖先の生息環境によって組み込まれたバイアス(偏り)に過ぎないのである

 

「真剣に」だの「本気で」などといった形容詞が流行しているが 気分的にいくら真剣になったつもりになっても 本気で考えたつもりになっても 主観的な「つもり」は意味がなく あくまで論理客観的根拠に基づいた合理的で実効性のある「考え」でなければ意味を為さない

香港警察やミャンマー政府軍やプーチン政権が人を殺しまくるのは 懲罰的威圧や抑圧こそが唯一絶対的な治安統制の手法であるという実証不能の観念に囚われているからであり 地政学などの要因はほとんど戦争とは無関係である

為政者の主観的安心や恐怖によって人民の生殺与奪が決定してしまっているのであって こうした盲目的な権威への服従忖度迎合同調によって 腐敗した独裁政権体制は作り上げられてしまうのであり プーチン一人でプーチン政権が作られているのではなく プーチンに盲目的に服従しているプーチン政権を構成する多数の個人の無意識性や無責任性によって腐敗した独裁政権組織は作り出されるのである

 

暴力団員というのは 暴力団を主観的に「カッコイイ」と思い 暴力団に属していれば恐怖によって他人を自由にコントロールできるものであるという卑怯な観念に基づき 理不尽な「上」からの命令であっても盲目的に服従するようになるのである

「怖い相手には逆らいたくない」という 主観的情動だけで行動が決定している幼稚な観念に基づき 主観的に「怖い」相手に媚び諂い盲目的に服従することによって 統率協調的に「大きな力」を発揮するという ヒトの先天的本能習性の暴走によって暴力団などという理不尽で非合理な集団組織は形成されるのである

こうしたヒトの先天的盲目性を利用し 権力によって統制しているのが軍隊というものである

軍隊が厳しい訓練を強要するのは 別に「身体を鍛えたら戦争に勝てる」からではなく 上官に対する盲目的服従を「身体に憶え込ませる」ためであって 行動学習的に盲目的服従を「正解データ」として刷り込み学習させるためのものに過ぎない

どんなに身体を鍛えたところで 現代戦争においては戦術的意味はほとんど意味を為さないのである

衛星画像解析から攻撃目標を決め 無人兵器を運用する上において必要なのは その攻撃目標が人であろうが何だろうが上官の命令に従って攻撃する盲目的服従性以外兵隊には必要がないのである

「上官に逆らうと嫌な目に遭う」という情動的刷り込みをすることによって 兵隊は民間人だろうが病院だろうが学校だろうが平気で攻撃できるように「学習」させられているのであって 自分の頭で物事の良し悪しを判断する能力を奪われている盲目的なロボットに過ぎない兵隊に 司法懲罰は意味を為さない

そもそも司法懲罰そのものが 国家権力による懲罰を用いて「法律に逆らうと嫌な目に遭う」という情動的刷り込みに過ぎず 主観的気分による他律的行動抑制に過ぎないことは一緒なのである

人間性というものは「自律」的に社会的責任判断選択をする必要があり 法手続き的な他律では人間性は養われることはないのである

ヒトは所詮動物であり 「嫌な目」には遭いたくないからこそ 腐敗した組織であっても同調迎合忖度服従することで 腐敗組織への「環境適応」をするのである

暴力というのは最も簡単な「嫌な目」に遭わせられる手法であり ヒトは多数による統率協調的暴力には逆らえなくなるために 暴力威圧的集団組織には多くのヒトが同調してしまうことに陥るのである

だが 暴力によって治安統率し 利己的で身勝手な権力を振り回すような理不尽な政治体制に対しては 「人間」としては許せないものでもある そこで理想的な統率服従対象としての「神」を夢想し 公平で平等で安全で持続可能な社会へと導いてくれる盲目的服従対象を求めるようになったのである

イヌやチンパンジーに「神」はない

イヌやチンパンジーは目の前の快楽にしか興味がないからである

暴力的統率者よりも 人間としての理想として神を選択するのはまだしも 単にヒトとして実証不能の「神の存在を求めたがる」ことそのものは ただの本能習性に過ぎない

先天的盲目性へのバイアスを満たすために 実証不能の神を求めたがるからといって 実証不能の神そのものに意味があるわけではない

人間性を欠いた理不尽な暴力によって統率する独裁者からの解放において人間性が伴うのであって 四六時中見張っている神だか変質者への恐怖心で人間性が発揮されるというものではないのである

神だか変質者だかに四六時中見張られている恐怖心による倫理的行動結果というものは 所詮「他律」であって「自律」ではない

死後の世界での評価報酬のために善行を選択しているのでは 結局は「自律」にはなっていないのである

社会安全性や公平性を求めているのは神ではなく ヒトである

わざわざ国連でSDGsの17の目標を掲げなければならないのは ヒトはどうしても社会安全性や公平性よりも 目先の快楽に誘導されて危険で不公平な理不尽で合理性のない行動を採ってしまいがちな習性が存在しているからである

 


ヒトはもう遺伝的進化はしないし 遺伝的進化などしてはいけない

何度も言うが 遺伝的進化というものは淘汰圧力によって大量の死滅を伴わなければ促されることはなく それそのものが人道に反する過酷な自然現象に過ぎないからだ

ヒト以上の何かなど存在しておらず ヒトという種の生物において人間性を持つことが「人間としての目的」なのである

 


ヒトは先天的には自分の頭で論理客観的に「考える」ことが大嫌いで 遺伝的進化などの自然現象任せにしておけば自動的に「正しい結果」へと導かれるかのように勝手に妄想しておけば安心満足する習性がある

天体運行の秩序も 生態系バランスや生物個体の恒常安定性も それはあくまで恒常安定性を先天的に持つことができなかった個体種の大量死滅の結果に過ぎず 過去にどのような経緯や過程を経て現在の秩序や恒常安定性へと「収斂」したのかは 本当は誰も知らないのである

現状の「進化がもたらした結果」だけを見ていれば あたかも進化という自然現象任せにしておけば全てのあらゆる問題は解決するかのように錯覚することも簡単なようであるが それは科学的には何の根拠も伴わぬ都合の良い妄想でしかない

「ヒトの意識の9割が無意識」というのは 主観的気分感情によって促される無意識によって 1割にも満たない論理客観性が支配されてしまっているという意味であり 論理客観的根拠のない嘘や間違いを真実だと錯覚してしまう無意識性こそが ヒトの人間としての先天的欠陥なのである

遺伝的進化というものを万能の願望器であるかのように妄想しているからこそ 「環境に適応した変異がどんどん起こる」などという非科学的観念を学力偏差値が高いはずの医師が言い出し

「環境が激変した時だけ発動する謎の突然変異(田島木綿子)」などという 何の根拠もない勝手な妄想を生物学者が言い出すのも 遺伝的進化というものが万能であるかのような大衆観念に基づいた錯覚に他ならない

「進化は万能だ」「進化は賢い」

そう思っておけば安心満足であるため 「信じたい話」だけを信じようとする「習性」によって その話に論理客観的根拠が伴う真理かどうかは 衆愚や生物学者や哲学者共にはどうでも良く 衆愚マスコミにウケの良い話をしておけば利益になって 人気が得られるだけの話に過ぎない

人気という多数は 別に多数によって内容の論理客観的確証が担保されているわけではなく ただの流行に過ぎないのである

養老孟司による「脳化社会」云々の訳のわからぬ論理不明な屁理屈に人気が集まったこともあるが 本当は誰も内容を論理的には理解などしておらず ただ気分的に「自分は頭が良くなった」かのような錯覚に陥って満足していたに過ぎず 集団洗脳状態や軽い集団ヒステリーによる大衆の「流行」でしかなかったのである

こうした詐欺ペテンというものは珍しいものではなく イマヌエル:カントにせよ フリードリヒ:ニーチェにせよ マルティン:ハイデガーやマルクス:ガブリエル 挙げたらキリがない程学術権威を装った詐欺ペテンは蔓延しているのである

フランシス:ゴルトンの優生学の内容が チャールズ:ダーウィンの自然選択説に基づいた「進化的に正しい行動」として正当化されてしまったことが ナチスによる虐殺や断種政策に用いられてしまったのである

未だにロシアのラブロフ外相は「民族国籍に原因がある」と言い出す「老害」である

こうした無知で権威に盲目的な愚者の集団が腐敗組織を作り出し 嘘と暴力による治安統制が行われるようになる最も根源的原因なのである

 

中国とロシアによる軍事訓練に対抗して 米韓による合同軍事演習をするというのは 武力威圧の応酬でしかなく 意味がない

差別主義者にカウンターとして差別主義者を差別しても 結局は差別に過ぎないことに違いはないのと同じである

なぜ差別は迫害をするのか その論理客観的分析をすることが再発防止において最も重要なのであって 軍拡競争や対抗的演習には何の意味もないのである

糞DQNが夜中に家の前で酔っ払って騒いでいれば 金属バットで殴り倒して追い払うことも可能ではあるものの それは世の中に糞DQNが存在している根源的原因究明にも 根本的解決にもならない

他人への迷惑に配慮が出来ないバカというのは どこの国にも民族にも存在するものであり 別にロシアやナチス政権下のドイツだけに見られるようなものではなく ポルポト政権下のカンボジアでも ソマリアでもコンゴでも 世界中どこでも見られるものである

日本大学という学府ですら生じる組織腐敗である以上 これはヒトの先天的で普遍的習性であり こうした「小さな事象」を大多数の衆愚が見逃し傍観しているから ウクライナ侵攻やミャンマー軍事政権といった重大事象への発展への歯止めが効かなくなるのである

 

 


Ende;


間違った「正解データ」

2022年05月28日 14時23分14秒 | 意識論関連

直感などの「感覚」というものは あくまで学習する「正解データ」に依存するものである

学習した「正解データ」そのものが間違っていれば 間違ったものに対して安心感を「感じる」ようになる

だから天動説が信じ込まれていた時代には 地動説が「火炙り」などという暴力的拒絶反応をも引き起こしたのである

安心でないものは恐怖を「感じて」しまい ヒトは恐怖を感じると短絡的に暴力で「解決」しようとする動物なのである

ヒトの盲目性というものは 祖先の生息環境によって組み込まれた先天的本能に起因するものであり 盲目性を持った変異個体の遺伝子の方が「拡がりやすかった」という遺伝的進化の「結果」である

ヒトの暴力性においても 過酷な弱肉強食の自然環境下において 祖先が「死なずに済んだ」行動習性として収斂進化が起こったからであり 環境資源の奪い合い競争に勝ち抜く上においては 集団統率的協調行動を促す上において暴力性や盲目性が組み込まれたのである

「勝てば正義」なわけでもなければ 「死なずに生き延びたら優秀」なわけでもない

繁殖も出来ずに病気や事故などで亡くなったとしても それが人間存在としての価値を下げるようなものではない

「勝てば嬉しい」だろうし 「死なずに済めば良かったと思う」だろうが それらは個人の主観的気分に過ぎず 論理客観的に人間としての価値の論証にはならない

「死ぬか生きるかは人生の一大事」とは言うものの それなら「生きるため」なら他人を殺してまで生き続ける人生に人間としての価値があるわけでもなく どんなに生存にとって有利な行動選択をしたとしても永遠に生き続けられるわけでもないのである

人間としての存在において 他人との比較において「勝つ」ことには意味がない

勝ち負けというのは遊びの範疇であって 主観的に「楽しい」と思うだけのものに過ぎず 如何なる価値観に基づいていた「勝利」も人間としての価値にはならない

プーチンがこのまま寿命で死ぬまで生き延びられたとしても それが「人間としての優位性」になど一切ならないし 「勝利」にもならない

多くの他人を思い通りにコントロールし 物質的富や権力を掌握したとしても 自分の情動がコントロールできなければ「自由意志」でも何でもないのである

権力を掌握した「目的」というものが 他人からの評価や報酬であるからこそ社会安全性や公平性というものへの配慮が効かなくなり独裁者に成り下がるのである

 

イヌは哺乳類であり 先天的に「親」に対する「甘え」る習性を持っており

これが集団の中の血縁続柄に拠らない「ボス」へと服従対象の転移が生じ これによって集団統率的協調性を発揮し 獲物の捕獲などにおいては有利に働くことで収斂進化が促された

これが先天的な本能としての社会形成習性であり 統率的協調性を発揮するとは言っても 実際には封建的序列に基づく不公平なものであり 「ボス」に気に入られなければ差別排除の対象となるものでもある

ヒトにおいても こうした習性に違いはなく 頭の悪い暴力団や 学力偏差値が高いだけのテロリストにおける盲目的服従によって「大きな力」を発揮するものでもある

スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験の検証では 「サイバネティクスの観点から」と称して 反社会的暴力集団に対抗する上においての有効性を挙げて正当化しているが 警察も軍隊も統率者に依存した盲目的服従行動しかできないのが現実であり 政府軍や警察組織の有効性というものは一面的にしか機能しないのである

 

ヒトは 強い相手 怖い相手には逆らいたくない習性がある

強い相手には逆らわず むしろ忖度し 媚びへつらい 盲目的に服従することによって集団統率的協調性を発揮し 他の集団との生存競争に勝ち抜ける「大きな力」を発揮できることから 生存や「繁殖の継続」において有利に働いた結果 ヒトは先天的には卑屈で卑怯で身勝手な行動を採るものなのである

先天的には卑怯で身勝手で利己的ではあるものの 利己的であることが人間として社会的に間違っていること「も」認識可能な理性も持っているために 社会安全性や公平性の観点からは主観的に「怖い」相手であっても拒絶すること「も」可能である

 

リチャード:ドーキンスの「利己的な遺伝子」を読めば 多くの大衆は

遺伝子が利己的で 遺伝的進化の過程で人間性が組み込まれていることにしておけば 自分で物事の真偽の判定もせずに 先天的本能習性のままに何も考えずに行動しておいても 自動的自然に人間として正しい行動が促されるかのような勝手な解釈も可能である

ヒトは一面的であれば利他的行動をすることもあるが 一面的な利他的行動だけでは人間性の論証にはならない

統率協調的行動において 集団内部に対する利他的行動は 集団内部においては利他的ではあっても それが常に人間性として働くわけではない

東京電力福島第一原子力発電所においては 「組織の利益を優先」したからこそ「個人が自律的な社会的責任を負わなかった」のであって 集団統率的協調性による一面的利他行動は人間性においては逆に働く最も根源的原因でもある

ヒトは 自分の頭で物事の真偽を判断せずに 権威などの他人に責任を丸投げし 責任の全ては服従している他人任せにしておいた方が気分的には安心満足なのである

こうした無責任な先天的盲目的服従性を応用したのが軍隊であり だからこそ戦争などというバカげたことにも便利に利用することが可能となるのである

自国軍の軍隊であれば 気分的には安心感を持つのかも知れないが 文民が統制しなければ武力によって自国民にも危害を加えることもある危険な集団でもある

太平洋戦争終結に至るまでの日本軍も ポルポト時代のカンボジア軍も 今のミャンマー政府軍も 懲罰や暴力的威圧によって恐怖で支配することこそが「安全保障」だと勘違いするバカなのである

実際にはノルウェーにおける「リゾート刑務所」のように 自主性や主体的意志を尊重した「懲役刑」こそが再犯率を大幅に下げ 社会安全性にとって最も合理的であることは 統計的にも明らかになっているのである

暴力的威圧による「統制」というものは 反感を買うことによって逆効果であり 刑務所での囚人の扱いが暴力的であればあるほど囚人からは自律が失われ 釈放後にすぐにまた犯罪に手を染めてしまうのであって 懲罰的な暴力威圧を唯一絶対的な解決策だと「思う」のは ヒトという種の生物の先天的な認知上の欠陥であり 錯覚に他ならない

 

現代人は 産まれてからずっと現在の司法制度下において 「刑法判決で解決」だと何の疑いも持たずに信じ込んできた

刑罰という懲罰に対する恐怖心によって行動抑圧されておくことこそが 唯一絶対的な治安維持において最も重要なものであるかのように錯覚させられているのである

「直感」などの主観的感覚というものは 学習する「正解データ」に依存するものであり

「刑法判決(国家権力を用いた懲罰)で解決だ」という「常識」の中で育ったヒトにとっては それこそが「正解データ」として気分的安心感をもたらし 何の疑いも持たずに盲目的に信用するようになっているのである

主観的な安心というものは 同時に逆のものに対する恐怖心や拒絶反応も作り出し 天動説の時代には地動説を「火炙り」にするほどの暴力的解決までするのがヒトという種の生物の非合理性というものである

ヒトの非合理性というものは 主観的な「感覚」によって作り出されるものであり 実証不能の観念であっても盲目性によって真理と錯覚するようになるのも主観的「感覚」によって作り出されるものなのである

これこそがヒトの意識の9割を占める「無意識」の正体である

客観的な統計的な証拠や根拠よりも 主観的な気分感覚の方が優先してしまうのは 気分感覚が意識の9割を占めているからであり こうした「習性」というものは そもそもヒトが動物に過ぎないことに起因するものである

ヒトは別に先天的に人間として行動するようには出来ておらず

ヒトであろうと ヒト以外の動物であろうと 大脳辺縁系の構造も形もほとんど一緒なのであり ヒトでありさえすれば人間性が発揮できるような都合の良いものではないのである

 

「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」とでも言っておけば 衆愚マスコミからは人気を得ることは可能であろう

だが それは衆愚マスコミが「自分達ヒトという種の生物は先天的に優秀で 何も考えなくとも自動的自然に人間性を発揮できる完璧な存在だ」といった身勝手な妄想錯覚に溺れて満足しているだけに過ぎない

満足感が提供できれば 人気が得られるのは必然であり 人気が得られたからといって客観的根拠に基づいた科学的論証になるわけではない

 

 

 

Ende;


NHKは放送内容を誰も監査してないのか?

2022年05月27日 09時23分53秒 | 意識論関連

NHKでは「テントウムシは天敵から食べられないように派手な姿を選んだ」

「テントウムシは賢い」

などという説明を未だにしている

遺伝的進化というものは「○○のために進化を選ぶ」ことはできない

たとえチャールズ:ダーウィンがそう説明しているとしても(翻訳の仕方が間違っている場合もある) ダーウィンの自然選択説に基づけば「○○のために進化を選ぶ」ことは原理的に不可能である

自然選択説の内容を理解し 教えられた通りに答えられ 「知って」いるとしても 自然選択説との整合性のない話であっても 教科書にそう書いてさえあれば論理整合性がなくても鵜呑みにする

何が間違いや嘘やデマなのかを 自分の頭で考え 判断する能力がないから 進化生物学上の「典型的な間違い」が一向に訂正周知されないのである

 

遺伝的進化において 主体的に進化を選択可能だと見なすからこそ「進化は賢い」などと形容し 進化こそがあたかも万能だと勝手に錯覚し 「進化のため」にと称して断種や迫害や差別など 優生学に基づいた政策が採られてしまった原因となっているのである

教科書の内容や テレビでの放送内容に間違いが混入しているかどうかを認識するのは「直感」ではない

ボンヤリ読んでいたり 聴いていたのでは 論理整合性の齟齬は気づくことができない

デマや嘘や間違いと 論理客観的根拠に基づいた真実真理との区別がつかないから「バカ」なのである

それは学力偏差値とは無関係でもある

 

 ◇

「アポロニウスの円」の説明で

「平面上の2つの点から 同じ比率の点をつなげると それは必ず円になる」としていたが

比率が1だと直線になるので 「必ず円になる」ってのは嘘になる

せめて注釈くらいつけとけ

 

 

そういやダーウィンの進化論を養老孟司が翻訳したものがあるそうだが 誤訳が酷いことで有名だそうだ

 

Ende;


先天的暴力性

2022年05月26日 16時52分01秒 | 意識論関連

どこにでも社会に対する方向性や合理性のない鬱憤を抱えている者というのはいるものである

香港民主化運動に便乗して暴動破壊が行われることもある

2.26事件なども 軍内部の一部の将校達によって引き起こされたものである

 

オキシトシンは 家族や仲間に対する絆やつながりを促すと同時に 家族や仲間以外に対する差別や排除の情動も促すものでもある

大脳辺縁系というのは 先天的にそういう仕組みになっているのである

それは祖先の生息環境において有利に働いたために そうした情動行動が組み込まれた遺伝子が「拡がりやすかった」という結果でしかなく 別に合理的な目的に則って組み込まれたものではない

組み込まれた経緯の説明において合理的説明は出来るとしても その本能習性が常にあらゆる環境や条件において目的にとって合理的であることの論証にはならない

ちょっと難しいかな

クジャクの羽は 配偶者選択による淘汰の結果だが 現在クジャクのメスは飾り羽根の豪華さよりも鳴き声でオスを選んでいるという

本能習性が組み込まれた過程や経緯についての合理的説明が出来るとしても その本能習性そのものに合理性が伴うわけではない

同じ説明だな…

ヒトの男が浮気しやすいのは 浮気しやすい男の遺伝子が拡がりやすかったという結果であり これは合理的に説明可能だが

浮気しやすい習性そのものには合理性がない

これならわかるだろ

進化の過程や経緯の説明の合理性と 結果的本能の合理性とは別物である

 

ヒトは 家族や仲間など 自分が属する集団に対しては安心感や盲目的信頼をしたがる習性があるが これは同時に他の家族や集団に対する嫌悪感も醸成してしまうものでもある

コウテイペンギンが自分の子供以外に対して異常な暴力性を発揮するのは 生息環境における淘汰圧力の結果である

利己的に自分の子供だけを優先し 他人の子供は殺害してでも排除するような先天的情動行動を持った個体種への収斂進化の結果である

誰の子供であっても平等に守ろうとした個体種は 過酷な生存環境における競争において「拡がりづらかった」のである

ライオンは他人のオスの子供は全員噛み殺す

ただ 一方では集団で子供を守ろうとするゾウもいる

どちらの習性が組み込まれるかは その生息環境などに依存し 自ら選ぶことなどできない

その環境において「拡がりやすい遺伝子が拡がる」だけのことである

 

ヒトの祖先は 当時の生息環境下において 他の部族集団を暴力によって駆逐することによって領地などの環境資源の独占に成功した個体種への収斂が引き起こされたのである

「ご先祖さまを敬え」だのと言う話はよく聞くが

先天的本能習性に欠陥が存在する点においては 「ご先祖様を恨め」ということになる

厳密には「ご先祖様の生息環境を恨め」ということになるが 何にせよ自分(ヒト)の先天的本能習性がどのような経緯や過程によって組み込まれたかは 自分の意思選択(目的意識)とは関係がない

小学生の女子を見て 何やら萌へてしまうという本能的情動があるとしても それそのものは大脳辺縁系が勝手に促してくるものに過ぎず 祖先の「ロリコン猿」の配偶者選択による結果的情動は自由意志でも何でもない

アグネス・チャン女史はロリコンを異常に嫌うが 先天的にロリコンかどうかは誰も選ぶことなどできず ロリコンそのものを批難されても意味がない

年齢に関わらず身体目当ての性的イタズラ目的の強制猥褻行為に問題があるのであって 先天的ロリコンそのものを批難しても それは意識的に選ぶことなどできないのである

「成人女性だったら強姦しても良い」という話にはならない

生物的には月経が始まれば繁殖は可能となるものの 社会的責任としては成人になって生活が安定するまでは繁殖に関わる行動をするべきではないことは当たり前の話である

アグネス・チャン女史が主観的にロリコンに対して拒絶反応を「感じる」としても それは個人的な好き嫌いの範疇であって 幼女に性的興奮を感じるのも主観であり それに嫌悪感を覚えるのも主観に過ぎない

主観に違いがあるのは当たり前であり 論理客観的根拠に基づいて社会人として正しい行動がどういうものかは共通していなければならない

先天的本能習性を決定している遺伝的性質そのものは 誰にも選択できないものなのである

 

こうした選択不可能な情動というものは 「暴力で解決」という短絡的行動習性においても同様である

ヒトは気に入らない相手を殴ると気分がスッキリする

DV男は配偶者や子供を殴って暴れることでテストステロンを「消費」し その反射で分泌されるセロトニンによって急に優しくなったりするという

タバコのニコチンもセロトニンを促すという

従って 暴力で気分的に満足感が得られるような状況や環境に慣れてしまうと それが中毒症状となってDVがますます酷くなってゆくものなのである

 

自制心としての理性が働かなければ ヒトは簡単に暴力中毒にもなるものである

暴力には合理性がないことを 理解し自覚していなければ目先の情動に無意識に流される形で暴力中毒に陥ることは珍しいことではない

先日も酔っ払いによる暴力による傷害致死事件が渋谷で起きたが 脳が麻痺していても 麻痺しているのは大脳新皮質だけらしく 辺縁系のシーケンスそのものは野獣の如く暴力的に機能するもののようである

 

主観的に気に入らない相手を排除したがるという行動は アグネス・チャン女史でもやるものであり

暴力的な「怒り」の感情を伴って拒絶反応を示すものでもある

日頃から方向性や合理性のない鬱憤や不安を抱えている者にとっては 短絡的な一面的「正義」に基づいた暴力は 鬱憤を晴らすためにはとても都合が良いため 中毒的に暴走することがある

「勧善懲悪」という子供じみた正義は 「悪いやつは殴っておけ」という短絡的発想に基づいたものであり刑法というものは これに則った法手続きでしかなく 懲罰を加えても暴力などの犯罪の根源的原因究明にはならず むしろ懲罰という暴力で「解決」とみなす非合理なものである

 

ノルウェーにおける「リゾート刑務所」のようなものは 被害者や遺族からすると 主観的な「納得感」は得にくいものであろうが 社会的には再犯防止において著しい効果を挙げているのである

加害者 犯罪者側が自分の行いを自覚できているのであれば それは再発防止にも波及効果はあるはずであり 「失敗例」としての教訓知識を広めることにもなるのである

 

軍隊というものを 文民が統制しなければならないのは そもそも軍隊や兵隊というのは 自分の頭で物事を判断して行動するようには「訓練(学習)」されていないために 野放しにしておくと先天的本能のままに暴力的解決にしか至らないからである

海上自衛隊でのイジメが問題となったことがあったが 自衛隊も実質的中身は軍隊と同じものであり 盲目的服従統率しか「学習」していないからこそ イジメなどという幼稚な暴力行動にも簡単に陥るものなのである

ロシア軍ではイジメどころか 上官による虐待が横行しており 理不尽に殴り殺されることも日常茶飯事だったというから そんな集団であればウクライナで虐殺行為をするようになるのも必然というものである

軍隊というものは その内部において兵隊に民主的決定権は一切なく ひたすら上官の命令に盲目的に従うように訓練されることで 統率されている集団であり 兵隊個人に自律的な判断能力など出来ないように洗脳されているのである

だから戦争などというバカみたいな行為にも従順に従うようになるのである

ヒトはそもそもが権威と見なした順位序列を鵜呑みにする習性があり 自分よりも「上」と見なした相手の指示命令や主張には疑いを持たない先天的習性があり これを戦争に応用したのが軍隊なのである

ウクライナ警察であっても 独裁政権下においては市民に実弾発砲をして殺害した経緯もあり 決して民族国籍が人間性の論証にもならない

ヒトという種の生物には 元々先天的な認知上の欠陥が存在しており 自分の頭で物事を論理客観的に検証して「考え」ることができないからこそ 間違った行動に簡単に陥ることにもなるのである

 

社会には 不公平や理不尽さは少なからず存在しているものの それを合理的に問題解決せずに短絡的に暴力で解決したつもりになるから迷惑にしかならないのである

それこそ「親ガチャ」がハズレてしまえば 主体的選択など一切させてもらえず 何をしても否定しかされず 一切協力もしてもらえず 「味方」の誰もいない世界で消極的生存として「生かされて」いるだけの状況になっている人もいるだろう

その一方で 「博士ちゃん」の家庭のように 子供の好きなことを全面的に応援してくれる環境の人もいる

それは理不尽で不公平ではあるものの だからといって方向性も合理性も何もない無差別な暴力や迷惑行為をいくらしても 「解決」にはならない

重要なのは 論理客観的な原因の徹底究明であり 再発防止のための知見 教訓といったものを見つけ出すことである

世の中の大半はバカだが 多数がバカだからといって自分までバカになっておいて許されるわけではない

そういうのは「へずまりゅうの正義」「糞野郎の正義」に過ぎない

バカになりたいかい?

少なくとも私はなりたくないね

 

 

 

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